2011年10月12日水曜日

yabuniramiJAPANの歴史、のようなもの

えー、今回はyabuniramiJAPANの歴史でも簡単に振り返りたいと思います。

まずは記念すべき第一回のエントリのさわりを。

えー、なにから書きゃいいのかわかりませんが、とにかくプロ野球に関するうわごとでも書いていこうかと。いろいろ暴言もござんしょうが、なにとぞお見知りおきのほどを。(後略)


時は2003年10月18日、エントリタイトルは「ほしの…」でした。
18年ぶりに優勝した阪神タイガースが日本シリーズを目前に控えた頃で、タイトルが「ほしの…」なのは、当時阪神の監督だった星野仙一の勇退が決まっていたからです。
そう、yabuniramiJAPANは後に「ヤキウノウワゴト」として分割されることになる、野球関係のテキストサイトとして始まったのです。
あえてテキストサイトと書いたのは、最初の頃はまだ、いわゆるブログサービスは使ってなかったのです。
ではどうしていたかというと、Windows用のソフトで日々日記というのがあって、こいつがHTML形式で書き出せたので、それをいちいちFTPでアップしていました。なんとも面倒なことをやっていたものです。

その後ブログに切り替え、さらにドメインを取得してブログ鯖を構築したり、どんどんやることが大掛かりになっていくわけですが、中身の方も分割・統合を繰り返して、本宅といえるyabuniramiJAPAN、野球関係に特化したヤキウノウワゴト、そして現在も存続するクレージーキャッツファンサイトのCrazyBeatsの3つを同時進行することとなります。

さて最も根本的な話を。
なぜアタシがテキストサイトを始めたか、この答えは2003年12月21日付のエントリにありました。

そもそもアタシがこんなサイトを立ち上げたのは『思う存分野球について語りたい』と思ったからです。
というのもアタシはあんまり人と野球の話とかしないのですよ。野球に興味のない人と野球の話をしないのは当たり前なんだけど、『野球好きなんです』とか『阪神ファンで』なんて人と話していても、なんていうか、どうも温度差を感じてしまうんですね。(「当世三奇人とともに」より)


こんな理由だったんですねぇ。すっかり忘れてたわ。まあ舌の根も乾かぬうちに野球以外のことを書き始めるわけですが。

では次、「yabuniramiJAPAN」というサイト名について。

このサイトは『ヤブニラミJAPAN』と申すのですが、これはもちろん『やぶにらみニッポン』(1963 東宝)からとったものです。(2003年11月12日付「『やぶにらみニッポン』のこと」より)


ま、この通りには違いないんですが、元々の発想は当時(今も?)最も人気があったポータルサイト「Yahoo!JAPAN」のモジリからでした。
「ヤ」で始まって「JAPAN」で締める単語として、「やぶにらみニッポン」という映画のタイトルに引っ掛けたにすぎません。
むしろ、以前から「やぶにらみ」という言葉は気に入っており、トンチンカンな、ややズレたモノの見方、てな意味は手前勝手なテキストサイトの名前としてピッタリだと思ったんですね。
さらにJAPANはともかくその前につく単語は日本語にしたかったってのもありました。

最後に「藪似」というハンドルネームについて。

やぶにらみ、の頭3文字であり、実際、一時期よく藪恵壹(開設当時阪神の投手、現阪神二軍投手コーチ)に似ている、といわれたので、です。
正直藪に似ている、といわれてもうれしくなかったのです。確かに藪は「男前」で通っていたのですが、深い阪神ファンからすると「いい投手だったんだけど、ある意味どうしようもなかった投手」でしょうからね。
だから藪似という名前は、俺って男前という意味合いは皆無であり、自虐の要素だけなのです。

さてさて
yabuniramiJAPANとヤキウノウワゴトを先日閉鎖し、現在ここでyabuniramiJAPANTiny2としてやっていますが、Tinyというのは過去のyabuniramiJAPANと比べれば小ぶりだということです。既存のブログサービスを活用してますし、テンプレートもあまり弄っていません。また細かいカテゴリ分けもしていません。
「2」なのは、まあ要するに「yabuniramiJAPANTiny」のログインアカウントを忘れてたので作り直したのです。

てなわけで、しょーもない凡ミスから始まった「yabuniramiJAPANTiny2」ですが、これからもゆるりそろりと更新してまいります。