2011年10月22日土曜日

中島みゆきのこと(再録)

えと、今回はyabuniramiJAPANリターンズでお茶を濁します。
いろいろ過去ログを読み返してみて、思ったよりつまらなかったことは多々なんですが、逆は意外とないもんで。そんなもんだよチミ。
そんな中で例外中の例年とまではいきませんが、予想外に良く書けてたのが今回のやつです。つかこんなのを書いたことすら憶えてなかった。
ま、中島みゆきといえば「南極大陸」のテーマを歌ってるわけで微妙にタイムリーなんじゃないかと。

このエントリは元々三回に分けて書いてありました。異様に長いのはそのせいです。
また前フリも本ネタとリンクしているのでカットしていません。
それでは時計の針を2004年10月19日に巻き戻します。




アタシは去年(※現注:2003年)まで東京に住んでいたんだけど、関西人として想像していたのと違う部分がかなりありました。

たとえば東京って意外と緑が多いんですよ。といっても人工的な緑なんですが。つまり公園が、それもやけに大きい公園が多いんですよね。でもそれだけでもだいぶ違うというか。大阪とか大きめの公園って大阪城公園か長居公園ぐらいしか思いつかないし。
あとけっこう静か。そりゃ繁華街は半端じゃないですけど、一歩路地に入るとけっこう静かなんですよね。特に住宅地の静かさはそこらへんの田舎よりよほど静かです。
人間的にも人情的な人も多いし。
ただ街中はね。特に新宿とかのターミナル駅なんかを見ていると、人間が全員心のないマネキンみたいに見えますもん。ちょっとしたいざこざがあってもみんな気に留める様子もないし。

当時の会社の同僚がそんな光景をみて「なんか中島みゆきの歌みたいですね」といったのをよくおぼえています。中島みゆきの歌というのは『ファイト!』のことで、例の、ホームで子供を突き飛ばす、といった歌詞のくだりをさしてるんだけれど。

てなわけで中島みゆきの話を。

アタシは中島みゆきの濃いファンじゃないし、『夜会』はおろか、ふつうのコンサートもいったこともない。でも好きなんです。引かれることが多いんであんまり人にはいわないんだけど。

一般に中島みゆきといえば<失恋>というキーワードで語られることが多いと思うのですが、ライトな中島ファンからいわせてもらえれば、けっこう街を丁寧に描いているんですよ。正確にいえば街での生活ってことですね。

実際に東京に住んでみてね、ホントに中島みゆきの歌詞の世界の中にいるんだなぁって痛感したことが多々ありました。なんというか、全然知らない他人と街ですれ違う感覚がまさに中島みゆきの歌詞そのものなんです。うーん、わかりにくいですかね。ま、一度でも東京に住んだことがある方なら、なんとなくニュアンスがわかってもらえるじゃないかと思いますが。

でもこれ、東京に限った話じゃないんです。

アタシは東京に住む前、3年ほど福岡に住んでいたんだけど、まったく同じような感覚に陥ったことがあってね。
さきの『ファイト!』の中に、あきらかに北部九州での光景が描かれているんだけど、これがアタシが実際に福岡に住んでみて感じた福岡の人間像に非常に近いのです。もちろん歌詞の中にあるような街や家族を知ってるわけじゃないですが、ああこういうことが本当にあってもこの辺なら全然不思議じゃないなと。

『ファイト!』をはじめて聴いた時、なんかすごく懐かしい感覚に襲われたのを憶えています。アタシは昭和43年生まれなんだけど、あのかすかにおぼえている1970年代の香りね。それをすごく感じたのですよ。

当時の中学生はまだ深夜ラジオを聴きながら勉強をするという習慣が残っていて、アタシも勉強はしないまでもポケットラジオで『ヤングタウン』なんかを聴いていました。アタシが中学生の頃はすでに1980年代に入っていたわけだけど、それでもそういう<中学生が深夜ラジオ>というキーワード自体が1970年代なわけで『ファイト!』なんかはそういう感覚をものすごく捉えている。だからなつかしく感じたんです。

で、さらに後から調べてみると『ファイト!』て1980年代に入ってからつくられた曲なんですね。でも、そうとわかった今だからこそ、『ファイト!』は1970年代の象徴の集大成じゃないかと。
アタシの大好きな『俺たちの旅』とかね、ああいうネクラな時代の象徴。いわばバンカラ学生から、イジイジした<やさしさ>ぐらいしかセールスポイントのないネクラ学生が主役を奪い取った時代。

アタシは1960年代オタだけど、1970年代にもそれなりに味がある時代ですよ。で、どんな味だったかといえば、『ファイト!』の詩に集約されている気がするんです。あの世界こそアタシの思い浮かべる1970年代の空気なんです。

なんだか『ファイト!』の話ばかりになりましたが、アタシが中島みゆきの本当の魅力に気づいたのはさらに後、『聖者の行進』(1998 TBS)の主題歌『命の別名 』のアルバムバージョンを聴いた時なんです。
『命の別名』はドラマの主題歌になったので、そこそこ知名度のある曲だと思います。まぁいつものように、いつのまにかメインのラインかのごとくなってしまったセルフパロディっぽいやつだな、ぐらいの認識だったんですけど、ある事がきっかけで、これのアルバム・バージョンを聴いたんです。

そしたらね、もう全然違うんです。シングル・バージョンと。もうギャグのように大袈裟に歌ってる。なんじゃこりゃと。もう笑った笑った。ありえないよと。ここまで自分の曲を茶化すもんかよと。

それに気づいてからいろんな曲を聴くとこれがすごいんです。もうあちこちにギャグが隠れている。なんちゅう高等なコミックソングやと。

中島みゆきといえば深夜ラジオのパーソナリティ、というイメージの人もいまだに多いんじゃないでしょうか。それくらい強烈なキャラクターだったみたいで。まぁアタシは年代がズレているので直に聴いたことはないのですが、もう異常といってもいいぐらい躁状態で番組が進行していったそうです。

でも実際は≪暗い曲の代表≫みたいなのばっかり作ってて。まさに躁鬱ですよね。でもね、きっとこの人、そうやって他人にギャップをみせつけることを楽しみにしてたんじゃないだろうかと。

泣き節を歌い、躁状態でラジオのパーソナリティをし、ギャグとしか思えない莫迦みたいな歌唱をする。これは歌手というより一種の芸人ですよ。

ホントにね、曲によって歌い方完全に変えてるからね。まるでなんかの登場人物になりきって歌ってる。

莫迦な女。けなげな女。恨み節の強い女。自己主張の強い女。・・・・

これって昨今の芸人でいえば、まさに友近じゃないですか。なんか表現方法が歌かひとり芝居かの違いしかないようにすら感じる。なにより鑑賞していると、なんかわからん変な笑いが渦巻いているところなんか本当にそっくりですよ。

ということで、これから友近を≪芸人版・中島みゆき≫と呼びたいと思います。同時に中島みゆきを≪歌手版・友近≫とも呼びます。もうそう決めた。




実際はもうちょっと続きがあるのですが、あまりにもつまらないボケなのでカットしました。

このエントリを書いてから5年半後に「ひとり」という中島みゆきの楽曲について書いてます。
合わせてお読みいただけると、また違った味わいがあるんじゃないかと。多少内容が重複してますけどね。