2011年12月31日土曜日

やはり書かないわけにはいかない、あの出来事

今年の締めとして何を書こうかと思ったのですが、やはり東北地方を中心に甚大な被害のあった、あの地震に触れないわけにはいきません。
こないだテレビについて書いたエントリで軽く触れたのですが、今まで意識的にこの話題を避けてきました。はっきりいってこんないい加減なブログで軽々しく扱える問題じゃないという意識があったからです。

アタシは関東在住なので、節電や直後の物流の問題以外何の関係もなかったともいえます。しかし実際のところ関係あるのかないのかと聞かれれば、ある、わけでして。
福島には叔父夫婦が住んでいます。元々神戸の人で転居したのは15年ほど前です。かなり高齢になってからだったので、東北地方の寒さはかなり堪えたと思われます。
東北地方と書きましたが、福島といっても叔父夫婦の住んでいるのは北関東との境であり、まあ東北の入り口といって差し支えありません。それでもここ数年の間、何度か叔父宅を訪ねましたが、あまり経験のしたことのない寒さにはかなり驚きました。
叔父は「どうせ来るんだったら冬の方がいい。冬なら雪がある。でも夏は何にもない」と自嘲していましたが、神戸の、何不自由ない場所で育った叔父にとって、とんでもない田舎にきてしまった感があったのでしょう。

地震が起きたのは3月11日です。そして7月に入り元々身体の調子のすぐれなかった叔父が緊急入院し、8月に旅立ちました。
アタシはこの叔父を心底尊敬していたので本当にショックで、いや、こういう個人的すぎることは一切ブログには書くまいと思っていたのですが、それでも書いた方がいい、書かなきゃならない、と思ったのにはワケがあります。

叔父に関しては以前ブログでも書いたことがあります。何というか非常にノンシャランな人で、しかし趣味がいい。叔父が育った家は完全に貧乏の範疇に入るのに、初見の人なら関西弁でいうところの「エエシノボンボン」(良家のお坊ちゃん)に見えたはずです。
アタシはそんな叔父と映画の話をするのが大好きでした。あ、そういう見方があるのか、という驚きの連続で、けして書物の批評の受け売りではなく、自分なりの基準をしっかり持っていたんですね。
ですが子供の頃から叔父と映画の話をしていたわけではなく、本当に近年からなんです。でも叔父の映画の見方はアタシにとって非常にピンとくるものでした。それはもう、この人の感性を受け継いだんだ、としか思えなかった。

ここ一、二年、叔父の体調が良くなく長時間の会話が困難になっていました。ところが今年に入って若干持ち直しかけた矢先、あの地震が起きたのです。
文句をいいながら、慣れない寒さも、福島の人たちも、叔父は愛していました。神戸に勝る場所はない、と常々公言していた叔父も、福島の人たちの本質的な人の良さ、を見抜いていたのです。

叔父は亡くなりました。そして叔父が愛した福島も壊滅的な状況になってしまいました。でも何度もいいますが、福島といっても端の端で原発の影響も地震の被害もほとんどない地域なんです。
しかし世間はそうは思ってくれません。「福島」とひとくくりにされ、甚大な風評被害が出ました。福島というだけで敬遠される、そんな時代になってしまったのです。
風評被害による影響の話はいろいろ聞きました。正直凄惨としかいいようがない話もありました。叔父夫婦が経営する商店も「風評被害から逃れるため」人口が減ったので大幅な売り上げ減になったといいます。

今だからいいますが、アタシは東北地方が大嫌いでした。元来田舎嫌いなのですが、それに加えて今まで出会った東北人の人柄があまりいいとは思えなかったことも影響しています。
が、今年様々なことを経験しました。何度も何度も福島に足を運びました。その結果、福島の(といっても叔父夫婦の住む、とある街だけですが)印象が大幅に変わったのです。
とっつきはすこぶる悪い。だけれどもアタシが想像していたような底意地の悪さのようなものは微塵も感じませんでした。不器用だけど人を思いやる心を持った人たちばかりでした。

もう一度繰り返します。
叔父は亡くなりました。叔父が愛した福島も壊滅的な状況になってしまいました。
さらにいえば叔父が本当に心の底から大好きだった神戸の街も、あの阪神大震災で「別の街」になってしまいました。

アタシにとっても同じです。
今回のエントリはかなり感情を押し殺して書いています。
悔しいです。腹が立ちます。悲しいです。そんなマイナス方向の言葉しか出てきません。
人はいずれ亡くなります。街も時とともに生まれ変わります。震災、なんていうものが起きたため一瞬の出来事になってしまいましたが。
それでも新たな命が生まれ、壊滅状態だった街も新しく生まれ変わるのです。
これから、またスタートです。
来年はアタシも、アタシに関係している人も、してない人も、すべての人がいいスタートを切れるように願って2011年のブログを締めたいと思います。

2011年12月30日金曜日

阪急ブレーブスへの熱き思い

ずっとペンディングになったままになってるエントリアイデアがあって、1976年のプロ野球に関してなんですけど。
これはもう、それなりの調査が不可欠でして、少しずつ資料を集めているんですけどね。
何故1976年なのか、といえばアタシがプロ野球という興行に興味を持ったのがこの年でして、強い思い入れがあるんですね。

最初は何もわからず巨人と阪神を応援するとかいってて。周りにそんな奴いないとかいわれたんですね。当たり前なんですが。そんで巨人はやめてとりあえず阪神にしてみたのですが、その頃最強だったのは巨人でも、もちろん阪神でもなく阪急ブレーブスだったんです。
当時の阪急にはきら星のごときスターが揃っていました。
世界の盗塁王福本豊、イケメンサブマリン山田久志、豪快なスイングと巧打を兼ね備えた加藤秀司、打撃フォームがカッコいい長池徳二、快速球投手山口高志・・・。これにマルカーノ・ウイリアムスの両外国人、代打の本塁打記録を持つ高井、いぶし銀大熊、老練足立、超個性派の森本など脇役も揃っており、本当にいいチームでした。
しかしいかんせん人気はまったくなかった。これだけのメンツを揃えておきながら人気がないというのも異常で、当時は関西といえど阪神人気も寡占状態ではなかったんです。なのに人気がなかった。
そんな人気のなかった阪急にアタシが強い思い入れを寄せたのは、もちろん強かったこともあります。しかしそれだけじゃない。当時ね、土曜日と日曜日の夕方に阪急主催のゲームをテレビで毎週やってたんですよ。これを見るうちにどんどん引き込まれていった。
だって、何度もしつこいけど、これだけのスター軍団なんですよ。そりゃ引き込まれますって。何しろ子供だからね。もう単純に憧れるわけです。

生まれて初めてプロ野球の試合の生観戦をしたのも阪急戦でした。
場所は西宮球場。いや、もうこれは最高の球場だったと言い切れます。実際に当時の映像を見るとね、外野の芝生とかハゲまくってたりするんですけど、もうそんなことは関係ないわけです。
どうしても比較対象になるのが同じ西宮市にある甲子園球場なんですけど、甲子園はもちろん日本一の球場です。スタジアムに入った瞬間のあのトキメキは何物にも代え難い。しかし西宮球場だって負けていませんでした。
特に最寄り駅の西宮北口から西宮球場までの道のりが大好きでした。あの高揚感。一生忘れませんよ。
西宮球場は甲子園と違ってどこか近代的でね、スコアボードもオレンジで何となくおしゃれだったし、甲子園にはない二階席もあったしね。アタシはとうとう後楽園球場には行けずじまいでしたが、まさに関西の後楽園といった感じでした。(いや違うな、関西の後楽園は大阪球場か)

アタシが阪急に心を砕いていたのは1978年までです。結果的にあの日本シリーズの抗議から熱が冷めちゃいました。いや抗議云々じゃなくてアタシが見始めてから阪急は、たった2年とはいえずっと日本一だったんですよ。それがこの年日本シリーズで負けてしまった。
ちょうどその年の暮れ、阪神に大変革があり、そう、あの江川問題です。そして江川初登板の試合で阪神打線が江川を打ち崩したことが完全に阪神一本に絞るきっかけになったのです。

これね、今でも思うことがあるんですよ。もし、もしもね、阪急がヤクルトに勝って日本一になって、江川問題に阪神が一切絡んでなかったらどうなってただろうなって。

それ以降、もちろんパ・リーグでは阪急を応援していたんですが、もうあの頃のような情熱はなくなっていました。
アンダーシャツが赤になり、近鉄を真似たような帽子になって、阪急というチームの持っていたカッコよさみたいなのが消えた気がしたんです。
1980年代前半、山田や福本は現役だったとはいえ衰えを隠せませんでしたし、足立や長池は引退、加藤秀は広島にトレードされ、山口はまさに燃えつきました。アタシが思い入れを持った選手がどんどん減っていって、ユニフォームはダサくなるし、チームもなかなか優勝できなくなっていきました。
それでもやっぱり、阪急は他のパの球団とは別格でした。阪急電車に乗って阪急戦のポスターを見るにつけ熱いものがこみ上げてこなかったといえば嘘になります。
しかしそれもオリックスへの身売りで、さらには本拠地を西宮球場から神戸グリーンスタジアムへ移転したことによって、完全に、残りカスもでないくらいアタシも燃え尽きてしまったんです。

阪急ブレーブスは完全に記憶の中だけのものになりました。当時の写真や映像を見ると、もちろんいろいろ蘇るのですが、それより「もうなくなってしまったんだ」という虚無感の方が先にきてしまいます。
それでもですね、やはりこれだけは違う。この歌を聴くと、やっぱり思い出してしまう。今でもソラで歌えるこの歌だけはね。

2011年12月29日木曜日

肩書

今まで一番笑った肩書といえば、元横綱・双羽黒こと北尾光司の「スポーツマン」でしょう。
優勝経験のないまま横綱になり、親方と喧嘩して廃業した挙句、後にはプロレス転向した北尾ですが、よくわからない活動をしていた期間も長く、「スポーツ冒険家」みたいな肩書だったことが多かったのですが、いや、スポーツ冒険家でも十分わけがわからないのに、「スポーツマン」てな場合もあって。
なんだよスポーツマンって。お前は金太郎か。つかスポーツマンとか肩書かよ。

昔カメラマンをやってる友人の名刺を作ったことがあったのですが、肩書をどうするか、相当ディスカッションしたおぼえがあります。
たしかにカメラマン自体、十分肩書なのですが、名刺に入れるとことの他かっこ悪い。実際「CAMERA-MAN」と入れてる人がいて、あまりにもかっこ悪いので避けようとなったわけです。かといって「写真家」や「フォトグラファー」では大仰すぎるし。
結局何になったんだっけな。忘れた。

まあ友人の話はこれくらいにして、アタシ自身の場合も難しい。カメラマンよりもっと難しい。
名刺を作った、てなくらいだから、アタシの有り体の一般的な職業名はグラフィックデザイナーということになるのですが、これは恥ずかしい。
いやいや、そんな立派なもんじゃござんせんよ、と謝りたくなる。しかしどうしても肩書が必要な時があるわけで、申し訳ない気持ちいっぱいで「グラフィックデザイナー」と書くわけでして。
別にへり下ることもないのですが、それにしてもグラフィックデザイナーって、何かフォトグラファーと同じニオイがしません?

ただ名刺だけは他にないかと考えたのですが、カメラマンと違い、言い換え、みたいなのがあんまりないんですな、これが。
たとえば「図案家」とか狙いすぎでイタい。イタすぎる。とはいえ「DTPデザイナー」じゃかっこ悪すぎるし、「DTPオペレーター」では職種が違う。つか「DTP」とかダサすぎでしょ。

なんかこう、ダサくもなく臭みもない、それでいて一発で何をやってるかわかる、いい肩書ってないもんですかね。場合によってはギャラ発生してもいいから誰か考えてよ、ねえ。

2011年12月28日水曜日

それじゃまた

今回はちょっと怖い。何しろSMAPネタですから。まあ一刀両断するような内容ではないのですが。

SMAPの楽曲で一番好きなのは「セロリ」なのですが、もう一曲、とても好きな曲があって。それが「それじゃまた」なんですよ。
シングルカットされた曲じゃないので知名度はそんなにないのかもしれませんが、クサい言葉でいえば、つかユニバースのCMみたいですが、こんなに「明日への活力」を得られる曲もない。ある意味一連の植木等ソングより活力が出てきます。

日々の生活の中で、それこそ映画の中の植木等のように「超絶ポジティブ」状態を保つなんてことはとてもじゃないけど不可能なわけで、しかしそれでもやらなきゃいけないわけです。
まあいや「しょうがない」とか「せっかくだから」みたいな感情で精一杯のことをやろうとする。むろんいくら精一杯やったところで批判されたり叱咤されたりもするわけで、そういう時にこそ、この「それじゃまた」という曲がピッタリハマるのです。

特に「お互い身体だけが資本ですから」というフレーズはグッとくる。アタシのようなフリーでやってる人間は勿論、サラリーマンとて身体が資本なのには変わりないわけです。
つまらない風邪ひきとかもですが、こないだ歯痛になった時も集中力が著しく低下して本当に参ったりしました。いや、もうね、体調が悪くなると、いろんなことがどうしようもなくなる。精一杯のレベルが下がるので、どうしても「稚拙な仕事ぶり」になりやすい。となるとアタシの評判も下がる、というまったく碌でもないスパイラルにハマるってなわけです。
もうアタシももうすぐ40代の半ばですからね。ただでさえ集中力が落ちているのに体調悪化でさらに集中力が落ちるのは避けたいわけで。

何だかグチになってしまいましたが、「それじゃまた」の話ですね。結構昔に録音されたんですね、これ。アレンジはカッコいいのですが、どうせなら今のSMAPの声で再レコーディングしてほしいなと。コンサートではやってるのかもしれませんが、それじゃ繰り返し聴けないからね。

いろいろアクシデントを乗り越えた今のSMAPが歌うことによって、より深みが出ると思うのですが、どうでしょうか。

2011年12月27日火曜日

ニオイと欲情

最近までわからなかったネットスラングの中に「スク水」というのがあります。スクール水着のことなんですが、ただ単に略しただけなのでもしかしたらネットスラングではないのかもしれません。
ネットで「スク水」と使われる時は、大抵「性欲の対象」として使われるわけで、まあコスプレの一種なんでしょう。
しかしこれがどうにもアタシは信じられないんですよ。

スクール水着を見て欲情するかどうかという問題ではなく、アレを見るとまず浮かぶのがニオイです。あの独特のカルキ臭いプールのニオイ。そのニオイが染み込んだスクール水着のニオイなどクサいだけなんですよ、アタシにとって。
以前たばこの臭いについて書きましたが、まあアタシが喫煙者だというのを差し引いて考えると(いやホントはそこ差し引いちゃいけないんだけど)、スクール水着の臭いのがよほどガマンできない。もう欲情するどころじゃないわけでね。
そういえば昔、看護婦の子と付き合ってたことがありました。アタシは元来コスプレのたぐいには一切興味がないのですが、ナースルックといえばコスプレの中でも特に人気があるわけで、だったらモノの試し、と一度だけその彼女にお願いしたことがあります。
しかし彼女の一言はアタシを醒めさせるには十分でした。

「別にいいけど実はメチャクチャ汚いし、第一クサイよ」

そうなんだ・・・。いや、クサイのはガマンできるんですよ、いくらでも。でもガマンしてる時点で欲情とは大きく離れてしまう。試そうという気すら失せてしまったんです。

じゃあ好きなニオイは何なんだ、となれば、クサイニオイが欲情を減退させるのであれば、もしかしたら好きなニオイは欲情を増幅させるニオイなのかもしれない。それが何なのかはわかりませんが。
何か性癖を開陳してるみたいな内容になってしまった。こんなこと書く予定じゃなかったのに。これで本当にいいのかアタシ。

2011年12月26日月曜日

鶴瓶の息子

「鶴瓶の息子」なんていうと、27時間テレビで晒したイチモツの方が有名だと思いますが、そういう話じゃありません。

今やってる朝ドラね、面白いことは面白いんだけど、どうも主人公の性格が一定していないというか。複数の演出家が演出してるからある程度はしょうがないんだけど。
このドラマで鶴瓶の息子が、わりと重要な役で出ていました。はっきりいって演技は拙いといってもいいのですが非常にいい味を出していました。これならいろんなドラマに出れるのではないでしょうか。
それにしてもこの配役は実に巧い。何というか、駿河太郎という人が鶴瓶の息子である、というのが非常に重要なのです。といっても、当たり前ですが、ドラマの中でそういうことは出てきません。

鶴瓶に関しては何度も書きましたが、複雑な多様性があります。この辺が見る人を選ぶのですが、多様性こそ鶴瓶の魅力であり、そこが失われると鶴瓶が鶴瓶である意味がなくなります。

駿河太郎はこの多様性を十分すぎるほど受け継いでいます。
このドラマでの役どころは、表面的には非常に穏和で善人、しかし裏の顔もちゃんと持っている、ある意味難しい役なのです。先ほども書きました通り、演技はとても巧いとはいえない。にも関わらずドラマにバッチリハマり込んでいるのは、もともと持っている素質というか素養というか、以前書いた通り、鶴瓶が持つ「表面的にはいい人だけど、実は腹黒い、しかしやっぱり本当にいい人かもしれない」という要素を駿河太郎も持っているのです。

いわゆる二世タレントは非常に難しく、藤山寛美・直美親子のように親子揃って天才なのは例外中の例外で、他には横山エンタツ・花紀京のように親父天才、息子職人みたいなパターンもありますが、大抵は親子どちらかが劣ってみえるものです。
今現在の評価でいえば駿河太郎は七光りから抜け出していない。しかし親父である鶴瓶のDNAを活かして伸びていけば、類をみない二世タレントになれる可能性があります。
だいたいあの笑顔。あんな笑顔は普通の人にはできないのです。演技云々の話じゃない。鶴瓶の遺伝子が入ってないと絶対できない笑顔なのです。それは才能といいかえてもいい。せっかくの才能があるわけだから、これからいい役者になってほしいな、と思うのです。

2011年12月25日日曜日

よし、今日から君の名前は手ぶらーシカだ

アタシはまあフリーという名の遊び人みたいなもんなので、いつも手ぶらに近い格好で外出します。
ま、それでも仕事の時は仕事用のカバンを担いでいくわけですが、完全にプライベートの時は持っていく荷物がないのですね。とはいえ意外とコマゴマした荷物があって、たとえばエネループブースターとかね。当然エネループブースターとiPhoneを接続するケーブルのたぐいも必要なわけで。あとBluetoothの片耳ヘッドセットとか。

Bluetooth片耳ヘッドセットは使い始めてひと月くらいになるんですが、これは便利なもんですね。この手の商品を買うのは最初なのでまずはリーズナブルなのを買ったんですが、こんなに便利なんだったらもっと早く買うべきだった。アタシは外出先でラジオ音源を聴くことが多いのですが、元がラジオなんでモノラルで十分なんですよ。もちろん必要とあらば、というか音楽を聴く時はステレオでも聴けますしね。

話がそれましたが、それらの持ち運ぶのに、さすがにポケットに突っ込むのは無理すぎる。てなわけで今年のはじめくらいからウエストポーチ(通称:腰ミノ)ってなもんを使い出したのです。
正直ウエストポーチを馬鹿にしてましたわ。昔のだっせーのしかイメージできてなかったから。今は結構いいデザインのもいろいろあって。んで使ってみてまあ何と便利なことよ、と。さっきから便利便利ばっかりいってますが、本当にこいつは便利です。ちょうどエネループブースター諸々とアタシにとっての必需品である点鼻薬(通称:鼻シュッシュ)と目薬がすっぽり入る。つまり腰ミノを購入したことで完全に手ぶらモード(通称:手ぶらーシカ)を手に入れたわけです。

しかしこないだもここで報告した通り、LifeTouchNOTEというAndroid機を購入したことによってアタシの手ぶらーシカが崩れつつあります。
このLifeTouchNOTEという機械、微妙に大きい。B6の幅をやや短くした程度で、当然ポーチには入らず、しかたなくカバンを持ち歩く羽目になったのです。
かといってアタシはピッタリサイズのカバンをあいにく持ち合わせていない。これは非常にマズいのです。何がマズいかって、名付け親にして親友のワニのゲーナに申し訳がたたないじゃないですか。なんとかゲーナが動物園に勤務している間に問題を解決しなくては。
(唐突なチェブラーシカネタが続きますがご勘弁を。そもそもこのダジャレがないと、こんなどーでもいいエントリは成立しないのです)

これからどうしていけばいいのか、案は3つ。
1.LifeTouchNOTEがギリギリ入る、今より大きいウエストポーチ(腰ミノ(大)(仮称))を購入する
2.この際仕事用と兼用できる、わりとカッチリしたカバンを買う
3.LifeTouchNOTEを持ち歩くのを一切やめる

3にしてしまっては、つかLifeTouchNOTEは持ち歩かないと意味がない機械なので論外として、1と2の間で揺れ動いています。
え?だいたいいい大人が手ぶらで出かけようと思うのが間違い?あ、ホンマ・・・

2011年12月24日土曜日

アタシの採点表

最近ずっと「ぼくの採点表」を読んでいます。
とにかく映画を「知る」には、こんな最適な、まあいや教科書ですからね、ずっとほしかったのですが、何しろとにかく高い。そして買うからには最低でも「1940・1950年代編」と「1960年代編」の両方一気に買わなきゃ意味ないと思っていて、となるとマンを越えるんですよね。
しかし最近全巻いただくことになりまして、それで読みはじめたわけです。

んで実際に読み進めると、もう、滅茶苦茶面白いわけです。ある意味参考書代わりにほしかったってのもあったのですが、参考書なんてとんでもない。とにかく文章が面白い。長文も混じりこんでますが、基本は短文。しかもごく簡単にストーリーを紹介してあったりするので論評自体は非常に短い。なのにもう、文章として面白いんです。

一般的には「辛口の映画評」を書くことで有名だった双葉十三郎ですが、今の時代に読むと、辛口といえば辛口なのですが、非常に心地の良い辛口というかちゃんと芸になってますからね。まあそりゃ某巨大掲示板なんか、辛口とはき違えた単なる罵倒が罷り通っていますから。
辛口の中にも愛情がある。というか出来のいい、いわゆる名画といわれるものには絶賛しつつチクリと欠点を指摘し、あからさまに出来の悪いC級作品には全体的にはケナしながらも良い点を指摘する。こういうバランスはすげえなと。

アタシはね、映画のこともここで書いたりしてますが、とてもじゃないけど映画マニアなんて範疇には入らない。特にハリウッド作品やヨーロッパ映画に関しては何も知らないに等しい。一時期昔の洋画を観まくった時期がありましたが、この本でとりあげられている映画の大半は観たことがない、といって差し支えない。
それでも数少ない観た映画で、この本に取り上げられているものと自分の感想を照らし合わせてみると、アタシの感想はそうズレてない、でもまだ見方が浅かったんだなと痛感させられます。
というかこの本は「やたら細かい部分を指摘して悦に入る」今の映画評論への痛烈なアンチテーゼというか、「映画全体を観ることができないから、細かいところを指摘して映画全体がわかった気になってる」、いわば映画を読み解く能力のない人へのカウンターパンチになってると思うのです。

というわけで僭越ながらアタシが「ぼくの採点表」を採点するなら☆☆☆☆★★★。ここは双葉先生にならい、あえて☆☆☆☆☆は避けます。

2011年12月22日木曜日

人生最大のゲーム

子供の頃の話です。

もうそりゃ、ね、アタシらの世代といえばゲーム!ゲーム!でしてね。まだファミコンもない時代で、テーブルテニス的な簡素な家庭用ゲーム機はあったんだけど、ゲームセンター、略してゲーセンね、そこに置いてあるものとは比べるべくもなかったわけでして。
となるとゲームといえば、ゲーム&ウォッチに代表されるハンディタイプのゲーム機か、アーケードといわれるゲーセンに置いてあるゲーム機のことでして。

ゲーム&ウォッチ系のことは今回割愛して、アーケードゲームについて書こうかと。
ざっくり「ゲーセン」と書きましたが、当時ゲーセンといえば不良の溜まり場でね。実際はそんなこともないんだけど、もうイメージの問題で。小学生がウロウロしちゃいけない場所だったんですよ。
ではどこでアーケードゲームに興じていたかといえば、同世代の方には自明の理ですが、駄菓子屋の店先です。
アタシの住んでた街には数件の駄菓子屋があり、店の前か、その横に仮設的な屋根がついたゲームコーナーみたいなのがあったんです。気の効いたところは店の奥を改造してゲーセン風にして、といってもせいぜい10台ほど並べてるだけなんだけどね。

しかし、ここで問題が発生します。
もう当たり前過ぎるのですが、これらのゲームをするには金がいる。ゲーセンで1プレイ100円のところ、駄菓子屋では50円程度にダンピングされているのですが、それでも「上達すべく」プレイしようと思ったら、やっぱりそれ相当の金がかかるわけです。
何しろフツーの小貧乏な家庭で育った小学生です。そんなに金が続くわけがない。まあ小貧乏な家庭はうちだけではなかったので、友人たちとの会話は「あのゲームの、あそこをどう攻略するか」ではなく「プレイする金をどう調達するか」になってしまうんです。

ある時、友人のひとりがとんでもないことを言い出します。
「ガットがいいらしい」
もう、この一言だけで「ガチャガチャ」という行為をご存知の方ならピンときたでしょう。
ぶっちゃけていいましょう。ガチャガチャ、というのは不正行為です。硬貨の投入口に「別の何か」を入れて、あたかも硬貨を入れたかのようにする、とんでもない行為を指します。
ガットというのはテニスラケットの、まあいや網の部分の繊維状のことで、適度な硬さ及び形状記憶があって、しかも金属じゃないので不正がバレない、ということでした。(金属云々のくだりの真相は今もってよくわからんけど)

ガチャガチャ、の噂はあっという間に広まり、実際に試す奴もでてきました。成功した、上手くいかなかった、いろんな経験を聞きましたが、アタシはなかなか試そうとしなかった。理由は簡単でガットが手に入らなかったのです。そりゃそうですよ。家にテニスをやる人間なんていないし、よしんばいたとしても、勝手にガットを切り取れば鼻血がでるほど怒られるのは目に見えています。
だけれども運命はわからない。ある時手に入れたのですよ、ガットを。たぶん誰かから貰ったんだろうけど、詳細は忘れた。詳細は忘れたけど、即駄菓子屋に走ったことは鮮明に覚えています。
この期に及んで、もう「金のことを気にせず、いっぱいゲームをして上達したい」という思考はどっかに吹っ飛んで、本当に、そーゆーことが可能なのか、とにかくそれを試したい、確認したい、挑戦したい、それだけでした。
当時一番ハマってたゲームといえば「ドンキーコング」だったんですが、すでにアタシは「ドンキーコングというゲーム」より「ガットなるものを手に入れて、タダでゲームができるか」というゲームに夢中だったのです。

結果からいえば、アタシのハマった最大のゲームは、あっさりゲームオーバーになりました。不正行為は失敗、というか未遂に終わったんですね。
一応日をおいて何度か試したのですが、どうしてもダメだった。

まあ今考えたら未遂でよかったんですが、つーか、ホントはこんなことも書かない方がいいんだけどね。
前に「サイバー隣組」というエントリを書きましたが、こんなネタでも食いついてくるのかね。こんな過疎ブログにでも。

2011年12月19日月曜日

金メダルマン実写化推進委員会

Twitterで金メダルマンネタを書いた時に「金メダルマンのこと2011」でも書くかね、とか書いちゃったのですが、面倒なので

『金メダルマン』は1980年代の前半、コロコロコミックに連載されていたギャグマンガです。(中略)しかし・・・ですな、いやはやなんとも、全然児童誌向けの漫画じゃないですね、これ。やけにシビアな風刺が入ってるし、奇妙なほどリアルな生活感があるし、人間関係はゲイの世界のそれに倣っているし、バイクとかの描写も凝ってるし、下ネタもうんことかチンポコではなくて「ペニスの勃起」とかだし。うーん、なんじゃこりゃ。(2005年5月27日付「『金メダルマン』のこと」より)


これで済ませます。
それよりもし金メダルマンを実写化するとなったらどういうキャスティングがいいか、そっちの方に興味がいってしまいました。
主要キャラの沢田なら、モデルになったのは沢田研二だそうですがこれは合わない。あ、この際時空を超えます。もう現在の年齢とか超越して、はたまた現在存命かどうかも無視して、もっともピッタリな役者を探そうと。
んで沢田はとなると、中性的な美形、なおかつツッコミなのを考慮すると誰になるんでしょうか。ただ何となく小作りな感じの人、かつさほど華がなさそうな人がいいですよね。やっぱジャニ系になるのかな。
芦田はもうモデルとなった芦田伸介で決まり。河場は中村ノリさ・・・いや、やっぱりやめとく。

などとうだうだ書きましたが、その辺の脇役はどうでもいいのです。問題は主人公の五輪たかしです。
やっぱり金メダリストなんだからマッチョで・・・とか考えたら絶対ダメ。そんなことをしたら面白くなくなるだけです。
昔香取慎吾で西遊記がドラマ化された時に書きましたが、あの時も、悟空はナイナイ岡村、沙悟浄はアンガールズ山根、猪八戒は石塚・・・なんていってる人が某巨大掲示板界隈では多かったのですが、そういうキャスティングはダメなんですよ。(当時書きましたが香取版のキャスティングも全然ダメだけど)
もっと単純に物語の構造を活かせる、金メダルマンに物語の構造なんてありませんが、金メダルマンはギャグ漫画なんだからやはり最大限に笑えるキャスティングにしなきゃいけないわけで。

となると、もう桂三枝しかありえないのです。
えーーー!?という声が聞こえそうですが、これでいいのです。ただし今の三枝ではなく若い頃の三枝ね。
三枝については昔こんなことを書いたことがありました。

そんなことをいえば、三枝の芸そのものがフシギなもので、すーっと現れただけで笑いを誘うことができる。天性のおかしさというんですかね。いや、実際にみてなくても心の中で「三枝、三枝、三枝・・・」ととなえるだけで笑いそうになってしまう。こういうのはかなり珍しいと思うんです。だってたけしもさんまもダウンタウンも、名前を浮かべるだけでは笑いだすまでいかないですからね。(2005年4月14日付「桂三枝のこと」より)


ひとことでいうとフラですね。もう何をしても面白いという。
アタシも三枝オチはずいぶん活用させてもらいました。とりあえず、あ、それは三枝です、といっておけばオチるという。
はっきりいって卑怯極まるオチです。もう三枝の持ってるイメージに全依存してるんだから。素人だからできることで。
さらに発展させて、たとえば「何でこんなことしたんだ!」と責め立てられたら「すんません、三枝兄さんがそうせえゆうたから」とかね。これは二重にズルいオチで、三枝のみならずさんまのイメージまで借りてますからね。

想像してみてくださいよ。あの(どのだよ)五輪たかしを三枝、それも若い頃の三枝が演じるのですよ。もうどうやっても面白くなるに決まってる。ただ出てくるだけで面白い三枝が、体操をベースにした奇天烈な動きをするところを想像してくださいよ。
全然金メダリストに見えないところもいいし、そもそも足も上がらないでしょう。さらにいえば標準語もしんどいかもしれない。でもそれでいいのです。とにかく笑えることに意味があるんだから。
そういや「あゝ独身(チョンガー)」というC級映画に若き日の三枝が出てて、主演はやすきよ。三枝は出番は少ないんだけど、もうおかしくってしかたなかった。ああいうのを想像していただければ。
そんな映画見たことない?それじゃ全然イメージが湧かない?ではこれを見ていただきましょう。

若い頃の三枝です。なんですか、この顔は。ズルすぎるとしかいいようがない。
んでこれが元の金メダルマン。

これを三枝がやったらどうなるか。

もう言葉は必要ありませんね。

2011年12月17日土曜日

終わりの始まり

いやぁ、今年は本当に激動の年でした。
個人的にも、もう、嫌というほど幾多の出来事があったのですが、世の中もね、まさかこれほど大きく動くとは思ってもみませんでした。しかも全然「いい方向」と思えないのが悲しいというか。

アタシは去年、実に5年ぶりくらいに「ちゃんとした」テレビを購入し(その間はパソコンのモニタで見てた)、久々にテレビでも見てみるか、と意気込んでいたのです。もちろん面白い番組もあるにはあったんですよ。でも全体で見ると荒涼としている、としかいいようのない状況を痛いほど感じたんです。空白期間があるから余計に生々しく感じたんだと思います。
テレビの存在意義、なんてもんは、もう何十年も前からいわれていることですが、はっきりと存在意義を示せるのは未曾有の災害が起こった時なんです。ところがせっかくのチャンス(被災地の方すいません、あくまでテレビの話です)ですらテレビはまったくというくらい存在感を示せませんでした。
思えば阪神大震災の時、アタシはエア被災者ですが、あの時、それまで成金の小道具だの贅沢の極みだのいわれていた携帯電話が、実は災害に強い優れたサバイバルツールであることが一気に知れ渡り、普及に弾みをつけました。
今回の東北でいえば、それはネットです。もちろん阪神大震災の時の携帯電話と違い、すでに普及しているものですが、まさかテレビを凌駕するメディアだとは思いませんでした。
震災直後の映像は主にYouTubeやUstreamで見ました。いや、当たり前ですがテレビでもやっていたのですよ。しかし不思議なことに日本のテレビ局は肝心なところになると「はぐらかす」ような感じで、素人の方(おそらく被災者の方でしょう)が撮影した映像の方がはるかに迫力があった。そして生の現実が痛いほどわかりました。
あえて「日本の」と枕詞をつけたのは、海外のメディアはかなり丹念に取材をしており、アタシはCNNかBBCをつけていることが多くなっていきました。

テレビ局は存在感を示せる千載一遇のチャンス(繰り返しますがテレビ局にとっては、ですよ)を、ネットなんていうどこぞの馬の骨かもわからんメディアにお株を奪われたわけです。
その後、夏から秋にかけてフジテレビへのデモが行われましたが、あんなもんオマケみたいなもので、もしネットでいわれている通り、どこそこの国の息がかかっていて、どこそこの国に都合のいいことしか放送しない、だったとしても、いや、テレビにはテレビの価値があるんだ、となれば存在意義は出たんです。
もう今更バラエティやドラマが昔に比べて(予算がないとか諸々の事情があったにしろ)、あまりにも程度が下がっているのは間違いないのです。ここを変えようと思うと、もう生半可なことじゃ無理なんですよ。
でも報道、特に国の存亡に関わるような大災害が起これば別だったはずなんです。でもそれすらもネットにとって代わられた。

まったく皮肉なものです。今年は地上アナログ放送が終了し、デジタル元年になるはずだったんです。それがね、はっきり言い切りますが、「終わりの始まり」の年になるとは誰が予想したでしょう。
若者人口が現象し続けているとはいえ、確実に世代は交代します。つまりテレビに何の存在価値も見いだせない世代が増えていく一方なわけで、あとはどうやって軟着陸させるか、という興味しか沸いてこないのです。

2011年12月16日金曜日

ウソの美学(抜粋再録)

恒例・yabuniramiJAPANリターンズをば。
今回は初めて「ヤキウノウワゴト」からの再録になります。「ヤキウノウワゴト」は野球関係のことを書き記しておりまして、当然リアルタイムに読んでもらわないと意味のないエントリがほとんどなのですが、今回再録するエントリはあまり野球と関係ないこと、というか実際は関係あるのですが、わりと普遍的な部分だけを抜粋して再録します。
それでは時計の針を2004年7月10日に戻します。




アタシは自分でかなりの正直者だと思います。正直者といってもウソなどついたことがないというたぐいの正直者ではありません。でも自分にとってかなり不愉快な出来事に遭遇した時、もろにそれが顔にでてしまうのです。
顔にでるぐらいならまだいいのですが、腹に据えかねる場合には行動にでてしまうこともあるわけで、当然損をすることもかなり多い。だからなのか『正直に生きることは素晴らしい』なんてまったく思わないわけです。できればもっと、何事にも平然と生きていられるようにと常々理想を掲げておるのです。

たしかにアタシはそういう意味での正直者ですが、ウソをつくことはけして苦手ではないのです。すごく矛盾のあるような話ですが。『ここ一番』というか、ここはウソをつき通さなくてはならない場合には、徹底的にウソで押し通します。そして絶対見破られない自信もあります。

もちろんプライベートでも≪ウソを通す≫という行為をやってしまうのですが、やはり仕事絡みではかなり顕著にその回数が増えてしまうのです。

組織に属している限り、ウソで押し切らなきゃいけない時はゴマンとある。
たとえば自分が中間管理職だったとします。部下が自分より上司にあたる人の悪口をいっていたら、間違っても部下といっしょになってその上司の悪口をいってはならない。むしろなるべく上司のフォローをしなければならない。たとえ自分もその上司が大嫌いだったとしても。

なぜならそれが組織だからです。組織の一員になるというのは、果てしのない我慢の連続です。その組織をぶっ潰してもいいとまで思っていない限り、組織としてマイナスになるようなことはできないのです。
まぁアタシだって『組織なんてどうなってもいい』と思ったことなど一度や二度ではありません。しかし組織をぶっ壊すということは、その組織に関わる大半の人が不幸になる。『あの人やこの人も不幸になるかもしれない』と考え出したら、到底行動には移せませんでした。結局そうやってウソをつきつつ、自分の怒りを静めるしかないのです。

もしそれでも我慢ならない時はどうするのか。それは自分がその組織から離れるしかないのです。悲しいけど、アタシにはそうするぐらいしかできません。

アタシにもっと行動力と人望があったら、クーデターをおこしていたかもしれません。しかしもしクーデター(に準ずる行為)を起こすなら、最低でもこの2つの条件が必要だと思うのです。

1)まったく隙のない理論武装

2)結束力

仮に実権を握っている人間の行動に、なんの理論がなかったとしても、そんなことは関係ありません。≪実権を握る≫ということは≪たいした理論がなくても事を進めることができる≫ということに他ならないからです。
実権を握っている人がつくった≪流れ≫を変えるには、その流れを根本から否定できる完璧な理論武装が必要になるのは当然です。相手は実権を握るような人ですから、こっちの理屈のほころびを実にうまくついてくるはずです。もしこちらの理論に隙間があれば、いとも簡単に負けを認めざるを得ない状況になるのは明白です。だから何をいわれても完璧に理屈でかえせないといけないのです。

また相手の弱点を徹底的につくことも大切です。どんな強大な相手でも絶対弱点はあるはずです。裁判にもちこめるような言動があればそれを利用するのも手ですし、そういう人に限って意外と人情派だったりすることも多いのです。

それでもダメな場合は実力行使にでるしかないのですが、そうなると結束力がモノをいいます。『チャップリンの独裁者』じゃないですけど、ひとりの反逆は落伍者だが、大挙の反逆は革命になるのです。そしてその者たちの結束が本当に一枚岩なら絶対に勝つことができると思いますが、結束力があるのかないのかうやむやなまま実力行使にでた場合は、ほぼ惨憺たる結果にしかならないでしょう。

いずれにせよ、まず相手の立場にたって物事を考えることができるかどうかは重要です。何度もいいますが、個人(複数にせよ)が組織の実権者と戦うということは、キレイゴトを並べ立てていかなきゃしょうがないのです。ホントは自分のためです。自分の立場がなくなったり、損をしたりするのがイヤだから、そこまで強引な行動にでる。しかしそれでは≪理論武装≫もできなければ≪結束力≫も生まれない。

ウソかどうかなんてどうでもいいのですよ。そのためにはなんだってしなきゃいけない。自分が悪者になる覚悟も必要だし、相手に取り入るのもまったくかまわない。とにかく実権を取ることが目標なんだから。




本当はこれの倍くらいの長さなんですけどね。何しろ抜粋だから。
ではカットした部分に何が書いてあったのか。
多少でもプロ野球に興味がおありの方なら憶えておられるでしょうが、2004年の夏といえば、オリックス・近鉄の合併に端を発したリーグ再編問題の真っ只中でした。
アタシが「ヤキウノウワゴト」をまともに更新していたのは2003年の秋から2005年の秋まででして、2004年に起こったこの出来事にたいして、全エントリの半分近くを費やして書いています。それくらいアタシも世間も燃え上がっていたのです。

抜粋した以外、つまり後半部分に書かれていたのは、プロ野球機構側(主にナベツネ氏)と選手会側(主に当時選手会会長だった古田敦也)との「煮えきらないやりとり」についてです。
今回抜粋という形で再録したのは、事の本質が高岡蒼甫のツイートから端を発した一連の問題とよく似ているんじゃないかと思ったからなんですね。

一連の問題(あえてこう書きます)での問題提議はネットから始まりました。そして、とりあえず、といった形でデモに繋がったのですが、ここにネットの可能性と限界点が見えた気がするのです。
可能性は置いておくとして、限界点はよくいわれる「ネット民なんて実際何の力もない」とかそんなことじゃないんです。
ひとつは「手の内をすべて明かしながら」の行動になるということ。
もうひとつは、これこそ再録した話に繋がるのですが「結束することの難しさ」です。
結局人間が「目的が同じ」という理由だけで結束するには限界があり、数人ならともかく数万人規模になるとまず無理です。
となると強いリーダーシップを持った人が必要になるのですが、ネットの特性上生まれにくい。

アタシはリーグ再編問題当時、これは時代劇と同じ構図だ、と論じました。一連の問題も一緒で、相手が「型通りの悪役」なのだから、こちら側(つまりネット民側)は白塗りのヒーローが必要なんです。
リーグ再編問題は古田敦也が白塗りヒーローに「化けた」ので一応の決着を見ました。
今回の一連の問題は、リーグ再編問題に比べてスケールが大きすぎるのですが、それでも、いや、だからこそ、より無敵の白塗りヒーローが必要だと思うのです。

2011年12月15日木曜日

少しどころじゃない、めちゃめちゃ不思議

もう12月の半ばです。しかし一年が早い。何でこんなに早いのかというくらい早い。
ついこの間今年が始まったと思っていた。今年の二月に初の海外ひとり旅を経験しましたが、ほんの2、3ヶ月前に感じます。
「歳をとると時間の経つのが早くなる」といいますが、ホント、恐ろしいくらい月日の流れが早いのに呆然としてしまいます。しかしいくらなんでも早すぎる。

藤子・F・不二雄のSF短編に「光陰」という作品があります。藤子Fこと藤本弘を思わせる人物と藤子Aこと安孫子素雄を思わせる人物の掛け合いが楽しい、比較的ほのぼのした作品ですが、まあネタバレになりますが、ラストのコマは月が目に見えるほどの速さで動いているという。
この作品の通り、もしかしたら本当に時間の進み方が少しずつ速くなってるのかもね、と。子供が感じないのは今の時間の進み方が基準なんだから感じようがない、という理屈も一応通る。

アタシは藤子F作品が大好きなわりに、SFには本当に弱いんです。しかし最近タイムトラベルの理論みたいな文章を読んでなるほど、と思ったのは、時間移動が可能か不可能かはさておき、地球は少しずつ動いているのだから仮に時間だけ移動できたとしても宇宙に放り出される、と。

今のパソコンの性能は、それこそアタシが初めてマイコンに触れた時と比べると途方もないものですが、これは技術を煮詰めただけ、ともいえるわけで、物理的に不可能なことが可能になる発明がなされたわけじゃない。つまりタイムトラベルとなると越えなければならない壁として「時間移動」と「瞬間移動」の二種類の大発明が必要ってことですよね。今現在これらの種と思えるような発明もなさそうですし、やっぱり無理なのかなと。もしかしたら今現在種はある、人間の寿命が500歳くらいに延びるなんて方が先かもしれません。

何がいいたいのかわからなくなってきました。そもそもアタシは理系の人間ではないので、まともにこの手の話ができるわけないのに無理をしているわけでして。いや、それでもね、これまた何かの本で読みましたが、飛行機が何故空を飛ぶことができるか、完全にはわかっていないらしいのです。
つまり、とんでもない、それこそSF的な発明は理屈もないもないところから、理系でも何でもない人間から生まれるのかもしれません。
と書いたところで思いだしましたが、それも「あいつのタイムマシン」という藤子F作品があるわけで・・・。いやまったくかなわんよこりゃ。

2011年12月13日火曜日

GO!GO!掛布

また野球ネタです。

昭和51年、生まれて初めての野球観戦は、なぜか阪急=南海戦だったが、その次が阪神=中日戦だった。この試合、阪神は負けたのだが、唯一の希望は、田淵がホームランを打ったことだった。子供心にものすごく救われた感じがしたことをよく憶えている。
そして3回目のプロ野球観戦。この試合で私の野球好き、阪神好き、そして田淵好きが決定的なものになる。なぜなら、この試合で、田淵が広島・池谷投手から逆転サヨナラ3ランホームランを放ったからだ。
本当に打ってほしいところで打ってくれる、幼少時代の私にとって田淵とは、そんなミラクルヒーローだったのだ。「心の底からありがとう!タブチくん」(2003年10月29日更新)より


上記の引用では割愛してますが、「3回目のプロ野球観戦」は今ではほとんどなくなったダブルヘッダーでした。
第一試合と第二試合のインターバル、アタシはグッズ売り場に直行して田淵のサインボールを求めにいったのです。
が、あいにく田淵のサインボールは売り切れ。当たり前です。さっき第一試合でサヨナラホームランを打ったばかりなんだから。
さあ困った。大好きな田淵のサインボールはない。芋の子を洗うような大混雑のグッズ売り場で、第二候補など一切かんがえていなかったアタシは、自分でも信じられない言葉を発します。
「掛布のサインボールください!」
アタシが生まれて初めて買い求めたサインは(印刷ですが)、掛布のだったんです。

若い阪神ファンと話をしていて、一番ジェネレーションギャップを感じるのが掛布に関することです。
「アホみたいに借金かかえて、自己破産ってどういうことやねん」
「読売に寝返るような発言ばっかりしくさってからに。なんであんなんがミスタータイガースや」
「解説いうても『流れが』どーとかばっかりやん」
全部いってることは正しいんです。論理的に反論できることは何もない。



今までの野球選手で誰が一番好きだったかと問われれば、先ほどの引用の通り田淵、となるわけですが、一番凄いと思った選手はとなると、誰がなんといおうと掛布になる。これはノスタルジーではなく、かなりちゃんと書けます。
だから掛布批判に同意はできても、掛布嫌いにはなれないのです。

現役の選手で掛布にもっとも近いのは楽天の岩村明憲でしょうか。もちろん今の岩村ではなくヤクルト時代の岩村ですが。
しかし、はっきり言い切ってしまえば、悪いけど比較にならない。岩村も成績的にはさほど見劣りしないし、だいいち数字だけ見れば、アタシがいくら掛布が一番凄い選手と声高に叫んだところで、イチローや落合の足元にも及びません。

イチローなら好打者、落合なら強打者となるのでしょうが、掛布を例えるなら「猛打者」というのがピッタリくる。
ヒットは日本語でいえば単打ですから、どうしても軽くミートしたみたいなイメージがありますが、掛布のは違った。もちろんレフトへ合わせたようなヒットもあったんですが、引っ張ったヒットが凄かった。
まさに地を這う、というか、しかも打球がメチャクチャ速い。一塁手も二塁手も一歩も動けず、みたいな、そんなヒットばっかりでしたから。
ホームランは以前書きましたが、全部ライナー。それが広い甲子園球場の中段に突き刺さる。
とにかくね、打球の速さは落合はいうに及ばず、バース以上だったんですよ。あんな強烈な打球を「まぐれではなく」打つ日本人選手は後にも先にも掛布以外見たことがありません。

掛布の全盛期は、いろいろ異論もあるでしょうが、1981年からの二年間だったと思います。
本格的に台頭してきたのがアタシがサインボールを買い求めた1976年、レフトへ打球を上げてラッキーゾーンに落とす技を身につけたのが阪神が球団史上初の最下位になった1978年。
その翌年、48本塁打を打ってホームラン王になってるのですが、実はこの年、怪我して終盤は出てないんですよ。怪我する前までは王の55本を上回るペースだったのに。
1980年は怪我の影響もあって絶不調。そして翌1981年からが最盛期です。
1984年は二度目のホームラン王を獲り、21年ぶりの優勝と初の日本一に輝いた1985年も三割40本塁打を記録しているのですが、なんというか、ずっと掛布を見てきたものからすれば、「掛布はこんな程度の打者じゃない」と叫びたくなるような内容でした。
1983年のシーズン途中からフォームが崩れ、右足をトン、トンと二度つくおかしなフォームになってしましました。そしてそれ以降「地を這う猛烈なヒット」も「弾丸ライナーのホームラン」もほとんどなくなってしまいました。
逆にいえば、それでもタイトルを獲ったりしているのは凄いともいえるのですが。

ま、どれだけ全盛期の掛布が凄かったかという趣旨のエントリなので晩年については触れませんが、年々フォームが崩れていたので、怪我があろうがなかろうが、そう長くは現役を続けられなかっただろう、というのが私見です。

最後に、今回のエントリタイトルですが、こんな曲名の歌が発売されてたのですよ、実際。ここで当時の画像とともに聴けますが、アタシはレコードを持ってたというか、無理いって親に買ってもらったんだよなあ。
サインボール買って、レコード買って、後年目の前でサインしてもらって・・・
今いる、「あの」掛布も掛布には違いないんです。だからあれだけいろいろやらかしても、アタシはまだ心のどこかで、阪神に帰ってきてほしい、と願ってたりするんですね。

2011年12月12日月曜日

LifeTouchNOTEを買ってしまったわけだが

ついに、というか、とうとうLifeTouchNOTEなるものを買ってしまいました。いよいよAndroidにも手を出してしまったわけです。
まだ買って間がないので詳しいことは書けませんが、うーん、いろいろ慣れんね。やれることは多そうだけど、そもそもいろんなことをやりたくて買ったんじゃない。

目的はたったふたつ。ひとつは外でテキストを書ける環境がほしかった。このブログもそうですが、まあいろいろと書くことがあるんでね。
それまでアタシはずっとWindowsMobileを使っていたわけです。特にZERO3シリーズはミニキーボードを内蔵しているので、本当の長文は無理ですが、まあそこそこの長さのものなら、たとえばブログとかね、そういうのならこなせていたわけです。
ところがiPhoneに換えて、さすがにこれで長文を書くのは無理でして、フリック自体は非常によくできた入力方式で、わりとすぐ慣れて、それこそTwitter程度ならまったく問題なく書けるのですよ。しかし長文となると、結局画面が狭いから文章を見渡すことができないのが辛い。何しろフリックが画面の半分を占拠しているわけですから。
そこでBluetoothキーボードなるものを買ってみたのですが、やっぱ安物はダメでして、特定のキーの反応がすぐに悪くなった。いや、よしんばそういう不具合がなかったとしても、iPhoneをテーブルに置いて、Bluetoothキーボードを手に持つ、というスタイルは非常に入力しづらいわけでして。
そんなわけで、やっぱ普通の、つまり両手の親指でポチポチとキーを押すんじゃなくて、それなりのキーボードがついた、それでいてコンパクトなマシンがほしいなと思っていたわけでしてね。
当然候補にあがったのがポメラです。これは完全にテキスト打ちに特化したマシンで、乾電池で長時間駆動というのもいい。しかしアタシは折りたたみキーボードが嫌いなんです。どうもグラグラを感じてしまうと打つ気がなくなる。
最近折りたたみじゃないタイプのポメラが出たのですが、あれはあれで中途半端に値が張る。

そこでもうひとつ、密かな利用目的が浮上するわけです。
それは動画再生で、さすがに電車の中で、とは思わないのですが、ちょっとお茶を飲んでる時とかね、いや、それもiPhoneがあればできるのですよ。でも動画を見るにはちょっと画面が小さすぎる。
何で外でまで動画を見るのかといえば、貯まった録画物がもう見切れないくらい家にあるのです。もちろん見たいからこそ手元にあるのですが、ここまであるとある程度消化していく気持ちがないと到底無理なわけで、外出時のちょっとした時間を活用しようと、ね。

となると突然候補になったのがLifeTouchNOTEなんですね。
そこまで評判がよくないとはいえ、ちゃんとしたキーボードがついてる、動画再生も液晶画面の品質があまりよくないとはいえ720P程度なら再生可能、そしてこれが決め手なのですが、何より安い!
定価は4万円ほどですが、よほど売れなかったのか、今では2万円以下で買える。これは候補のひとつだったポメラと変わらない値段です。そして最新の折りたたみじゃないポメラよりもずいぶん安い。
まあテキスト打ちと動画再生だけが目的なので、ネットにつなげる気とか全然ないわけで。とはいえ家にいる時はブラウザを立ち上げたりもしますが。
ただネットにつながない前提なので、書いたテキストの取り出し方は試行錯誤しています。

ま、これはとりあえずの方法が見つかったのですが、長くなるので次の機会にでも。

2011年12月11日日曜日

2011年の「ダウンタウンのこと」

しかし前回は長かったね。長すぎた。5回分のエントリなんだから、まああれくらいにはなるのですが、1回分のエントリ自体も長い長い。昔はあれだけ書く体力があったんだと痛感します。

さて「2011年の」とかいいながら、いきなり2007年に書いた文章を引用します。

松本人志が映画を撮ったことに関しては、いろいろいうことがあるんですよ。(中略)「松本が商業映画を撮るのは、ほぼ不可能」と断言し(てしまい)ましたし(中略)『大日本人』にあるのは、いわばDVD的な笑いなんですよ。おそらく劇場よりもDVDで観た方が絶対面白いと思う。テレビ的じゃなくて、DVD的(ビデオ的、でもいいけど)。わかりますかね。(2007年7月5日更新「笑いの世界・第五回 『大日本人』は成功だったか」より)


ちょうど「大日本人」が公開された頃に書いたものです(文章がおかしいのは大目に見てください。「おそらく」か「絶対」かどっちやねん)。が、まさかあんな感じで監督・松本人志が誕生するとは思わなかった、てのが正直なところです。

松本といえば去年NHKでコント番組をやりましたし(その時の話はこちら)、月一、しかも5回こっきりとはいえレギュラー化され、先月にはNHKBSプレミアムにて「松本人志大文化祭」なる8時間にも及ぶ番宣(?)も放送されました。

まあ「松本人志大文化祭」は長時間の間にどれだけの映像を見せてくれるかと思っていたのですが、結局見所は枝雀を熱く語ったのと宮本茂との対談だけでした。
昔の映像は、内容より見せ方の問題なんですが、思ったよりぱっとしませんでした。

そして長い長い番宣を経て放送された「MHK」の一回目ですが、影絵と探偵のヤツは0点。つか今まで見た松本コントの中でも最低レベルの出来でした。
が、浜田雅功をゲストに迎えた「オンリー」は、「ごっつ」よりさらに前の二丁目時代を彷彿とさせる出来栄えで、久々に笑いました。
同時に、松本コントの弱点というか、今までやった「浜田不在のコント」に欠けてたものが浮き彫りになった気がしたんです。

松本コントというのは感情のヒダを針で突つくような、非常に繊細なものです。
コントは「短い芝居」であり、演者に演技力が必要とされるのは当然ですが、ましてやこの手のコントを成立させるためには、相当の演技力がいる。

はっきりいえば、松本の演技力では松本の発想力が表現できないのです。松本の場合、上手い下手云々の前に漫才芝居です。これはこれで構わないのですが、自身が持つ発想力を完全に活かそうと思ったら物足りない。
松本コントに浜田が必要なのは、「浜田のツッコミ」が必要なのではなく、「浜田の演技力」が必要なんです。

「MHK」でも後半の怒涛のギャグも面白かったんですが、それより全編通して浜田の顔がおかしくてしょうがなかった。顔とか書くと語弊があるな、表情、ですね。
浜田が松本コントの笑いどころがわかっているのは当たり前で、さらにプラスして「心のヒダを突っつかれた時の微妙な表情」ができるのが凄い。

「大文化祭」で「大日本人」が放送されたのですが、あの主人公を浜田がやれば、もっともっと深い世界になったんじゃないかと。
まあ松本自身、自分は裏方志向だからと大文化祭の中でもいっていましたが、ならばなおさら演技者・浜田雅功をもっと活かしてほしい。いや、もっとはっきりいうと、7年前と意見が違いますが、どうしても(ダウンタウンではなく)浜田主演、松本監督の映画を撮ってほしい、と切に願うのです。

2011年12月10日土曜日

ダウンタウンのこと(再録)

今宵は手抜きのための、ではなく、次回のエントリへの前フリとしてyabuniramiJAPANリターンズをお送りします。
はっきりいいまして全部で5回分をまとめているので滅茶苦茶長いです。ご了承ください。
それでは時計の針を2005年1月11日に巻き戻します。




まだダウンタウンが大阪ローカルのタレントだった時代、これほど「可能性のカタマリ」だった芸人は、後にも先にもいなかったのではないかと思います。もし、こんな仮定が成立するのかあやしいですが、もしダウンタウンが全国的な大タレントになっていなければ、間違いなく語り継がれるであろう、伝説の芸人になっていた気がします。

ダウンタウンのすごさを語る上で、どうしても松本の発想力の話になってしまうのですが、あえてそれを封印します。そうしないと本質を見誤ると思うからです。
ではダウンタウンと、他の漫才コンビとの決定的な違いは何かといえば、アタシは「信じられないような器用さ」にあると思うのです。
よく「器用貧乏」なんていいますけど、ダウンタウンの場合は「器用富豪」といってもよく、何をやらしても非常に器用にこなし、そしてすべてにおいて華を持っていました。

ダウンタウンの出発点は漫才ですが、まずここで同期の漫才コンビを蹴散らしています。アタシはまだ「松本・浜田」と名乗っていた頃の漫才をテレビで見たことがありますが、なんだか気味の悪い漫才でした。というのもどうみても若輩にもかかわらず、やたらテンポが遅く、しかもまったくモロさがなかったからで、今の目線でいえば「完璧に完成された」漫才だったんですね。
のちに浜田が「当時からいとし・こいしに似てるといわれてた」といってましたが、若いくせに年寄りのような呼吸でやってたんだから、異質な存在にみえても当然っちゃあ当然なんですけどね。

もう少しわかりやすく説明します。

ダウンタウンがデビューする数年前、昭和55~56年頃に空前の漫才ブームというのがありました。
このブームの中心となったのが、関西ではザ・ぼんちと紳助・竜介、関東ではツービートということになると思いますが、当時の感覚からすれば、ブームを引っ張っていってたのは間違いなくB&Bでした。(やすきよは別格扱いだった)
ブームになる前から、先輩後輩問わず、他の漫才コンビがこぞって舞台袖でみていたというB&Bの漫才は革新的なもので、何が革新的かといえばそのスピードです。

おそらく今の若い人が当時のB&Bの漫才をみたらビックリするんじゃないでしょうか。とにかく速い。音楽でいえばゴアテクノぐらい速いのです。既存の漫才コンビがBPM70~100ぐらいの時に、ゆうに150をこえてるんだから、そりゃ目立って当然です。
正直にいうと、アタシはB&Bをあまり好きではありませんでした。でもこのスピード感は他の若手漫才コンビにも多大な影響をあたえとおぼしいのです。

というのも、さいきんB&Bが司会をしていた『笑ってる場合ですよ!』のビデオをみたんですが、もうみんな速いんですよ。そのビデオにはぼんちも紳竜もツービートもでてましたが、まるでB&Bに対抗するかのように、何をいっているのか聴き取るのが困難なぐらいテンポが速い。よく当時の観客はこれについていってたな、と関心すらしてしまいます。

とまあこんな時代です。さすがに若干の揺り戻しはあったものの、漫才ブーム以前に比べると、若手とよばれる人のスピードはかなり速くなっていたのはたしかです。

そんな時に、漫才ブーム以前はおろか、もっと前の時代なみのテンポで登場した、それこそ「いとし・こいしに似てる」とたとえられるダウンタウンの存在は古臭くもあり、異質でもあったのです。

スピードがあればね、多少の巧拙は目立たないんですよ。それが、B&Bがゴアテクノなら、レゲエのようなテンポのダウンタウンは、一切の拙さを感じさせなかった。まぁ気味が悪いのは当然ですね。

しかしここまでならたんに「時代を代表する、すぐれた漫才コンビ」にすぎないのですが、ダウンタウンの場合、漫才以外のことも完璧にこなすことができた。くわしくは今後書いていきますが、コントも司会もバラエティ・トークも、他の人とは違う次元でこなしていったんです。

漫才で異質な存在だったダウンタウンですが、一見非常に古臭いスタイルは、大向こうにはまるでウケませんでした。全然人気のなかったダウンタウンを、上岡龍太郎が絶賛したという話を以前書きましたが、もっぱらその技量を評価したのはプロというか同業の人だけだったんです。
かくいうアタシもそこまで興味をそそられる存在ではありませんでした。まだわかりやすい構図をもったハイヒールあたりの方が興味があったことをおぼえています。

しかしそこで状況を一変させる出来事がおこります。それが心斎橋二丁目劇場のオープンです。なんば花月やうめだ花月のような<常連&おのぼりさん>用の劇場ではなく、きわめて実験的な要素のある、かけだしの芸人を中心にした小劇場としてオープンしたんです。
おそらく吉本側は、当時定着しかけていた小劇団用にあった小さな劇場(例えるなら、下北沢のスズナリのような小劇場)のお笑い版のようなイメージでつくったのではないかと。しかしそこに、いわばジジ臭い漫才コンビのダウンタウンがピタッとハマると予想したのはごく一握りの人だけだったでしょうね。

この小劇場でダウンタウンは、完全に年寄りを切り捨てたようなコントを次々発表していくのですが、ここでの活動はいわばアンダーグランド的なもので、一般の人にはそれほど関係のないものです。
しかしここで培った経験とネタをじょじょにテレビに持ち込みはじめます。二丁目劇場にかけてウケたネタのうち、テレビ向きものを『今夜はねむれナイト』(関西テレビ)で発表したのです。

太平サブロー・シローが司会をしていたこの番組は非常に地味なもので、その中でダウンタウンがコントを演じたコーナーだけが燦然と輝いていました。このコーナーでやった初期の傑作『「あ」研究家』などのネタを、はじめてみた人が結構いるのではないでしょうか。そして同時に強い衝撃をうけたはずなんです。
やがてこのコーナーで、テレビに特化したオリジナルコントをやりはじめ、アタシはうめだ花月からなんば花月までゴルフをしていくという『プロゴルファー猿』のコントをみた記憶があります。(そしてこの流れが『ダウンタウンのごっつええ感じ』にいきつくのです)

この地味な人気にあてこんでつくられたのが毎日放送ではじまった『4時ですよ~だ!』で、本拠地である二丁目劇場からの中継で、月曜から金曜日までの毎日、文字通り夕方の4時からはじまる番組で、ダウンタウンでのローカル人気は決定的なものになります。

『4時ですよ~だ!』でダウンタウンがみせたのは一流のタレントぶりで、特にややをもすると地味な存在であると認識されかけていた(紳助に「お前はいずれ竜介みたいな存在になるねんから」とすらいわれていた)浜田の仕切りぶりはまことに見事なものでした。ソツのない進行ぶり、共演者へのボケのチェック、そして松本にボケのタイミングをつくるといったことを、この番組で完成させていったのです。

どうでしょう。こうやって網羅してみると、そのあざやかな<イメージの転化>がみてとれるのではないでしょうか。
≪地味な古臭い(しかし玄人ウケする)漫才コンビ≫→≪先鋭的なコントコンビ≫→≪バラエティでも力が発揮できるタレントコンビ≫といった具合に。

正直このレベルで「漫才もコントもタレントもでき、しかも独創的なネタがつくれる」若手は、後にも先にもダウンタウン以外おらず、一部の「わかっている」人たちが異常な期待をしたのも無理はありません。

このころになると、さすがにアタシもダウンタウンのすごさがわかるようになり、もしかしたらとんでもないスケールの芸人になるのではないか、と信じるようになりました。
アタシがダウンタウンに期待したのは、日本ではほぼ実現したことのない「チャップリンのような映画がつくれるのではないか」ということです。なにも涙と体技の映画をつくってほしいということではなく、完全に自作自演の映画がつくれるんじゃないかと。これはいまだに実現していませんが、今でも可能だと思っていますし、絶対やってほしいと思っています。

となると、ここでどうしても比較しなければいけない人たちがいます。
ひとりはもちろんビートたけし。もうひとり(一組)は、ややデビューと人気沸騰がダウンタウンより先行していたとはいえ、ほぼ似たような人気の得方をした、とんねるずです。

ビートたけしが急遽深作欣二に変わって監督をつとめた『その男、凶暴につき』が公開されたのは1988年のことです。いち芸人が「商業向けの、しかもコメディではない」映画の監督と主演をつとめたことは、たけし以後の芸人にはかりしれない影響をあたえたんじゃないかと思うのです。
それまで、いわゆる『あがった』芸人の進むべき道は、俳優か国会議員ぐらいしかなかったわけで、つくり手の、しかも最高権力者である映画監督への道をひらいたことは、特に、俳優に向かない、かつ裏方志向のある芸人に「あ、そんな手があったんだ」という指針にすらなったと思うんですね。

ちなみに1988年といえば、まだダウンタウンがローカルスターにすぎなかった時です。のちに松本は単独で『頭頭(とうず)』(1993)というオリジナルビデオ作品をつくっていますが、裏方志向で、しかもテレビや舞台と違い制約の少ない『発表した時点で完結する』OAVのような映像コンテンツに関心をしめしたのは当然でしょう。

ただ、たけしの監督デビューはいわば偶発的なことであり、現にたけし以外のコメディアンが商業映画の監督をつとめる(というか起用された)ケースはほとんどありません。(紳助の映画も純粋な商業映画ではない)
いくら松本がそっちの方にシフトしたがったとしても、それを受け入れる土壌が日本にはないわけですし、しかも全国的にみれば『かけだし』の存在だった松本がそういうチャンスを得ることはありませんでした。これはダウンタウンが大御所的な存在になった2005年でもおなじで、あれだけ映画製作への意欲を語っているにも関わらず、いまだに叶っていないわけです。
それを考えると、たけしがいかに運があったかがわかると思います。(もちろん才能があったことも否定しないが)

はっきりいってしまえば、現時点で松本の映画製作はかなり絶望的です。たけしはまだ『戦場のメリークリスマス』(1983)をはじてとして俳優としての評価があったわけで、つまるところ映画界とのつながりがあった。しかし松本は皆無ですよね。たぶん何本かの、他人のつくる映画で主演してからでないと無理だと思うし、だからといって今更そんなことをやるとも思えないし。
もし映画をつくることになっても商業映画ではなく、限りなく低予算なオフシアター向けのものになりそうな気がする。しかしそれならOAVでもいいわけで。
まぁ≪ダウンタウン主演、松本人志監督≫の商業映画が封切られることはまずないでしょうね。

さて

ダウンタウンがローカルスターだった時代、その人気を支えたのは女子高生をはじめとする若い女性たちでした。とにかく若い女の子から絶大な人気があったことは間違いありません。なにしろお笑い一切抜きの、歌だけのコンサートをふつうにやってる(もちろん関西限定で)状況だったんですから。
こうした『お笑いのアイドル路線』は関西ではさほど珍しいものではなく、古くは中田カウス・ボタンにはじまり、あのねのね、そして明石家さんまへとつづいていくのですが、この流れは漫才ブームの余波で全国へと飛び火しました。

その決定版ともいえるのがとんねるずなのですが、とんねるずのキャラクターは「陽」そのもので、「とんねるず」というネーミングの由来となった「暗さ」は、その名前が知られるころには影も形もありませんでした。
とんねるずが『オールナイトフジ』、『夕やけニャンニャン』といったテレビ番組、『一気!』や『雨の西麻布』、『歌謡曲』(個人的にはすごい名曲だと思う)などで大ブレイクした時、(若干時期はずれるものの)スケールを大阪に限定したバージョンがダウンタウンだったわけです。共通点はもちろん「アイドル路線」ですね。

ただしとんねるずが「陽」とするなら、ダウンタウンは「陰」そのもので、笑いのベクトルは正反対だったといってもいいでしょう。つねに当事者の立場のダウンタウンと、あくまで第三者的立場をとり続けるとんねるず、という部分でも正対している。

結果的にはこれがおたがいにとってよかったんじゃないかと思うのです。

『ごっつええ感じ』では、『みなさんのおかげです』の十八番ともいえるパロディコントを封印し、楽屋オチも極力排除していました。一方とんねるずも、ひたすら世間の評価など一切気にしていませんよ、といわんばかりの、自分たちがおもしろいと思える企画をどんどん実現させていった。

なんだかね、この二組はN極とS極のような気がするのですよ。反発しあいながらもお互いのパワーを自分のパワーに変えて浮上していく、というようなね。
ただどうも最近はダウンタウンが、あいかわらずマイペースのとんねるず側に近づいている気がしないでもないですが。

ここからは「ダウンタウン・松本」、「ダウンタウン・浜田」という、ひとりひとりにスポットを当てて書いていきます。

まずは松本から。
初回でも宣言した通り、松本の発想力はあえて無視してきましたが、今回もやっぱりそんなに触れません。なぜなら発想力よりももっともっとすごい武器が松本にはあると思うからです。
以前、ダウンタウンが彼ら以後の芸人にどれほどまで影響をあたえたかという話を書きました。簡単にいうと「彼らの『ボソボソしゃべる』という、うわべだけを真似た芸人が続出した」みたいな内容だったんですが、主に『ボソボソしゃべ』っていたのは松本の方です。しかし松本のすごさは、やる気がなさそうにボソボソしゃべっているようにみせて、実のところものすごく滑舌が明瞭なのです。
『ごっつええ感じ』のゲームコーナーで早口言葉をやるという回がありましたが、他の共演者をものともせず、ダウンタウンのふたりが圧倒的にうまかった。特に『ボソボソ』というイメージのある松本の滑舌のよさは、かなりの衝撃ものでした。

つまり松本は『ボソボソ』を芸風のひとつとして取り入れているわけで、ああいう風にしかしゃべれないからじゃないし、それを実現できるテクニックがあるのです。そりゃいくら表面上のスタイルだけを真似しても、それこそ発想力も何もかも劣る人が松本の足元にもおよぶわけがないのです。(そもそも松本のスタイルを取り入れようとした時点で、その芸人にはセンスがない)

もうひとつの武器は、あのいかにも運動神経のなさそうな動きです。
松本の動きは、たしかに運動神経が悪そうだけど、実に手足がよく動くでしょ。そして動きにテレがない。
ふつうはテレますよ。でその結果、中途半端な動きになってしまっておもしろくない。でも松本は思いっきり動くことで、不自然な動きすら武器にしてしまった。

これはさきの『ボソボソ』とセットになっていると思う。『ボソボソ』はある種気取ったというかテレの入った芸風です。でもそれだけじゃ生意気にみえすぎて親近感がない。それがあのケッタイな動きをすることによってバランスをとってるような気がするんですよね。

さて浜田の話です。
松本とは反対に、浜田は『立ち姿』が実にさまになっている。バラエティ番組でも献身的に動きまわりますが、その動きが本当にきれいなんですよね。これをみるだけで「ああ、この人は天性の芸人なんだ」と思ってしまうわけです。

浜田といえばツッコミですが、ここでツッコミに関して身震いのするようなエピソードを披露しましょう。

アタシの知人で、名前は伏せますが吉本で漫才をやっている人がいます。いわばダウンタウンの後輩にあたるわけです。
知人の方はボケなんですが、そのコンビは「ツッコミが凶暴すぎる」とみられていたんですね。ところがある日、ひさしぶりにこのコンビの漫才をみたら、メチャクチャおもしろくなってたんですよ。特に「凶暴すぎる」と揶揄されたツッコミがすこぶるよくなっている。
アタシはその知人に「いったい何があったのか」ときくと、驚くべき答えが返ってきたんです。

「あれなぁ、あいつ(ツッコミ)、浜田さんにアドバイスもろてん。『お前、ツッコんだ後、何でもええからニコっと笑え』って。それから急に変わった」

この話をきいた時、アタシは震えがとまりませんでした。『ニコっと笑え』なんて単純きわまるアドバイスですが、これは「ツッコミとはいかなるものか」を完全に掌握していないと到底でてこない言葉です。
『笑え』というのは「これはツッコミであって、本気で怒っているのではないですよ」という合図なんだけど、それを至極単純な言葉で(しかも誰でも飲み込める)アドバイスができるなんて、ちょっとできないですよ。これは人にものを教えたことのある方なら、≪ひとつだけポイントを指摘して、全体が劇的に変化する≫ような、このアドバイスのすごさをわかっていただけるんじゃないかと思います。

浜田はたびたび「(のりお・よしおの)上方よしおと、(中田カウス・ボタンの)ボタンのツッコミが好き」と語っていますが、漫才好きな人からみれば、非常にマニアックな好みですよね。
野球が嫌いな人には苦痛な話でしょうが、なんだか「土肥さんのバッティングフォームを参考にした」と公言する現中日監督の落合の話と相通じるものがある気がするのです。「そこからヒントを得るか」という部分と、完全に自己流に消化して、それこそ誰にも真似ができないものをつくりあげたという部分においてね。

さて
ダウンタウンの番組といえば、『ガキの使いやあらへんで!』か『ごっつええ感じ』、もしくは2回目でも触れた『4時ですよ~だ!』、そして現在も放送中の『ダウンタウンDX』、『HEY!HEY!HEY!』あたりが浮かぶと思います。
この中でもダウンタウン自身の燃焼度が高い(高かった)番組といえば、『ガキの使いやあらへんで!』か『ごっつええ感じ』になるのでしょうが、アタシが個人的に一番好きだったのは『夕焼けの松ちゃん浜ちゃん』(のちに時間帯を変えて『松ちゃん浜ちゃんの純情通り3番地』にリニューアル)なんです。

これは吉本新喜劇のフォーマットにダウンタウンを当てはめたもので、ダウンタウン以外にも今田耕司や東野幸治、ほんこんなどの、いわゆるダウンタウンファミリーも出演していました。

朝日放送の日曜12時では、木村進・間寛平・コメディNo.1による『あっちこっち丁稚』以来、吉本の若手芸人を中心とした吉本新喜劇が多数制作され、桂三枝の『花の駐在さん』やさんまの『さんまの駐在さん』などで、途中中断したものの、現在でも陣内智則とフットボールアワーの『横丁へよーこちょ!』が放送されています。

なにしろ下地が吉本新喜劇なので、基本的にハナシはどれもいっしょ。逆にいえばそれだけその芸人の力が試されるわけです。

浜田はコンビニの店長かなんかの役だったんですが、エプロンのポケットにね、スリッパが常時入ってるんですよ。もちろんツッコミ用に。
それでボケまくる共演者をことごとくチェックしていくんですけど、これが最高におもしろかった。もちろん松本もでててるんだけど、ちゃんと吉本新喜劇風の、しかも松本らしいボケ方でね。

アタシの持論として「一流の芸人はベタをやらせても巧い」というのがあるんです。たけしもそうでしょ。あの人も実はベタの方がおもしろかったりする。逆にいえば、ベタもできないようじゃ、シュールな笑いはできないってことなんでしょうね。うん。

さっきも書いたように、現状ではダウンタウン主演・松本監督の映画はほとんど無理な情勢です。ではこれからのダウンタウンに何をやってほしいかというと
「ベタな笑い(コントでもコメディでもなんでもいいから、バラエティでなくとにかく作り物で)をダウンタウン流に処理した番組をやってほしい」
のです。
そういう展開は松本の本意ではないかもしれないけど、そういうのをもっと見てみたいと本当に思います。
『明日があるさ』の映画版だって、最初の構想通り『社長』シリーズのリメイクにしておけば、もっとわかりやすい喜劇になったのに。本当にもったいない。

最後になりますが、ここまで封印してきた≪松本の発想力≫のことですが、アタシは何も認めてないわけではないのです。実際『4時ですよ~だ!』以来、何度そのボケに愕然としたかわかりません。ただ松本の線でダウンタウンが動くと、少しアンダーグランド寄りになってしまうような気がしています。
それじゃ困るんですよ。「一部のわかってる人だけに向け」てやるのではなく、もっともっと幅広い人にアピールするような、そしてダウンタウンの持ち味を完全に活かした番組をこれからもやっていってほしいんです。

だってそんな、マニアックな存在で終わるようなタマじゃないもん。ダウンタウンは。




各エントリの前フリをカット、そしてブリッジとして若干補足を入れましたが、評価等は一切手を加えていません。松本が映画を撮るのはまず無理、といった部分もあえてそのままにしています。

本来ならここで「今の視点」を加えるのですが、さすがに長すぎるので次回へ持ち越します。

2011年11月15日火曜日

好きこそモノの上手なれ、か?

昔、知り合いがケーキ屋でバイトをしていました。
そこのケーキは、あまりケーキが好きではない自分が食べても美味しい、非常にレベルの高い店だったんですね。
ところがバイトをしている知り合いに聞いて驚いた。そこの店長というか、経営者というか、職人というか、とにかく当のケーキを作ってる人は、アタシと同じくあんまりケーキが好きでないらしい。
これは大変なアドバンテージだと思ったんです。もちろんいい意味で。

自分が好きで好きで仕方がない物をつくる、といったことを生業にする。それは一見とても幸せなことですが、当人にとっては幸せでも、周囲の人も幸せとは必ずしもならない。
ケーキ屋の例が一番わかりやすいです。
もしケーキが好きで好きで、みたいな人だと、どうしても自分で作ったものにたいして点数が甘くなると思うのです。だってそんだけ好きなんだから、おそらくケーキでさえあれば何を食べても美味しいと思えるはずです。
が、あんまり好きでない物を作るとなると、どうしても点数が辛くなる。そりゃ味見を繰り返さなきゃいけないんだから本人は苦痛でしょうが、ケーキが好きではない自分が食べても美味しいと思えるものを作るというのは、つまりハードルを相当上げた状態なわけです。
要するに「繁盛できるレベルの味に達しやすい」とでもいうか。

好きな物を作って生業にしたい、とか絶対やめておいた方がいい。趣味の範疇で留めるのが無難です。もし「商売になるなら嫌いになってもいい」という覚悟があるか、逆に「どんなことがあっても(極端にいえば自分にとって大切な人の生死を分けるようなことがあっても)好きであり続ける自信がある」というなら別だけど。

よく「好きこそ物の上手なれ」といいますが、これは違うと思う。始めるにあたってのとっつきはいいかもしれませんが、好き、というのが最終的に上達の妨げになる。
好きだから修練が苦にならないんじゃない?という考えもあるでしょうが、「苦」がなければ修練が身にならないと思うんですよね。苦しくて苦しくてしょうがないから、それを乗り越えるためには、苦しいとか感じられないほどの技能を身につけるしかないわけで。言い換えれば楽をしたい一心で力をつける、というか。そうやって身につけた技能は強いです。

何もね、苦手なことをできるようになった方がいいとかいってるんじゃないですよ。苦手と好きじゃないは全然違う。でも人には好きじゃないけど得意、得意とまではいかなくても、妙に軽々とこなせてしまえる、なんてもんがあるはずなんです。
全然好きじゃないけど、これしかできないから、でもどうせやるなら自分が満足できる物が作りたい。
そう思えるような仕事につけたのなら、自分のみならず周囲も幸せになると思うんですがね。どうでしょうか。

2011年11月3日木曜日

もっとも難しい笑い

Tiny2として再開してからはあんまり書いてませんが、旧yabuniramiJAPAN時代はずいぶん「笑い」について書いてきました。
「泣かせるのは簡単、文芸物も簡単。でも笑わせるのは一番難しい」とはクレージー映画の監督だった故・古澤憲吾の言葉ですが(ま、古澤憲吾が泣かせる映画とか文芸物が撮れたとは思わないけど)、ただでさえ難しい「笑い」の中で、もっとも難しい笑いとは何か、と。
これはもうはっきりしている。それは「毒の強い笑い」です。
「毒を吐いて笑いをとる」
いったいどこが難しいのでしょうか。

「毒を吐く」ということは、必ず人であったり組織であったり物であったり、なんらかの攻撃対象が存在するわけです。いくら攻撃対象が万人にとって敵視される存在であれ、何らかの配慮がなければ笑いとして成立しない。

例を上げて説明しましょう。
今の政権に不満を持ってる人はおそらく一定数いると思われますが、それを前提にしても、たとえば
「今の内閣は馬鹿ばっか」
これでは100%笑いは生まれません。
悪口と毒舌で笑いを取るのは似て非なるもので、悪口は自分の思ってることをいえばいいだけなんだけど、毒舌で笑いを取るとなると無数の気配りが必要なのです。
まず攻撃対象となる相手が不快感を覚えるようなら、それは毒舌として失格です。相手が思わず苦笑を浮かべるレベルでないといけない。
そして攻撃対象を好意的に眺める人に嫌悪感を持たれちゃいけない。これまた難しい。

それを考えると有吉のあだ名とか、いかに絶妙かわかると思います。有吉は基本的に「本人の前で」いいます。しかし相手は怒らない。それは笑いとして成立するギリギリのラインを保てているからです。

有吉であれ、たけしであれ、古くは上岡龍太郎であれ、いわゆる「毒舌芸人」といわれる人は、ギリギリのラインをよくわかってました。それでも一部のジョークと捉えられない人からはバッシングされたのです。

実はここからが本題です。
毒舌を売りにする芸人ですら、笑いとして成立させているにも関わらずバッシングされる。
これが素人の場合はどうでしょうか。
はっきりいって素人が毒を吐いて笑いを取るなんて不可能なのです。
毒舌芸人は「この人はそういう芸風だ」と認識されてからでないと、いくら芸になっていても成立させるのは難しい。いわば下駄を履いて初めて成り立つものです。
素人はまず「そういう芸風」とはならない。何故なら芸人ではないから。
まして、です。「本人を目の前に毒を吐いて相手が苦笑するネタ、なおかつ絶妙な呼吸で周囲を笑わせる」そんな高等な能力を持った素人は、いない、と言い切っていい。

ところがここを勘違いしている人がたまにいる。
おそらくこういう人は、毒舌を売りにする芸人のファンなのでしょう。だから、つい、真似したくなる。が、能力がないのに真似するもんだから、毒舌でも何でもなく、ただの悪口にしかなってない。
相手がムッとすると(それが正しい反応)、まるで「何でこの人はジョークが理解できないんだ」というような顔をする。

さっきも書いた通り、世の中には一切ジョークを理解できない人間はいます。しかしそれは極少数であり、大抵の人はジョークを理解しようと試みる。それでもジョークと受け取られないのは、もう単に、ジョークになってないんですね。

もう一度いいます。素人に毒舌芸は無理です。その人がどんな芸人が好きだろうと、どんなタイプの笑いが好きだろうと関係ないわけでね。

2011年11月2日水曜日

イトニラミジャパンのイトニです

藪似です、てな書き出しなのは理由があります。
もう一度いいますが、藪似です。今年から一軍に昇格した投手コーチの藪さんに似てるのもあって、んで藪似です。

さてさて
今年のドラフト会議で阪神タイガースは慶応大学の外野手であり大学代表の4番を務めた伊藤隼太を一位指名しました。
ネット界隈では、どうもこの伊藤と藪が似てるんじゃないかと話題になっています。
もし伊藤と藪が似てるのであれば、藪似です、のアタシも伊藤に似てるってことになる。
しかしアタシは伊藤みたいな爽やかは微塵もないな。
隼太、といえば、普通に考えればハヤタ隊員となるわけですが、っーことはアタシはウルトラマンでもあるのか。

試みるか、変身

ウルトラジョークはこれくらいにして、今は便利な時代でして、Youtubeで「伊藤隼太」と検索すればいくらでも動画がでてきます、
阪神のスカウトは「桧山タイプ」、他には「金本タイプ」という声が多いようですが、アタシはズバリ、巨人の小笠原タイプではないかと睨んでいます。
いい打者は大抵フォロースルーの後でバットのヘッドが立っているのですが、伊藤はまさにそれで、一番顕著なのは小笠原です。
ただし伊藤の場合、弾丸ライナーを打てる打者で、逆にいえば打球が上がらないタイプに見えます。
甲子園は浜風がありますので、左打者は弾丸ライナーを打てる方が相応しいのですが、それでもホームランはそれほど期待できないかもしれません。
ただ金本は低い弾道で放り込むコツを身につけましたし、掛布も同様。
話は逸れますが、全盛期の掛布は本当に凄かった。引っ張ったホームランは全部弾道ライナー。それがあの広い甲子園の外野席の中段までいくんだから。
さらに凄かったのが、浜風に乗せるが如く、レフトへ高々と打球を上げて、当時はまだあったラッキーゾーンにポトリと落としたんですから。

伊藤もね、打撃自体はいくらでも向上できると思う。今の時点で開きが早いとかいわれてるけど、克服できると思う。
しかし打球の角度はある程度天性のもんですからね。田淵なんかその典型です。
それでも掛布なんかはもちろん、城島もダイエー時代、特殊な練習方法で打球に角度をつけることを習得しました。

別に伊藤をホームランバッターにする必要はないけど、それくらいのポテンシャルはあると思う。それがアタシが数少ない動画を見ての評価でして。

2011年11月1日火曜日

朝ドラに大推薦したい女優

朝ドラに不向きの女優というものがあると思う。
以前「どんど晴れ」の比嘉愛未がルックス的に朝ドラの主役には向かない、と書きましたが、今の「カーネーション」の尾野真千子もあまり向いてるとは思えないんですね。
色気がないから、まあいいっちゃいいんですが、それでもね、16歳です、といわれると、やっぱり、え?と思っちゃうわけで。

クサしてばっかりなのもアレなので、提案の方もさせていただきたいのですが、ひとり猛烈に朝ドラ主演女優に推したい人がいます。それが大後寿々花でしてね、ええ。

まずNHKらしいほんわかさがあります。
以前松ケンと「セクシーボイスアンドロボ」をやりましたが、原作ではコギャル風で男を手玉に取りそうなキャラだったのに、大後寿々花が演じると妙にほのぼのしてしまって、松ケンと並ぶと「ほんわかカップル」に見えてしまいました。

そしてこの人の最大の特徴は年齢不詳にあります。
実際には8つも年齢が離れている松ケンが相手でも「年の差カップル」には見えないわけで、「グーグーだって猫である」で猫の幽霊というか化身を演じていましたが、これも年齢不詳だからこそ成立するわけです。

見ようによっては、子供にも見えるし、おばちゃんにも見える。むしろ年相応の若い女性に見えづらいのですが、田舎から出てきた女子大生や女子高生ならいけるでしょう。
朝ドラといえば幼少期は子役がやりますが、少女期から中年になるまでひとりで演じれる方がいいわけで、まさにうってつけだといえます。

そして、不思議なんですが、朝ドラの枠内に収まる、微妙な色気を出せると思うのです。いや、そういう役をやってるのを見たことないんですけど、自分でも何でそう思えるのか不思議でして。

いかがでしょう、NHKの方。いや、でもできればAK(東京)ではなくBK(大阪)の制作でお願いしたい。
関西弁喋れるかわかんない(関東出身)けど、これもできそうな気がするんだよな、不思議に、というか無責任だけど。

2011年10月30日日曜日

魔法使いのいない世界

スティーブ・ジョブズが逝去しました。
最近ようやく落ち着いてきた感はありますが、直後は追悼ツイート(ありゃ、駄洒落になってしまった)が溢れてました。
アタシはジョブズがCEOの退任を発表した時にツイートしたのでもう改めて何か書かなくていいと思ってたのですが、やはりこの人には思い入れがある。
ジョブズの人生のハイライトは、初代iMacの発表の時だったんじゃないかと。いや、アタシが勝手に思ってるだけで、同意してくれる人は少ないだろうけど。

かつてアタシはマイコン少年でした、てな話は以前書いたので割愛しますが、それからしばらく完全にパソコンから離れていたんですね。
ところが某社に入社して、何だかわからないうちにDTPなるものを覚えさせられて、当時は、今もですが、DTPといえばMacだったわけで。
しかし当時、もうMacはダメだろ、みたいな空気が支配的でして。
もしかしたらWindowsでDTPをやらなきゃいけないかもしれない、と。
その空気を一変させたのがiMacだったんです。

アタシがいた会社は、G3機は一台もなく、一応「高性能機」で通っていたマシンでさえ、かろうじてレベルのPowerPC。どころか68KMacすら現役で頑張っていたわけです。
そんな中、G3を搭載し、当時としては安価だったiMacは画期的でした。むろんフロッピーすらないマシンを会社で導入する、なんて話は浮上しませんでしたが、もしかしたらMacが蘇るかもしれない、そう強く予感させるには十分でした。

ジョブズはその後も、いや、iMacは序章に過ぎなかったわけで、後々とんでもなくインパクトのある製品を次々に発表していくわけですが、空気を一変させたという意味においてiMac発表時のインパクトは最強だったと思うのですよ。

一度追い出されたAppleに復帰して、しかし返り咲いたAppleは売り上げでも将来性でも地に落ちていました。
実際iMacにはものすごい新技術が搭載されていたわけではない。むしろ古いインターフェイスをバッサリ切り捨てただけ。
ところがそんな目新しさのない中身を、画期的なデザインと、(あくまで当時とすれば)画期的な値段で、とんでもないものに仕立てあげた。
切り口を変えれば、画期的でなくても画期的に「見せる」ことはできる、これは元任天堂の横井軍平氏の「枯れた技術の水平思考」に通ずるものがあります。

ジョブズは「魔法」という言葉にものすごくこだわっていたんじゃないでしょうか。「まるで魔法のようだ」が最高の褒め言葉だったんじゃないかと。
むろん本当の魔法じゃない。今ある技術をもってして、いかに魔法のように見せるか、それに命をかけていた気がします。

おそらくWindowsユーザーは、そしてマイクロソフトや関連メーカーも、最も望んでいるのは高性能や安定性でしょう。
ジョブズに高性能や安定性の志向がないわけじゃない。でもそれだけじゃ気に食わない。
「魔法のような」高性能だったり、「魔法のような」安定性でないとダメなんですね。(この辺は成功したともいえるし失敗したともいえる)
テレビでiPadを使って手品をやる、なんて人を見たことがありますが、ある意味非常にジョブズの志向を具現化した芸ですよね。

ジョブズ亡き後のAppleがどうなるかの話題は尽きませんが、新たなカテゴリの商品を創る際、Appleの幹部に「それはまるで魔法に見えるのか」を基準にすれば大丈夫な気がします。

スティーブ・ジョブズ、あなたにひとつだけ肩書をつけるなら、技術者でもプロダクトデザイナーでもなく、最も相応しいのは「魔法使い」です。
ホンモノの魔法じゃない。でもホンモノの魔法と同じくらい人々に夢を与えたあなたには魔法使い以外の肩書はないと思うのです。

2011年10月29日土曜日

大洋がいっぱい巨人が二敗

Youtubeにね、1976年の大洋対阪神戦のラジオ中継がアップされてて。
いやー、これはすごい。1976年といえばちょうどアタシが野球という摩訶不思議なスポーツを見始めた頃でして、そういえば「1976年のプロ野球について徹底的に調べて書きたい」とかいってたんですよね。いまだに実現できていませんが。

さてさて
エントリタイトルはアラン・ドロン主演の映画タイトルのモジリです。こういうダジャレが昔流行ったんですな。
てなわけで、今回は野球の話でも阪神の話ではなく大洋→横浜ベイスターズについて書きます。
まあ何かとタイムリーだし。

先のYoutubeのラジオ中継の試合、4番を打ってるのは松原誠という選手で、2000本安打を打った大打者です。
他にも当時まだ若手で後に首位打者を獲得する長崎や、ライオン丸の愛称で親しまれたシピンなんかがスタメンで出てるのですが、これらの選手は晩年トレードに出されてるのですよ。
この後も、屋敷や高木豊、石井琢郎、波留、多村、佐伯といった中心選手がトレードに出されていますし、谷繁や相川といった捕手、さらに内川がFAで移籍し、今また村田の去就が注目されています。
現役の最後まで同球団に在籍したのは、古くは秋山登や平松、おそらく三浦大輔もそうなるのでしょうが、投手ばかりです。野手となると二年連続で首位打者を獲った鈴木尚典くらいしか思いつきません。

今年筒香が出てきたように、横浜は伝統的に野手は育つのですよ。だから野手の新陳代謝はしやすいとはいえる。
しかし、まあFAはともかく、いくら晩年とはいえ主力野手が片っ端からトレードされるのはどういうわけでしょう。

横浜ファンのブログや某巨大掲示板を見ると「チームのガン探し」に躍起です。たしかに練習態度その他でチームに悪影響を及ぼしている主力選手が絶対いないとはいいません。実際暗黒時代を形成するのはそういう選手です。
しかし「相川がいなくなったから投手力が上がる」とか考えるのは、いくらなんでも、で、相川が入ったヤクルトのチーム力は明らかに安定しましたし。

何でもかんでもフロントのせいにするのもね。まあやたらファミリームードだったといわれる大洋漁業所有時代もアレだし、全然やる気ないくせにやたら首を突っ込んでくるTBSもね。その辺はモバゲーになっても劇的に解消されないと思います。

何というか、ベイスターズの野球、てなもんがないんですよ、伝統的にね。
ずっと投手力が弱く、打線は打つけどやたら大味。それがハマればいいんだけど、ハマったのなんて過去に一年しかない。(1960年の優勝はちょっと違う)
それもこれも主力野手が晩年にトレードに出されるというのが効いてるんじゃないかと。

松原も高木豊も石井琢郎も、いわゆる「うるさ型」だったといいます。つまり少しでもチームをよくしようとしてフロントとやりやった。ところがそんなチーム愛がフロントから煙たがられて放出される。この繰り返しなんですよ。
そんなんだから「過去から学習した」選手はフロントに何もいわなくなるだけならまだしも、チーム全体に興味を示さなくなる。挙句FAでさっさと逃げ出してしまうんです。
何もベテランを重用しろってんじゃないんです。たとえベンチでも、たとえ二軍でも、本当にチーム全体を考えるベテランがいるといないでは大違いですよ。彼らの存在で厳しいムードが形成され、伝統が作られていくんだから。

アタシは横浜ファンは本当に気の毒だなあと思ってます。それは現在横浜在住だからなおさらです。
この先、若手選手の成長といった楽しみはあるでしょう。(この辺は逆に阪神ファンはあんまりない)
でもね、チーム力が劇的に改善される、という可能性は、たとえ親会社が代わろうとも皆無に等しい。ひたすら50年に一度あるかないかの大爆発を待つしかないわけで。これは辛いです。

ひとつだけいえるのは、今年指揮をとった尾花や、過去にも古葉や森といった実務派の人が監督をやりましたが、これは人選ミスです。こういうチームの監督は、権藤のようなイケイケドンドンの人の方が相応しい。
どうせ大味なんだから緻密にやろうとかしたら持ち味を殺すだけ。采配云々ではなく、とにかく楽しく全力でプレーさせる監督の方がいい。
となると野村とか絶対ダメ。候補を上げるならボビー・バレンタインとか。
そういう意味では、名前があがってる新庄なんかかなりいい線だと思うのですがね。

2011年10月25日火曜日

ギャグ漫画に最終回は必要か

いやね、もし「ギャグ漫画に最終回はいるのかいらないのか、今すぐ答えないと殺すぞ」と迫られたら、もう「いらない」と答えるしかないのですが、ちゃんと考えたら結構複雑な気がしてね。

最終回とは、つまり大団円的な内容が最後に必要かってことでして。以前「聖おにいさん」について触れたエントリで「ギャグ漫画の場合は無限に続けられる方がベストだと思う」てなことを書きました。
前言撤回するつもりはさらさらない。「聖おにいさん」のような純粋ギャグ漫画なら、間違いなくそうなのです、と思っておるのです。
「天才バカボン」もね、ギャグとしての最終回はあるけど、アニメの第一作のような大団円最終回は存在しない。大団円がないから、時系列関係なく、またいつでも続きを始めることができる。
もしギャグ漫画で大団円的最終回をやるなら、もう「ガキデカ」方式というか、ああいうメタフィクションしかないと思うのですね。

しかしですね
ギャグ漫画として始めたものの、途中で路線が変わった漫画はどうなんだ、となるわけでして。
具体的にいえば「うる星やつら」あたりです。
「うる星やつら」は、元々短期集中連載として描かれ、本格連載になってもしばらくはギャグ漫画志向で進められました。が、長く連載を続けるにしたがってラブコメの要素が強くなっていきます。
完全に想像だけど、作者として結構面倒くさいことだったんじゃないかなあ。
だって、何度もいいますが初期はギャグ漫画だったわけです。つまり話の展開や設定はすべてギャグのために存在したといっても過言ではないわけです。
ところがラブコメとなると話が違う。整合性てもんがある程度必要になる。自らの意思でめちゃくちゃに突散らかしたものをキチンと整理しなきゃいけない。これは面倒ですよ。

初期の設定では将来あたるとしのぶが結婚して「こける」という子供ができることになっていたのですが、もしラブコメになることを想定していたら、こんなネタは絶対やらなかったでしょう。ましてや「こける」なんてフザケタ名前にはしなかったはずです。
もうこれだけで、後先考えずギャグ優先で描いてたと言い切れます。
結局終盤になって「こける問題」←こんな言い方しないけど、も無理矢理収拾をつける話がでてきます。タイムパラドックスといえば聞こえはいいけどね。

ギャグ漫画で整合性をとる、というのはかくも難しいことなんです。「聖おにいさん」みたいに異様に整合性がとりやすい設定ならともかく、つか整合性を考えてたらギャグなんて作れないと思うのですよ。
バカボンのパパなんて何人もの人を殺してると思ってるんですか。あんなの整合性なんてとれるわけないでしょ。

とはいえ「うる星やつら」の場合、やっぱり大団円が必要だったとも思うわけで。面倒だっと思うけどね。

2011年10月22日土曜日

中島みゆきのこと(再録)

えと、今回はyabuniramiJAPANリターンズでお茶を濁します。
いろいろ過去ログを読み返してみて、思ったよりつまらなかったことは多々なんですが、逆は意外とないもんで。そんなもんだよチミ。
そんな中で例外中の例年とまではいきませんが、予想外に良く書けてたのが今回のやつです。つかこんなのを書いたことすら憶えてなかった。
ま、中島みゆきといえば「南極大陸」のテーマを歌ってるわけで微妙にタイムリーなんじゃないかと。

このエントリは元々三回に分けて書いてありました。異様に長いのはそのせいです。
また前フリも本ネタとリンクしているのでカットしていません。
それでは時計の針を2004年10月19日に巻き戻します。




アタシは去年(※現注:2003年)まで東京に住んでいたんだけど、関西人として想像していたのと違う部分がかなりありました。

たとえば東京って意外と緑が多いんですよ。といっても人工的な緑なんですが。つまり公園が、それもやけに大きい公園が多いんですよね。でもそれだけでもだいぶ違うというか。大阪とか大きめの公園って大阪城公園か長居公園ぐらいしか思いつかないし。
あとけっこう静か。そりゃ繁華街は半端じゃないですけど、一歩路地に入るとけっこう静かなんですよね。特に住宅地の静かさはそこらへんの田舎よりよほど静かです。
人間的にも人情的な人も多いし。
ただ街中はね。特に新宿とかのターミナル駅なんかを見ていると、人間が全員心のないマネキンみたいに見えますもん。ちょっとしたいざこざがあってもみんな気に留める様子もないし。

当時の会社の同僚がそんな光景をみて「なんか中島みゆきの歌みたいですね」といったのをよくおぼえています。中島みゆきの歌というのは『ファイト!』のことで、例の、ホームで子供を突き飛ばす、といった歌詞のくだりをさしてるんだけれど。

てなわけで中島みゆきの話を。

アタシは中島みゆきの濃いファンじゃないし、『夜会』はおろか、ふつうのコンサートもいったこともない。でも好きなんです。引かれることが多いんであんまり人にはいわないんだけど。

一般に中島みゆきといえば<失恋>というキーワードで語られることが多いと思うのですが、ライトな中島ファンからいわせてもらえれば、けっこう街を丁寧に描いているんですよ。正確にいえば街での生活ってことですね。

実際に東京に住んでみてね、ホントに中島みゆきの歌詞の世界の中にいるんだなぁって痛感したことが多々ありました。なんというか、全然知らない他人と街ですれ違う感覚がまさに中島みゆきの歌詞そのものなんです。うーん、わかりにくいですかね。ま、一度でも東京に住んだことがある方なら、なんとなくニュアンスがわかってもらえるじゃないかと思いますが。

でもこれ、東京に限った話じゃないんです。

アタシは東京に住む前、3年ほど福岡に住んでいたんだけど、まったく同じような感覚に陥ったことがあってね。
さきの『ファイト!』の中に、あきらかに北部九州での光景が描かれているんだけど、これがアタシが実際に福岡に住んでみて感じた福岡の人間像に非常に近いのです。もちろん歌詞の中にあるような街や家族を知ってるわけじゃないですが、ああこういうことが本当にあってもこの辺なら全然不思議じゃないなと。

『ファイト!』をはじめて聴いた時、なんかすごく懐かしい感覚に襲われたのを憶えています。アタシは昭和43年生まれなんだけど、あのかすかにおぼえている1970年代の香りね。それをすごく感じたのですよ。

当時の中学生はまだ深夜ラジオを聴きながら勉強をするという習慣が残っていて、アタシも勉強はしないまでもポケットラジオで『ヤングタウン』なんかを聴いていました。アタシが中学生の頃はすでに1980年代に入っていたわけだけど、それでもそういう<中学生が深夜ラジオ>というキーワード自体が1970年代なわけで『ファイト!』なんかはそういう感覚をものすごく捉えている。だからなつかしく感じたんです。

で、さらに後から調べてみると『ファイト!』て1980年代に入ってからつくられた曲なんですね。でも、そうとわかった今だからこそ、『ファイト!』は1970年代の象徴の集大成じゃないかと。
アタシの大好きな『俺たちの旅』とかね、ああいうネクラな時代の象徴。いわばバンカラ学生から、イジイジした<やさしさ>ぐらいしかセールスポイントのないネクラ学生が主役を奪い取った時代。

アタシは1960年代オタだけど、1970年代にもそれなりに味がある時代ですよ。で、どんな味だったかといえば、『ファイト!』の詩に集約されている気がするんです。あの世界こそアタシの思い浮かべる1970年代の空気なんです。

なんだか『ファイト!』の話ばかりになりましたが、アタシが中島みゆきの本当の魅力に気づいたのはさらに後、『聖者の行進』(1998 TBS)の主題歌『命の別名 』のアルバムバージョンを聴いた時なんです。
『命の別名』はドラマの主題歌になったので、そこそこ知名度のある曲だと思います。まぁいつものように、いつのまにかメインのラインかのごとくなってしまったセルフパロディっぽいやつだな、ぐらいの認識だったんですけど、ある事がきっかけで、これのアルバム・バージョンを聴いたんです。

そしたらね、もう全然違うんです。シングル・バージョンと。もうギャグのように大袈裟に歌ってる。なんじゃこりゃと。もう笑った笑った。ありえないよと。ここまで自分の曲を茶化すもんかよと。

それに気づいてからいろんな曲を聴くとこれがすごいんです。もうあちこちにギャグが隠れている。なんちゅう高等なコミックソングやと。

中島みゆきといえば深夜ラジオのパーソナリティ、というイメージの人もいまだに多いんじゃないでしょうか。それくらい強烈なキャラクターだったみたいで。まぁアタシは年代がズレているので直に聴いたことはないのですが、もう異常といってもいいぐらい躁状態で番組が進行していったそうです。

でも実際は≪暗い曲の代表≫みたいなのばっかり作ってて。まさに躁鬱ですよね。でもね、きっとこの人、そうやって他人にギャップをみせつけることを楽しみにしてたんじゃないだろうかと。

泣き節を歌い、躁状態でラジオのパーソナリティをし、ギャグとしか思えない莫迦みたいな歌唱をする。これは歌手というより一種の芸人ですよ。

ホントにね、曲によって歌い方完全に変えてるからね。まるでなんかの登場人物になりきって歌ってる。

莫迦な女。けなげな女。恨み節の強い女。自己主張の強い女。・・・・

これって昨今の芸人でいえば、まさに友近じゃないですか。なんか表現方法が歌かひとり芝居かの違いしかないようにすら感じる。なにより鑑賞していると、なんかわからん変な笑いが渦巻いているところなんか本当にそっくりですよ。

ということで、これから友近を≪芸人版・中島みゆき≫と呼びたいと思います。同時に中島みゆきを≪歌手版・友近≫とも呼びます。もうそう決めた。




実際はもうちょっと続きがあるのですが、あまりにもつまらないボケなのでカットしました。

このエントリを書いてから5年半後に「ひとり」という中島みゆきの楽曲について書いてます。
合わせてお読みいただけると、また違った味わいがあるんじゃないかと。多少内容が重複してますけどね。

2011年10月19日水曜日

notグレートパワー

阪神のBクラス、そして真弓明信監督の退任が決まりました。まあ結果がすべての世界なのでしょうがない。
しかしクレイグ・ブラゼル内野手とジェイソン・スタンリッジ投手の去就が未定というのは、どうにも納得できないというか。
監督が代わるわけですから、新監督の意向次第、というのは、まあわからんではないのですが、今年の内容を見るにクビにする理由はさしてない、と思うのですよ。

ブラゼルはここまで15本塁打。物足りない数字です。が、アタシはずっとヒッティングマーチで歌われるような「グレートパワー」タイプの選手ではないと思っていました。
たとえばヤクルトのバレンティンや全盛期のカブレラなんかは、まさしく「グレートパワー」ヒッターです。ブラゼルは体型的に勘違いされやすい。しかも選球眼が悪いので余計そう思われがちなのですが、パワーでスタンドまで持っていくタイプではなく、バットコントロールとミートが上手く、しっかりスイングできて、なおかつ角度がつけばホームラン、みたいな選手です。バレンティンやカブレラみたいに「当たり損ねがホームラン」はまずないのです。こういうタイプはボールの反発力に左右されやすい。
そしてあまり言われてないことですが、今年からセとパの審判組織が統合された影響でしょうか、去年よりあきらかにストライクゾーンが広くなっています。
ブラゼルといえば毎年三振数でトップを争っていたのですが、今年はベストテン(じゃないか、ワーストか)にも入ってない。つまりストライクゾーンが広くなったので例年より「当てる」打撃になり、しっかりスイングすることができなくなってしまいました。
たまにしっかりスイングできても低反発球の影響で打球が失速する、という悪いスパイラルに入ってしまいました。

それでもここ最近の打撃を見てると、新ストライクゾーンと低反発球への対応ができるようになってきて、ホームランの打ち方がわかってきた感じがするのです。
加えて今年は去年に比べて膝の状態が悪かった。膝の状態はモロに飛距離に影響するのですが、膝の状態をキープできれば、去年並とまではいかなくても30本塁打は期待できる選手です。
そして目立たないけど、セの外国人の中でもマートンに次ぐ打率なんですよねえ。

一方スタンリッジは、潜在能力は非常に高いのですが、どうもコンディション管理が下手な気がします。
二ヶ月連続で月間MVPを獲りながら9勝止まりという、いい時期はすこぶるいい。悪い時はとことんダメ。スタンリッジのいい部分と悪い部分が如実にわかります。
この辺はコーチの指導次第で改善できるのではないでしょうか。

ふたりとも来季の阪神には絶対必要な戦力です。特にブラゼルはここ数年で一番応援している選手だからね。
アタシがブラゼルを応援し、残留を熱望するのは理由があります。
それは彼の懸命さです。
一度マズイ走塁をして首脳陣からこっ酷く怒られたらしいですが、それ以降は膝が悪いにも関わらず懸命なプレーを続けています。
余談だけどマートンの方が守備・走塁ともに懸命さが感じられないのは悲しいです。

いや、マートンがいらないとか言ってんじゃないですよ。もちろんマートンも絶対必要な選手。でもブラゼルも絶対必要だと思うんだけどなあ。

2011年10月15日土曜日

傘がない

傘がない、といっても井上陽水の曲のことじゃない。本当に今、家に傘がないのです。
だからといって合羽を持ってるのかといえばさにあらず。雨具という雨具を持っていないのは困ったもんでして。

過去には持ってた。当たり前ですが。つかつい最近まで持ってたのですが、早い話が忘れてきたのです。どこに忘れたかはなんとなく憶えているのですが、気がついた時には雨が止んでた上、安物の傘だったので、まあいいかと。

いやね、傘っていったいいくらくらいのシロモノを買えばいいんでしょうか。この年になっても答えが見つからないのですわ、ええ。
正直マンを超える傘を買ったとして、そんないい傘なら絶対忘れたりしないよ、なんて自信は絶対にない。かといって100均の傘なら確実に、まあいいかモードになる自信がある。
それに、ほれ、こないだの台風の時の映像とか見てたら、ビニールの部分はとっくにどっかに飛んでいってて、必死で骨の部分だけ握りしめてるサラリーマンのね、ああいうのを見ると、やっぱり安物はダメだと。

そもそも傘を忘れる、というのは、雨が止んでる時ですよね。だったら折り畳みにすればいいんじゃね?
皆までいうな。わかっております。だからアタシも基本的には代々折り畳みを愛用しておったのです。
ところが折り畳みもやっぱりなくなるのです。どこでって?わかっているでしょオヤジさん。もちろん家の中でですよ。
おそらく家の中をひっかきまわしたら、2本や3本の折り畳みは出てくるでしょうよ。しかし出かける時はいつもギリギリなので、探してる余裕がない。つまり探すチャンスは永久に訪れないわけです。

さあ出かけるぞ。でも雨降ってるよな。いや大丈夫、これくらいの雨なら傘とかいらないよな。少々濡れたところでたかがしれてる。それよりもし傘があったとしても止んだ時邪魔になるだけだしな。あー、傘なんてなくてもよかったんだ。

と無茶苦茶な思い込みをして出かけるわけですよ。
てなわけで、雨も止んだし、だいぶ服も乾いてきたし、風邪ひきそうなんで家に帰ります。

2011年10月13日木曜日

関西人と納豆の話(再録)

えと、宣言通り「yabuniramiJAPANリターンズ」として、過去に書いたエントリの中からの再録をしたいと思います。
せっかくなんで、アタシがyabuniramiJAPANで書いた中で最もお気に入りのエントリから始めたいなと。但し前フリはカットしています。(この日の前フリは福岡での地震に関してでした)
なお現在の視点から補足がある場合は「※現注」として追記しています。
というわけで時計の針を2005年3月21日に戻します。




ふと気になったんですけど、「関西人=納豆嫌い」なんて、誰が言い始めたんでしょうかね。
というのも、アタシの周りの友人・知人、もちろん関西人に限ってなんですけど、みんな納豆が好きなんですよね。少なくとも「納豆?あんなん人間の食うもんちゃうで!」みたいな人はひとりもいません。
アタシのミニマムな交友関係ですべてを語るのは無理があるのですが、それでもやっぱり「本当に関西人は納豆が嫌いなのか」という疑念は拭い去れないんですね。

関西人が納豆が嫌いといわれる所以はいろいろ云われていますが、アタシが以前テレビでみたのは「その昔、納豆は足が早いので、関東から広まらなかった」ってのです。<納豆>が<足が早い>ってのはおかしいな。風味が損なわれるとかだったのかもしれません。
が、この仮説はちょっと無理がある。おもに<納豆嫌い>と語られるのは関西人だけです。そしてこれはテレビで関西の芸人が大挙に出る前からいわれています。
もし「関東から広ま」りにくかったとして、それなら関西以西や東北・北海道も<納豆嫌い>の地域として認識されているはずなんです。実際これらの地域で納豆がどれほど食べられていたのか定かではありませんし。

ただ確実にいえることがあります。

・関西の家庭の食卓に納豆がでてくることは稀
これはウチだけでなく、子供の頃からよそのウチにお呼ばれになった時も一度たりとも納豆がでてきたことはありません。

・関西ローカル番組の料理コーナーで納豆を具材で使われることはない
ないことはないかもしれませんが、アタシは見たことはありませんし、おそらく多用されている事実はないものと思われます。

ここでひとつ仮説を立ててみます。
<関西では、一定の年齢を境に、納豆の好き・嫌いが分かれる>

こう考えれば家庭の食卓に納豆がでてこなかったのも、テレビの料理コーナーで納豆が使われないのも、アタシの周りの、友人になりうる関西人(せいぜい40歳ぐらいまで)が納豆が好き、というのも納得できます。
しかしここであらたな疑問がでてくる。

・<一定の年齢>というのは、具体的に何歳程度なのか
・そしてその理由は?

そこでさらに仮説を立てます。
<関西人の納豆に対するスタンスを変えたのは、吉野家である>

吉野家とはもちろんあの吉野家です。しかし吉野家がなぜここにでてくるのか。
説明しましょう。

納豆とは非常にクセのある食物です。なにより「あのにおい」に嫌悪感を持つ人は多い。たしかににおいの強烈な食物は親近感がないというか、とっつきはすこぶる悪い。くさや然り、鮒寿司然り。しかしクセがある分、一度ハマったらやみつきになるという習性があります。
食卓に納豆がでてこないというのは、子供時分にまったく親しんでいない食物なわけで、それが変わるのはひとり暮らしをはじめたり、家での食事より外食が増えた時です。

では関西人の、納豆にたいするとっつきをつくったのは何なのか、というと、これは吉野家以外考えられないんです。

その昔、吉野家の朝定食は納豆定食と焼魚定食しかありませんでした。
(余談ですが、魚に詳しい友人は「焼魚定食やったらええけど、牛鮭定食はあかんやろ。あれ、鮭ちゃうし」といってたけど、ホントのところどうなんだろうね?)
それまで関西の、いわゆるふつうの定食屋で納豆がふつうに置いてある店は極少数でした。その変化をもたらしたのが吉野家で、これは<全国チェーン=メニューの統一>という部分からきているのですが、ここではじめて納豆に接した人はかなりいるんじゃないでしょうか。なによりアタシがそうでしたから。

もちろん吉野家にいったことのない人もかなりいるとは思います。現福岡在住・元関西人の友人は、未だかつて一度も吉野家にいったことがないといいます。
でもね、たとえばひとりの男性が吉野家の常連だったとして、
<その男性が納豆にハマる→カノジョにもすすめる→カノジョもハマる→別れる→女性、新しいカレシに納豆をすすめる→カレシハマる→別れる→戻る>
というスパイラルが生まれ、ねずみ算式に納豆好きが増えるのです。
まぁねずみ算式は大げさにしても、十分に<とっかかり>にはなっているんじゃないでしょうか。なにしろそれまで何のとっかかりもなかったのからすれば、すごい進歩(?)ですよね。

この仮説を<納豆に嫌悪感がない人が増えた>理由だというなら、先ほどの、納豆の好き・嫌いが分かれる<一定の年齢>の推定ができます。
吉野家が関西に進出したのがいつなのか定かではありませんが、本格的に店舗が増えたのは、アタシが高校生~大学生の頃だったと思います。つまり1980年代半ばのことです。
この辺りに大学生(に準ずる年齢)だった人がターンポイントになるんじゃないでしょうか。
つまり「関西人の納豆が好き・嫌いの、比率逆転の境目は40歳前後である」と。
(※現注:2011年現在、45歳前後)

どんなもんでしょね。でもここに書いたのは仮説ばっかりで、ちっとも論理的な根拠がないので、あんまり人に言いふらさないでくださいね。




納豆は今でも大好きですが、さいきんテレビで納豆嫌いを公言する人も減った気がします。
こないだ、全員関西出身が売りの関ジャニ∞が、ひとりを除いて納豆好きと言ってたのにはビックリしました。
まあそういう時代なんでしょうね。コンプライアンスとかの問題もあるだろうし。

2011年10月12日水曜日

yabuniramiJAPANの歴史、のようなもの

えー、今回はyabuniramiJAPANの歴史でも簡単に振り返りたいと思います。

まずは記念すべき第一回のエントリのさわりを。

えー、なにから書きゃいいのかわかりませんが、とにかくプロ野球に関するうわごとでも書いていこうかと。いろいろ暴言もござんしょうが、なにとぞお見知りおきのほどを。(後略)


時は2003年10月18日、エントリタイトルは「ほしの…」でした。
18年ぶりに優勝した阪神タイガースが日本シリーズを目前に控えた頃で、タイトルが「ほしの…」なのは、当時阪神の監督だった星野仙一の勇退が決まっていたからです。
そう、yabuniramiJAPANは後に「ヤキウノウワゴト」として分割されることになる、野球関係のテキストサイトとして始まったのです。
あえてテキストサイトと書いたのは、最初の頃はまだ、いわゆるブログサービスは使ってなかったのです。
ではどうしていたかというと、Windows用のソフトで日々日記というのがあって、こいつがHTML形式で書き出せたので、それをいちいちFTPでアップしていました。なんとも面倒なことをやっていたものです。

その後ブログに切り替え、さらにドメインを取得してブログ鯖を構築したり、どんどんやることが大掛かりになっていくわけですが、中身の方も分割・統合を繰り返して、本宅といえるyabuniramiJAPAN、野球関係に特化したヤキウノウワゴト、そして現在も存続するクレージーキャッツファンサイトのCrazyBeatsの3つを同時進行することとなります。

さて最も根本的な話を。
なぜアタシがテキストサイトを始めたか、この答えは2003年12月21日付のエントリにありました。

そもそもアタシがこんなサイトを立ち上げたのは『思う存分野球について語りたい』と思ったからです。
というのもアタシはあんまり人と野球の話とかしないのですよ。野球に興味のない人と野球の話をしないのは当たり前なんだけど、『野球好きなんです』とか『阪神ファンで』なんて人と話していても、なんていうか、どうも温度差を感じてしまうんですね。(「当世三奇人とともに」より)


こんな理由だったんですねぇ。すっかり忘れてたわ。まあ舌の根も乾かぬうちに野球以外のことを書き始めるわけですが。

では次、「yabuniramiJAPAN」というサイト名について。

このサイトは『ヤブニラミJAPAN』と申すのですが、これはもちろん『やぶにらみニッポン』(1963 東宝)からとったものです。(2003年11月12日付「『やぶにらみニッポン』のこと」より)


ま、この通りには違いないんですが、元々の発想は当時(今も?)最も人気があったポータルサイト「Yahoo!JAPAN」のモジリからでした。
「ヤ」で始まって「JAPAN」で締める単語として、「やぶにらみニッポン」という映画のタイトルに引っ掛けたにすぎません。
むしろ、以前から「やぶにらみ」という言葉は気に入っており、トンチンカンな、ややズレたモノの見方、てな意味は手前勝手なテキストサイトの名前としてピッタリだと思ったんですね。
さらにJAPANはともかくその前につく単語は日本語にしたかったってのもありました。

最後に「藪似」というハンドルネームについて。

やぶにらみ、の頭3文字であり、実際、一時期よく藪恵壹(開設当時阪神の投手、現阪神二軍投手コーチ)に似ている、といわれたので、です。
正直藪に似ている、といわれてもうれしくなかったのです。確かに藪は「男前」で通っていたのですが、深い阪神ファンからすると「いい投手だったんだけど、ある意味どうしようもなかった投手」でしょうからね。
だから藪似という名前は、俺って男前という意味合いは皆無であり、自虐の要素だけなのです。

さてさて
yabuniramiJAPANとヤキウノウワゴトを先日閉鎖し、現在ここでyabuniramiJAPANTiny2としてやっていますが、Tinyというのは過去のyabuniramiJAPANと比べれば小ぶりだということです。既存のブログサービスを活用してますし、テンプレートもあまり弄っていません。また細かいカテゴリ分けもしていません。
「2」なのは、まあ要するに「yabuniramiJAPANTiny」のログインアカウントを忘れてたので作り直したのです。

てなわけで、しょーもない凡ミスから始まった「yabuniramiJAPANTiny2」ですが、これからもゆるりそろりと更新してまいります。

2011年9月30日金曜日

軽くリニューアル

全然変わってないじゃないか、と、確かに見た目は何も変わっていません。
変わったといえば、以前mixiでやってた日記をコンバートしてきたくらいです。
右カラムの「ラベル」の「mixiより」(モバイル用リンク)から見れます。mixi日記は、特に初期の頃は「友人までの公開」だったため、かなり私生活色が濃いものになっています。まあ面白いかどうかはさておきね。

さて、もうひとつ重大な変更点があります。
以前やっていた「yabuniramiJAPAN」 のログを全削除しました。同時に「ヤキウノウワゴト」も削除しました。どちらももう見れません。(しばらくはキャッシュから飛べるだろうけど)
いずれ削除する、といいながら早4年。削除しなかった理由は「面倒くさい」に決まっているわけですが、とうとう削除しました。まあいいでしょ。

アタシが元祖yabuniramiJAPAN無期限更新停止する際、つまり4年前ですな。その時、今後一部のログを再構成して発表する、と宣言しました。なんとも面倒なことをいったものです。
たしかに再構成は面倒くさい。でも過去に書いたものを「ほぼそのまま掲載」なら、いちいち書く手間も省けるし、こりゃいいわいと。
てなわけでたまーにですが「yabuniramiJAPANリターンズ」として過去ログを再掲載していきます。ただ完全にそのまま、なのはさすがにあれなので新規に前枠と後枠はつけます。
案内役はもちろん安田顕、なわけがなく、ひとりしかいないので当然アタクシ、藪似がやります。DNAならぬYNA(ヤブニラミジャパン・ナビゲーター・あんちゃん)です。

「yabuniramiJAPANリターンズ」の中には「ヤキウノウワゴト」の再掲載を含みます。ということを念頭に読み返してみたのですが、何しろネタが野球ですのでリアルタイムでないと意味がないログがほとんどなのですが、一部そうでないのもありますので、そういうのを。

そんなわけで久しぶりにモバイル環境ではなくパソコンでブログを書いてみました。

2011年9月13日火曜日

シカゴ!シカゴ!シカゴ!

藪似です。今回は舞台の話でも。

Twitterには書かなかったのですが、ロンドンに行った時に「シカゴ」というミュージカル(といっていいのかな?)を見てきました。
以前ブログにも書いたように、ロンドンではミュージカルが復権しておりミュージカル小屋(と書いた方が気分が出る)が至るところにあります。アタシはイギリスが初欧米であり、当然ブロードウェイなぞ行ったことはないのですが、せっかくだから何か一本見てやれと企んでおりました。
数多いミュージカルから一本選ぶなら、もうそれは「シカゴ」になってしまうわけです。

一部はご存じでしょうが、アタシは「CrazyBeats」なるクレージーキャッツのファンサイトもやっています(えらく長い間放置してありますが)。クレージーキャッツの大スターであった植木等が1983年の日本語版「シカゴ」に出演しています。共演は草笛光子。そして演出は日本バラエティの始祖ともいえる井原高忠。何ともすごいメンバーでの公演でした。
当時高校生のアタシが1983年版を見ているはずもなく、しかし遅れてきたファンとしてはこれほど見たかった舞台もありません。

・・・まあこのような心理的事情がありまして「シカゴ」なのです。

この「シカゴ」という舞台を説明するのは難しい。とりあえず中央に階段状のオーケストラボックスがででんと設置してあります。このオーケストラボックスの周りでといいますか、まるで演奏の邪魔にならないように役者が動きまわります。したがって舞台じかけのようなものはほぼありません。
ストーリーも、まああるのですが、感情移入が必要な体のものではなく、いや感情移入できそうな人物はひとりも登場しないんですよね。
小林信彦氏はこの舞台を「ミュージカル・ヴォードヴィル」と評してましたが、誤解を恐れずにいえば「歌とダンスがたっぷり詰まった、長いコント」みたいなものです。「歌とダンスがたっぷり詰まった、舞台じかけのない「8時だョ!全員集合」」といえなくもない。
長いコントだの全員集合だのが出てくるくらいですから、音楽とギャグがサンドイッチ状になっています。つまり「笑い」は非常に重要な要素なんですね。

ロンドンの回で書いたように、アタシはからっきし英語がダメです。ですから「せっかくだから」と繰り出した「シカゴ」を楽しめる自信はあんまりなかったんです。
もちろん細かい言葉のギャグは全然わかりませんでした。しかし・・・いやもう、なんていったらいいのか、幕が開いて演奏が始まった瞬間全身に鳥肌が立ったんです。もっといえば、もしかしたら自分はこれを観るために生まれてきたんじゃないかと思えるくらい。
アタシは商業演劇ってもん(北島三郎特別公演とかああいうの)はほとんど観たことがなく、小劇団のたぐいは学生時代にそれなりに観たのですが、長く芝居を観てなかったこともあって、とんでもない感動に包まれました。

帰国後さっそく「シカゴ」のロンドンキャスト版のサントラCDを購入し追体験に勤しんでおったのですが、そういえば映画版を観てなかったことに気がついた。
んで結構賞とか獲って評判のいい映画版を観たのですが、うーん、最初にこっちを観ておくべきだったね。アタシは舞台を先に見ちゃったんで、何か無理がありすぎるなぁと。
そもそも刑務所で歌い踊る、というのに無理がある。当たり前だけど舞台はワンセットなので「ここは刑務所です」といわれたら刑務所なんです。法廷といわれたら法廷になる。でも映画にしたらちゃんと刑務所なり法廷なりのセットの中でやらなきゃいけないわけで。そうなると無理な感じばっかり気になっちゃう。
それに・・・これは根本的な問題ですけど、さっき書いたように感情移入できる人物はいないわけですよ。これが舞台なら(いくら長いとはいえ)コントみたいなもんだから、と思えるので問題ない。でも映画だとそうはいかない。そもそもギャグと音楽を繋いで映画にするのは不可能なので、どうしてもシリアスなシーンが入ってしまう。
でもね、もともとの話が荒唐無稽なので、シリアスなシーンが浮いちゃうような、ね。

ま、映画版の話が長くなってしまいましたが、舞台を観ていっこ吹っ切れたことがありました。それは「植木等版のシカゴを観そびれたことへの後悔」です。もう、いったい何年、アタシが植木等を敬愛してると思ってるんですか。そんなアタシだからこそロンドンキャスト版を観て、植木等が演じたビリーがですね、当然目の前で演じているのは英国の役者ですよ。でも勝手に「植木等が歌っている」声と姿に脳内変換できましたからね、ええ。

2011年9月7日水曜日

ウラとオモテ

ご無沙汰しております。藪似です。ちょっと個人的な事情がありまして更新をストップしておりましたが、何とか再開できることになりました。

さてさて、更新をストップしている間に世の中いろんなことが起こりました。まああんまり小難しいことを書いてもしょうがないのですが、島田紳助引退とか某キー局へのデモとかね。
なんか今年は本当に不思議な年でして、今までの常識が崩れる年というか、完全に時代の変わり目な気がしてならないのです。
あえてあんまり書かなかったのですが、3月に未曾有の地震があったりして、その問題も到底進展しているとはいえない。いや、何がいいたいのかというと、紳助引退も某キー局デモも某東電の件もすべて同じ土俵上の話がするのですよ。
つまり今までウラだったものが、恐ろしい勢いでオモテに出てきてるというかね。ウラとオモテの境界線が非常に曖昧になってきている。それを先導しているのはインターネットの力もありますが、それだけとは思えないのも事実でして。

紳助についてアタシは今まで書くことを躊躇していた部分があります。全然書いてなかったわけじゃなくて、小出しにね。たとえば横山やすしの時とかにちょろっと触れたり、松紳を取り上げたこともあります。しかし真正面から紳助を論じたことは一度もない。
もうここ数年、紳助の番組は一切見てませんでした。はっきりいってしまえば紳助の番組が始まるとチャンネルを変える、くらいのレベルでした。
とはいうものの、これでも大昔は比較的好んで紳助の番組を見てた時分もあります。たとえば「クラブ紳助」なんて毎週欠かさず見てましたしね。
紳助の番組に不快感をおぼえだしたのは「クイズ紳助くん」くらいからでしょうか。その前の「クイズ仕事人」はちゃんと見てたんだけど。一言でいえば「鼻につきはじめた」のです。
正直紳助が引退するからといって残念でも何でもない。暴力団との付き合いが、といわれても、ああそう、としかいいようがない。

芸能人と暴力団といえばまず浮かぶのは美空ひばりのケースでしょう。
事細かに説明するつもりはさらさらありませんが、美空ひばりの成り立ちというか神戸芸能社絡み、みたいなのは子供の頃から知っていました。親や親戚からすれば、それは「当たり前」レベルの話でした。
もちろんアタシが生まれ育ったのが神戸だということもあると思います。しかしそこまでブラックボックス化していたとは到底思えない。当時、よほど無邪気な人でなければ、そういう闇の部分くらい知っていたと考えるのが自然です。(鶴田浩二の襲撃事件なんかはニュースとして大きく取り上げられましたし)

美空ひばりのデビューは昭和20年代の話です。戦後の混乱期であり、ウラとオモテの境界線がまだはっきりとしてなかったのかもしれません。それよりも、たとえば731部隊であったり、今では自虐史観といわれる大日本帝国軍の闇の部分の方が(すべてGHQとセットですが)よほどタブーだったはずです。

はっきりいえば芸能界を指して「カタギではない」というくらいなので、芸能界もヤクザの世界もたいして変わらない、と同時につながっているに決まってる、くらいに考えられていたのではないでしょうか。

それが「コンプライアンス」なんて言葉が出てきて、芸能界もお行儀よくしなきゃならない、みたいな風潮になっていきます。それは一見正しいことのようですが、実際にはそんなことは難しい。テレビだってなんのかんのいいながらすでに半世紀以上の歴史があるわけです。当然のように繋がっていた、政治団体だとか宗教団体とか、その他もろもろ「ややこしい」付き合いがあったことは想像に難くなく、それをいきなり切ることなんてできるわけはありません。
となるとどうなるか。オモテの顔を作るしかない。オモテではコンプライアンスとかなんとかいいながら、ウラではより闇を深くしていく。
ところがこれも限界があるわけです。今回インターネットが牽引してどんどんウラがオモテに出てきました。信じられない勢いで、です。

アタシは某キー局の件にしろ紳助の件にしろ、はたまた某東電の件にしろ、どっちが悪いとかはいいません。ただ最初にも申し上げました通り、ウラとオモテの境界線があいまいになってきているのは間違いないでしょう。
そんな時代において一番マズい対応は、これまで通りウラとして隠し続ける、という態度です。ウラをウラのまま温存しておこうとすればするほど疑心暗鬼をおぼえる人が増えるだけの気がします。

いくらネットを規制しようが、実際そういう法案が出ているようですが、そんなことをしてもほとんど意味がない。世の中「からくり」があるのは誰だってわかっているのですからね。

2011年7月18日月曜日

ナゾの映像

先日友人と「そういえば阿部定ってまだ生きてるのかな」という話題になりました。阿部サダヲではなく、阿部定。昭和の猟奇事件といえば定番のように出てくる名前です。
阿部定の名前は小学校低学年の頃から知っていました。親戚のおじさんから「昔チンチンをちょんぎった女がいた」と聞かされていたからです。
もちろん当時は「ペニスの切除」の意味など知る由もありませんでしたが、何となく「ただごとではない」というのはニュアンスでわかりました。
阿部定のことを認識したのはおじさんの話があったせいだけではありません。

アタシが幼少の頃、昭和の猟奇事件の特番が水曜スペシャルみたいな枠でよく放送していました。(阿部定事件は出てきませんがだいたいこういう雰囲気の番組でした)
その手の番組のクライマックスはお決まりのように、クライマックスに阿部定のインタビューがあったのです。
「ついに我々は阿部定との接触に成功した!」とか何とか、大仰なナレーションの後に阿部定のインタビューが流されたのです。
はじめのうちは純粋に「へえ、すげえな」と思ってみていたのですが、何しろ半年に一回くらいこの手の特番があり、毎度毎度同じ映像が出てくるのですから、さすがにおかしいと気付きます。
何だか妙に古ぼけた映像で、しかも映像に映り込んだ車がやけに古い。少なくともここ数年のうちに収録されたものではないとわかってきます。

さてさて時代は現在2011年。友人と阿部定を話題にした後、とんでもない映画に出くわしました。タイトルは「明治大正昭和 猟奇女犯罪史」。名匠、という形容があまり似つかわしくない、鬼才・石井輝男が監督した1969年の作品です。
この映画の中に阿部定のインタビューが入っているのですが、これがアタシが幼少の頃さんざんみた、阿部定のインタビューまんまなのです。
つまり当時の特番は「猟奇女犯罪史」の一部のシーンを抜き出して、あたかも番組のスタッフがインタビューに成功した、みたいな体にしていたわけですな。
ま、今より「やらせ」とかうるさくない時代だったとはいえ、いくらなんでも酷い話です。
いくら記憶をまさぐっても、「これは石井ナニガシの映画の一シーンです」的なテロップもナレーションもなかったですし。もしかしたら番組終わりのテロップで出していたのかね。
それにしてもです。たかだか10年ちょっと前に公開した映画の一シーンを抜き出しておいて、我々は阿部定との接触にも何もないもんじゃないですかね。
というかちゃんと石井輝男に許可を得ていたのかね。

こういうことは大人になってから知らない方がいいのかもしれませんね。つーか中途半端にしかわからないから非常にこう、フラストレーションの話でして、ええ。

2011年7月16日土曜日

ブルハとエレカシ

アタシが大学生の頃、ブルーハーツ旋風が吹き荒れていました。
学祭とかでダンパみたいなのがあるとシメの一曲は必ず「リンダリンダ」でした。そしてこれが異様に盛り上がる。ブルーハーツさえあればもう他に何もいらない、そういう空気すらありました。
旧yabuniramiJAPANの頃からあまりブルーハーツについて書きませんでした。ちょろちょろは書いてたんですがまとめて書いたことはない。書こうとは思ってたんだけどね。
しかしこれほどアタシに影響を与えたバンドは他にありません。ブルーハーツの曲で跳ね回り、ブルーハーツの曲に涙し、ブルーハーツの曲が弾きたいがばっかりにギターの練習をし、とアタシの大学生活はブルーハーツを中心に回っていた、といっても過言ではありません。

とにかく当時、アタシの中でブルーハーツに比類するバンドなどありませんでした。もちろん「あきらかにブルーハーツに影響を受けたな」と思えるバンドはありましたが比較にもなりませんでした。
そんな中で、結成自体はブルーハーツよりも早いエレファントカシマシというバンドがありました。というか今でもあるけど。結成が早いんだからブルーハーツの影響を受けたわけではないのでしょう。でも何となく唯一のブルーハーツのライバル的存在みたいな感じでした。
アタシはエレファントカシマシ、略してエレカシにほとんど興味はありませんでした。つかほとんどまともに聴いたこともなかった。だから知ってる?と聞かれたら「名前は聞いたことある」程度だったんです。
(名前を知ってたのは、アタシの大学生活の三大要素であるブルーハーツ、クレージーキャッツ、そしてVOW。そのVOWが載ってたのが宝島という雑誌だったのでね。当時の宝島は後年とは違い完全にバンド誌でしたから)

名前は知ってる程度だったエレカシが突然ブレイクしたのはドラマの主題歌になった「今宵の月のように」からです。当時のアタシは「あれ?こういうスタイルだったんだ。ちょっとイメージが違ってたな」とは思ったものの、やはりたいして関心を持てませんでした。
後で調べてみると、この頃のエレカシはレコード会社の戦略で大々的にメディアに乗っかる、いわゆる「売れ線」を目指していたようで、なんとなく違和感を覚えたのも無理もありません。

それから現在に至るまで、ブルーハーツ、略してブルハはアタシの中でずっと伝説的なバンドとして存在し、あいかわらずエレカシは「名前は知ってる」程度の存在でした。
ヴォーカルの宮本浩次といっても、アタシにとってはダウンタウン浜田が主演した「フレンズ」というドラマに出てた人、はたまたたまに音楽番組に出て挙動不審な仕草を撒き散らす人、といったイメージでした。
ところが最近「風に吹かれて」というエレカシの曲を聴いて完全に認識が変わりました。これは「売れ線」時代の楽曲であり、もしかしたらエレカシの本質とはかけ離れているのかもしれません。が、音域の広さを活かした宮本浩次の歌唱、そして実は「街」にスポットを当てた歌詞の世界はアタシの興味を惹きつけるには十分でした。

この文章はアタシがいかにブルハに傾倒していたか、という書き出しで始まり、ブルハとの対比によりエレカシについて書いてきました。しかし本当はブルハとエレカシは何の関係もない。音楽性も全然違うし。しいて共通点を挙げればブルハのヴォーカルである甲本ヒロトも宮本浩次も挙動不審なことくらいです。
でもエレカシについて書こうと思ったら、こう書くしかないのです。対比としての認識から、対比を抜けだしたまでを書かないと逆にエレカシに失礼な気がするんですよねぇ。

2011年7月14日木曜日

貞操帯もの

よくよく考えると「うる星やつら」という作品は、かなりいやらしい話ですよね。
ラムと諸星あたるは、正式なものでないにしろ、高校生でありながら「夫婦」なわけで、いや、「夫婦」だからいやらしいんじゃない。
「夫婦」なのに、一切セックスをしないところがいやらしいのです。
真面目にいえば、少年誌に連載されていたのだがら当たり前なんですが(「ハレンチ学園」だって夫婦になったがセックスレスだったし)、それでも、大人目線でいえばかなりいやらしい。
昔、何の本か忘れましたが、諸星あたるを「童貞ジゴロ」と表現してあって、かなり笑った記憶があります。
あたるは無類の女好きという設定にも関わらず、モテない、ということを抜きにしても、絶対セックスしようとしない。そんなことで頭がいっぱいの高校生でありながら。
いや、それでも原作の方はまだ「ヤりたがってる」空気は出てます。ところがアニメになると、これまた冷静に考えれば当たり前なんですけど、アニメのあたるは、エロ本(といってもビキニのおねーちゃんが載ってる程度)を見てニヒニヒとニヤつくだけで、もしかしたらこいつ自慰行為というものすら知らないんじゃねーかという感じなんですよねぇ。
セックスはおろか、自慰行為すら知らないジゴロ、というのは、もう完璧すぎるくらいにいやらしい。

セックスというのは不思議なもので、一度してしまうと、いやらしくも何ともないんです。その女性とそうなる前が一番いやらしい。
その状態をキープしまくる、もしかしたら一度も自慰行為すらしないまま、ハーレムを夢想する男、あたる。
もしハーレムが実現できたとしも、せいぜいおっぱいをさわるくらいの行為しかしないだろう、と考えると・・・。

ま、妄想はさておき、この当時というか昭和時代の漫画は「貞操帯もの」が多いです。
永井豪作品はいうに及ばずね。
しかし極めつけの「貞操帯もの」は「男はつらいよ」シリーズでしょう。
数十年の間、寅さんは、まあいや貞操帯をはめられたままなのですよ。
なぜ山田洋次はここまで寅さんに禁欲を求めたのか。その答えは以前やってたブログに書いたので省略しますが、もしかしたら「男はつらいよ」シリーズこそ、最高のピンク映画なのかもしれません。

2011年7月11日月曜日

自転車運転を免許制にしろ!

ドライバーの敵といえば自転車です。と言い切っていいのだろうか。
いや実際車の運転をしていると怖いのは対向車や歩行者ではなく自転車です。もちろんちゃんと自転車を運転している人もいますが、メチャクチャな乗り方をしている人もかなりいます。
思いっきり膨らんでカーブを曲がって側道から出てきたり(しかも全然見ていない)、平気で信号無視したり、車道の真ん中付近を走ったり、フラフラと蛇行運転をしたりと枚挙暇がありません。
しかもですね、自転車がいくら無謀な運転をしていても、車との接触事故が起こった場合は車の運転者がまず不利な状況になってしまいます。(これは経験済み)
こっちとしてはできるだけ歩道を走ってほしいのですが、道路交通法からすれば車道を走るのが正しいわけで、それもまたもどかしい。もちろんちゃんと乗ってくれるなら全然構わないのですが、そうじゃない人があまりにも多すぎるもんでね。

そこでアタシは提案したいのです。自転車も免許制にしろ、と。
対象年令は小学生以上なら誰でも。簡単な講習ですぐにでも取れるようにします。(あ、でも視力検査くらいはいるかも)
それじゃ意味ないだろって?いや、おおいにあります。
ここから後は他の運転免許と一緒で、免停も免取りもアリです。つまり無謀な運転をして免許を取り消された場合は自転車が運転できなくなる。これだけでオッケー。
こうすることによって自制心が働きます。今マズいのは何も自制する法的根拠がないことで、しかも事故が起きても有利なんだからますます無謀運転が加速していきます。

もうひとつのメリット、これは少し自転車とは関係ないのですが、結構いるんですよ、証明書代わりに運転免許を取得する人が。全然運転する気がないのに。
でも免許があるというだけでたまに運転させられる。これがコワイ。ドライバー同士でいえば一番怖いのはペーパードライバーが運転した時です。
もし自転車に免許があればこういう人がだいぶ減少するはずです。

しかしまあ、まず無理だろうね。しかも昨今はもっと早く片付けなきゃいけない問題が山積みなわけで、やたら金がかかりそうなこんな法案通そうとする酔狂な政党もないわな。

2011年7月9日土曜日

エロキャラ、ホープと神様

ぷっスマとか見ると、もうほんと、ユースケ・サンタマリアのキャラは貴重だなって思ってしまうわけです。
エロを売りにする、というのは実は非常に難しく、下手すると生々しくなりすぎて笑いとして成立しない。たとえば一時期小林稔侍あたりがエロキャラでバラエティに出ていたわけですが、やっぱりちょっと生々しいというか、エロはあくまでエロであって、セックスと直結しちゃ笑いに繋がりにくい。特に「喋ってる本人がセックスしてる姿」が容易に想像できちゃダメなんです。
エロなんだけど、昔の少年誌に載ってたような、セックスとは別物のエロじゃなければマズいというかね。
徳井とかケンコバとか芸人はやっぱり巧みというか、エロキャラじゃなくて変態キャラに逃げてますよね。

ユースケは逃げてないですよ。正真正銘のエロキャラですから。
彼の素晴らしいところは不思議とセックス的じゃないんです。おそらくぷっスマでのキャラから派生したであろう、小池栄子とやってるCMね、今のじゃなくていっこか二個前のやつとか、夜の営みを連想させる内容にも関わらず、エロで止まってるのは、パーソナリティのおかげでしょう。

エロキャラにも神様といえる存在がいるもんでして、もちろん森繁久彌です。
社長シリーズとか、森繁の見せ場は何とかして浮気をしようとするシーンだけだし。つまりは女房以外の女性とセックスすることだけが目的だもんね。
「明るく楽しい東宝映画」でこんなキャラが成立したのは、最終的に浮気が不成功に終わるというのも当然あるけど、一番の理由は結局「森繁だから」なんですよねぇ。
森繁の凄いのはフィクションの中だけではなく、公の場では死ぬまでこのキャラで押し通したことです。
足腰が弱いフリして(実際弱ってたそうだけどさらに誇張して)、しかもボケ老人のフリをしてまで飯島直子あたりを触ろうとするのは凄すぎますよ。

ユースケもこれくらいまでいけばね。まあああなるには途方もないバイタリティが必要なのですが。

2011年7月6日水曜日

児童館の思い出

最近CMで児童館!児童館!といってますが、アタシが「いやー、児童館か、懐かしいな」というと友人に「児童館って何?」と聞かれました。児童館を知らないというのはアタシからしたら信じられないのですが、どうも地域性みたいなのがあるようで。
というわけで児童館の思い出を書いていこうかと思うのですが、何しろ地域性があるようなので、今から書くのはあくまで昭和50年代の兵庫県神戸市の話です。

児童館というものをざっくり説明すると、要するに遊び場です。といってもヤカタと付いてるくらいなので、屋外ではなく室内。そこに子供が遊ぶためのものが多数あるわけです。
時代が昭和50年代、それも前半なので当然テレビゲームのようなたぐいはありませんが、人生ゲームや生き残りゲーム(懐かしい!)といったゲームはあったはずです。
しかしアタシたちはそういったゲームには目もくれず、ひたすら卓球でした。卓球ができるスペースなど児童館くらいしかなく、その児童館にもふたつしか台がなく、まあ取り合いですね、早い者勝ちなので学校が終わるともう信じられないくらいのスピードで自転車を飛ばしてね。
卓球の何がそんなに面白かったのかよく憶えてないのですが、あまりスポーツに縁がないアタシがこれだけはハマりました。ラケットも貸しだしてくれるんだけど、小遣い貯めてマイラケットも購入したし。一般的なペンホルダーではなくシェークハンドのやつを。両面にラバーが貼ってあるやつ。何かカッコよかったんですよね。

先ほども書きました通り卓球台はふたつしかなかったので埋まってることの方が多かったのですが、そういう時は図書室に行ってました。ここは学校の図書室とは違い置いてあるのはほとんど漫画。最新刊はありませんでしたが古い名作をずいぶん読みましたね。
中でもハマったのが「ど根性ガエル」です。アニメはもうさんざっぱら再放送をやっていたんでね。特に夏休みの期間中は朝の9時半からだったかな、とにかく「ど根性ガエル」を延々リピートだったわけで馴染みはあったんですが、漫画は漫画でまた違った魅力があってね。アニメはほら、良くも悪くも東京ムービー色が濃いから。いや面白いんだけど。
アニメでは曖昧な舞台設定が漫画では石神井公園なんですね。だから東京に行ったら一度石神井公園に行ってみたいと思っていた。などという小学生時代の思いはいまだに遂げられていませんが。

こんな感じですか、児童館。何か楽しそうでしょ?いや、そうでもないのかね。思い入れは強いけど本当に楽しい場所だったかどうかは、書きだしてみると結構怪しいな。

2011年7月2日土曜日

こんな顔に生まれたかった

今回は軽めの話を。誰しも「こんな顔に生まれたかった」ってのがあると思います。
リアルのアタシを知ってる方はご存知でしょうが、アタシは結構濃い目の顔をしております。しかも色も黒い。何しろ、これはあまり人にはいってなかったのですが、中学の時のあだ名が「マイケル」でしたからね。もちろんマイケル・ジャクソンのマイケル。
今は単なる中年太りですが、当時はガリッガリッでしたから、そりゃマイケルといわれるのも当然です。ちなみに一切ダンスはできません。猿も飼ってませんし、食いもしません。

子供の頃から自分の顔が嫌で嫌で。なんで「フォウー!」っていえよとかからかわれなくちゃいけないんだ、全部この顔のせいだと。
親を恨むわけじゃないけど、どうせなら全然違う顔に生まれたかった。具体的にいうと、とにかく薄い顔。薄けりゃなんでもよかった。
特に、あれはアタシが高校くらいの時でしょうか、しょうゆ顔、ソース顔なんて言葉が流行って。アタシはどう考えても「クドい」「古臭い」といわれたソース顔。少年隊の東山に代表される「薄い」しょうゆ顔の時代ですから、アタシのコンプレックスはますます強くなっていったという次第です。

しかし薄い顔になろうとしてなれるもんではないわけで、かといってやっぱり自分の顔が嫌いで、いつしか「あきらめ状態」になっていったわけですが、何のことか、最近になって自分の顔が好きになってきました。
理由はよくわからないのですが、妙に愛嬌のある顔じゃねーのと思えてきたんですね。

まあそれはいいのですが、結局濃い顔のアタシが薄い顔に憧れたのも、天然パーマの人がストレートに憬れるようなもんだったんじゃないかと。
実際アタシはドがつくストレートなので天パに憧れたしね。
ま、濃い顔は濃い顔なりのヨサもあると。全然わからないオチで終わります。

2011年6月30日木曜日

紀元「は」2600年

今から一週間ちょい前、えと6月19日ですか、高速道路休日1000円という政策(といっていいのかな)が終わりました。

何かもやもやするというか、妙に物悲しいというか、いろいろ思いを巡らすうちにふと紀元2600年というキーワードが浮かびました。
紀元2600年といえば1940年、昭和でいえば15年にあたります。昭和15年といえば太平洋戦争開戦の前年になるのですが、まあ当然平和な時代ではなく、すでに日中戦争中だったのには違いないわけです。
戦時である、ということは政府からの締め付けはあるわけでして、だからといって締め付けるだけでは国民はついていけない。そこでガス抜きの意味合いを込めて紀元2600年を祝う祭りが大々的に行われました。

高速道路休日千円が終わるのと紀元2600年祭がどう関係あるのかと思われるでしょうが、どうね、こんな空気だったんじゃないかなと。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110619/trd11061921330019-n2.htm

こういうニュースを読むと祭りの終わりを「無理にでも」楽しもうとする人々の顔が浮かぶのはアタシだけでしょうか。
紀元2600年祭の翌日に出されたスローガンが「祝ひ終つた さあ働かう!」ですからね。高速道路のこともね、あれは別にガス抜きなんかじゃないんですが、ああ、祝いが終わるんだと。今日からまた締め付けの日々が始まるんだと。

だからといって、来年に太平洋戦争に相当することが起こるとか思ってはないのですが、ある意味もっと酷いことが我が国に起こるのではないかとは思わないでもないのですわ、正直いって。

2011年6月28日火曜日

ゲーム疲れ

藪似です、という書き出しでずっとやってたのですが、今回で止めます。他の名前で表示されるとこがあるんでね。

さてこないだちょろっと書いたのですが、家にPS3があります。据え置き型、携帯型に関わらずゲーム機を買ったなんて十年振り以上です。
よほどやりたいゲームがあったんだろ、と思われるかもしれませんが、何にもない。もっといえば本体を買って半年、いまだにただの一本もゲームソフトを所有していません。
まあ要するにAVプレーヤーとして買っただけなんで、はじめからこれでゲームをやるぞ、なんて気はゼロでしたし。

以前漫画を読まなくなったと書きましたがゲームはもっと酷く、恐ろしくしなくなってしまいました。
とか書くと「何いってんの、あんたずっとウイニングイレブンやってんじゃん」と思われる方も若干3名ほどおられるのはわかっております。でもよく考えてもみてください。アタシはサッカーの試合を観戦してるだけで、コントローラーに触れる機会すらほとんどありません。たまに「こーゆー画面が出てきたらスタートボタン押しといて」「あいよ」(スタートボタン、ポチッ)くらいですからね。

さて一種のカルト的な人気のある「ゲームセンターCX」という番組があります。よゐこの有野の発する名言はたしかに面白く、全部とまではいいませんが大半は見ております。
面白いのは面白い。それは事実なんですが、同時に見てて異常にしんどいのです。
この番組はファミコン、スーファミ世代のゲームを中心に有野がクリアを目指すのですが、最後までクリアを目指す、という行為がやたらしんどく感じるんですわ。自分がやってるわけでもないのに。

思えばアタシも昔は数々のゲームで「クリアを目指して」やってました。ただクリアするだけでは飽き足らず、極端にいえば「鼻糞をほじりながらでもやられない」永久パターンを発見することに命を燃やしたことも何度もありました。
何日も何日も徹夜をし、親に怒られながら、はたまた大学もろくすっぽ行かず、ひたすらコントローラーを握りしめる、そんな毎日をおくっていたのです。
しかしそれも今は昔。そんな気力はどこにも残っていません。どころかゲームをやろうという気すら起こらなくなってしまいました。
やってもスマートフォンでオセロとか四川省とか、アクション性ゼロ、短時間でサクッと終わることのできる、いわばクリアという概念のないやつばかり。それすらもここ最近はやっていません。

「ゲームセンターCX」で登場するゲームもかつてアタシがチャレンジしたものも数多く出てきました。でも感じるのは「ああ懐かしいなぁ」じゃなく「あんなしんどいこと二度とやりたくない」みたいなマイナスな思考しか出てこないのです。
ですから番組中の息抜き企画には本当にホッとさせられるというかね。

ネトゲ界隈では「これは遊びじゃないんだ」みたいなことを本気で思ってる人がいるみたいですが、たしかにゲームは遊びじゃないのかもしれません。だってそれほど本気にならないとというか、現実の苦難に立ち向かうのと同程度の労力を持ってしないとクリアできないんだもん。
そういえば大昔のスチャダラパーの「ゲームボーイズ」という曲の中でも揶揄のニュアンスで「ゲームはすでに遊びではない もうひとつの現実が存在」っていってなぁ。
でも実は揶揄ではなく本当だったという。まあ「このままじゃ子供達が危ない」とは思いませんが。

2011年6月15日水曜日

人生最大のミス?

藪似です。こないだに引き続きツイートからのコピペから始まります。
人生初のとんでもない凡ミスから大惨事を招いてしまった・・・。正直かなりヘコんでます

自分はこの手のミスは絶対やらかさない人間だと信じていたのに。仕事のミスはどうしようもないと割り切れるけどプライベートのミスはなかなか割り切れないっす

精神的に不安定なんで電話かけまくりたい気分だけど我慢。昔それでいろんな人に迷惑をかけたからね

これらは昨年の12月にツイートしたものですが、いったい何なんだと思われたかもしれません。とにかく異様に焦ってることは伝わると思うのですが、具体的に何についてパニクってるのかまったく書いていない。
そのせいか、心配してくれた友人が慌てて連絡をくれたくらいです。
しかし、少なくとも「あの時点」では、Twitterという誰でも閲覧できる場では書きたくても書けなかったのです。
そして今、理由を書けるのは早い話が問題が解決したからで、要するにキャッシュカードを紛失したのです。
何しろ非常に珍しくかなりの金額が入っており、しかもまあ仕事のための予算のようなもので、こいつが引き出せなくなるとめちゃくちゃマズかったので、ああいう焦り方になってしまったのです。

正直かなり凹みました。まず理由がわからない。というのも財布ごと紛失したのではなくキャッシュカードのみの紛失だったこと。
次にいつ、どのタイミングから紛失していたのかがわからない。最後にキャッシュカードを使ったのが紛失を気づいた一週間前だったのですが、いつから紛失状態だったのか、どこでなのか、さっぱり思い出せなかったのですね。
そして一番ショックだったのは、今までアタシは財布とか鍵とかを紛失した経験がなかったのです。40年以上もそうだったから「自分はそんな大切なものを紛失するような莫迦な人間ではない」というまったく根拠のない自信があったのです。

再度繰り返します。問題は解決しました。通帳に入っていたお金も全額無事でした。しかしこの件でアタシが受けた影響は図りしれない。
とにかくやたら慎重になりました。特に金絡みのことは。
こういうケアレスミスをする人間なんだ、そう思うと不安が襲ってきます。

もう半年前のことなので最近は「極度」ではなくなってきました。だけれどもこのまま不安がなくなることもこれまた怖いことで、そうなると意識が甘くなり、また同じ失敗を繰り返すんじゃないかと。
かといって過剰な不安もよくないしね。どうしたらいいもんでしょね。

2011年6月12日日曜日

水曜どうしよう最新作!

藪似です。今回は「水曜どうでしょう」最新作についてです。

アタシは昔やってたブログの時から度々「水曜どうでしょう」について触れてきました。もうこれは好きとかそういう枠を超えていまして、墓場までビデオを持っていきたい番組のひとつです。
そしてこの度、4年ぶりに新作が作られたのですが、あくまでこれは北海道ローカルの番組です。リアルタイムで見れないのは当然としても関東で放送されるまで最低半年はかかるんだろうなとみてました。
ところがアクトビラにて北海道での放送終了からたった15分後には見れる!有料?一話315円?たっけーな・・・。いや!そんなことは些細なことだ。とにかくアタシは少しでも早く見たいんだ!!

見ましたよ。全話。

で、感想ですよね。
序盤から想像以上に快調で、焼き直し企画なのは事実ですが、まあ前作の「ヨーロッパ完結編」よりはずっと楽しく見ました。
ネットでは12回(シリーズ最長)は長過ぎたんじゃねーかという意見が多かったのですが、それより最後、黄金パターンを作れなかったことが大きい気がします。

黄金パターンとは大泉洋騙しを兼ねた企画発表→過酷さに大泉洋ボヤく→しかしミスター(鈴井貴之)・大泉とも意外と楽しくなってくる→油断した頃に軽いアクシデント(主にミスター)→工程が狂う→最後は時間との戦い、まあこんな感じです。
今作でも最後の時間との戦い以外はほぼ忠実に黄金パターンが守られており、他にも恒例の大泉のモノマネ、ミスターの甘い物攻め、宿トークと満載だったのです。
しかし日程的な余裕がかなりあったためか、時間との戦いという終盤の緊迫感がやや薄かったのは事実です。

元々がダラダラしたというかグズグズの作りの番組であり、いや、それが最大の魅力なのですが、散々グズグズにやった挙句、それが祟って最後は焦らざるをえなくなる。それも魅力だったんでちょっとその辺は惜しいかな。

いやそれでもやっぱりあのエンディングは卑怯ですよ。名曲「1/6の夢旅人2002」をバックに映像と静止画で名場面を見せられちゃねぇ。
と極力ネタバレなし、固有名詞なし、マニアックな話なしで書いてみました。

2011年6月10日金曜日

ハイブリは何故失敗したか?

藪似です。以下の引用は今年の1月28日にアタシがツイートしたものです。
ハイブリの中身がアドエスだったらなーと心から思う。別に3GとかWM6.5とかいらないんだよ。ハイブリはカタチは好きなんで内部的な出来の悪さがつくづく惜しい

CPUもギガじゃなくてもPX270でよかった。バッテリ駆動の時に極端に遅くなるのに重い6.5が軽快に動くわけないだろ。あとどうもメモリかメモリバスが足引っ張っ てるらしいし

ハイブリもネゴの速さとかテンキーでの文字入力の時もたつきが少ないとか良い部分はあるんだけどね。全体的に残念すぎる
軽く説明しますと、ハイブリとはウィルコムから発売されたシャープ製WindowsMobile機HYBRID W-ZERO3のことで、アドエスとはハイブリの二世代前の機種W-ZERO3adesのことです。
ハイブリに関して言いたいことは先の引用に集約されています。わざわざ昔のツイートを引っ張ってきたのは、ちょうどiPhoneを買った頃のもので非常に生々しい意見だからです。
今アタシはハイブリをほとんど使っていません。ハイブリのW-SIMは電話とメールしかできないnicoに挿さりっぱなしで、ハイブリは電源が入れられることすら稀です。つまり現在のアタシはハイブリにたいして物申すことができないほど触ってないのです。
にも関わらず何故今になってハイブリについて書こうかと思ったかといえば、ウィルコムももう少し違った展開があった気がするからなんですね。

10年ほど前までウィルコム(というかDDIポケット)はモバイルにおいて業界最高の通信速度を誇っていました。ケータイ各社で3G通信が始まりすぐに業界最低になりましたが、それでも体感的な通信速度はけして3Gに劣らなかった、そう思っています。
2005年になってウィルコムは国内初の本格的スマートフォン、W-ZERO3を発売します。実はスマートフォンというカテゴリでいえば業界最速ではないのですが、それまでのスマートフォンはとてもじゃないけど「まともに使える」シロモノではなく、本エントリの趣旨とは異なりますがこれも体感的最速といえるでしょう。

よくケータイ機種のスピードを表す言葉に「もっさり」というものがありますが、ZERO3シリーズはけして高機能なCPUを積んでいたわけではないのに、少なくとももっさりではありませんでした。WindowsMobile機の宿命で速いとまではいえませんでしたが、よくチューニングされており、十分実用に堪えるモノになってたと思います。

ところが昨年発売されたハイブリは酷い出来でした。仕様面でもチューニング面でも、よくこれで発売できたなと思わせる出来で、どう足掻いても(つまりカスタマイズしまくっても)激もっさりでした。
ハイブリの仕様が発売された当初、シリーズで必ず搭載されていたフルキーボード廃止にばかり批判がいきましたが、それは別にどうでもよかったんですよアタシはね。

やっぱり何が問題かといえば、こんな未完成な機種を発売してしまったウィルコムにあるわけで、たいしたことないCPUしか搭載できないのはしょうがない。でも、何で、体感的なスピードをもっと大事にしなかったのか、悔やまれてなりません。
フルキーボード搭載はZERO3シリーズの魂だったかもしれないけど、それをいうなら体感的スピードはウィルコムの魂だったはずで、もっさりもっさりといわれた京ぽん2ですらハイブリと違って未完成と思わせるようなものではなかったですからね。(京ぽん2は買ったことないけど代替機として一ヶ月ほど使用してました)

魂を失ったからウィルコムはこうなった、とはいいません。でも、そこだけは死守してほしかったってのが10年近くウィルコムを使ってきたユーザーの本音なんですがねぇ。

2011年6月7日火曜日

怖い人々

藪似です。今回は雰囲気の話です。

去年ちょっと話題になったさかなクンね、アタシ、あの人がめちゃくちゃ怖いんですよ。何というか人間的な感情があまりなさそうでね。
もちろん会ったことないですよ。でもテレビの向こうからの感じだけでも恐怖心をおぼえるには十分の、何か、を持ってると思うんです。

しかしアタシが芸能人とか、とにかくリアルではなくメディアで知った人の中でダントツに怖いのは渥美清です。
ずーっと読んでくださってる方ならおわかりでしょうが、アタシは山田洋次作品は嫌いじゃない。なのに「男はつらいよ」は苦手で、つまりは作風ではなく渥美清が怖いからです。
苦手とかじゃなく怖いんです。どうもこれは幼少の頃からそうだったようで、幸いアタシん家は洋画党で正月に家族で連れ立って「男はつらいよ」を観にいく、というようなことはなかったんですけど、もうポスターとか見るだけで怖がってたようで。もちろん憶えちゃいませんが。

「男はつらいよ」は大人になってから何本か観たことはあるんですよ。でも、とにかく渥美清が怖いからギャグのシーンでも全然素直に笑えないんです。そして観終わるとドッと疲れちゃう。やっぱどこか異様に緊張してるんでしょうね。

小林信彦著「おかしな男 渥美清」を読めばわかりますが、渥美清って人は極端な人嫌いな上、若い時分はかなりヤバいことをしてたようで。
でもそんなの後付けの知識で、そんなこと全然知らないうちから怖かったんだからね。

それに渥美清の怖さって人嫌いとかヤバい過去とはあんまり関係ないような気がするんですよ。
もっと本能的な感じ、とでもいいえばいいのでしょうか。
だからね、渥美清が寅さんとして国民的な人気だったのがね、どうも信じられない。アタシがズレてるだけかもしれないけど、でも何なんだろ。みんな怖くないのかなぁ。

2011年6月5日日曜日

名前って大事よね

藪似です。なんかこう、たまにはたわいない話を。

優香っているじゃないですか。この人、本名が岡部広子っていうんですね。最近知りました。
いや、優香ってかなり微妙な顔だと思うんですよ、よーく見たら。今だけじゃなくてデビューした頃からずっとね。
正直あの顔で岡部広子って名前ならちっともかわいくない。一般人レベルでもせいぜい真ん中くらいな気がする。
でも、あの顔でも優香、なら何かかわいい気がするんですね。アタシはタイプじゃないんですが、優香が好きなんですよ、という人がいても全然奇異に思わない。
いやあ、これは事務所のつけた(かどうか知らんけど)芸名勝ちですね。もし名付け親がいるのなら、優香のギャラの半分くらいピンハネしても納得できるレベルです。

名前は大事だと思いますよ、実際。得する名前、損する名前ってのが絶対あると思います。
もうひとり、優香ほどじゃないけど鈴木京香もそうですよね。
こっちは本名みたいだけど、たとえば「鈴木京子」なら印象が全然違うでしょ?「香」と「子」の一字違い、どっちもカ行なのに。

もちろん慣れの問題もあるとは思います。でも優香と鈴木京香の場合は慣れじゃ済まされない感じがしているのはアタシだけでしょうか。
そういえば、見た目的には売れそうだったのに、どうにも、な芸名つけられて消えていった人もいますよね。具体的には挙げないけど。

それ考えると「明石家さんま」という芸名で売れたのは本当に凄い。芸名を初めて聞いた時、島田紳助は「こいつ終わったな」と思ったそうですが、ま、紳助だけじゃなくて大抵はそう思うはずで、そんなハンデをもろともしなかったさんまは偉大なんだなって改めて思ったりしたわけでね、ええ。

2011年6月3日金曜日

MacとWindowsの狭間に揺れる

藪似です。何故だか今、うちには3台もパソコンがあります。
それに加えてiPhoneとPS3もありますし、WindowsMobile機が計4つ。これらは無線LANが使えますので、ネットができる端末は全部で9台もあることになります。
(いや、よく考えたらテレビでもブラウジングできたような。やったことないけど)
パソコン3台の内訳はというと、デスクトップのWindowsが1台、ノートのWindowsが一台で、あとひとつがMacBookです。つまりWindows環境もMac環境も両方あるということです。

さてさて、よく2ちゃんあたりでマカー(Mac使い)だのドザー(DOS/V=Windows使い)だのという言葉がありますが、じゃあお前はどっちなんだと聞かれても正直よくわかんないんです。いや、もしかしたらアタシは「Windows的な自分」と「Mac的な自分」の狭間で常に揺れ動いていたのだと最近気づきました。

アタシがマイコン(パソコンの古い呼び名)なるものを手にしたのは中学の時です。当時のパソコンは、まあいや実験のための道具のようなもので、実用性は皆無、将来的な実用のための実験を行うような機械でした。
パソコンを使うということはイコールプログラムを組むということであり、最初から内蔵されている初心者向きのBASICから始まり、最終的に当時マシン語と呼び習わされていたアセンブラまで、プログラミング言語の習得することはパソコンの「ほぼすべて」だったんです。(ほぼ、なのはわずかばかりあった市販のゲームを楽しむ、という行為もないではなかった由)
中学から高校までの間、アタシは学校の勉強なんかそっちのけで、プログラミング言語の習得に勤しみました。以前も書きましたが、何も実用にならないとはいえパソコンイコール時代の最先端でありましたから、新し物好きの血が騒いだ部分も大いにあります。
そして情報処理の試験でも受けようか、受けたらたぶん受かるな、という段階に入って問題が発生します。高校生の問題といえば進学とか就職に決まっているのですが、いろいろあってアタシは芸術系の大学に進学することになります。
もし進学に失敗したら、つまり受験に落ちたらということはあまり考えてなかったのですが、その時は情報処理の専門学校に行けばいい、なんとなくそう思っていました。
それだけパソコンに淫していたのだから情報処理系の進学を第一志望にしてもよさそうなのに、そうしなかったのは「何かを表現したい」という欲望がパソコンへの情熱を上回っていたからなんです。

プログラミング言語の習得とかゲームとかは、今の「Windows的な自分」に受け継がれています。今はもうプログラムを書いたりはしてませんが、遊びでスクリプトを書くのはWindowsで、もしくはWindowsMobileです。
そして「何かを表現したい」というのはMac的な自分、ということになるのでしょう。
今現在デザインの仕事をしていますが、よくよく考えてみると、「パソコンという機械を使って」「何かを表現する」という、妥協というか折衷案という感じがします。
もしパソコンのない時代にデザインとかやれといわれても嫌だったろうし(つかできない)、逆に表現力がまったく問われないパソコンの仕事は(これは何度か実際にやったことあるけど)しんどい、というか全然楽しくないんですよねぇ。

話を戻しますが、そういう意味では今のMacはアタシにとって最良の選択かもしれません。何しろMacもWindowsも両方使えるんだもん。再起動は必要ですが、MacとWindowsは繋がってるようで繋がってないので(あくまでアタシのオツムの中的には、ね)、再起動が必要なのは逆に都合がいいのです。

2011年6月1日水曜日

王道と邪道と自爆行為

藪似です。前回の続きのような、そうでないような。

M-1は去年で一応終わったみたいですが、ラストを飾る、という感じではなかったのはたしかです。
無冠の帝王といわれた笑い飯が悲願を達成し、最後の最後まで争ったのが、オフビート漫才ともいえるスリムクラブだったわけですが、これは王道と邪道との戦いでもあったわけです。
もちろん王道がスリムクラブであり、邪道が笑い飯。どこがもちろんなんだって話ですが、順を追って書いていきます。

そもそもツッコミという所為自体、笑い、という歴史の流れからすれば特殊なものです。たとえば、わかりやすい例でいえばチャップリン。当たり前ですがツッコミなんてもんはありません。まあ無声映画なんで当然ですが、もし当時の活動弁士がツッコミで進行させていたなら、これはシュールすぎます。一時期松本人志や木村祐一が写真にツッコミを入れる、あの芸に近い。
「漫才」というのは複数の人間が舞台に立って言葉のやりとりで笑わせるものですが、これは必ずしもボケとツッコミである必要はないのです。
コントでは人間関係のコントなんていいますが、実は漫才でも人間関係を会話という形で見せるだけで、コンビの場合、ふたりの決定的な心理的な対決があり、それを笑いに昇華できれば、それで漫才は成立してしまうのです。
それを今一番上手くやってるのがブラックマヨネーズであり、一応吉田がボケで小杉がツッコミという区分けはあるのですが、心理的対決を前面に押し出すことによってそんな区分はたいして意味がないものになってる。
優れた漫才は大抵心理的対決を前面に押し出しており、決定的な価値観の違いだったり、言葉のアヤからくるストレスだったりを笑いにもっていってます。

笑い飯は個人的にずっとハマることができなくて、それは世間でいわれるダブルボケだからではなく、ダブルツッコミでもあるからなんです。
交互にボケるというのは、全然ありだと思うんですよ。でも交互にツッコむというのはありえない。人間関係が見えず、ギャグの串刺しにしかならないからです。
お互い対抗心からボケまくるのであればツッコミが必要ないボケをやるべきだし、何でそれをやらないのか、ずっと不思議だったんですね。

逆にスリムクラブはツッコミという概念が希薄で、一見邪道に見えるのですが、以前テレビで喋ってたのを聞く限り、かなり意図的なものだとわかりました。
内間が典型的なツッコミをやろうとするのを真栄田が必死に抑えて、ツッコむというより、おかしな人物が目の前に現れた時、素直なリアクションをしてほしい、と要望してあのスタイルになったそうです。
これは完璧なまでに人間関係の漫才であり、まさしく王道なのです。

冒頭で前回、つまり関西人気質の話と関連があると示唆しましたが、この辺がわかってない人が多いというかね。つまんないボケにたいしてやたらツッコミを要求する人がいますが(大阪人ならツッコまな!とかいっちゃったりする)、ツッコミがあるイコール面白い会話ではないのです。というか別にツッコミがあろうがなかろうが、面白い会話は面白いし、逆もまた然り。

だいたい心理的対決もないのに、ただツッコむなんて、いかにボケが面白くないか自分でいってるようなもんなのにね。つまんないボケにツッコむとか自爆行為なんですよ。金もらって舞台に立ってるわけでもなければ、たいして親しい間柄でもないのに、なんでそんな損失行為をしなきゃならんのですか。

ホンマ、アホらしわ

2011年5月30日月曜日

踊る(一部の)大阪人

藪似です。sugame京浜(これの前にやってたブログ名)時代に何回か書いたのですが、関西人気質ネタです。

まずはアタシが繰り返し主張してることを要約します。
それは関西人が騒がしくて下品で柄が悪い、というイメージがごく近年マスコミによって作られた、ということです。

浪花の商人、なんて言葉があるくらい、昭和初期くらいまでは大阪が商業の中心地でした。もちろん「でんがなまんがな」だけで商売をしていたわけではありません。
昭和初期の大阪の百貨店のポスターなどを見るとデザイン性の高さに惚れ惚れします。同時代の東京の百貨店のポスターよりもはるかに優れていると感じる。商業の中心地なんだから広告面でもトップだったのは当たり前なのですが、こういう「モダンな大阪」「ハイカラな関西」という一面はマスコミに黙殺され続けています。

関西論というか関西人論の本はいろいろ出ていますが、これまたずいぶん昔に「ヤキウノウワゴト」というブログで書いたことのある「阪神タイガースの正体」(井上章一著)という本があり、タイトルが示す通り阪神タイガースという関西を代表するプロ野球チームにスポットを当てながら、関西人気質にも鋭く切り込んでいます。
本の中で甲子園球場の野次について、昭和30年代までは下品どころか「関西弁なので野次に迫力がない」と書かれた当時の雑誌記事を紹介しています。
いや、実際その頃までは
・早口で捲し立てる=江戸言葉(といっても下町の職人言葉だけど)
・おっとりあいまいに喋る=大阪言葉
のイメージが強かったはずです。
それはその当時の映画を見ればよくわかります。大抵大阪人は上記のステレオタイプとして描かれていますから。

大阪人=下品で捲し立てる、というイメージが定着したのは、アタシが考えるに3つ理由があります。
ひとつが「仁義なき戦い」の影響。もちろんこれは広島が舞台であり、まったく関西弁の世界ではないのですが、大々的に方言が飛び散った映画であり、関東の人が関西弁と聞き分けられなかったとしても無理がありません。
ただし「仁義なき戦い」の公開は1970年代前半。これは序章にすぎません。
ふたつめが1980年前後に吹き荒れた漫才ブーム。この漫才ブーム最中の人気者をじっくり見ていくと結構面白いのです。
ブームの象徴となった「早口で捲し立てる」漫才の代表格はB&B、それに続いたのはツービートと紳助竜介なのですが、爆発的な人気があったザ・ぼんちはどちらかというと旧来のゆったりテンポの漫才でした。
実は紳助竜介もそこまで速いわけでもなく、テンポというかスピードではB&Bがずば抜けていました。
B&Bといえば広島VS岡山ネタですが、もっぱら喋っていたのは広島出身の洋七です。
またしても広島です。つくづく広島は誤解を与えてくれます。
最後のいっこは、これはもう文句なしの大阪が舞台になった漫画(というかアニメ)「じゃりん子チエ」ですが、これは大阪といっても舞台が特殊すぎるのですが、まあその辺の事情も関東の人にはわかりづらいでしょう。
これにプラスして漫才ブーム終了後の明石家さんまの台頭、しかも1985年には阪神タイガースが21年ぶりのリーグ優勝という出来事が起こります。
実は「21年ぶり」というのがミソで、溜まりに溜まったフラストレーションが爆発しただけに過ぎないのですが、時期が悪かったというか、1980〜1985年に関西のイメージを一変させる出来事があまりにも連続して起こったんです。(おまけで「関西弁で脅迫状を書く」かい人21面相、なんてのもありましたが、これも時期が重なります)

歴史にifはありませんが、もしこの5年間がなければ、今でも関西人のイメージは「おっとりしている」のままだったかもしれません。
しかしこの5年間によって、まずマスコミの扱いが変わります。それまでは東京のアンチテーゼとしての大阪なり関西だったのが、どうしようもない人種の集まる場所、それが関西、みたいになってしまいました。もっとはっきりいえば発展途上国的な扱いです。
そして本当の問題はここからで、関西人とはそういうものなのだと真に受けた関西(と大阪に憧れて大阪に移住した地方出身者)の若い人が「作られた関西人像」を本気で演じはじめました。と同時に関東を含む他地方の若い人も、関西とはそういう場所だと信じはじめたのです。

アタシは、本当の大阪、そして関西はそんな場所じゃないんだ、関西人は下品じゃなくもっとおっとりした人種なんだ、などといいたいわけではありません。
おそらく今後大阪は、マスコミが描いた通りの場所になるでしょう。
マスコミに踊らされる、といいますが、こんなもん東電とか民主党の比じゃない。日本の歴史の中で一部の大阪人ほどマスコミに踊らされた人たちもいないでしょう。

数年前、オレオレ詐欺が流行った頃、たしか静岡ローカルで啓発CMが作られたことがありました。その内容というのがいかにも、な大阪のおばちゃんの井戸端会議的なものだったので軽く問題になったりしたんですね。(ドキュメントぽい雰囲気ですが、もちろん役者さんが「大阪のおばちゃん」を演じてます)
このCMについて「大阪人」という小さな雑誌の編集長が「普通の大阪人は静かに暮らしているんですがね」みたいなコメントを出していたのが印象的です。
そう、普通の大阪人はみな静かに暮らしているのです。が、一部のマスコミに踊らされた人が「これこそ大阪や」とデカい声で叫ぶんですからねぇ。

2011年5月28日土曜日

ロビンソンに浸る

藪似です。年をとったなぁと感じることはいくつもございまして。
アタシは1968年生まれなので、青春時代というと普通は1980年代半ばになるわけですが、以前書いたように、どうもこの時代が嫌いです。
思い出がないわけじゃないんですが、懐かし系の番組とかで当時流行っていた歌とか流れても特に感慨とかないんですよ。正直この時代の古き良き思い出なんて阪神タイガース日本一くらいでしてね。
じゃ当時の歌とかを聴くだけで「あの頃に戻れる」時代はというと1990年代の中盤から後半になってしまうのですよ。
iPodとかに入れてるプレイリストですが、もちろん敬愛してやまない植木等大先生なんかも入ってて、他には大昔の(日本でいえば戦前の)ジャズとか、古い邦画のサントラとか、そういうのに混じって、アタシにとっては思い出深い懐かしめのプレイリストもあったりしますが、ほとんど1990年代のものです。
アタシはこの時代ちょろっと音楽をやっていまして、でもやってた音楽のジャンルの曲じゃなくてね、歌謡曲。いや、あえてJ-POPといった方が気分がでますね。とにかく「いい曲だなあ」とかじゃなくて、聴いててただ単に懐かしい。あの頃の感覚が蘇るのです。

中でも結構気に入っているのがスピッツの「ロビンソン」で、アタシはリアルタイムでスピッツなんか全然好きじゃなかったんですよ。今も活動してるかどうか知りませんし、活動してたとしても別に興味はないんです。
でも「ロビンソン」を聴くと、当時あんまり熱心に聴いてなかった分、余計に懐かしい。なんかね、自分で積極的に聴いていたものより、なんとなく街中で流れていたり、誰かがカラオケで歌っていたり、そんな浅い接し方の曲の方が懐かしかったりするのですが、どうでしょか。
特に「ロビンソン」はあのクドいイントロ、そして淡々と綴られる光景描写(一部では心中の意があると噂ですが)、クセのまったくない歌唱、どれをとってもあの頃のJ-POP過ぎて泣けてくるほど懐かしい。

もしかしたらこういった楽曲がアタシら世代の演歌的存在になっていくのかな、と思います。自分が爺さんになった時にね。

2011年5月21日土曜日

痛々しい女芸人

藪似です。今回は久々に芸人ネタでも。

旧yabuniramiJAPANで女性芸人について書いたことがあります。ずいぶん古い話で、その頃メディアに大々的に出始めていた友近と青木さやかについてのエントリでした。
今回取り上げようと思ういとうあさこはもうその当時から「たまにテレビに出る」存在で、しかし一般的な人気があったとはいえませんでした。
なんとなくアタシは当時から彼女が気になっていて、その理由は見た目がタイプだから、ではもちろんなく、非常に痛々しかったからです。
実際に彼女がどのような心境で芸人としてやっていたか知る由も無いのですが、アタシが見る限り、なんかものすごく無理してる感じがしたんですね。
いとうあさこの芸風は当時も今も、開き直り芸とでもいうもので、被虐的なのですが、実はこの芸風は非常に難しい。なんというか、人によって極端に合う合わないがあるんですよ。んで合わない人がやると痛々しくて見てられない、リスクの大きい芸風なんですね。
いとうあさこはアタシが思うに明らかに合わない方に入っていました。

彼女は、今はただのおばちゃんですが、昔は不細工かといえばそこまでじゃないし、かといって可愛いにはどう考えても転ばない。じゃ普通なのか、といわれればそれも違う、なんとも微妙な顔立ちで、しかもその微妙さが魅力になってない。
だからこそ開き直り芸に走ったのでしょうが、これも自発的なものとは思えず、これまた推測ですが、誰かにもっと開き直ってやれといわれたのを生真面目に受け取って、ああいう芸風をやってるように見えたんです。

アタシも彼女のことはすっかり忘れていて、去年くらいからテレビを再び見るようになると、いとうあさこもここ数年注目されるようになってたみたいで、いくつかの番組で目にするようになったんですけど、まあバラエティはまだ見ていられるんですが、ネタ番組でネタをやってるのを見ると、やっぱり痛々しい。にも関わらず、受け入れられてるんですね。
芸としては若干こなれてきてるのですが年をとった分相殺されてますし、しかししいて理由をあげるなら、微妙な顔立ちからただのおばちゃん顔になった、これくらいしかブレイクした理由が見当たらない。
いや、仮にそういう理由だったとしても、まだまだ全然痛々しいと思うのですがね。

2011年5月18日水曜日

DraftPadも推すよ

藪似です。またしてもiPhoneアプリのことを。

以前紹介した「SiteViewer」は有料ですが、ニュースサイトやブログを巡回されている方には誰にでもオススメできるアプリなのですが、今回のは無料ですが、誰にでもオススメできるわけじゃない。というのも非常にクセの強いアプリだからです。
iPhoneを使いだして、意外といいテキストエディタがないのに気づきました。無料有料合わせて結構あるのですが、たとえばDropboxやEvernote、あとメールとの連携を考えた場合、どれも中途半端に感じたんですね。
しばらくはPlainTextというアプリを使っていたのですが、バージョンアップで広告が入るようになり、いや無料だったので広告は別にいいんですけど、書いている途中でカーソルが先頭に戻るという致命的な不具合がでてきました。
PlainTextがよかったのはDropboxと完全にシンクできるところで、iPhoneで書いたテキストをMacやWindowsで清書したりできることだったんですけど、こんな不具合があったらとてもじゃないけどメインでは使えません。
次に試したのがこれまた無料の下書きメモというアプリでして、書いたテキストをメールで簡単に飛ばせるのでブログの更新に使えると思ったんです。
が、これも、理由はさっぱりわかりませんが、何度か書いたテキストが消えるというこれまた致命的な欠点があり、メインから外さざるをえなくなりました。

そこで偶然発見したのが「DraftPad」というアプリです。これはいわゆるテキストエディタではなく、メモアプリに相当するものです。ですからテキストを書いて保存して、また新規にテキストを書く、という今までのやり方が通用しない。つまりファイルごとに管理できないのです。
ただし履歴という概念があり、テキストを復元することはできます。正直あまり慣れないというか使いやすい方式ではないのですが、元々がメモアプリなので、まあ致し方ない。最近はだいぶ慣れてきましたし。
それでも使いやすいとはいえないには違いなく、それでも猛烈にプッシュする理由は連携がハンパじゃないのです。

DraftPadはプラグインというか、URLスキームを複数登録しておいて、都度呼び出せる、これが唯一にして最大の魅力なんです。
たとえばブログを更新する時も、メールでブログを投稿し、同時にEvernoteにバックアップを送る、なんてこともできてしまいます。またサクッとツイートを投稿することなんかもできる。検索して結果をSafari以外のブラウザ(iCabMibileなど)で開くこともできるし、住所からマップを開くこともできる。
とにかく文字入力を起点にすることなら、やろうと思ったら本当にいろんなことができてしまうのです。

だけれども本当に自分仕様にしようと思うならURLスキームが何たるかくらいの知識は必要なので、ガラケーしか使ったことがない人にはやはり少し難しいかもしれません。
てなわけでいろんな面でオススメと簡単に言い切れないアプリですが、個人的にはすでになくてはならないアプリになりつつあります。

2011年5月15日日曜日

カメラの取説

藪似です。昔一時期カメラマンの真似事をしていたことがあります。
といってもかなり純粋なアルバイトとしてで、本気でカメラマンを志したことは一度もありません。
それどころかカメラが趣味だった頃すら一度もないんです。

普通なら「そんな自分が今はカメラにハマっていま〜す」となるところなんですけど、今も別にそんなに好きじゃない。にも関わらず、今、家にカメラが5台あるのですね。
うち買ったのは2台だけです。
ひとつはペンタックスのオートハーフ。これは知り合いの女性にカメラがほしいから調べてほしいといわれて、始めはその子にプレゼントするつもりで、見栄え重視で探していた時、あまりのかっこよさにプレゼントをやめて自分のものにしてしまった、そういうエピソード付きのやつです。
もう一台は「そこそこちゃんとした撮影が必要だった」時に買ったキヤノンデジタルKissX3。
んで後は全部親戚の叔父さんにもらったものです。

叔父は昔からカメラが趣味で、非常に詳しい。そしてアタシは先ほど述べた通り、カメラマンの真似事をしていたので好きじゃないくせにそれなりの知識だけはある。んでカメラの話をいろいろするうちに、いろいろ頂いた、というわけです。
頂き物はすべてデジタルではなくフィルムカメラです。が、何度もいうように、たいしてカメラが好きでないアタシが今の時代にフィルムを使うというのは相当億劫なんですよ。もちろん使い方とかはわかるんですが、フィルムである以上現像に出さなきゃいけないわけで、一枚確認したいだけでも金がかかるわけでして。結局ここんとこずーっとケータイというかスマフォのカメラを使ってるというわけです。
今メインで使ってるiPhoneのカメラはそこそこ綺麗に写るからね。蛍光灯下では青カビが出るとかいわれてるけど、そもそも室内ではあんまり撮らないし、そんなクオリティのいる写真が必要なこともないしね。

が、が、ですよ。せっかく頂き物のカメラが手元にあるわけでして、しかもこれがどれもそれなりに値が張るシロモノなんですよ。そういうのを死蔵させておくのはさすがにもったいない。
そんなわけで「趣味:写真」といえるくらい撮っていこうか思案中です。
問題はアタシの腰が非常に悪いこと。だからなるべく手ぶらに近い状態で出かけるようにしてるんだよね。そこにあの重たいカメラ、ボディは当然としてレンズも複数持ち歩かなきゃ趣味とはいえないしな。どうすんべかなぁ。

2011年5月10日火曜日

SiteViewerを推すよ

藪似です。今回はiPhoneアプリのことでも。

以前書いた通り、アタシはずっとWindowsMobile系を使ってきました。そして実際WindowsMobileからiPhoneに乗り換えるにあたってネックがいろいろありまして、ひとつはMortScriptを使ったスクリプト書き。この手のアプリはAppStoreでは許可されないし、iOSの出来がいいので、まあ使えなくても困らないのです。
が、もうひとつのアタシにとってのキラーアプリである「2++」は代替を見つけないとどうしようもない、それくらい利用頻度が高かったのです。

WindowsMobile用アプリ「2++」は簡単にいえば2ちゃんねる専用ブラウザなのですが、実態は専ブラではなく非常に応用の効く万能アプリです。
2ちゃんねるは当然ですが、RSSリーダとしての能力が高く、アタシはほぼこれでニュースサイトと各種ブログの巡回をしていました。しかもオフラインで読むのに適しており、朝出かける前に巡回しておいて電車でオフラインで読む、という使い方をずっとしていました。
ずっとってどれくらいかといえば、つらつら考えてみるに何と8年!いわばここ8年の生活習慣ですらあったわけです。
iPhoneに変えたからといって簡単に習慣を変えれるはずもなく、ずっと代替アプリを探していたのですが、これが見事にいいアプリがない。
さすがに2ちゃんねるに関しては専ブラ(BB2C)を使うとして、いいRSSリーダを探していたのですが、iPhoneアプリのRSSリーダってほぼGoogleリーダ経由なんですよ。これが非常に使いづらい。
GoogleリーダというのはRSSの更新結果をリアルタイムで反映してくれないので、どうしても情報が古くなる。しかもサイトの登録が非常に面倒くさい。実際にGoogleリーダ経由のRSSリーダをいろいろ試したのですが、どれも不満が残るものばかりでした。
アタシが求めていたのはGoogleリーダを経由しない、そして巡回しておいて後でオフラインで読める、この二点だったのですが、散々試した結果たどり着いたのが「SiteViewer」だったんです。
SiteViewerは無料ではなくプラグイン形式で機能を購入しなければならず、ちゃんと使おうとすれば500円以上かかりますし、はっきりいって評判も聞きません。(評判が悪いというより話題にすらあまり上らない)
でもこれはよくできてますよ。フィードの登録も簡単だし、うまく取得できない場合でもまるごとRSSを噛ませば大抵取得できます。
さてWindowsMobile用の2++との比較ですが、RSSリーダとして見た場合、上回っているところも多い。特に画像もキャッシュしてくれるので、テキストだけしかキャッシュしない2++よりも活用範囲が広がりました。画像も一緒に見ないと意味がないサイトも結構あるからね。

ひとつだけ注文をいうなら、リンクをSafariで開けるようにしてほしい。Safariで開くオプションはあるんだけど、見ているページをそのまま開くだけだから。できればOpen In(さらに欲をいばURLスキーム)に対応してくれたら最高なんだけどね。

2011年5月8日日曜日

ジジィはすっこんでろ

藪似です。この頃街中に繰り出すことが億劫になったといいますか、あんまり積極的に行こうとは思わなくなりました。

でもそうはいっても行かなきゃいけないこともあるんですけど、行ったら行ったでわりとすんなり溶け込めるというか、自分が今街中にいるということに違和感は感じないのですね。
つーか感じなさすぎだろと。もうアタシは不惑はとっくに超えた惑いまくりのオッサンなのに、たとえば渋谷とか若い人が多い街で違和感がない方がオカシイはずなのに、です。
何故だろう、と考えるまでもありませんでした。若い人の服装がここ10年ほどほとんど変わってないんですよね。
若い人のファッションの変化を感じ取れないのはお前がオッサンだからだろ、まあそういう意見もあるでしょう。しかしちょっと変わってなさすぎる気がするのですよ。

アタシが高校生の頃というと1980年代の半ばですが、その時代のファッションが大嫌いだったんですよ。特におニャン子クラブが着ていたセーラーズのトレーナーとか吐き気がするほど嫌いでした。
ではそんなアタシが当時ハマっていたのが「俺たちの旅」という中村雅俊主演ドラマの再放送で、本放送が1975年。当時からみて約10年ほど前の作品です。
アタシが高二だった1985年、そして「俺たちの旅」の頃の1975年。どっちがいいとかそんなことじゃなくて、おそらく今の時代の若い人が見てもはっきり違いがわかるはずですなんですよ。

そして現在、つまり2011年ですね。それと今から10年前の2001年、このふたつの象徴的な風俗光景の映像を見比べてわかるでしょうか。
いや、わかるといえばわかるのですよ。まだ当時はガングロとかいましたし。
でもそれが「なくなった」だけで、何か新しいムーブメントがあるかといえば、ない。小規模で流行ってるものは当然あるんだろうけど、田舎のじいさんでも知ってるような流行は絶対ないですよね。
よくいえば時代が落ち着いてきたといえるのかもしれない。でもただ停滞してるだけなんじゃないの?と思ってしまうのです。
別に服装に限った話じゃなく、ま、一応アタシはデザイン関係のことをやらせてもらってるわけですが、10年前と世間が求めるデザインのニーズがまったく変わっていない。
それだけじゃない。音楽もカバーか二番煎じみたいなのばっかりだしね。

なんちゅーか、自称良識派の大人が眉をひそめるようなのがね、ないんですよ。一応大人の年齢になったアタシからしても、あまりにも保守的であり、あまりにも物分りが良すぎる。
こないだイギリスにいって、あそこはすべてが枯れた文化ですからね。あれはあれでカッコいい。でも日本とアメリカはそれじゃダメでしょ。新しくてナンボ、過去を否定してナンボで成長してきた国なんだから、若い人には過去をもっと否定してもらわないとダメだと思うんですよ。

すっこんでろジジィ

そういってほしいんですよね。いや、にちゃんではお目にかかれますが、口でいうんじゃなくて流行としてみせてほしいのですが。

2011年5月7日土曜日

違いのわからない男

藪似です。みなさんのリラックスの仕方ってどんなのでしょうか。
アタシは何といってもコーヒーを飲むことです。いやはや本当にコーヒーというのは凄い飲み物です。
口に入れるモノの「良い」という基準は、まあ安全とか身体にいいとかは別次元として、普通は「旨いか否か」にあると思うのですが、コーヒーに関してはそれが当てはまらない気がするのはアタシだけでしょうか。

思えば子供の頃は、コーヒーのどこが旨いんだとずっと思ってました。大人になってからも本当は甘いのが苦手なはずなのにミルクと砂糖をどっさり入れて飲む、まあいやコーヒー本来の持つ味を殺そうと殺そうと飲んでいたわけです。
それが何時の間にか、コーヒーはストレートで飲まないと意味がないと思えてしまったのです。
もしかしたら今でも、コーヒーの味そのものはそんなに好きじゃないのかもしれない。たぶんコーヒーのどこが旨いの?と聞かれても上手く答えられないでしょう。
好きでもなければ旨いとも思えないコーヒーがアタシにとって必要不可欠なものなのは、とんでもないリラックス効果を得られるからでして。
タバコもそうなのです。しかしタバコとコーヒーならコーヒーの方がパワーがある気がする。まあ「良い」コーヒーに限りますけど。
良いコーヒーとは「リラクシー効果が高いコーヒー」と言い換えることもできるわけでして。
一般的に旨いといわれている豆は、やっぱりリラックス効果が高い気がするし。

あとシチュエーションも大きい。クタクタに疲れてる時、特に精神的なダメージの大きい後のコーヒーほど効果が高いものはない。これに関しては缶コーヒーでも全然いいのです。だってコーヒーを飲む時、味を求めてるわけじゃないからね。まさに生き返る、というヤツです。

とここまで書いて思ったんですけど、誰かがいった通りコーヒーは麻薬と一緒ですね。もちろん本物の麻薬を愛用、愛用とか書くと誤解されるな、一度も使用したことはないですが、かなり近いものがある気がします。麻薬に味を求めるヤツはいないでしょ?

アタシは喫煙者だからはっきり言い切れる。絶対タバコよりコーヒーの方が中毒になる可能性が高い。タバコは吸う場所がなければ、まあ諦められるのですよ。でもコーヒーは一旦飲みたい!となったら諦めがつかない。

海外にいって長時間のフライトの最中、タバコは我慢できてもコーヒーは無理ですもん。
フライト中だけじゃない。イギリスで英語がまったく喋れないアタシが、極簡単とはいえ初めて店員とやりとりが必要な店舗に入ったのもカフェでした。
それもこれも、もう絶対今すぐコーヒーが飲みたい、多少コミュニケーションが上手くいかなくてもボディーランゲージでも何でも使って絶対注文してやる!とね。
なんと恐ろしやコーヒーの魔力。と思いながら今日もコーヒーを飲んで書いておる次第です。

2011年4月30日土曜日

ポピー、それは幻

藪似です。アタシが小学生のころコロコロコミックという雑誌が創刊されました。
まあ現在もあるアレですけど、とにかく最初に見た時はその分厚さに圧倒されました。にも関わらず単行本と変わらない値段!アタシをはじめ周りの友達も皆コロコロコミックに夢中になりました。たぶん日本中の子供がそうだったでしょう。
その証拠にすぐに後追い雑誌が発売されました。コロコロコミックを発売していた小学館の宿命のライバルといえる講談社から発売されたボンボンです。さらに双葉社からは月刊100てんコミックが発売されます。
実は100てんコミックまではまだメジャーなのです。もうひとつ、知る人ぞ知る、コロコロコミック人気に当て込んだ雑誌が少年画報社から発売されていました。
「月刊少年ポピー」。コロコロコミックと同サイズなので意識していなかったとはいわせません。しかしこれがとんでもない雑誌でした。
一応ウリはアニメ化された「タイガーマスク二世」の連載ですが、他が凄い、というか酷い。
タイトルを並べると「もーれつア太郎」(赤塚不二夫)、「ハリスの旋風」(ちばてつや)、「キッカイくん」(永井豪)、「キャプテン」(ちばあきお)、そして「忍者ハットリくん」(藤子不二雄)・・・。
とんでもない豪華ラインナップじゃないか!そう、無駄に豪華です。ただしすべて「新作」であるならね。
鋭い方ならお気づきでしょうが、すべてこれらの作品は再録なんです。出版社の枠を超えた夢の名作の再録!

・・・正直こんなの面白いと思いますか?たしかに名作揃いですが、単行本で全部手に入るものばかり。単行本を買ってくれば続きが読めるんですから「次号が楽しみだ」とかなるわけがない。
ずっと後年、再録をウリにした雑誌がありましたが、あれはかつての読者に懐かしんでもらおうという意図ですからね。でもこっちは本気ですから。
アタシはすでに小学校高学年でしたから、もう当時から思ってましたよ。こりゃ酷いとね。
案の定あっという間に廃刊になり、2011年現在ネットで検索しても詳しいことは全然でてきません。なにしろWikipediaにすら記載がないくらいですから。
アタシは酷い酷いと思いながら毎月買ってたんですがね。藤子不二雄の狂信的なファンだったからね。まあハットリくんは単行本持ってたんですけど、そのハットリくんもテレビアニメ化が決まって、本家本元のコロコロコミックで「新作」が開始されたという。その頃には少年ポピーは廃刊になってましたけど。

この少年ポピー、大阪国際児童文学館までいけばバックナンバーがあるみたいですが、まあこれだけ研究価値がない雑誌も珍しい。こういうのをあだ花というのでしょうかねえ。

2011年4月28日木曜日

消えた一人称の話とネット人格の話

藪似です。Twitterにも書いたのですが、続きの文章が消えてしまいました。
普通なら、まあしょうがねーべ(湘南弁)とあきらめるのですが、一応続きもの、しかも締めの話だったので完全に放心状態になってしまいました。
かといってまったく同じ文章を書き直す気力は残っておりませんので大幅にかいつまんで書きます。

要するに、一人称によって人格が変わるということをいいたかったわけで、yabuniramiJAPANを始めるにあたって「アタシ」という一人称を考えたこと、そして「アタシはカクカクシカジカ」と書くことによって限りなく自分自身に近い、それでいて絶妙な距離感のあるもうひとりの自分になれる、みたいな内容でした。
今は現在はブログとTwitterの使い分けがうまくできてないので、一人称を変えるだけでTwitterの自分なりの使い方が見つかるんでねーの、と。

いやはや、ブログの要約なんてするもんじゃないわ。実にたいしたこと書いてなかったって嫌になるほどわかりますね。

せっかくなのでTwitterの話はおしまいにして、少し違うことを書きます。
アタシはネットを使う上で、ポリシーってなたいしたもんじゃないんだけど、自分の中でいっこだけ決め事があって、それは「リアルでいえないことをネット上で書かない」。それだけは守っています。
ブログにしろTwitterにしろ、はたまた掲示板にしろ、相手の顔は見えません。だからついつい過激なことを書きたくなる。
たとえば阪神ファンが集う掲示板にいきます。そこには金本選手の処遇に関して目を覆いたくなるレスが散見されます。
そりゃね、あれだけ酷い守備を見せられたらそういいたくなる気持ちもわかる。でもそこでぐっと堪えるのです。
それでもどうしても金本選手にたいしていいたいことがあったら、目の前に金本選手がいるつもりで書くのです。
アタシは陰口が大嫌いなんです。もちろんその掲示板を金本選手が読むことはないでしょうから、広義にいえば陰口なのかもしれません。
でもそこに書いた言葉が仮に金本選手に伝わっても全然構わない、そういうつもりで書くんです。

リアルとネットで人格の差をつけたくないんですね。だからここで書いていることをどこかで発表しろといわれれば躊躇なくいえるし、仮にそれで誰かが怒ったとしてもそれはどうしようもない。
他者を批判する、当たり前のようにというかネットとはそういうために使うもんなんだと思っている人が多いようですが、それは違う。たまたまネットという手段を用いるだけで、リアルと言動は一致させなきゃいけない。そうしないと自分が酷くさもしい人間に思えてしまう。それだけは避けたいんです。
他者の批判をネットで書く、それはおおいに結構。しかし本当にそれを本人を目の前にしていえるのか?逆にそれができない人間は到底ネットを使いこなしているとはいえないと思うんですよねぇ。

2011年4月27日水曜日

使い道を探ったりする話

藪似です。前回の続き的なことを。

Twitterをイマイチ使いこなせてないもうひとつの理由が「何を書けばいいのかわからない」というのがあります。
そもそもアタシはブログも完全にそうなんですが、日々の出来事を書くことが非常に苦手です。別に秘密主義とかじゃないんですが、どうも生理的にこんなことをしてます、こんなことをしましたなんて書くのが嫌なのです。
このあたりのことを「Twitter社会論」の巻末対談で松沢呉一氏がまったく同じことを語っており、非常に共感しました。
氏は生理的にそういうことを書くのが嫌だと対談で告白し、しかし補足で今はTwitterを利用していると書いています。
といっても日々のことを書くことが平気になったわけではなく、違う利用法を発見したからなんですが。
これまた非常に共感できるもので、つまりTwitterに「今なにしてる?」的なことではなく、その時感じていること、思っていることを書くというスタイルです。
Twitterは使い方が限定されているわけではないのでこういう使い方もアリなのです。

しかし共感はできるものの、アタシが実際できるかといえばこれはこれで非常に難しい。
なんというか、これも生理的なことなんでしょうけど、思考を小出しにするのはなんとなく恥ずかしいのですね。こうやってブログに、それなりにまとまった状態で書くことは好きなのですが、小出しという言い方では理解してもらいづらいかもしれませんが、要するに「脳みそだだ漏れ」を晒すのは恥ずかしい、といえば少しはわかってもらえるでしょうか。

結局のところアタシは自分に自信がないのでしょうね。だから行動とか思考を開陳するのが恥ずかしいと同時に非常に怖い。
そういう意味でも基本的にアタシはTwitterに向いてないのでしょう。しかしさっきも書いた通り、Twitterは決まった使い方があるわけではありません。きっとアタシに向いた使い方もあるはずなのです。現在はまだ見つかっていませんけどね。

あと一回この続きを書きます。

2011年4月26日火曜日

なんとなく仕組みの凄さはわかったって話

藪似です。Twitteにも書いたのですが、AppStoreで配信されているiPhone用アプリというか電子書籍「Twitter社会論」を読了しました。
Twitterに関しては始めてみたものの、どうも面白さがわからなかったのが本当のところで、始めたばっかりの頃にそういう感想のエントリを書いたこともありました。
実は今でも本当に面白がっているのかは微妙でして、フォロワーも全然増えてないというか、そもそも増やそうという気すらないですしね。
Twitterの面白さは結局有用な情報をどれだけくれるフォロワーがいるかで決まるようなもんですから面白がりようがないのが現実です。
それでも「Twitter社会論」を読んでなるほどなぁと思うのところは多々ありました。

一番ハッとしたのが、そういえばTwitterにはタイトルがないってことなんです。
このブログを書く時、正確には書き終わってからですが、いつもタイトルには悩むのです。だいたいブログにタイトルとか必要なのかねとも思うのですね。
今まで購読してなかったブログを読む時、たしかにタイトルがあった方が便利なのです。しかしブログの文章なんて書き捨てがほとんどで、いやちゃんとした文章を書いてる人もいるのですが、少なくともこのブログは辿ってまで読むようなことは書いてない。
昔はね、そうじゃなきゃダメだと思ってたんですよ。だから旧yabuniramiJAPANではできるだけわかりやすいタイトルをつけてたし、きちんとカテゴリ分けもしていた。過去にどんなことを書いたか一覧できるようにサイトマップ的なものもつけていました。
しかし冷静に考えるとそこまでして読んでほしいわけでもないのです。アタシは仕事でもなんでも「終わったことにはあまり興味がない」タイプなので、自分の書いたことを全部読んでほしいとかさほど思わない。
それにアタシのやってるブログは基本自分の出来事を書いてるわけではなく、その時なんとなく思ってることを書いているだけです。あくまでその時はそう思ってただけで、後から読み返して「あれ?そんなこと考えてたんだ。今は全然違うんだけど」みたいなことばかりなんですね。
ですから結局こういうスタイルになったし、物好きな人がなんとなく流し読みしてくれればそれでいいんです。
読み返してもらったり遡って読んでもらいたくないのであれば、タイトルとか本当にいらない。

よくよく考えると、メールのタイトルというか件名ね、あれもいらない。仕事のメールなら「お世話になっております」とか、久しく会ってない人なら「ご無沙汰しております」とか、少し親しい人なら「こんにちは」とか、こんな件名がずらりと並んでいて内容が全然わからない。しかも返信を繰り返すと「RE:」ばかり並んで何のことかさっぱりわからなくなる。
まあこうなると結局本文を開かなきゃいけなくなるわけです。

タイトルとかナシにして数行分プレビューした方がいくらか使いやすいんだけど、それに特化したメーラーってのも意外とないし。それはそれで中途半端なところで文章が切れてやっぱり本文を開くということになりそうだし。

メールにしろブログにしろ、一覧性と内容を素早く把握できるのは文章の長さ的に両立が難しいんですよね。
そうこう考えるとTwitterの140文字というのは実によく考えられている。本文のすべてがプレビュー程度の長さしかないんで、ずらずら表示させても非常に見やすい。

長くなりそうなんで分割します。

2011年4月24日日曜日

快楽主義

藪似です。ちょっと前に「最近漫画を全然読まなくなった」みたいなことを書いたのですが、ふと「まんが道」を読み返してみて愕然としました。あまりにも面白かったからです。
しかし「まんが道」の面白さを文字で表現するのは非常に難しい。私小説の面白さを伝えるよりも難しいかもしれません。
「まんが道」は私小説ならぬ私漫画とでもいうもので、作者である藤子不二雄Aこと安孫子素雄と藤子・F・不二雄こと藤本弘の出会いからプロの漫画家として巣立っていくまでの過程を、実際にあったことを省略、そして時系列を入れ替えるなどしたフィクションです。
田舎の高校生2人が上京し、様々な人と出会い、成長していく青春譚なのですが、面白さを伝えるのが難しいのは、青春譚でありながら、挫折がいともあっさり描かれているためです。

藤子不二雄Aという人は本来劇的な盛り上げ方の上手い人です。「プロゴルファー猿」での竜との対決のラストパットのシーンなんかを見ればわかりますが、王道的な劇的シーンを描くのは非常に上手いのです。
ところが「まんが道」ではそういったテクニックをあまり使っていない。物語のクライマックスとでもいうべき原稿落とし事件も、何だか他人事のようにあっさりしている。むしろ後始末で上京してきた時のテラさんの説教シーンにやや使われています(カラスが飛びたつところ)。が、それでも初恋の人が自殺した場面の方が丹念に演出しているくらいで。
だから全体で見れば実にダイナミックなドラマなのに、細かくみていくと淡々としている。

行く手を塞ぐ壁が弱く、周囲に善意の人が溢れ、金銭面や性的な苦悩もほとんど描かれず、自己葛藤も案外あっさり解決したりする。
こう書くと青春譚としては失格なのかもしれません。が、読んでみると圧倒的に面白い。面白すぎてページをめくる手が止まらない。

ビルディングスロマンとしてみるとどうしても弱いのですが、おそらく藤子Aはそんなことは百も承知というか、あえて「正調」にしなかったのでしょう。もっといえばカタルシスではなく快楽に近いものを描いている。特にトキワ荘でのエピソードは悲劇的なもの(石森章太郎の姉の死など)は排除して、ある種のパラダイスにしてある。
藤子Aの分身である満賀道雄はコンプレックスの塊なのに楽天的で、しかもコンプレックスがあるからこそ得られる快楽がある、と説いているようにも思える。
そして満賀同様コンプレックスの強いアタシのような人間は、読み進める毎に満賀と同化していきパラダイスに誘(いざな)われる。
同化するのにダイナミックな演出は邪魔なのですよ。むしろ淡々とやられた方が同化しやすい。

まあいろいろ書きましたが、ぜひ読んでみてください。きっとフシギな面白さの虜になること請け合いですから。

2011年4月22日金曜日

スターへの階段

藪似です。昨日は負けたので、関西弁でいうところの「けったくそ悪い」(胸糞悪い)のですが、野球というか阪神の話を書きます。

金本の連続試合出場は思わぬ形で途切れてしまいました。まあ正直遅すぎるのですが、とりあえずはこれでよかったと思っています。
この件で功労者兼悪者扱いになってしまったのが俊介外野手です。
アタシはね、これで彼がスターになる階段を一段上がったと思っているのですよ。といってもまだまだスターとしての実力も実績もありません。
でもですね、スターになるにはいくら実力があっても実力があっても関係ないというか、両方兼ね備えているのに、スターと呼ぶには・・・みたいな選手がいるのも事実なのです。
スターの階段を駆け上がるために必要なもの、それは「大物選手のファンを敵に回すことができたか」and「非難と同じくらい大きな賞賛を得られたか」があったかどうかです。
俊介こと藤川俊介は入団の経緯からしていろいろあった選手です。ドラフト3位以下なら東邦ガス入り、こんな俊介側というか在籍していた近大野球部側の声明を知ってか知らずか、阪神タイガースは5位で指名。すったもんだがあった挙句俊介はプロ入りの意向を固めます。
そして背番号7をもらうことになるのですが、阪神の一桁背番号の選手は何故か大成しない、というジンクスがあり、この7と現在金本が付けている6だけが例外で、あまたの名選手がつけた貴重な番号なのです。
金田正泰から始まり、現監督の真弓明信、そして一昨年までつけていた今岡誠と、顔ぶれからして期待値の低いドラフト5位の付けられる番号じゃない。
ところが強行指名をした手前、阪神側としても最大限の誠意を見せざるをえなくなり、背番号7は俊介のものとなりました。
前年赤星憲広という名外野手を失ったチームは、新人ながら安定した守備力を見せる俊介をキャンプから一軍に帯同させますが、見事期待に応え開幕一軍をゲットします。
2010年のシーズン、控え選手として貴重な存在になり、ついにはレギュラーを期待されるまでになります。

プロ野球を多少ご存知の方なら、なんだ、ごく普通のプロセスじゃないかと思われるかもしれませんが、少なくとも阪神においては普通じゃない。なにしろ野手の育成に関しては12球団下手なのです。(その分投手の育成は上手いんだけど)
とにかく運も実力のうちのプロの世界では「持ってる」のと「持ってない」のでは大違いなのです。
・ドラフトのごたごたでスターらしい背番号7を得た
・守備力の高い赤星が引退したために一定の守備力を持つ俊介は貴重な存在になることができた
そしてレギュラーを目指した今キャンプでは
・競争相手として内野からコンバートされた坂が極度の不振、そして怪我と俊介を脅かす存在になれなかった
かくして俊介は開幕スタメンをゲットし、そして先日の事件へと繋がるわけです。

金本の件に関しては、まあ誰が悪いという問題ではないのですが、翌日のスポーツ紙を見ると俊介が悪者扱いになっており、もちろん一方で弁護する声もあるわけです。
数年前、同じ藤川姓の球児投手が清原和博から「チン◯コついとるんか」と揶揄されたことがありましたが、球児はそれで一気にスターへの階段を駆け上がりました。

さまざまな経緯からいって俊介はスターになるための条件を兼ね備えました。
あとは本当に実力だけ。幸いにも打撃面ではいいスタートが切れましたが、課題は多い。でも彼ならきっと克服してみせるはずです。だってそういう宿命の選手だから。
レッツゴー俊介!