2012年12月31日月曜日

今年の締めくくりは何故か阪神

2012年もいよいよ終わりです。なので書き溜めたテキストではなく、新たに適当に書いてみます。
個人的にいろいろありすぎて、特に年後半はほとんどブログを更新できませんでした。ま、それはいいことでもあるんだけど。
んで、何を書くかというと、阪神です。ちょうど下降線をたどっていったのと、ブログの更新が滞りだしたのが同時期くらいだったので、いいたいことは山ほどあったにも関わらず何も書けませんでした。

いや〜、今年ほどつまんないシーズンはなかったな。暗黒時代より酷かった。もう「何だあの監督」としかいえない。だからいったんだ。あれだけは監督にしちゃいけないって。
ま、どんだけどうしようもない人間でもひとつくらい取り柄はあるもんで(やけに辛辣ですが、これでも抑えて書いているのです)、最後の最後にどでかいことをやらかしました。
そう、春夏連覇、甲子園無敗の怪物、藤浪を引き当てたんですから!
「阪神は育成が下手だから育てられない」とかいわれてますが、そもそもドラフトでこんな大物が入ってきたことがないんだから前例すらないわけで、上手いか下手かもわからない。
ただこれは間違いないと思うのですが、藤浪は勝手に育ちますよ。それは夏の大会を見てて、つまり阪神に入ることがわかってない時点でそう思いました。
正直いうとね、一回戦を見た時点では、ありゃって感じだったんです。春とあんま変わってないというか成長したようには見えなかった。
もっとはっきりいうと「甲子園に出てこなかった方が評価が上がったんじゃないか」とすら思ったんですね。
ところがこの投手は並の、毎年ひとりは出てくる類いの好投手でなかった。
試合を重ねるごとに悪い点が修正されていく。決勝なんか完全に悪いとこがなくなって、余裕すら感じたくらいです。
投手にとって一番大事なのは修正能力です。
短い大会期間中に全部修正できるのはただ事じゃない。もともと上背を活かしたポテンシャルはあると思ってたから、その上修正能力があり、何より勝ち方を知っている。
そういう意味では松坂を彷彿とさせます。決勝の余裕ぶりもソックリです。

一般にはダルビッシュ二世ってことになるんでしょうが、ダルとはタイプが違う。ダルは物凄いスピードボールを投げる変化球投手ですから。
藤浪は完全に速球投手ですもんね。角度のある150キロ超の球が低めにズバンと決まるっていう。あれは高校生は打てないよな。

しかしとんでもないのを獲ったもんです。しかも二位で北條でしょ。こっちは完全にロマン枠だけど、すげぇ楽しみ。てっきり二位は大学・社会人の即戦力だと思ってたんで腰を抜かしましたよ。マジでとんでもないいい指名っぷりです。

何てことを遠くロンドンの空の下で考えていたわけでしてね。どこにいようが、そしていくら監督がボンクラであろうが、やっぱり阪神のことは頭から離れません。
何故って?理由なんかわかるわけない。そういうもんなんです。

2012年12月24日月曜日

ブリッジ

はいどうも藪似です。ご無沙汰です。「ブリッジ」なんてタイトルですが、別に現在の滞在地とかけて「ロンドン橋落ちた〜」と歌いたいわけじゃありません。
前回の更新から間隔が空いたので、文字通りラグの橋渡し的なエントリってことです。

旅行ではなく短期とはいえ海外に滞在するというのは人生初の体験だったので、出発前の準備から、実際に住んでみてからもですが、とにかく「すり合わせ」と「トラブル処理」の連続でした。
アタシは予定を立てて、予定通りに滞なく物事が運ぶことにそこはかとない喜びを感じる、というタイプじゃありません。いつも何となくはじめて、気が向けば一気にガーッとやって、ノラなければいつまでも何もやらない、というタイプです。
が、さすがにこれだけのことだったんで、自分的には異例なくらい入念に準備をはじめたのですが、まあここまで上手くいかないとは思わなかった。
どうせ突発的なことがいろいろ起こるんだろってことはわかってたんで、かなり余裕をもってユルユルに予定を組んでいたのですが、それでもいつまで経っても準備が終わらない。
しかも出発の直前になってとんでもない事件まで勃発して、最後の3日間はほぼ寝れない状態、ということになってしまいました。
ロンドンに来てからもそうです。
英語が喋れないとか生活のリズムやスタイルに慣れるまで時間がかかるだろう、まあそれくらいの予想はしていました。が、実際は「え!そんな馬鹿な!」みたいなことが連発し、マジで心身ともにボロボロになりました。

そんな時アタシを救ってくれたのは、意外にも現地の人たちだったんです。
まあ大抵の人はそういうイメージでしょうが、イギリス人は、というかイギリスという国は(異様なまでに厳格なごく一部を除いて)本当にいい加減です。まるで昔の東宝映画のようなノリです。
だけれども東宝映画のノーテンキ・いい加減ノリが若い頃のアタシを救ってくれたように、イギリスという国の空気がトラブル続きのアタシを精神的に救ってくれたのです。
日本でもいろんなトラブルに巻き込まれましたが、トラブルそのものより、相手の事後処理のマズさ、応対の悪さで余計ストレスがかかることが多かったのですが、こちらでは本気で心配してくれたり、速やかに対処してくれたりで、むしろトラブルが起こったことによって清々しく、あったかい気持ちになったことが何度も何度もあったんです。
またとにかくみんな気さくで、これはTwitterにも書きましたが、行きつけのスタバの兄ちゃんまで顔と名前を憶えてくれ、気軽に接してくれたことによって、落ち込みかけた気持ちを持ち直したことが何度もありました。

自分は全然知らない国、なにより言葉を交わすことすら不自由な異国にいる、それはそうなんです。でも不思議とひとりぼっちという感覚は皆無なんですよ。それをいえば日本にいた時の方がよほど孤独感に苛まれていたといっていい。
でも日本はやっぱり好きですよ。日本には日本の独特の良さがある。
と同時にイギリスも好きです。こんだけトラブルがあってもね。だって救ってくれたんだもん。そう、あの時の東宝映画や植木等のようにね。

2012年10月24日水曜日

ネット社会の威力

なんだか前回とは正反対のことっぽいですが。まあナントカとナントカは使い様ってことで。

そういえばアタシがイギリスに滞在することになったと聞いた友人がこんな反応をしました。
「今の時代、海外といってもドラえもんを連れて歩いてるようなもんだからなぁ」
ドラえもんとはiPhoneをはじめとするスマフォを指しているのですが、これは至言です。
その友人は20年ほど前にヨーロッパを周った経験があるのですが、当然その時代にはiPhoneなんてもんはない。だから全部ガイドブックや口コミで調べていったそうです。

たしかにiPhoneはかなり四次元ポケットの代わりをしてくれます。
一番わかりやすいのがGoogle翻訳をはじめとする翻訳アプリで、翻訳コンニャク寸前です。
どこでもドアはないけど、身体自体を移動できないことを除けば、ポケットの中にどこでもドアを入れているのと同じで、手紙は瞬時に届くし、顔を見ながら話すことだってわけない。
情報だってそうです。日本でさっき配信されたばかりのニュースをリアルタイムで読むことができる。
変な言い方ですが、インターネットにさえ繋がっていれば、自宅警備員と変わらぬ情報を取得できるのです。
(残念ながら自宅警備員ほど時間がないので取得できる総量は少ないですが)

ちょっと話は逸れますが、インターネットがない時代、テレビ中継もラジオ中継もないプロ野球の試合の速報を知りたければ、まあほとんど毎試合中継があった巨人戦を見るしかなかったのです。
短くて30分、長くて1時間に一回の割合でやる「他球場の途中経過」をひたすら待つしかなかった。
しかも速報といいながら全然速報じゃなくて、実はとっくに試合が終わっているのに「甲子園球場の阪神対大洋戦は7回の表を終わって3-2で阪神がリード。ピッチャーは・・・」ってくらいのタイムラグがあったんです。

まあそんな時代を経験してるから余計になんでしょうが、海外にいようが阪神の試合経過もほとんどタイムラグなしで知ることができるという、インターネット社会ってもんの威力を痛感しました。
もっとも今年はあまりにも阪神にたいして腹が立ってたから、経過もあんまり気にならなかったけど。

しかしこれは諸刃の剣でもあるんです。
便利にはなったけど言い方を変えれば楽になったともいえるわけで、「解読」という作業が必要なこっちのテレビを見たり新聞を読まなくても、いくらでも日本の情報を日本語で知ることができる。
水は低きに流れますからね。そりゃ頑張って辞書片手にMetro(ロンドンで無料で配ってる新聞。タブロイド版)を読むより、2ちゃんねるのまとめサイトを読んでる方が楽だし、頭にも入ってきやすい。
だからこそどうやって「日本語絶ち」をするかが重要になるわけで。とはいっても現実的には完全に絶つことは難しいし、頭を休めることも必要なんだけどね。

まあ今後その辺の話でもしていきます。

2012年10月23日火曜日

イギリスに滞在しているわけだが

唐突ですが、8月の末からイギリスに滞在しています。
そうです。前回iPhone5買ったよー、しかもSIMフリー版だよー的なことを書きましたが、つまりUK版を買ったわけです。

今回はそういうことを書こうと思うのですが、その前にひとつ言い訳を。
前回更新できなかった間に書き溜めたテキストを順次エントリする、みたいに書いたのですが、あらためて読み直すと、見事なまでに時流にそぐわないネタばっかりなんですね。
たとえば「今阪神は五割前後をウロウロしてますが」とか。いったいいつ書いてん!みたいな話ばっかりで。
しょうがないのでこれらのネタは全部ボツにします。今後流用する可能性はあるけど。

さて何のためにイギリスに滞在しているのか、けして遊びにきているわけじゃありません。とはいえいろいろややこしいので、まあ勉強しにきた、という表現にとどめておきますが。
んで何を書くかというと、いかにネットの情報がアテにならないかを書こうかと。
今回の滞在はそこそこ長いので、4月に一度、事前調査に行きました。
他にも在英の知人らに情報をもらいつつ、さらに足らないことや、わざわざ聞くまでもないことはネットで調べて準備をしたのです。
ところがネットの情報がいかにデタラメか、思い知らされることになりました。
といっても参考にしたのは某巨大掲示板などではなく、在英日本人のブログやSNS、生活情報を載せている企業サイトなどです。
ひとつ例をあげます。
とあるところにこんなことが書いてありました。
「イギリスではボールペンがものすごく高い。使い捨てのものでも高い。ですから日本からまとめて持っていくことをお勧めします」
大嘘でした。むしろ日本より安いくらいでした。おかげて大量に持っていったボールペンはほとんど無駄になりました。
イギリスはとにかく物価が高い、というのも事実とは大きく異なり、食料品などは日本よりも全然安いのにはびっくりしました。
もちろんこれは昨今の円高の影響もあります。数年前の基準(1ポンド=240円前後)だったとしたら約倍近くになるのですが、それでも日本と同じ、もしくはやや安いレベルなのです。
ただしロンドン市内の家賃は馬鹿高いです。現在のレートでもほぼ東京と同じくらいといえばわかってもらえるんじゃないでしょうか。
ですから物価に関してはネットの情報が意図的に嘘を書いてとは思いません。
またあまりにも在英期間が長い人の場合、日本の物価の感覚が抜けてきている、というのもあるでしょう。

もうひとつ、日本では手に入りやすいけど、イギリスでは手に入りづらい、というものがあります。
これも正直ネットの情報にかなり振り回されました。
はっきりいえば生活必需品はほぼ何でも、どこでも買えます。そして値段はさっきも書いた通り、安いくらいです。
が、少し専門的なものになると途端に難しくなります。
たとえばこっちにはヨドバシカメラやビックカメラのような大型家電量販店がありません。ローカルまで足を伸ばすとそれなりの大型店舗はあるのですが、品揃えは日本のヨドバシなんかとは比べ物にならないレベルです。もちろん悪い意味で。
特にパソコン関係はヒドイもので、秋葉原はおろか、日本の地方都市レベルにすら及びません。
こっちに来た頃にmicroUSBケーブルを買おうとして、かなり探し回ったりしました。そんなもん日本ならどこの駅前でも買えるのに。
その反面、日本でしか手に入らないと思っていたものが意外とすんなり買えたりするのもフシギなところで、醤油やワサビなんかはどんなスーパーでも買えますし、お米の入手も簡単です。極端にいえば日本食材店に行けばほぼ何でも揃えることができます。もちろん値段は倍ほどしますが。

ま、このネタもアップした途端、単なる「ネットの情報」になるので、信用しない方がいいのかもしれませんがね。エントリして数日はともかく。
というわけで、もし検索でここにこられた方へ。ここで書いたことも、エントリの日付を見ていただいて、一年以上経ったら、無視して差し支えないレベルだとお考えください。

2012年9月25日火曜日

iPhone5を買ってみたわけだが

ご無沙汰しております。まあ何のかんの、いろいろありまして、ずっとブログを更新できない状態が続いておりました。
とりあえず書いたばかりのテキストを一回エントリしまして、その後ちょっと前に書き溜めた中から情勢にそぐわないものを除いてエントリしたいと思っています。

さていきなりですが、買いましたよ。iPhone5。しかもSIMロックフリー版。どこで買ったかって?そりゃもちろんAppleStoreのリアル店舗で。徹夜で並んでさ。
は?そんなもん売ってねーだろって?売ってないですよ、日本ではね。でも売ってる国もあるわけで。まあその辺のことはそのうちおいおいと。

そんなことより感想を書いていきます。
マップが酷さも酷しとか、そういうのはネット上にいくらでも書いてあるので割愛。もっと個人的な感想を書きます。
まずサイズです。アタシが以前使ってたiPhone4と比べてですけど、横幅は変わっていないんですよ。でも縦が伸びた。こりゃ結構デカく感じるんじゃないかと思ってたんですが、反対でした。
実際に並べて見ると幅はおんなじで縦が長い。そりゃそうなんだけど、iPhone5単独で持ってみると、縦の長さは変わってなくて、幅が細くなったように感じるのです。しかもやたら画面が大きく見える。目の錯覚なんでしょうが、実に上手く作ってるといえるんじゃないでしょうか。
もう一つは薄さです。とにかく薄い。今までiPhone4はカードが収納できるタイプの、それでもこのタイプとしては比較的厚みのないケースを使っていたのですが、それでも今見ると、よくもまあこんなに分厚いのを持ち歩いていたなと感じるほどです。

中身はというと、やはり速い。一番体感で違うのがFacebookの純正アプリで、ネイティブアプリになってからiPhone4でもそれなりに速くなったのですが、それでも遅かった。
でもiPhone5では本当にサクサクです。気持ちいいくらい。まあアプリの出来そのものには不満があるんだけど。

さて欠点ですが、どうもタッチの反応がおかしいというか、これは正式にiOS6に対応してないアプリの時に顕著です。やけに敏感だし、指一本で触っているのに指二本の動作をすることがままあります。
文字入力もそうで、フリックが誤操作することが結構あって長文になると意外と骨が折れます。
今試しにこのテキストもiPhone5で書いてるのですが、打ちミスばかりで書いては消しを繰り返しています。
これはiOSの問題なので、そのうち改善されると期待はしてますが。

これもiPhone5というよりiOSの問題なのでしょうが、iOS6からFacebook機能が統合されて、写真アプリから直接Facebookに投稿できるようになったのですが、どうも失敗が多い。エラーがでて、ありゃと思ってアプリから投稿すると失敗したはずの投稿がいってるという。
Twitterではこういうことはないんだけどねえ。

んで肝心のSIMロックフリーに関して何も触れてませんが、これもまたそのうち。まだ未確定なことが多いし。

で、SIMロックフリーのことはともかく買いかどうかといわれると、iPhone4の人なら「買い」でしょう。4Sの人は待ちでもいいかなって感じで。

2012年9月6日木曜日

Facebookへのスタンス

いきなりですが、アタシには友達がいません。ええ、もちろんリアルにですよ。ひとりもいないわけじゃないのは当然ですが、無理に増やそうとしてないのも事実です。
それでさみしくないの?といわれそうですが、まあ特には、と答えるしかない。何で?って聞かれても、自分でもわからない。まあそういう人間なんでしょうな、としかいいようがないわけです。
こんなアタシでも数は少ないとはいえ心の底から信用できる友達や知り合いはいます。それで十分と思っているのかな。というかそういう人が何人かいれば十分じゃないかと思ってしまうわけです。

さあて、表題のテーマに入ります。Facebookについては以前も何度か書きましたが、アタシなりのスタンスを書きたいと思いましてね。
リアルの友人が少ないんだから、当然Facebook上での友達も少ない。でもこれだけはいえるのですが、今Facebook上で友達になってる人は、全員大好きな人ばかりなのですよ。もしアタシがノアの方舟を持ってたら絶対乗せたい人ばかりです。
そういう人たちだから近況を見るのは非常に楽しい。アタシが大好きな人は今日こんなことをしてたんだ、と知ることは何だかすごくほっこりする行為なのです。
では逆の言い方をしましょう。
ただの知り合い、顔見知り、仕事上の付き合いだけの人。まあいや嫌いではないけど別に好きでもない人。ノアの方舟を持ってても優先的に乗せたいと思わない人。
そういう人たちの近況を見て面白いのかって話です。少なくともアタシは全然面白くない。
たとえばFacebookを完全に仕事のためのツールとして割り切るならそれで構わない。でもそうはしたくないというか。最大公約数的なことしか書けなくなるし。
じゃあFacebookを通じて仲良くというか大好きになればいいかっていうと、これは話の順序が違うんじゃないかと。というかネットだけだと、こいつ面白いな、が関の山で、好きまではならないよ。アタシが古いだけかもしれないけど。

最初に無理に友達を増やそうとは思わないと書きましたが、好きな人がいっぱいできて、極端ですがその結果Facebookの友達が1000人になってもいいのです。たぶんそれはそれで楽しいはずです。見るのしんどそうだけど。
でもFacebookって本来そういう使い方するもんじゃないのとも思ってるんですよ。その辺がTwitterあたりとは全然違う。(いずれちゃんと書くつもりですが、Twitterって実は掲示板の進化系じゃないかと思っているのです)

はっきりいいましょう。Facebookの友達の数に全然興味がない。こんだけの人しか見てないんだからつまんねーな、とも思わない。むしろ自分が見て欲しい人に見てもらえれば、そして大好きな人の近況がわかればそれでいいんです。
このブログだってそうですよ。ほとんど誰も見てない。検索とかで流しで来た人が定期的に見てくれるようになるのは、それはそれで嬉しいけど、宣伝してまで多数の人に見てもらいたいなんてこれっぽっちも思わないのです。
おそらく大勢の人に見てもらって喜びを感じるという感覚が欠落しているのでしょうね。別に選挙じゃないんだからどんな考え方なのか全然わからない大勢の人に褒めてもらうより、信頼しているひとりふたりの人に褒められた方が嬉しい。
まあ過去のことも多少は関係あるんだろうけど。
かつてアタシが旧yabuniramiJAPANをやってた頃、某巨大掲示板にリンクまで張られたりして、やたらアクセス数がありました。メールフォームも設置してあったので、それこそかなりの数のメールをもらいましたし、今でも個人的な付き合いがある人も結構います。
でもブログを再開するにあたって、ああいうのはもういいや、と。でも書きたい欲求はあるので、とにかく目立たないようにしようと。
んで大好きな人たちにだけURLアドレスを教えておけばそれでいいと。見にきてくれればさらに良しと。カジノ・ド・サンノミヤ(←旧yabuniramiJAPANの頃はこんなつまんねーネタばっかり書いてたな)

アタシの使い方が変なのかもしれませんが、ネットで人脈を広げるという発想はとうになくなり、むしろ絞ってるといった方がいいかもしれない。絞って絞って、その結果本当に大好きな人が残った、みたいな感じでしょうか。
ネットは荒波ですよ。ベイスターズの外野手じゃないよ。荒れ狂う海ですよ。そんな中を大好きな人だけが乗ったノアの方舟で漂流した方がいいじゃないですか。
お、恐ろしく綺麗にまとまった。まだいいたいことあるけどチャンスなんでおわり

2012年8月5日日曜日

iPadの感覚

iPadを実際に使い始めるまでわからなかったことが、ひとつだけあります。それは画面のデカさです。
そりゃiPhoneに比べりゃデカいのは当たり前です。そういう意味じゃなくてね。
うちにはMacとWindowsのノートが一台ずつ、どちらも13インチ前後の画面サイズです。さらにデスクトップのWindowsは40インチのテレビに繋がっています。
不思議なのは、それらと比べても感覚的にはiPadの方が画面が大きく見えるのですよ。

映画館で説明すればわかりやすいか。
スクリーンから近ければ当然大画面に見える。離れれば離れるほど小さく見える。まあ映画館の場合は音響効果や真っ暗な閉じられた室内ってことで、いくら離れていてもやはり家のテレビで見るよりは迫力があるんですが。逆に近すぎると見づらいんですよね。
実はこれはテレビに繋がってるWindowsと同じ感覚で、40インチなんだからさぞ大きいだろうと考えたのですが、あまりにも大きすぎると疲れるだけで大きさを感じない。かといってテレビから離れると、何となく細かい作業がしづらくなる。パソコンがあんまり大画面になるのも考えものというか。
じゃあ13インチのノートPCはどうなのかって話ですが、これは完全に盲点だったのですが、ノートPCの場合、キーボードってのが手前にあるんですね。厳密にいえばトラックパッドもあるし。となると必然的に目とモニタの間隔はそれなりにあるわけです。
根拠があるわけじゃないけど、ノートPCで大画面と感じるには、キーボード+トラックパッドの奥行を考えると、17インチくらいないと大画面って感じないんじゃないでしょうかね。適当だけど。でもそうなると持ち運べないですよね。

iPadのいいところは、目とスクリーンの距離が自由自在なんですよ。iPhoneよりは遠いけどノートPCよりは断然近い。何故ならキーボードがないからね。これは盲点でした。
でもそれならiPadに限らなくてもタブレット全般にいえることなんだけど、ここで威力を発揮するのがRetinaディスプレイなんです。いくら近くにもってこれるといっても、解像度が粗かったら自然と粗さを感じない距離に離すと思うんです。でもRetinaだといくら近づけて見ても粗さをまったく感じない。だから必然的に大画面に見えてしまうわけですね。
大画面に<感じる>んだけど、物理サイズは小さいので本当に気軽に持ち運べるし。まさに「いつでもどこでも大画面」を手に入れられるのはiPadだけのような。HMD(眼鏡タイプというか頭に装着する、あれ)まで入れると話がややこしいけど。というかiPadを買ってHMDの物欲は完全に消滅しました。

完全に理想をいえば、RetinaのMacBook Airの11インチ。それもよくあるシェル型じゃなくてキーボードがスライドで出てくる。トラックパッドは無しにしてマウスで全部やらせる。その上バッテリがiPadくらい持つ。そんなんが出れば最高なんだけど、まあ無理だわな。
トラックパッド無しなんてアップルは絶対にやらないだろうし、キーボードがスライドで出てくるなんてギミックもまったくアップルらしくないし。
何よりiPad並にバッテリが持つってのが技術的に無理だわ。いや、そこさえクリアできていればiPadじゃなくてMacにしてましたよアタシは。

2012年8月3日金曜日

絶滅する方言、生き残る方言

昔3年ほど福岡に住んでいたことがあります。
実際に移住する前は、まあ有り体のベタなイメージしかなくて、食い物でいえば、豚骨ラーメンともつ鍋、みたいなね。でも住んでみると裏切られたっちゃあおかしいのですが、アタシの中のイメージと乖離している部分が多々ありました。
最も驚いたのが方言です。たとえば「◯◯ばい」とか「××ったい」とかの語尾に付けるのとか、「ばってん」とかね、こんなベタベタな方言を喋る人がほとんどいないのです。中年のおっさんはまだこっちのイメージ通りの方言を喋る人が「たまに」いましたが、若者に限ると皆無といっていい。せいぜい語尾の「と」か「けん」くらいで、それすらも全然言わない若者もいっぱいいました。
たしかにイントネーションは少し違う。でも大雑把にいえば標準語との差異はほとんどないといっていい。

ここ数年東北地方に行く機会が多いのですが、やっぱりアタシがイメージする東北弁を喋る若者をほとんど見ないんですね。
そして実家がある関係で年に数回関西に帰ってますが、若者は関西弁を喋らない、なんてことはない。老いも若きも、若干の違いこそあれど関西弁です。

何だ、もしかしたら方言って関西弁以外絶滅したのか、と思ってしまうんですよ。というか関西弁の侵食が凄い。関東の若い高校生くらいの女の子の一人称が「ウチ」ですからね。倖田來未の影響なんでしょうが。
あといっこ、これは凄いなあと思うのが「キモい」の意味が変わっちゃったことです。
数年前まで関東で「キモい」といえば<肝>、つまり「肝心なところ」を動詞化したのもののはずだったんです。
ところが関西弁の「気持ち悪い」をつづめての「キモい」に変化してしまった。最初は松本人志からの発信でしょうが、他の関西系芸人も多用することで完全に意味を変えてしまったのです。

つまり極めて荒っぽい言い方をすれば、地方は標準語化し、関東圏は関西弁化していってる。ついでにいえば関西圏は関西弁のまま、ということになります。
これ、時代を進めれば、つまり未来の話ですが、標準語が関西弁に近づいていってるなら、やがて地方も関西弁に近づいていくってことになる。後数十年で全国で主だって使われる言葉が関西弁になるってことです。(いや違うな。正確にはネイティブ関西弁と、関西弁に近しい標準語か)
そうなれば関西圏出身のアンタは嬉しいだろうって?とんでもない。正直それだけは勘弁してくれって感じです。それはマイノリティを保ちたいとかそんなケチ臭い話じゃなくて、アタシは単に音の響きとして標準語の方が好きなんです。自分はロクに喋れない癖にね。

話が大幅に逸れてしまった。そうじゃない。何で地方の若者は方言を使わないのかって話です。
テレビの影響?もちろんそれもあるでしょう。しかし一番大きいのは<メール>じゃないかと思うんです。
標準語の何が優れているといっても、口語体でありながら昔でいうところの文語体を兼ねているところで、非常に読みやすい。
前も書きましたが、関西弁に限らず方言って文字にすると読みづらいんですよ。だから関東圏以外の人も文章を書く時は、いくら近しい仲で、くだけた調子でも、標準語で書くのです。

メール文化が発達して以降、若い人の文章を書く量は飛躍的に増えたはずです。たとえ短文でも毎日数十通書いてたら膨大な量になる。しかしそこで書かれるのは標準語です。
こうなると喋りが標準語に近づいていくのも当然という気がします。

さっき関西弁が侵食してきていると書きましたが、「ウチ」にしても「キモい」にしても、文章の中にも組み込みやすいフレーズだけなんです。
たとえば「ウチな、今日朝ごはん食べられへんかったんやんかぁ」みたいなわかりにくいというか文章として成立しづらい関西弁は絶対浸透しない。
(例文の意味わかります?昨今でこそマシになりましたが、数年前まで関東でこういう言い回しをすると、ほぼ決まって「え?知らないよ」と返答されました。つまりあなたも当然私が朝ごはんを食べられなかったことを知ってますよね、という風に受け取られたんです)

そう考えるとメールを標準語を書こうが何しようが方言を維持し続ける関西人は、というか関西弁は強い方言なんだなと思わされます。

何だか詭弁というか風が吹いたら桶屋が儲かる式の話になりましたが、まあこんなもんで。

2012年6月17日日曜日

二十一世紀を迎えたばかりのアタシへ

早いもので二十一世紀になってから10年以上経ったわけです。もうそんなになるのか。
ノストラダムスの予言は当たらないままミレニアムを迎え、さらにその次の年であった2001年。
この十余年、様々な出来事がありました。個人的にも、もちろんいろんなことがあり、2001年というとアタシはフツーのサラリーマンだったりしました。
んでふと思ったのですが、もし2001年の自分自身に出会えるとして、「こんな出来事があったよ」といって一番ビックリするのは何だろうな、と。
個人的なことを書いてもしょうがないので、あくまで世の中の動きの中で最も驚くようなことを探ろうかなと。

◯東北での震災及び原発事故
2001〜2012年の間で一番大きかった出来事といえばこれでしょう。が、驚きはそこまででもないかもしれません。というのも2001年のわずか6年前に阪神大震災を体験しており、これから日本のどの地域で大きな地震が起きても不思議ではないと思ってましたから。
もちろん実際に起こったらビビりまくるわけですが、話として聞かされた場合は「ああ、そういうことになるかも」とわりと冷静に受け止められそうな気がします。

◯スマートフォンなるものの普及
2001年といえばすでにインターネットは存在しており、ADSLとはいえブロードバンドもそこそこ普及してたわけです。
この年の暮れ、アタシはスマフオの前身ともいえるPDAに興味を持つわけですが、当時はコンパクトフラッシュ型の通信カードを用いて、極々軽いデータの送受信をするのが関の山でした。
今では当時のADSL並の速度で通信できて、当たり前のように電話もできるんだから、なんとまあ凄い時代になったものです。
が、当時のアタシでは知識がなさすぎて、どう凄いのかイマイチ理解できないかもしれません。

◯有名人の逝去
アタシが最も敬愛する植木等をはじめ、この十余年の間に数々の有名人が逝去しました。
しかし、特に植木等に関しては年齢的に「この期間」だったことは想像がついたわけで、残念には思ってもショックとは少し違う感情が芽生えそうです。

◯リーマンショック
これは「衝撃」とは違う意味で一番ショックかもしれません。
バブル期から落ちる一方なのを嫌というほど体験して、え、まだこれ以上大幅に落ちるのかよ、とわかったら、真面目に働くことが嫌になるかもしれません。

◯近鉄バファローズ消滅
公式には合併ですが感覚としては完全に「消滅」です。
それまでも親会社交代の経験はあったものの、球団が消滅するなんて可能性すら考えたことがありませんでした。というか完全に漫画の中の出来事だと思ってました。(漫画じゃ「優勝できなければ球団が消滅する」なんて展開はよくあるからね)
これを知ったら間違いなく衝撃を受けるでしょう。

◯阪神タイガースが二度リーグ優勝
「近鉄消滅」ほどじゃないかもしれないけど、めちゃくちゃ驚きそうです。顔が浮かぶくらい。
だって当時は暗黒の末期で、とてもじゃないけど「優勝」なんて遥か彼方にも見えませんでしたから。
で、誰が優勝させてくれたの?野村でしょ?え?違う?星野?今現在、中日の監督やってる?あの星野仙一?
となった時点で信じないかも。

◯2012年、阪神タイガース外野手・桧山進次郎、いまだ現役
オチっぽいですが、マジで一番腰を抜かしそうなのがこれです。

2012年6月1日金曜日

狭山事件を読み解かない

高校生の頃、アタシの夢はただひとつ「ひとり暮らしをする」ことでした。
何故そこまでひとり暮らしに憧れていたのか、今となってはつまびらかではありませんが、親元を離れて暮らすという行為に果てしなく自由な感じがしたんだと思います。
たいして行きたくなかった大学に行ったのも、もし大学に入ったらひとり暮らしをしてもいい、という許しを得たからで、大学まで通って通えない距離ではなかったのに狭いアパートを借りて念願のひとり暮らしを始めたんです。
それがまた中途半端な場所でして、本当なら大学のそばに住むものですけど、大学のあった場所がかなり田舎で、どうせなら街中に住みたいという願望から、自宅と大学の中間地点みたいなことろに部屋を借りたんですね。
しかしこれは失敗でした。
通学に妙に時間がかかるので、ほとんど大学に行かなくなり、念願だったマイルームで、ひたすらボケーッとしてました。さすがにマズいと思い翌年には大学のそばに引っ越したのですが、本当に何もしなかった、そして果てしなく孤独だったその一年も今となっては、それなりに思い入れがあります。
とにかく何もすることがないので、意味なく、本当にまったく何の意味もなく、近所を徘徊するようになりました。まもなく自転車を手に入れたので自然と移動距離も伸びたのですが、特に夏の暑い日など、近所にあった大きな公園を無意味に何周もしました。部屋が蒸し風呂状態だったんだもんで。

自転車で徘徊するようになってから、だいたい30分圏内の場所は定期的に行ってたのですが、中でもお気に入りの場所がありました。
そこの駅周辺は妙に好きな雰囲気で、といっても何をするわけでもないのですが、とにかく頻繁に通っていました。誰かと会うわけでもなく、何か用事があるわけでもなく、ただもう、この場所で時間が過ぎていけばそれでいい、そんな感じでした。ある意味精神が病んでいたんでしょう。
しかし引っかかるところもありました。駅の周辺は非常に雰囲気がいい。が、駅から少し離れたとある周辺は何やら異様な感じがして、正直怖さ、みたいなものを感じていたんです。
特に怖さを感じたのは、「狭山事件」、「Iさん(実際は実名)を救おう」みたいな横断幕みたいなのがやたらかかっていたからです。

いよいよ本題ですが、狭山事件は昭和38年に起きた殺人事件です。これは女子高生(とはいえ今でいう専門学校性)が何者かに絞殺・遺棄された事件でして、場所は埼玉県狭山市で起こったので、一般的に狭山事件と言い習わされています。
さっきから「田舎」とか「街中」とか「とある」とか、場所に関して妙にボカして書いてあるのは、狭山事件の容疑者とされたI氏(現在は仮出所中)が被差別関係の人だったからで、つまりはアタシがお気に入りだった駅から少し離れた場所は、被差別関係の人が多く住む地域だったんです。でなければ埼玉で起こった事件(それもその当時で事件発生から20年以上経過している)が関西の某地域で横断幕なんて出るわけがない。
そんなわけで場所を詳細に書けないのは当然というか何というか。

I氏が容疑者とされた根拠は甚だ薄弱で、こんなんでよく逮捕に踏み切れたな、と思うのですが、I氏が被差別関係の人だったために話がややこしくなってしまった側面があります。
が、事件を見ていくと、こと謎、という部分に関してはこれほど謎の多い事件も珍しい。
I氏逮捕には直前に起きた「吉展ちゃん誘拐事件」(この時点では未検挙)の犯人を取り逃がす失態を犯していたため、警察が「生きたまま犯人を捕らえる」ことに執着しすぎた結果だといわれていますが、警察の二重ミス&秘密の暴露(犯人しか知り得ない情報)のでっち上げの可能性を置いておいたとしても、じゃあほぼシロのI氏でなければ誰が犯人なんだ、といわれればよくわからない。
しかもこの事件の関係者が事件後謎の自殺を遂げた者が複数いることも謎が謎を呼ぶ結果になってしまっているんです。

狭山事件、というと都市伝説として「となりのトトロ」の裏設定というか、あの話は狭山事件をファンタジックに裏書きしたものなんじゃないかとまことしやかにいわれています。
細かくは書きませんが、たしかに符合するところが多く、というか「こじつけといえばこじつけ、しかし符合といえば符合」という絶妙な線をついています。
まあアタシは宮崎作品に興味がないのでどうでもいいのですが。

そんなことより
アタシが自転車で徘徊していたのが約25年前、そして狭山事件が起こったのが約50年前です。
記憶の中にある、淡く色褪せた映像と、実際のというか、事件当時の荒れたモノクロフィルムの映像。別物といえば別物なのですが、四半世紀前と半世紀前の映像が妙にシンクロして、「狭山事件」と聞くと、あの鬱屈した日々を思い出してしまうのです。

2012年5月31日木曜日

封印されたyabuniramiJAPAN

えらく大仰なタイトルですが、何のことはない、ただの「ボツネタ」ネタです。
ブログ用に書いたものの結局ボツにしたって経験は誰にでもあるんではないかと思うのですが、これも本当はおかしな話で、別にお金を貰って書いてるわけじゃないんだし、「ブログのクオリティが」云々なんてまったく考えてるわけじゃないのに、それでもボツは溜まっていくもんなんです。

アタシの場合、ボツになったネタはほぼ次のふた通りに分類されます。
◯PC関連ネタ
実はこれもさらにふたつに分けられるのでして、ひとつは画像っつーかスクリーンショットが必要になる場合。はっきりいって非常にめんどくさい。放置された挙句ボツになるパターンがほとんどです。
もうひとつは旬を逃した場合。これが「書いたテキストはすぐにエントリする」人なら(ほとんどの人はそうでしょうが)何の問題もない。ところがアタシは書いたらしばらく「寝かし」てから更新するのがほとんどです。
特別更新順を考えてるわけじゃないのに、何となく後回しになった場合、他のネタと違ってPC関連ネタはツブシが効かないのです。

◯「ナンノコトカワカンナイ」ネタ
面白いかも、と書き始めたものの、自分の中でしか意味がないネタになってしまうことがたまにあります。
ちょっとでも普遍的な部分が付加できれば、まあいいかとエントリしてしまうこともあるのですが、もう完全に読んだ人の頭の中がクエスチョンマークしかでないネタはさすがにエントリしようと思いませんわね。

ではタイトルでも列挙していきます。

「Evernoteが使いこなせない!という方へ」(2011年7月頃執筆)
「iPhoneスタンド」(2011年度7月頃執筆)
「LifeTouchNOTEに苦戦する」(2011年11月頃執筆)
「PT2とDLNAに苦戦する」(2011年11月頃執筆)
「クラウドに苦戦する」(2011年12月頃執筆)
「自炊に苦戦する・その3」(2012年4月頃執筆)
このあたりが、いわゆる<PC関連ネタ>です。
上のふたつは画像貼るのめんどくせ系で、EvernoteのTipsは自分なりによく書けたと思ったのですが、めんどくささがさきに立って更新に至りませんでした。
残りは更新しない間に文中に書いた問題が解決してしまったパターンで、まあパソコンなんてもんは試行錯誤を繰り返すもんですからね。

「それではアタシが死んでしまうでしょう」(2011年12月頃執筆)
「老いる、ということ」(2011年12月頃執筆)
「目の疲れと手持ちぶさたとの攻防」(2012年3月頃執筆)
「韻を踏む踏まない」(2012年5月頃執筆)
この辺が「自分の中でしか意味がない」系ネタです。
それでも普通はリライトして何とか使おうとするのですが、この4つは妙に重いテーマになったので、リライトする気すら起こりませんでした。
そしてもうひとつ
「生き残った弁天様」(2012年1月頃執筆)
これは唯一の笠置シヅ子単独主演といってもいい映画について書いたものですが、映画そのものもマイナーなうえ(一度もメディア化されていない)、アタシの言いたいことも普遍性のカケラもない、という。変則ですがこれも「自分の中でしか意味がない」ネタといっていいでしょう。

あとひとつ。上記のどれにも属さないのですが
「嫌い、からの変遷」(2011年11月頃執筆)
ってのがあります。主題となった人はふたりで、三浦知良とロンブーの田村淳。何の共通点があるのかって話ですが、まあ自分の中ではあるんです。
あるんだけど、実際に書いてみるとどうしても上手く書けない。何度か書き直してみたんだけど、だから何?みたいな内容にしかならないのです。
んでもういいや、と。

何度もいうように仕事で書いてるわけじゃないんで、多少上手く書けなくてもいいんですよ。だいいち笑わせてやろうとか、感動させようとか、名文だと思われたいとか、このブログをきっかけに評論家とかコラムニストとしてのし上がってやろうとか、そんなことは一切考えてないわけで(当たり前だ、と思われるでしょうが、いるんですよ、本物の馬鹿が。誰が個人ブログ見て仕事頼もうなんて思うんだっつー話で)、多少の誤字とか、おかしな言い回しとか気づいてもそのままにしたりしてるし。
でも何が言いたいのかさっぱりわからない、みたいなのはさすがに避けたいわけでして。数少ないとはいえ読み手の人に申し訳ないですよ。

またボツが溜まった頃に第二弾をやります。

2012年5月30日水曜日

秋元康の絶妙感

前回の続き、ではないのですが多少書き残したことが気になったので。
とんねるずのコミックソングをあれだけ絶賛したのに、あの人の名前がないのは変ですよね。
あの人とはもちろん秋元康です。

たとえば到達点とまでいった「ガニ」の凄さはほとんど編曲にあります。
初期の見岳章、中期から後期にかけて後藤次利の貢献度は半端じゃない。それくらいとんねるずの楽曲において作編曲はキモだったとおもうのですよ。
それでも一番にくるのは秋元康です。

いつ聴いても凄いなと思うのが「雨の西麻布」でして、「♪ふたりのにしあざーぶー」というコーラスから入るわけですが、本歌に入って最初の歌詞が「そして」なんですね。
これは凄いことなんですよ。「そして」って言葉はリリックとして非常に使いづらいんです。とにかく音がブチブチに切れてしまう。また一回使っただけでやたら説明的な歌詞になってしまう、いろんな意味で危険なフレーズなんですね。
それをね、ド頭にいきなり持ってきて、さらにもう一度すぐに突っ込む。大胆にもほどがあります。
「雨の西麻布」はムード歌謡のパロディですが、たしかに「そして」を使うとムード歌謡ぽくはなる。でも実際は危険なフレーズなのでさほど使われていない。

こういう計算が秋元康の真骨頂だと思うんですよね。
それこそ美空ひばりの「川の流れのように」やAKB48の「ヘビーローテーション」もなんだけど、秋元康の詞って「あざといくらいあざとくない」んです。わかりにくいか。つまり「ものすごくあざとく、あざとさを消してる」といえばいいのか。ダメだ、上手くいえないわ。
「雨の西麻布」の西麻布って地名なんかホントにその代表で、Wikipediaなんかを見ると最初は「雨の亀戸」だったそうですが、亀戸じゃあざとい。かといって「雨の六本木」じゃあざとくないかわりに芸がない。そこへいくと西麻布ってのはまことに絶妙の線でして、わかる人がわかればいい、しかし身内しかわからないほどでもない、ギリギリのラインをついているんです。

秋元康の才能は作詞、それもコミックであればあるほど抑制の効いた絶妙な感じがでる。そういう人をブレーンに引き入れたとんねるずはやはり凄いと思うのです。
この辺はダウンタウンとは正反対で、松本人志は全部自分でやりたがるでしょ。それはそれでいいし、それこそ「エキセントリック少年ボウイ」はギャグの羅列を歌にした初めての成功例だと思うんです。
でもどこか堅苦しさもあって、とんねるずのように有能な作詞家をブレーンにつけた方が、コミックソングを「演じる」(歌う、ではなく)にあたって、より自由度が増す気がするんですね。

考えてみれば植木等だって青島幸男の世界観があればこそあれだけ暴れ回ることができたんです。
ただ青島幸男の詩の世界は必ずしも植木等が暴れることに特化してたわけじゃない。どちらかというと植木等がどうとかじゃなく、青島幸男の主義主張の方が前面に出ています。
秋元康はそうじゃない。この人は奇妙なほど主義主張を込めない。その代わり、どういう世界観を提示したら歌い手(演じ手)が能力を最大限に発揮できるか、完璧に計算されていると思うのです。
そんな対比で考えると、青島幸男はアーティスト、秋元康は職人といえるのかもしれません。
(余談だけど秋元康の師匠は青島幸男門下だったから、孫弟子といえなくもない)

さて久しぶりに妙に熱く語ってしまいましたが、そういや今までとんねるずについて言及するは避けてたんですよ、アタシは。チャンスがなかったともいえるけど。
でもこれだけ溢れ出すってことは、ダウンタウンと同等の思い入れがあるんですな。結局わかったのはそこだったり。

2012年5月29日火曜日

コミックソングの到達点

コミックソングって何なんだろうなと思います。
「ロック」とか「ジャズ」のようにサウンドの特色で分けられてるわけじゃないし、ノベルティソングとの厳密な違いを正確にいえる人など誰もいないでしょう。
しかも広義にいえば、もしくは狭義にいえばみたいな境界線を決めることもできない。
コメディアンや芸人のレコード=コミックソングではないし。
でもそれじゃ話が続かないから、コメディアンor芸人が歌い、なおかつコミカルな要素がある曲をコミックソングと仮に定義付けします。

ところが新たにコミックソングを作ろうとしても、現状ぺんぺん草も生えないんですよ。それくらい刈り取られてるから。青島幸男作詞、萩原哲晶作曲編曲、植木等並びクレージーキャッツ歌唱の楽曲群にね。
それはホントに痛感するのですよ。アタシがクレージーキャッツの大ファンというのを抜きにしても、恐ろしいほど様々な手を使って、コミックソングの手立てを塗り潰している。数年遅れた後輩のドリフの時点で「有りものの楽曲をコミカルに味付けする」方向に逃げざるを得なかった。

コメディNo.1の「アホの坂田」(キダ・タロー作曲、ていっていいのか微妙だけど)や間寛平の「ひらけ!チューリップ」、そしてクレージーソングの重要なブレーンである宮川泰が手掛けた笑福亭仁鶴の「大発見やァ!」など、関西方面から名曲と呼んで差し支えないクオリティの楽曲が出たりしましたが、「ひらけ!チューリップ」や笑福亭鶴光の「うぐいすだにミュージックホール」の作者であり、ある種の天才といっていい山本まさゆきですらアニメの主題歌という枠でしかコミックソングを発表し続けることはできませんでした。

そんな中、唯一コミックソングをいう曖昧なジャンルに敢然と立ち向かったのがとんねるず、です。
とんねるずの何が凄いといっても、コミックソングの枠内で複数のヒットを出したことです。
コメワンにしろ間寛平にしろ鶴光にしろ第二弾は不発で、ことレコードセールスだけで語るなら完全な一発屋です。
しかしとんねるずは違った。
「一気!」から「雨の西麻布」、「歌謡曲」、「嵐のマッチョマン」、さらに「ガラガラヘビがやってくる」など、とにかく手を変え品を変え、時代とマッチングした楽曲を次々にリリースしました。

中には「とんねるずのやつはパロディばかりだからコミックソングとはいえない」という方もおられるでしょうが、クレージーキャッツだってジャズ小唄のパロディ「スーダラ節」、フランク永井から「ハイそれまでョ」、エノケン他が歌った「洒落男」から「無責任一代男」、軍歌、特に「麦と兵隊」から「これが男の生きる道」、童謡から「どうしてこんなにもてるんだろう」など、見渡せばパロディばかりなのです。

さてとんねるずですが、前に書いたように前期の中では「歌謡曲」が好きなのですが、現時点では最末期といえる「ガニ」は本当に凄い。「ハイそれまでョ」式に転調を活かした楽曲なのですが、二重三重の捻りがあって、まさしく「恐れ入りました」って感じです。2012年時点では「コミックソングの到達点」といえるでしょう。

石橋と木梨がヴォーカリストとしてまったくタイプが違うのもいい。特に木梨のヴォーカルはある意味植木等を凌いでる部分すらある。

その後「野猿」とか「矢島美容室」とかやってますが、やっぱり「とんねるず」名義でやってほしいなあ。ヴォーカルの対比を最大限に活かすには、やっぱふたりだけでやった方がいいと思うんだよな。

2012年5月26日土曜日

2014年まであと1年ちょい、2023年まであと10年ちょい

ふと気になって調べたのですが、やっぱりそうだったというか、子供の頃の記憶も馬鹿にできないというか。

藤子・F・不二雄の作品で「21エモン」ってのがあります。文句なしの名作であるにも関わらず、そして映画化、さらにはテレビでアニメ化されて、でもあんまり人気がでなかったF作品にはよくあるパターンなんですが、まあ人気がイマイチだったのもわからんではないというか。はっきりいえばとっつきづらいんですよ。
F作品は「日常の中に非日常を持ち込む」ことを常套にしていますが(これはA作品にもいえることですが)、これは正反対で、非日常の中で日常を描くことに注力しています。
21世紀を舞台に、未来社会の中で現在(当然作品が描かれた当時の)と何ら変わらぬ日常を描いているのですが、やはり「ドラえもん」なんかと比べると頭の切り替えが必要なことには違いなく、わっと人気がでるのは難しいのはわかるんです。

さてざっくり21世紀と書きましたが、「21エモン」はだいたい50〜60年後の未来社会という風に設定されています。連載されたのが1968年ですから、計算すると、ほぼ今現在、ということになる。
んで調べたら、どうも初期の設定では2023年って設定だったみたいですね。今から約10年後の話です。そしてついでにいえば「第一回宇宙オリンピック」が東京で開かれたのは、なんと再来年、2014年なのです。
いや、まったく、宇宙オリンピックなんて開かれる気配はゼロなわけでして、イシハラさんが必死にオリンピック誘致とか叫んでたのは、実は宇宙オリンピックのことだったのかしらね。
まあ宇宙オリンピックが開かれるくらいだから、その二年前の2012年。つまり今です。当然街中に宇宙人が溢れかえってないとおかしい。ところが宇宙人どころか民間人の宇宙旅行も夢のまた夢なわけでして。

アタシは何もそんなツッコミがしたいわけじゃない。でも非常に残念というかね。だっていつまでたってもパイプの中を人間がびゅーと通るみたいなシステムができそうもないんだもん。
そういや「21エモン」でもやたらとピチッとした服を着てますが、ああいう服も流行らないね。まあ現実に考えたら嫌だわ。体型丸わかりだもん。
どうもね、昔考えられてた未来と現実が乖離しすぎな気がしてしょうがないわけです。
宇宙に関することもそうだし、宇宙に限らず移動手段も相変わらず飛行機とか鉄道とか車でしょ。ぜーんぜん、なーんも変わってない。その代わりインターネットなんてもんが発達して、情報のやり取りは180度変わってしまった。でもそういう部分はあんまり予見されてなかったりするわけで。
なんか嫌だなと。地球の中くらいどこでも一瞬、一瞬とまでいかなくてもすぐに行ける世界になってほしかったですよ。いくら情報は一瞬でも身体ごと飛びたいですよ。

根本的にアタシは宇宙にはあんまり興味がないのです。でもね、去年から何度か海外に行って、外国人ってもんがより身近に感じるようになってきて。だからもし宇宙人も身近な存在だったらもっと面白かったかもとは思うわけです。
アタシは今英語を勉強していますが、もし「21エモン」の世界だったら必死で「共宙語」を勉強してたのかなと思うと何かおかしい。宇宙人と会話が弾んで、じゃ飲みに行こうか、とか。
そもそも宇宙人がアルコールを飲むのか、つか酔った状態になるかぜんぜん見当もつきませんが。

2012年5月25日金曜日

WindowsMobileのレクイエム

アタシを10年に渡って虜にしてきたWindowsMobileが終焉した。
Windows Mobile 6.x Marketplace のサービス停止について
Marketplaceが終了しただけじゃない。ハード自体もこの世から消滅しようとしている。
嘘だと思うなら秋葉原に行けばいい。新品が売ってないのは当然としても、中古を探すことさえ難しい。見つかったとしてもほとんど5000円以下という投げ売り価格で、店頭ならぬ店の奥の方の、ひたすら目立たない場所に置かれている。
後継といえるWindowsPhoneは普及の目処が立たず、タブレットに関してはMicrosoftはARM版Windows8を推していくはずで、スマフォという限られた範囲で戦わなければならないWindowsPhoneに勝算があるとは思えない。

そういえば昨年イギリスに行った際、まだ日本未発売だったWindowsPhoneに店頭で触れ、軽く感想を書いたことがありました。「よくできてるけどそれだけ」という当時の感想は日本国内でWindowsPhoneが始まった今でも変わりません。
とにかく「不安定になるまでイジれる」WindowsMobileから、「2ちゃんねるブラウザアプリすら規約で出せない」WindowsPhoneへの変貌は、まったくアタシの興味の範疇から外れることに相成りました。

WindowsMobileを一言でいうなら「建て増しOSの悪しき例」になってしまいます。WindowsCE1.0をベースにしたパームトップPCから始まって、PocketPC、PocketPC2002、PocketPC2003SE、そしてWindowsMobile(もちろん5.0〜6.5も含めて)まで、よくいえば時代に合わせて高機能化したといえるのですが、実態はコンセプトも何もなく、どんどん建て増ししていっただけなので、すべての面で無理が出ていました。
全体的にもっさりなのも困ったところで、通常はOSが重くなってもハードの高性能化で相殺されるのですが、当時は何故か(いや、理由はわかってるけど割愛)ARM系CPUの進化が非常に遅く、建て増しからくる動作の鈍化にハードが耐えきれなくなっていました。

それを支えたのは「不安定になるまでイジれる」WindowsMobileの特性で、非常に使いづらく重いWindowsMobileをユーザーが改善していったのです。
OSの不具合を根本から解決するような非常に優れたアプリケーションがいくつも公開され、しかもそれらはほぼフリーウェアでした。まあいや無償奉仕です。
アタシはね、これらのアプリケーションを開発しているプログラマーを、Microsoftは高額のギャランティで雇うべきだと思ってました。その方がユーザーもMicrosoftも双方が嬉しいことになると思ったからです。
ところがOSのバージョンが上がるにつれ、それらの優秀なプログラマーでさえ匙を投げる不具合を増やしていっただけだったのです。

アタシはふとしたきっかけからiPhoneを購入し、当時使っていたWindowsMobileとクロスフェードみたいな感じだったのですが、それでも未だにWindowsMobileに対して思い入れはあります。もう全然使っていませんがね。
もう二度とWindowsMobileなんか使いたくないと思う反面、もう一度使ってみたいと思うアプリケーションはあります。
その代表が「2++」と「MortScript」のふたつです。
2++は旧yabuniramiJAPANでも取り上げましたし、こっそりやってたモバイルブログでも数回に分けて使い方を書きました。
簡単にいうと2ちゃんねるブラウザなのですが、もっと範囲が広く、RSSリーダから簡易メーラーと非常に幅広く使える万能リーダでした。
iPhoneにして困ったのは2ちゃんねるブラウザにしろRSSリーダにしろ決定版といえるものがなく、もちろん部分的に超えてるところはあるのですが、トータルでみれば2++に到底及ばないのです。
MortScriptに関しては、今でもWindowsでガンガン使っています。つかスクリプトはこれしか使えないし。まあモバイルでシコシコとスクリプトを書くのが楽しかったので、またやりたい気持ちはあるんだけど。

いろいろと不満、いや不満しかなかったけど、それでも楽しい思い出もいっぱいあるWindowsMobile。ま、最後なんだから素直にありがとう、といっておきます。

2012年5月24日木曜日

合いの手の妙

ほれ、あの、餅つきってあるでしょ。まあ誰でも一度はテレビで見たことくらいはあると思うんだけど、最初すんげえ怖くてね。あの餅をひっくり返すというか水をつけるというか、あの役の人がキネで手を潰されそうで。生で見たりしたら本当に怖いんですよ。一瞬のうちに白い餅が真っ赤に染まりそうで。
でもそんな事故はほとんど聞いたことがない。バッチリ息を合わせて餅がつきあがる。これは呼吸があってないとできないことで、ある意味ものすごく音楽的です。

音楽的じゃなくて音楽そのもので餅つき的なのは「合いの手」というやつです。民謡なんかによくあるでしょ「アーハイハイ!」みたいなの。あれもちゃんと呼吸があってないとできないし、実際非常に難しいと思うのです。
合いの手の名手といえばザ・ドリフターズにトドメを刺すでしょう。
レコードになった曲でもいいのですが、より一発録りに近い「ドリフ映画だョ!全員集合」を聴けば、いかに凄いかわかると思います。
いかりや長介自ら「ドリフはミュージシャンとしても四流」と語ってますが、歌唱の方は下手ではないけど上手くもない。コミック的な歌い方をしているのを差し引いても、それこそ植木等なんかに比べると劣るわけです。
しかし合いの手の上手さはクレージーキャッツ以上で、とにかく全員が上手い。

これはレコードテイクになりますが「ミヨちゃん」なんか震えがくるくらい上手い。加藤茶のヴォーカルにいかりや長介が絡むのですが、セリフの挟み方の間合いも合いの手も、音楽的かつ笑える間なんです。

私たちの笑いは、ネタを稽古で練り上げて、タイミングよく放つところにある。私たちはバンドマン上がりらしく、「あと一拍、早く」「もう二拍、待って」とか、音楽用語を使ってタイミングを計りながら稽古した。今では一般の方も使う、「ボケ」「ツッコミ」「ツカミ」というような専門用語すら当時の私たちは知らなかった。ちょっとでも間が狂ったら、ギャグがギャグにならなくなる。それを恐れた。(いかりや長介著「だめだこりゃ」より)


といかりや長介は語っていますが、もっと厳密な、ゼロコンマゼロゼロゼロ1秒みたいな、絶妙のタイミングなんです。これがそれこそほんの一瞬でもズレたら音楽的でなくなるし、何より面白くなくなる。
「ミヨちゃん」で特に凄いのが、スリーコーラス目で突然いかりや長介が歌いはじめるのですが、もうね、浮かぶのですよ。加藤茶が歌おうとした瞬間にいかりや長介がマイクを取り上げて歌いはじめる様子が。これもほんのちょっと前のめりというか食い気味でいかりや長介が歌いだしているんです。

後年加藤茶はラップを歌ったりしてましたが、もう天性のリズム感で、いや加藤茶に限らず全員が天性のリズム感があったとしか思えない。でないと「合いの手で笑わせる」なんていうとんでもない芸当ができるわけがないのです。
アタシはずっと「今の芸人と昔の芸人の比較なんてできない。どっちが上かなんかいえない」といってきましたが、ドリフより歌が上手い芸人は数あれど、こんな絶妙な合いの手ができる芸人やコメディアン、そして本職の歌い手もいないと断言できます。もしかしたらザ・ドリフターズというチームの本質は合いの手にあるのかもしれない、とすら思うわけで。

2012年5月23日水曜日

上岡方式

まだアタシが20代の頃だったと思います。まあ年齢的にもいろいろと悩み多き頃だったのですが、とある友人がこんな言葉をくれました。
「その時はどれだけ苦しくても、後でオモロイ話のネタになると思えば、意外とどんなことでも耐えられるもんや」
この言葉を吐いた彼とは現在交友はありませんが、辛酸を舐めた過去を持ち、誰よりも人の心がわかる彼の言葉はアタシの人生の大きな支えになりました。
現在アタシはこれを「上岡方式」と呼んでいます。
時期的にはほぼ同じくらいだったと思います。たしか「鶴瓶上岡パペポTV」の中で、上岡龍太郎が面白いことをいいはじめたのです。
「タバコを辞めた時期があって、身体に悪いからとかちゃうで。ほら、辞めた人がいうにはしばらく禁断症状が出るいうやん。あれが味わいたかったんや」
だいたいこんなニュアンスだったと思います。
(余談ですが、同じ喫煙者であるアタシは、そうか、いっちょう試してみようと感化されたのですが、あいにく禁断症状が出ないまま三年(!)の月日が経ってしまいました。もともと健康のための禁煙じゃなかったので「禁断症状がでない禁煙なんてつまらん」とまた喫煙を再開したのでした)

最初の話と上岡龍太郎の話は似ているようで微妙に違うのですが、それでも「苦闘を一種の娯楽に変えてしまう」という部分は共通している。
誰が言い出したかしりませんが、若い頃の苦労は買ってでもしろとかね。誰が苦労を買ったりするかバカって話ですが、別に買ったりしなくてもいくらでもオマケでくっついてきますからね。
いや、若い頃の云々よりもっとタチが悪いのは「その苦労が将来きっと自分を助けるはずだ」とか、こんなセリフが平気で吐ける人間は少し頭がおかしいんじゃないかと思ってしまいます。
辛酸を舐めたからこそ、苦労なんかまっぴらだと思うはずで、正直アタシもいろいろありましたが、あの時の苦労が役に立ったなんて思ったことは一度もない。むしろ尻込みする原因になったり、トラウマになってる部分も多い。

人間はね、楽をしたいものなのですよ。楽ができなければせめて楽しみながらいろんなことをやりたいものなんです。これは苦労とかそんな大仰な話じゃないんだ、今しかできないオモロイゲームにチャレンジしているだけなんだ、と思った方がよほどいい。
映画でもなんでもフィクションなんて全部そうでしょ。功成し遂げた後の物語なんて面白くもなんともない。それより駆け上がっていく過程が面白いわけで。恋愛モノなんかでいえば、男女が結ばれるまでを描くものだしね。
でもそういう時は本人は辛いんですよ。仕事でも恋愛でも成就するまでは本当に辛い。毎日毎日ドキドキの繰り返しです。
ところが不思議なもので、遠い過去となってみると、一番苦しかった時代が一番懐かしく思い出される。遠い過去とか、自分のことであってもある種のフィクションみたいなもんだからね。

どうせ将来そう思えるのなら、最初から楽しみながらこなす方がいい。その方がどれだけヤキモキしたかずっと憶えているはずだし、後で「オモロイ話」にしやすいと思うのです。

2012年5月22日火曜日

ナムコ!ナムコ!ナムコ!

アタシは一応デザイナーなんて仕事をしておるわけですが、デザインの勉強をしたことなぞただの一度もないわけで、まあそりゃ独学ではやりましたが、学校みたいなところで習ったことは皆無なわけです。
プロとしてやるにあたって参考にしたりした好ましいデザイナーも出てきたのですが、もっと潜在的な部分で、つまり無意識のうちに吸収したデザインって何だろうと考えた時に行き着くのはナムコなわけです。
そう、あのゲームメーカーのナムコです。今はバンダイナムコか。そんなことはどうでもいい。アタシが書きたいのは1980年代のナムコのことなんだからナムコでいいのです。

1980年代初頭、ゲームセンターというのは光輝く場所でした。時代の最先端であったコンピューターグラフィックというのを最も身近に感じさせてくれる場所だったんだから。
アーケードゲームの最初にして最大のヒットといえばスペースインベーダーに決まっているのですが、これはこれでサイバーで味があるのですが、美しいとはちょっと違った。しかしインベーダーブーム後にナムコが発表した「パックマン」であったり「ギャラクシアン」の美しいこと!当時はまだまだ基盤の性能も低く、ナムコだけが突出して高い性能のマシンというわけではなかったのですが、造形と色使いの上手さからくる美しさはグンを抜いてました。
当時アタシが最もハマったゲームは「ムーンクレスタ」(ドッキングがあるやつね)だったんですけど、正直これは美しいゲームではなかった。ところが「ギャラガ」なんて、なんであんなに綺麗なんだろ、と感嘆するしかなくて、下手だったので自分ではあんまりプレイしてなかったんだけど、友達のプレイを見るのは大好きでね。グラフィックもそうなんだけど、動きも華麗なんですよ。どこをどう切り取ってもデザインチックで。
下手なのはしょうがないんだから、やっぱナムコのゲームをやらないとダメでしょとなってね。もちろんゲームとしても非常に面白かったし。

今の目で見ても「マッピー」とか「ディグダグ」とかデザインとして完全に完成されてる。ゲーム性はともかく後の「ミスタードリラー」と「ディグダグ」を比べたらデザイン面では圧倒的に「ディグダグ」が勝ってるんですよ。
そして何といっても「ゼビウス」です。何であんなに美しいんだろう。今の方が数百倍もグラフィックの性能は上なのに、「ゼビウス」の美しさには到底及ばない。低い解像度で、限られた色数で、何であんな優雅で綺麗なスクリーンが作れるんだろう。
アタシがタイトーやセガのゲームにハマれない原因のひとつとしてグラフィックがあるんですよ。全然デザインチックじゃない。ナムコがダントツで、続いて任天堂、だいぶ落ちてコナミ、ずっと落ちて他メーカーって感じです。あくまでデザイン面での話ですが。
ナムコは昔の方が良かった、てな話は散々聞きますが、ゲーム性ももちろんある。でもなによりデザイン面で大きく落ちた気がするんです。性能が良くなりすぎて収拾がつかなくなったのかもしれないけど、あのセンスで今のグラフィック性能で作ればとんでもないものができる気がするんですよね。
もちろん限られた性能だからこそあのセンスが発揮されたのかもしれませんが。

今でもちょっと意識しているというか、特にシンプルかつカラフルなデザインを要求された時に頭に浮かぶのは当時のナムコゲームなんです。少しでもあの域に近づきたいってのがあって。でもやっぱり難しいわ。それくらいレベルが高いんだもん。

2012年5月21日月曜日

Appleで今後起こりそうなこと

を何の根拠もなく書いてみる。

◆OS関連
・OSXとiOSが統合されてAppleOSに。ただし旧OSXはProモードとして残る
・Proモード及びBootCampはx86CPUが搭載された機種のみで動作可
・Proモード及びBootCampは旧iOSのアプリ扱いで動作。Proアプリ及びBootCampアプリを起動した時のみx86が作動。システム終了=旧iOSアプリ終了扱いになる

◆ハードウェア関連
・タッチパネルはモバイル機は標準、デスクトップ機はトラックパッド(もしくは外付けマウス)で対応(OSとしては全機種でタッチパネルをサポート)
・モバイル機は全機種で4G内蔵(iPodを除く)
・光学ドライブは全機種で廃止

◆ラインナップ
・デスクトップ機はMac Pro、Mac miniの2機種に。iMacは廃止されMac miniが搭載可能なディスプレイが発売
・モバイル機はiPhone、iPad、iPad mini、MacPad、MacBook、iPod
・iPodはnanoが単なるiPodに、iPod shuffleは廃止。iPod touchも廃止されiPad miniに統合
・MacBook Airが廃止され新たなカテゴリとしてキーボードを排除しiPadライクでProモードが動作可能なMacPadが登場
・MacBook Proは単なるMacBookに名称変更。光学ドライブが廃止され現行のMacBook Airに近くなる
・AppleTVはApple製品用外付けディスプレイ無線コネクタの色合いが強くなる

ま、ほとんどただの妄想レベルですが、いくつかは計画が噂されるものが入っています。
たとえば光学ドライブ廃止は近々本当に実現しそうな勢いです。さすがにMac ProはBTOで選択できるようにするんだろうけど。

OSXとiOSの統合はAppleの悲願かもしれません。iOSはOSXをベースに作られたとはいえほぼ新たに作ったに等しく設計が新しい。セキュアなのはクローズドにしてあるからだけですが、HiDPIという解像度非依存の技術に完全対応しているなどOSXを凌ぐ部分すらあります。(HiDPIは現行OSXでも一応対応しているが互換性の問題からか標準でオフになっている)
今後も両者の歩み寄りがあるのは確実ですが、ファイルベースのOSXとファイルの存在を意識させない作りのiOSは真逆の性質を持っているともいえるわけで、ここさえ上手い落とし所が見えれば今すぐにでも統合の方向性を示すはずです。

ラインナップは、ま、Appleがやりそうだなと思うことを書いただけなんで全然自信ないですが、OS統合の暁には絶対MacPadとかやりそうなんだよな。つか光学ドライブ廃止ならProとAirの差が微細になりすぎだからね。

2012年5月20日日曜日

2012年のカウチポテト族

アタシが大学生の頃、つまり1980年代後半ですね、カウチポテト族、なんて言葉が流行りました。
ガランとしたフローリングかリノリウム張りの部屋にソファとテレビモニターだけが鎮座しており、テレビは床に直置き。大抵はソニーのプロフィールシリーズでした。
そんな部屋でポテトチップスを頬張りながらレンタルビデオを見る、なんてことを趣味にしてる人を指してカウチポテト族といってたわけですが、こんな人実際にいたか知らない。
だって雑誌で紹介されてる部屋って恐ろしいほど生活感がないんだもん。まあ自炊(飯作る本当の自炊)はしないとしても、本もなければCDもレコードもビデオテープもない。ビデオはレンタルだから、といわれても手持ちのビデオやレコードがまったくないってのは不自然極まりないわけです。

さて時代は2012年。今なら本当に何もない部屋でカウチポテト族は可能になったのです。
先日2.5インチのHDDを購入しました。2.5のは持ってたことはあるんだけど、昔のやつなんで容量が小さく死蔵状態でしたが今回のは1TBですからね。去年録画用に2TBを買いましたがこれは3.5だったので、もちろん便利にはなったのですが「すげえ感」みたいなもんはありませんでした。
が、容量は半分とはいえサイズも半分以下の、スマホを一回り大きくしたくらいのサイズにここまでいろいろ入ってるんだ、と思うと何か感動してしまいます。
映画はもちろん撮り貯めたテレビ番組、音楽、そして最近始めた自炊本まで、趣味のほぼすべてがこの小さい箱の中に入ってるってのはねぇ。

これならカウチポテト族は実現できるでしょう。極端にいえば2.5インチのHDDとメディアプレーヤー、LEDプロジェクターとフロントスピーカー、あと自炊本を読むためのタブレットでもあれば部屋を占拠するものがまったくなくなる。

実は一番の問題はポテトチップスかもしれない。何か最近のポテトチップスって妙に味が薄いというか、はっきりいえば味がないんだよね。減塩志向かなんか知らないけど、所詮はジャンクフードなんだからさ、上品にしたり健康に気を遣って味がなくなったりしたら意味ないと思うんだけどな。

2012年5月19日土曜日

津山三十人殺しとファイト!を結ぶ線

今年の始めですが、昭和の猟奇事件のエントリを書いていくにあたり前フリを書いたのですが、その時のシメの言葉として使ったのが「こらえてつかぁさい」だったんですけどね。
これは近代日本で最大の猟奇事件である昭和13年に起こった「津山三十人殺し」に関連する言葉なんです。

実は「津山三十人殺しを読み解かない」ってエントリを書こうと思ったんですよ。つか実際書いた。んで完成した。
読み返して特につまらないわけじゃないんだけどボツにしました。というのは違う視点で練り込んだ方が面白くなりそうだったから。
まあせっかく書いたんだしボツにした文章をなるべく活かしながら再構成したいと思います。

この事件の重要なキーワードとして「夜這い」というものがあります。アタシはね、正直夜這いというものがよくわかってなかった。何となくピーピングトム、日本語でいえば出歯亀、もっとわかりやすくいえば覗き行為ね、それの発展系くらいに思っていたんです。覗きをはたらくうちにムラムラきて強姦する、みたいな。(余談ですが出歯亀って言葉も元はとある事件からきています)
でも実体は違った。夜這いとはある種の風習みたいなもので、当然代々語り継ぐというか受け継ぐようなもんじゃないんだけど、脈々と黙認されている、みたいな感じなんですね。
ちょっと調べるとわかるのですが、性関係の風習というのは結構あって、たとえば祝言(今でいう結婚式)の前に花婿の父が花嫁を「味見」する、とかね。

ボツになった文ではこの後<「娯楽が少ない地域・時代」において、セックスという「娯楽」がいかに重要なものなのか>という話になっていったのですが、そんな時ふとこのフレーズが浮かんだんです。

薄情もんが田舎の町にあと足で砂ばかけるって言われてさ
出てくならおまえの身内も住めんようにしちゃるって言われてさ
うっかり燃やしたことにしてやっぱり燃やせんかったこの切符
あんたに送るけん持っとってよ 滲んだ文字 東京ゆき


もうしつこいくらいネタにしている中島みゆきの「ファイト!」ですが、アタシは実際にこういう体験をしたわけではありません。しかしこの歌詞を連想できるというか「こういうことがあっても不思議ではない」地域に住んでいたことはあるのでニュアンスはよくわかる。
初めてこの歌を聴いた時の感想は「戦慄」という一言になってしまう。ああ、こんな閉鎖的な世界は絶対嫌だと。それだけ物語の主人公に感情移入していたということになります。
これは逆にいえば<薄情もんが田舎の町にあと足で砂ばかける>といった側の心情は一切考慮してないというか、完全に否定されるべき存在としか認識してないわけです。
ところが「津山三十人殺し」という事件、いや「田舎の性的風習」というフィルターを通すと、<薄情もんが田舎の町にあと足で砂ばかける>といった側の心理をそれなりに咀嚼できてしまうのです。

夜這いであったり、性的に乱れた村(現代的なモラルで見た場合、ですが)に関して不思議だったのは、子供の存在です。つまり「誰の子かはっきりしないのではないか」と。
ところがよくしたもので、ってのも変ですが、子供はその家の子というよりは村の子供なんですね。だから村のみんなで育てるという感覚があったらしいのです。
先の歌詞の<薄情もんが>の人は<出てくならおまえの身内も住めんようにしちゃる>っていうくらいだから身内ではないわけです。身内でもない人間が、何故そこまで強行に<田舎の町>から出て行くことに反対するのか、もしくはできるのか、これは非常に不思議だったのですが「身内ではないが、ある種の運命共同体」と考えれば疑問は氷解します。

「ファイト!」のこのパートの主人公は、異端児なんです。「若いんだから大都会・東京に憧れて当然」ともいえるのですが、「運命共同体としてそのような育てられ方をした」と考えるなら<田舎の町>を捨てようと思い詰めるのはやっぱり異端といっていい。

結局「こっちからみれば向こうが異常だけど、向こうから見ればこっちが異常」ということなんでしょうな。
これは日本国内の話ですが、世界に目を向ければ、もっともっと理解出来ない風習なり思想があるわけで、こんなところの出身じゃなくてよかった、だけじゃなく、とりあえず理解しようとする姿勢が大事なんじゃないかと。

何か妙にキレイにまとまったのでこれでおしまい!

2012年5月18日金曜日

推理の面白さ

以前旅行に行った時のことです。替えの靴下を二足持っていったのですが、旅行カバンをいくら探しても靴下が見つからない。いや、たしかに入れた。入れてないわけがない。何しろ旅行用にわざわざおニューの靴下をおろして真っ先にカバンに入れておいたんだから。
しかしこれもアタシの無精からくるものからきたともいえます。
その旅行は連泊だったのですが、初日の夜というか、翌日の朝というかにアタシは無精して、というかうっかり靴下を替えなかったのです。つまり前日に履いていた靴下を翌日も履いていったというわけです。不潔な話ですけど。
でもホテルについて翌日の朝まで旅行カバンを一切触らなかったかというとそんなことはないわけで、結構ひっくり返していろいろ取り出したりしたんです。この時点で、つまりホテルについた時点で靴下があったかどうかさだかではないんですが、おそらくあったんでしょう。んでカバンをひっかき回しているうちに靴下がどっかに飛んでいってしまった。たぶんベッドの下かなんかに。んでそんなことは気づかずホテルを後にしたのでしょう。
まあそうなったら終わりです。まずベッドメーキング係というか掃除の人に捨てられます。備え付けのミニテーブルの上に置いておいたりすると意外と残してくれるものですが、ベッドの下なんかだと確実に捨てられるわけで。
翌日以降にベッドの下をはじめ片っ端から捜索したのですが後の祭り。靴下はどこにもありませんでした。
しかたないので翌日から、ホテルに帰ってまず靴下を洗濯することから始める羽目になったのです。おしまい

もちろんこれはただの推理です。しかし家に帰っても靴下はなかった。となると忘れていったとは考えられない。やっぱり持っていくには持っていってた。んでどこかで「消えた」のです。
靴下を旅行カバンから取り出した可能性は自覚的ではなかったとはいえホテルについて旅行カバンを漁ってた時しかありえない。ベッドの下だったかどうかはともかく、アタシのおニューの靴下二足はホテルの掃除の人に処分されたのは確実でしょう。

今回はちょっとばかし番外編じゃないですけど、今年に入って何度か「昭和の猟奇事件」について書いてますが、アタシはこういった猟奇事件には昔から興味があったのですが、いわゆるミステリのたぐいはほとんど読んでこなかったといっていいでしょう。
何度か書いた昨年亡くなった叔父も、うちの母親もミステリが大好きです。小説はもちろんですが、母親は一昨年かなんかにケーブルテレビに加入して、ずっとミステリ専門チャンネルを見ています。
しかしアタシにはその「ケ」はなかった。簡単にいえば「推理しながら小説を読む」行為の面白さがよくわからなかったんです。

ところが最近読むようになりました。
といいたいとこですが、相変わらずほとんど読まない。前よりは多少読むようになりましたがそれでも読まないチームに分類される。でも「推理」の楽しさみたいなのは少しずつですがわかってきました。
昭和の猟奇事件の中でも特にアタシが関心が強いのが未解決事件ですけど、やっぱりね、推理してしまうのですよ。そういうサイトを読みあさってると「いや、でもアレはアレだから、アレなんじゃないの?」とか「当時の文化からして、また土地柄からしてこうなんじゃねーの?」とかね。ついつい推理ってやつをしてしまうのです。

そういや、とにかくあんまり詳しくないんで知りたいんですけど、「結局犯人が誰だかわからない未解決事件的な推理小説」ってないんですかね?もちろん状況なんかはそれなりに記してあって、みたいな。
まああるだろうね。でも具体的な作品名がわからないわけで。ああ、叔父が健在のうちに聞いておけばよかったな。

2012年5月17日木曜日

文章のクセと演技力

誰だって「文章のクセ」みたいなのがあると思います。このyabuniramiJAPANTiny2だってアタシの文章のクセがふんだんに出てると思うのですよ。
右のカテゴリから飛べますが、かつてmixiに文章を書いてたことがありました。そしてここの前哨戦といえば大仰ですが「sugame京浜」という名前で書いていたこともあります。
それらは自分では過去の、Tinyでも何でもないyabuniramiJAPANと文体を変えたつもりだったのですが、それでも改めて読み返すと、やっぱりアタシの文体のクセがでているのです。
別にバレないように文体を変えていたわけではないので構わないのですが、時にはなるべくバレないように書きたい時もあるわけでして。

某巨大掲示板にはたまにレスすることがあります。そこではなるべく文体のクセが出ないように、相当気をつかって書いています。
といっても自演しているわけじゃないんですよ。でも何となく「これは別人の意見として書いた方がいいな」てなことがよくあるんですね。
しかし本当に別人になりきれているのかは自信がない。何しろ文章のクセってのはそうそう簡単に直せるもんじゃないんでね。この辺は人間としてのクセと一緒でね。
それでもそれなりに対策はあります。たとえば徹底的に2ちゃんねる文体で書くことです。あ、2ちゃんねるっていっちゃった。まあ「じゃね?」とかね。要は2ちゃんねらになりきるわけです。

そういえば「yabuniramiJAPANぽい文章を書くには藪似という架空の人物になりきればいい」と書いたことがあります。つまりこの文章、というほどのもんじゃないですけど、書いているのは「藪似」という人なんです。けして自分自身じゃない。ほんのちょっとズラしてある。ズラすことによって饒舌になり、その方が読む側から考えても面白く書けると思っているんです。
もし完全に他人になりきれれば(架空の人物でも構わない)、きっと「文章のクセ」を完璧に消すことができると思うのです。そしてそっちのが面白いものが書けると思うし、文章の幅も広がる。一番わかりやすい例でいえばパロディですが、別にパロディでなくてもいいわけで。

となると文章を書くというのは、ある種の演技力なんです。架空だろうが実在だろうが、誰かになりきることができるか。
そして完全に演じることができた時、はじめてその人の本性というか、人間的な深みが重要になると思うのですがどうでしょう。

2012年5月14日月曜日

iPadを買ってみた

ということです。
の一言で済ませるのもアレなので少し詳しく書きます。

マイコン少年であったアタシは初代Macintoshを店頭で触って驚愕したものですが、購入しようという考えは一切ありませんでした。
まず高い。Macintoshが日本でも売り出されるようになった頃はちょうどアタシ自身がマイコン=パソコンに興味を失いかけていたのと時同じくするので、そんな高価なものを買おうという発想が浮かびませんでした。
それに活用の方法がなかった。そんなもん買って何に使うのかといわれても、何にもない。
それが某出版社に入り強制的にMacを覚えさせられるに至るわけですが、正直この頃は逆にWindowsをほとんど触ったことがなかったので、Macの何がいいか全然わからなかったのです。
その後MacとWindowsの両方を使い出し、ああやっぱりAppleの製品はよく考えられているわい、と感じていたのですが、WindowsにはWindowsのヨサがあり、どっちが上とかじゃなく単に用途が違うもんだなと。その考えは今も変わりませんけどね。
しかしアタシの趣向はどちらかというとWindows寄りでした。それが再びMacを使い出すことによって五分五分に戻ったって感じでしょうか。
iPhoneを買った時も、正直Androidでもいいかなと思っていたんです。それまでずっとWindowsMobileを使っていて、まあAndroidの方が若干ですがWindowsMobile的ですからね。ところが店頭で触り比べてみると歴然で、もうこれはiPhoneしかないぞと。
つまり「Apple製品だから」iPhoneを選んだというより、単純にAndroidとの比較でiPhoneにしたってのがホントのところです。

さてさて昨年末のことです。アタシはiPhoneより画面が大きくてパソコンより気軽に持ち運べる端末が欲しくなり、その時に初めてiPadが自分の中で浮上したのですが、この時は結局AndroidOSを搭載したLifeTouchNoteを購入しています。
LifeTouchNoteにした理由は、もう安かったから、という一言に尽きますが(逆にいえばiPadは高すぎた)、やっぱりAndroidなるものを一度試してみたかったという気持ちもありました。
が、結果的にいえばLifeTouchNote購入は失敗でした。購入前の懸念材料(キーボードのデキが悪いとか)は意外とたいしたことがなかったのですが、サスペンド状態でも電池がガンガン減るという仕様には閉口しました。これによってカバンに入れっぱなしにしておくことが不可能になり、ほとんど持ち運ぶことがなくなってしまったのです。
しかしこの期に及んでもまだiPadを本気で検討するまでには至りません。この頃の本命はMacBook Airでした。MacBook Airにすると何がいいかといっても、これ一台で仕事もこなせるってのは大きな魅力でした。まあアタシの仕事はMacじゃないとできないのでね。
ところがちょうどモデルチェンジ間際で、なのになかなか新型が発表されない。どうも下手したら秋くらいになるんじゃないかと。Mac自体はあるので待とうと思えば待てるというか、モデルチェンジ間際の機種を買うこともないな、と一気に購入意欲が萎んでいきました。
そんな折「自炊」というものを始めたんですね。てな話は前に書きましたが、やっぱり自炊した本をモバイル端末で読みたいという欲望にかられ始めます。
候補として電子ペーパーを用いた電子書籍閲覧専用端末をまず考えました。しかしこれがどうも決定版といえるほどの製品がない。次にいわゆる中華パッドといわれる中国製のAndroidタブレットを考えたのですが、非常に故障しやすいという噂もあってこれもダメ。
とかいってるうちに新型iPadが発売されて・・・という流れです。

ここで候補に上がっていた、もしくは実際に購入したLifeTouchNoteとの比較を簡単にしたいと思います。

☆電子ペーパー端末との比較
これは実際に購入して比べたわけではないのでアレですが、「決定版といえるほどの製品がない」というのも理由のひとつですが、その端末用に合わせてPDFを作らないと快適に閲覧できないというのがわかったのも見送った理由です。
すでに数十冊単位の自炊を終えていたので、これを再度変換をかけるのは非常に面倒ですし、端末を買い替えたらまた同じ作業をせねばならず、オリジナルも取っておかなきゃいけない、と管理もメンドくさい。その点iPadならそんな必要もないですし。
電子ペーパー端末の利点としてバッテリーの持ちがあるわけですが、まあこれもiPadくらいのバッテリーの持ちがあれば実用には困らないのがわかったので。

☆中華パッドとの比較
値段以外は何もiPadが劣っている部分がないってことです。
中華パッドはスペック以上にバッテリーが持たないってのも調べてましたし、解像度その他もそうですが、AndroidはPDFを快適に閲覧できるアプリが意外とないのです。

☆LifeTouchNoteとの比較
最初LifeTouchNoteでPDF閲覧ができないか考えたのですが、先ほど書いた通りいいPDF閲覧アプリがないし、キーボード付きのシェル形状で縦持ちがいかにも無理がある。
ではLifeTouchNote最大の利点ともいえる「キーボード付き」という部分ですが、これはiPadにBluetoothキーボードを接続してやることであっさり解決。変換はおバカですが(LifeTouchNoteはATOK搭載だから変換はそれなりに賢い)、まあもともと長文変換はやらないのであんまり関係ない。
何よりiPadの場合、サスペンドでバッテリーが減りまくるってことがないのは安心です。

☆MacBook Airとの比較
当然現行(2011年モデル)との比較になりますが、当たり前ですがイラレやフォトショ、インデが使えないiPadはアドバンテージなのですが、「仕事で使えない」という一点を除けば意外にもiPadの完勝です。
やっぱりRetinaの効果はデカい。純粋に閲覧用ならiPadは本当に最高です。
ただし思わぬ副作用もあって、家で使ってるMacBookの画面がボケボケに見えてしかたがない。iPadが綺麗すぎるだけですが、こうなるとどっちにしろ近い将来Macも買い替えたくなります。もちろんMacもRetina化するという前提で。

まあ仕事柄「iPadを買ったらMacを使わなくなった」なんてことはないのですが、実際本当にいい端末だと思います。とりあえず一台持っておいて損はないというか。
つか結局「Apple製品だから云々」は全然関係ないのですね。本当に自分に必要なものを選んだら、それにAppleのマークがついていた、と。その辺はさすがだと思いますが、でもこれからも「Apple製品だから」という理由で何かを買うことはないのかなとも思いますけどね。

2012年5月13日日曜日

必殺ロマンポルノ

どういうわけか「必殺」シリーズについて書きます。

必殺に関しては「藤田まことのこと(2005年1月17日更新)」のエントリでチラッと触れた程度なのですが、アタシが唯一本気になって見た時代劇であり、おそらく今後もここまで本気でハマる時代劇はないんじゃないかと思ってるくらいです。
たしか中2くらいだったかな。放送時間が結構遅かったので小学生の時は見られなくて、んで実際見たら、何ちゅうオモロイ時代劇や、と。

いやアタシは必殺にハマった記憶を熱く語ろうなんて気はござんせん。そういうのは面倒だからもうしない。
では何を書きたいかというと、必殺のポルノ要素について書きたいなと。
つまり中村主水と妻のりつの関係性についてです。

りつを演じたのは白木万理です。古い映画に興味がある方なら白木万理ならぬ白木マリがどういう存在だったかご存知かもしれません。
前に「やらしい女優」というエントリを書いたことがあります。北あけみや三原葉子の名前をあげて<下品な色気>という観点で書いたエントリです。
白木マリもこの範疇に入る女優で、肉感派、それも京マチ子あたりよりもずっとスケールの小さい、そんな感じの存在でした。
白木万理と改名して必殺でりつを演じる頃は「峠をこえた肉感派」で、非常に微妙な存在だったといえます。
さっき名前をあげた北あけみにしろ三原葉子にしろ、なぜかこの手の女優さんは意外と早く芸能界を引退しており、実際白木マリも一旦引退をしており、離婚してカムバックの折に改名して必殺に出演した、ということらしいです。

一方藤田まことはというと「てなもんや三度笠」をはじめとするてなもんやシリーズが終了し、いわば低迷期でした。ドサ回りをしていた、と藤田まこと本人が語っていますが、世間では中村主水を演じはじめた頃のイメージは「てなもんやの」とか「あんかけの時次郎の」、いやもっとはっきりいえば藤田まこと=馬、だったんです。それくらいしつこく馬面押しでしたから。
まあ一般には馬といえば巨根の代名詞でもあるわけで(馬並っていうでしょ)、実際藤田まことがどうかは知りませんがね。
とにかく藤田まことと白木万理の夫婦というのは「馬」と「元肉感派」の夫婦なのです。
この設定というか配置はどうにもエロい。それも今っぽいエロじゃなくて、日活ロマンポルノ的なエロさです。
その上中村主水は「夜はからっきし」(これ、ホントはそうでもないんだけど)という設定はいよいよロマンポルノ的です。
ま、本当にロマンポルノではないのでりつは若い男に走ったりはしませんが。

ホントのところはどうかわかりませんが、白木万理がレギュラーになったのがちょうどロマンポルノ全盛期ということを考えれば、意識した可能性がなくはないんじゃないかと。
とかいってますが「てなもんや」で藤田まこととコンビを組んだのは「白木」みのるだったので、だったら「白木」万理でいいんじゃね?なんて安直な理由だったかもしれませんがね。

2012年5月9日水曜日

老練アイドル

うちのね、まあめちゃくちゃ近くではないんですが横浜アリーナってのがあって。人混みの原因になるんで鬱陶しいといえば鬱陶しいのですが、誰であれコンサートのある日の非日常感は嫌いではないです。
「ハレ」と「ケ」なんていいますが、普段静かなオフィス街である新横浜周辺がね、アリーナでイベントがあると途端に雰囲気が変わるんですよ。それに加えて新横浜周辺には日産スタジアムと競馬の場外馬券場もありますからね。全部が重なった日とかもうカオスとしかいいようがない。
先ほど「誰であれ」と書きましたが、あれ?やけにオバチャンが多いなと思ったら氷川きよしのコンサートだったり、20代後半の女性が多い日は浜崎あゆみだったり。
当然10代の女性が多い日はジャニ系の日なんですが、そういう日は人の波が引かないんですよ。
理由は簡単で、ジャニの人たちのコンサートは一日ニ公演だからです。しかも期間も長くて、今年のゴールデンウイークも某平成飛が4日連続とかね。

昔の演劇やコンサートは一日ニ公演とかザラだったようですが、今時やってるのはジャニ系の人たちくらいでしょう。
いやこれは非常に重要なことだと思うのです。
いつも思うのですが、あの人たちって世間的には新人でも妙に落ち着いてるというか、浮ついてないというか、場慣れしてるんですよ。歌番組でも若手の、いわゆるミュージシャンにカテゴリされるような人の方がはるかに落ち着きがない。
でも10代前半からこれだけのことを毎日やってたら、ね。場数が半端じゃないんだから、テレビに出たくらいで動じないのも当然というか。

でもね、その分老成も早いと思うんですよね。
30代や40代に差し掛かったメンバーがいるグループとか、もう落ち着きすぎて老練、なんて言葉が似合う感じになってる。ある意味フレッシュさが命のアイドルとは一番かけ離れた存在というか。
たとえばモミアゲを金髪にしてる人とか、司会でね、トーンもテンションも凄え低いでしょ。まったくアイドルらしくない。けれどもそれがダメかといえば全然ダメじゃなくてむしろ素晴らしいテクニックなんです。
普通はあのレベルまでテンション落とせないですよ。それができるってのは、もう熟練としかいいようがないんです。

とか考えたら本当にジャニ系って不思議だわ。人気の在り方はアイドルなんだけど、芸風はアイドルとは真逆っていう。ま、だからこそハマれば長持ちするのかもしれませんがね。

2012年5月5日土曜日

では1970年代はどうだったのか

1980年代に起こった1960年代ブーム、みたいなことを前回書きましたが、1970年代も全然注目されてなかったわけじゃない。
それにしてもものすごく近い過去ですよね。たかだか10年ほど前を懐かしむってのは。

ヴィレッジバンガードみたいな店に行けば1980年代を懐古、みたいな書籍が結構出ていることに気づかされます。といっても、1980年代を切り取るとなると、ヤンキーでも阪神タイガース21年ぶりの優勝でもグリコ・森永事件でもなく、やっぱりファミコンになるのですな。つか他に切り口がないっていうね。

では1970年代にスポットを当てた本、これはさっきも書いた通り1980年代からありました。1960年代ほどではないにしろ、ファミコンしか懐古感が出ない1980年代と違い、網羅すべき出来事やブームはかなりあるのです。
ところがもし今この手の1970年代大百科が発売されたら確実にページを割かれるのに、1980年代に発売されたムック誌では黙殺されている存在があります。
それはドリフターズに関する記述です。
理由は簡単でムック誌が発売されていた1985年前後はまだドリフターズは現役バリバリでした。まだ「8時だョ!全員集合」が放送されていたか、もしくは終わったばかりであり、少なくとも懐古の対象ではなかったのです。

ドリフターズの全盛期は間違いなく1970年代です。荒井注が在籍していた前半、志村けんが加入した後半に分かれることは分かれるのですが、松竹で公開されていた映画も、チョットだけよも、どうもすんずれいしましたも、東村山音頭も、ディスコばあちゃんも、飛べ!孫悟空も、その挿入歌だったゴーウエストも、早口言葉も、「ドリフ大爆笑」のスタートも、全部1970年代という括りに入ってしまいます。

1970年代はドリフターズの時代だった、といっても過言ではない。浅間山荘も欽ちゃんもピンクレディーも三菱銀行北畠支店の事件も、ドリフターズの存在には霞んでしまう、それほどの存在だったはずで、これは1980年代のファミコンに相当するはずなんです。

1970年代のドリフターズ
1980年代のファミコン
そして1990年代は小室哲哉
軸があるんですよ、1970年代以降の時代は。
1960年代はというと、これがない。つか軸になり得る存在や出来事が多すぎてとてもひとつに絞れない。
逆なのは2000年代で、軸になるものが何もない。奇妙なくらいない。無理矢理いえばインターネットとかになるのでしょうが、インターネットが将来懐古の対象になるとはとても思えないわけで、iPhoneやユニクロや電車男に置き換えても一緒です。
とにかくすべてが小粒すぎるし懐古の対象にすらなり得ないものばかりです。

さて2010年代はどうなるのか、冗談抜きでね、今のところ「ぽぽぽぽーん」が最有力な気がする。めちゃくちゃ小粒だし、そもそもあんな震災が起こったからこそのあのCMの連打だったわけですが、それでも10年後に人々が「懐かしい」と思えるのはあれくらいしかない気がするんですよねぇ。

2012年4月30日月曜日

第一次レトロブームを考察、てもんでもないけど

自炊をしてみて手元に意外なほど「昭和関連本」を持ってたことに気がつきました。
アタシは「三丁目の夕日」(あくまで映画版の話ね)以降の昭和30年代ブームにはほとんど興味を持てなかったのですが(とはいえいろんな<絡み>から調べざるをえなかったんですが)、つくづく2000年代の昭和30年代ブームは1980年代の縮小再生産だったんだなと思い知りました。

1980年代に入って、何のことか突然懐古ブームが始まりました。しかし記憶で書くならこの懐古ブームは「昭和30年代ブーム」ではなく「1960年代ブーム」だったように思います。
時代を括るには実は「昭和30年代」よりも「1960年代」の方が良いのですが、2000年代の懐古が昭和30年代の括りになったのは「三丁目の夕日」第一作の舞台設定が昭和33年だっからでしょう。つまり1950年代後半。
昭和30年代前半=1950年代後半は戦後復興と高度成長の接続部みたいな時代で、これはこれで面白いのですが、面白さがシブめな感じなので本来あんまり一般受けはしないはずなんです。
ところが「1960年代」という括りにすると、恐ろしいくらい時代が動いてるのが感じられますからね。だってアンポからアンポまでなんだもん。

さてさて、前置きが長くなってしまいましたが、1980年代の1960年代ブーム(何かややこしいけどご勘弁を)とはどういうものだったのか。
おそらくブームの仕掛けというか発想の<もと>は映画「アメリカン・グラフィティ」あたりだったんではないでしょうか。
それまで日本には「文明開化の明治時代」や「大正ロマンの大正時代」みたいな、比較的遠い近過去(これまたケッタイな表現ですが)みたいなブームはありましたが、たかだか10年や20年前を懐かしむ風潮はなかったはずなんです。
アメリカン・グラフィティの日本公開が1974年。レトロブームは1980年代に入ってからですからずいぶん寝かせたものです。機が熟すのを待っていたともいえるかもしれませんが。
1981年より平凡パンチに連載された小林信彦著「夢の砦」あたりが基点となり、1985年前後に大挙出版された1960年代大百科的ムック、そして1986年よりスタートしたTBS「テレビ探偵団」でブームは頂点に達したといっていいでしょう。
実際は1970年代後半から「懐かしのテレビ番組」みたいな特番が各局で放送されていたのですが。スタジオ収録でもないのに「うわーっ!」とか「懐かしい!」みたいなSEが特徴的なやつです。(「ドリフ大爆笑」などでお馴染みの笑い声のSEはラフSEっていうけど、こーゆー歓声は何SEっていうんだろ?)

この第一次レトロブーム(と言い切ってしまいます)の強みは何といっても「本物をゲストに呼べる」ことにありました。
「テレビ探偵団」は実際に1960年代にお茶の間で活躍していた人をゲストに呼び、当時の映像を見ながら裏話を語ってもらう、という第二次(2000年代の方ね)では逆立ちしてもできないことをやってました。
第二次の場合、昭和30年代に活躍されていた方々は鬼籍に入っている場合が多かったですからね。

そしてもうひとつ。今より昔の映像が潤沢だったことがあります。
「当時は生放送が多く、またVTR収録の場合もビデオテープが高価だったため上書き録画され映像があまり残っていない」というのが定説です。
しかし今では現存が確認されていない映像がテレビ探偵団をはじめ多くの懐かし系番組で流されていました。
どうも第一次ブームが終わった後でテレビ局の社屋が次々と移転し、その時に大量に処分されたというのが真相のようです。

1990年頃というとすでにVHSビデオは普及していましたが、ソフトといえばほとんど映画(かAV)であり、今日のように懐かし系のテレビ番組がソフト化されることはごく稀でした。
「もうブームも終わったし、将来に渡って希少性がありそうもないし、何より邪魔だから処分してしまえ」てな発想だったのでしょう。

もちろん第二次ブームになってから発掘された映像もあるにはあります。しかし当時の映像も少ない、関係者もゲストに呼べない、しかもいろいろ権利関係の処理もあり(おそらく第一次ブームの頃は今よりおおらかだったのでしょう)、懐かし系番組はブームであるにも関わらず皆無に近い状態です。
もちろんスカパーの普及もあって、断片ではなくまるごと再放送、みたいなことも可能にはなったのですが。

というわけで第二次ブームはまことに味気ないものになったわけですね。
「実際にその時代を知らない、幻想としての昭和30年代」に、まだ幼少であったとしてもリアルタイムで生きていた人たちが違和感を覚えるのも当然で、ビートたけしが人情もへったくれもない果てしなく小汚いリアルな昭和30年代を再現したのは「幻想としての昭和30年代」に吐き気をもよおした、それだけの気がします。

もし第二次ブームが起こるなら本当は「懐古」ではなく「再分析」でなければならなかったはずで、手前味噌ながらアタシが協力させていただいた「植木等ショー!クレージーTV大全」(洋泉社刊)は「再分析」になっていると思います。
しかしこれとてメジャーな本ではないわけで、結局マイナーに再分析するしかないのであって、メジャーな金がかかる方面はまったく手付かずになっています。本当はメジャーどころが再分析しないといけないんだけど。

何か長々書いて最後は結局自慢かい、といわれそうですが、まあそんなもんです。

2012年4月29日日曜日

ひかりごけ事件を読み解かない

どうしてもやめてほしいことがあります。
ほれ、たまにあるでしょ、焼鳥屋とかでやたらかわいい鳥の絵が書いてあるのが。あれ、結構辛いんですよね。焼き肉屋だったら牛の絵とか。
今から食そうってもんなんだからさ、かわいさアピールされたら食う気が減退してしまうのです。
「美味しんぼ」での山岡士郎のセリフで「人間は罪深き生き物なんだ」(うろ覚え)なんてのがありましたが、牛にしろ豚にしろ鶏にしろ、まあいや殺して食しているわけですからね。こんだけ全世界で毎日食ってるってことは膨大な数の牛豚鶏が殺されてることになる。
さすがにこれらとカニバリズム(食人を好む一種の性癖)を一緒にしたらいけないと思うのですが、では人間を殺して食するのと人間以外の動物を殺して食するのと何が違うのか、答えるのは非常に難しい。

今回は「ひかりごけ事件」です。これは太平洋戦争の最中、難破した船から生存した船長が同じく生き延びた若い船員を食したという事件です。しかし殺人事件ではない。真冬の北海道の、人家もない僻地に投げ出されたため食料が何もなく、ふたりとも餓死寸前、先に命を断たれた若い船員の肉を、空腹で錯乱状態になった船長がむさぼり食ったという話です。
そもそもこの事件は戦争中で、しかも軍人ではなかったものの軍に属する人間の犯行ということもありほとんど報道されなかったといいます。それが今日知られることになったのは、武田泰淳が小説にしたためたからで、そのタイトルが「ひかりごけ」だったために現在では「ひかりごけ事件」といわれています。
小説「ひかりごけ」はあくまでこの事件をモチーフにしただけとは作者の弁ですが、船が難破しその船長が食人をした、までは同じなのに、複数の船員を食し、また殺人まで犯すという中途半端な改変が行われています。この小説のせいで事件が誤って記憶される場合が多いといいますが、まあそうでしょう。
でも個人的には小説よりも実際の事件の方がはるかに惹かれる。それは一対一の中での究極の人間の心理状態があると思うからで、これが複数の食人になるとカニバリズムとの差が微細になってしまうような気がするんですよね。第一殺人を犯すと犯さないでは心理が全然違う。

人間は極限状態に置かれるとどうなってしまうのか。
当時、いや今もですが、ある意味殺人よりタブー視される食人という行為までいってしまうというね、この事件は残忍とは何か、罪とは何か、モラルとは何か、喜びとは何か、まで問いかけてくるような気がするのです。

もし自分が極限状態に陥ったら何をしてしまうんだろう。もちろんなりたかないけど、たぶんとんでもないことをするのでしょう。そこには常識とかモラルとかは一切存在しない、キレイゴトでは片づけられない、人間の本性とでもいうのでしょうか、そんなんが出てくるんだろうなと思うし、そして仮にその極限状態を切り抜けられても、この事件の船長のように一生鮮明な記憶として脳裏ならぬ脳の表っ側にこべりつくんだろうなと。

2012年4月26日木曜日

カーネーション、世間とアタシの反応

今年の三月まで放送されていた「カーネーション」、何度かちょろちょろとここにも書いていたのですが、実は初回から見ているわけではないんですね。総集編で一応補完はしましたが。

カーネーションにたいする評価は時期でほぼ分類できます。
1.2011年年末まで
2.主人公の不倫騒動(当然劇中で)
3.主役交代まで
4.主役交代以降
こんな感じですか。

昨年中は「えげつない関西弁が飛び交う一風変わった朝ドラ」みたいな感じからの感想が多かったように思います。
「今までの朝ドラにない主人公の言動が新鮮」
「朝からあんなどぎつい関西弁を聴くのは勘弁」
受け取り方はいろいろですがどちらも焦点は同じです。

年が明けて主人公の不倫が物語の中心になると、注目度と視聴率の両方が一気に上がります。
賛否は当然あるものの、否定的な意見も朝ドラの主人公が不倫をすることにたいする否定で、つまりドラマにハマってる状態なんですね。

不倫騒動が終わり、主役が尾野真千子から夏木マリへ交代するまでが、ある意味安定期であり、安定期ってのは批評的な意味で、ですが。

さて主役が夏木マリに代わってからです。
ここから否定論が多数を占めるようになりますが、ほぼ二つに集約できる。
「夏木マリの関西弁が気になる」
「ドラマとしてのパワーが落ちた」

ここまでアタシは自分の意見を抜きに書いてきましたが、実はどっちもおかしいのです。
まずこの物語は実在の人物をモデルにしています。コシノヒロコ、ジュンコ、ミチコ三姉妹(いうまでもなく三人とも名のしれたファッションデザイナー)の母親であり、自身もファッションデザイナーの先駆者的存在であった小篠綾子その人です。
この人の人生を俯瞰で眺めるとよくわかるのですが、「自分の娘を三人とも有名デザイナーに育てた」ことではなく「70歳を過ぎて自身のブランドを立ち上げ、死ぬ直前まで現役だった」ことの方がはるかに凄い。
つまりは主役が夏木マリに交代して以降がこの物語の本編なんです。尾野真千子時代は壮大なプロローグといえなくもない。
「夏木マリ以降の老成した主人公は描くべきではなかった」という意見を見ましたが、もし70歳以降の話がないと前菜だけで終わったことになってしまうし、それでは小篠綾子という人をモデルにした意味がなくなると思うのですね。

最後にループさせたのも素晴らしい。あれは楽屋落ちでも手前味噌でも何でもない。
だって小篠綾子の人生は肉体が死んでも実はまだ終わっていないってことを暗示してるんだから。小篠綾子は自身の人生が朝ドラになることを切望し、死んでから5年も経って実現したんだから本当に終わっていない。
「主人公が死んでからもまだやりたいことやってる」
そんな朝ドラ、いやフィクションありましたか?

夏木マリの関西弁がおかしいってのも変で、晩年マスコミに頻繁に登場していた小篠綾子の当時の映像を見ると結構標準語が混じってるのです。
考えてみれば当たり前の話で、中央に進出して標準語圏の人と接する機会が増えたんだから多少混じって当たり前なんですよ。
それよりアタシは夏木マリの演技を評価したい。
世間的に絶賛された尾野真千子を受け継ぎ、しかも生前の小篠綾子と交流があった、つまり両者の落とし所が非常に難しかったはずで(夏木マリ本人もそこが一番難しかったと語っていましたが)、うまく双方のイメージを取り込み、尚且つ新しい像を作ることに成功したと思います。

反対に尾野真千子は今後ちょっと苦しいかもしれません。
アタシが大絶賛した「ちりとてちん」ね、主役を演じた貫地谷しほりは恐ろしいほどの振り幅を見せましたが、引き出しを全部開けたという感じではなかった。まだ余力があると思わせたというか。
この辺が尾野真千子とは違う。
尾野真千子も貫地谷しほり同様実力派と呼べる人ですが、良くも悪くも一世一代の当たり役という感じが強く残りました。正直いってこれ以上の役に彼女が巡りあえる確率は限りなく低いと思う。
何いってんだ、今までまったく違う役柄を好演していたのを知らないのか、といわれそうですが、もちろん知ってます。しかしあの猛烈な役の前と後とでは絶対世間の見る目が変わるに違いないのです。

この辺はアタシが敬愛する植木等と似てるのかもしれません。植木等が無責任男の呪縛から抜け出したのは「見た目」が変わった50代後半からです。
尾野真千子がそこまでかかるのかはわかりませんが、少なくとも数年は「糸子」の呪縛が解けないんじゃないかな、そう思っています。

個人的な意見としては「カーネーション」は「ちりとてちん」よりも劣ります。しかし圧倒的に画期的なフィクションだったには違いない。今期の「梅ちゃん先生」(未見)の評判が芳しくないようですが、こんな圧倒的な作品の後だと相対的に評価が下がってしまうのはしかたない気がするのですがね。

2012年4月12日木曜日

カフェのBGM

こういったブログを書くのは大抵カフェでです。とにかく家でブログを書こうという気がしなくてね。家でブログを書いたのなんて数回だけじゃないかな。
旧yabuniramiJAPANは2003年に開始して、一番最初は野球の話だったのですが、これも外で書きました。
当時アタシはサラリーマンを辞めたばかりで、福岡ドーム(現・ヤフージャパンドーム)で日本シリーズを見た後、奄美大島にひとり旅に出かけたのですが、時間潰しに、なつかしのPDA・HP Jornada568にポケットキーボードを取り付けて、それで書いていたのです。つまり2003年の時点で「モバイルでブログを書く」ことをやってたんですな。

外で書くと何がいいといっても気が散らないのです。家で書いた方が気が散らなそうですが、ついつい仕事であったり雑用であったりが気になる。この手のブログは一気にガガーッと書かないと逆に書けないのです。推敲するようなもんじゃないからね。後で何度か読み返してみますけど。
もちろん書きやすいカフェもあるし、逆に書きづらいところもある。ひとことでいえば微妙に静かなところです。
キーボードの打ってる音も気になるような静かなとこだと非常に打ちづらい。でもあんまりうるさいところでも気が散る。やたら声が大きいのがいるところとかね。
話はそれますが、手を叩きながら笑う人、大抵は女子高生とかですが、アレは何とかならんのか。たぶんさんまとか関根勤の影響だと思うけど迷惑極まる。

ほとんどのカフェでは、チェーン店でもそうでなくてもBGMが流れています。基本的には気にならない音量で、ジャンルでいえば圧倒的にボサノバが多い。どこにいってもボサノバボサノバ。別に嫌いなジャンルじゃないんでいいんですが、どこかひとつくらい、昔のスーパーみたいに歌謡曲のインストゥルメンタル流してもよさそうなのに。ま、妙に気取った雰囲気を出したいんでしょ。チェーン店でもね。

そういや昨年イギリスに行きましたが、何度かカフェに入ってみたりしましたけどBGMが流れてる店はなかったな。つかいらないんでしょう。
要はカフェのBGMなんてもんは「お洒落な雰囲気つくり」以外に何も意味もないのです。でもイギリスなんかだとそんなことをしなくても店内も「自然のお洒落さ」があるし、ふと窓の外に目をやると、どこの街でも絵はがきにでもなりそうな感じだからね。
でも日本はそうじゃないからね。洒落た場所もあるけどそんなとこばかりにカフェがあるわけじゃなくて、駅前の、雰囲気もへったくれもない、きったねーだけの味も何もない商店街の中にあったりしますから。せめてカフェの中だけでも「ああ、自分は洒落た空間の中にいるんだ」と思わせてくれたらコーヒー代くらいは安いもんだ、とこういうことでしょう。

ま、そう考えたら延々ボサノバを流し続けるチェーン店のカフェを責めるわけにはいかない。
それにね、無理矢理でも洒落た空気を出そうとしてくれてるおかげで、アホみたいに騒ぐ莫迦も来づらいし。だからこうやって落ち着いてブログも書けるわけでして。

2012年4月2日月曜日

自炊に苦戦する・その2

アタシは漫画をあまり読みません。つか読まなくなりました。
てな話は以前書きましたが、「自炊」の対象となるのは漫画よりも小説とかノンフィクションとか、まあほぼ文字だけの本ですね、そんなんが大半です。
しかしドキュメントスキャナを買ってみて、さあ部屋のものを整理しようと思って漁ってみたら、本もそうなんだけど書類とかノートとかメモ書きとか名刺がことの他あるのに気がついた。あと説明書とかパンフレットとかチラシとか手紙とか。こーゆー捨てるに捨てられない、でもどう整理したらいいかわからない紙が山ほどあるんですね。
てなわけで断裁っつー最も厄介なもんもあまり発生しないし、まずは本以外の紙モノから処理することにしたんです。
よくよく考えたらアタシが買ったのはドキュメントスキャナでしょ。断裁した本もスキャンできるけど本来の目的は散乱した書類等を整理するためのもんで、実際めちゃくちゃ捗ります。
いや、今ドキュメントスキャナを買おうって人は本の自炊のためって人がほとんどだと思うのですが、書類等の整理のためだけに買うってのも余裕でアリですよ。こんなん通常のスキャナ(フラットベッドってやつ)でなんか到底ヤル気しないけど、ドキュメントスキャナなら本当に簡単に整理できます。しかもそれほど画質とか画像の傾きとかを気にせず、そして一番気を遣う重送(複数枚が重なってスキャンされてしまう)もあんまり気にせずに済む。小説や漫画なら一ページでも飛んだらエライ事ですが、ノートくらいだとまあいいか、と思えますからね。

もうひとつ、これらの書類等からスキャンを始めてよかったのは「ドキュメントスキャナとかこんなもの」ってのがわかったことでした。
本当に大事な希少な本は断裁しようとは思わないし、本当に高画質でやりたい時はドキュメントスキャナでは性能不足でフラットベッドスキャナでシコシコやるしかない。つまりドキュメントスキャナにかける本ってのは
・本としての価値はあまりない
・もう読み終わったし処分してもいいんだけど、もしかしたらもう一回読み返したくなるかもしれない
・もしくは資料的価値だけはある
こういう本に限られる。そして大半の本はこの範疇に入ってしまうことに気がついたのです。

文字中心の本でいえば、とにかく読めればいい、そういう割り切りを持てるかどうかなんですね。別にスキャンしたものを売ろうってんじゃないんだから自分が読めれば充分なわけでね。
本気でキレイな自炊本を作ろうと思えばスキルも手間暇も、そしてそれなりに高価な機材も必要になる。
でも割り切ってしまえば、断裁はディスクカッターで充分だしね。多少斜めになろうが、切り口が汚かろうがお構いなし。
スキャナも低価格機の部類に入るs1300で充分。後処理もグレースケールで取り込んでPDF化して終わりか、やったとしてもPhotoshopのアクションで一括処理してやればそれなりになる。

ただし古い黄ばんだ本の処理はちょっとめんどくさい。これもPhotoshopで一括処理してるんだけど、下手にやると文字がカスれて読みづらいんだよね。かといってカラーのままだとファイルサイズが無駄にデカくなってしまうし。
こればっかりはアクションの設定を詰めざるをえないな。

2012年3月30日金曜日

自炊に苦戦する

自炊、ってやつを始めました。
もちろん飯炊いてオカズ作って云々の自炊ではなく、ザクッと切ってビャッと取り込む、そっちの方の自炊です。

アタシは到底読書家とはいえませんし、部屋が狭いので極力本は買わないようにしているのですが、それでも長いこと生きてきたら本ってもんは溜まるのですね。金は溜まらないけど。
自分ではマメにいらない本を捨てていってるつもりだったんですけど「これはいる。これだけは絶対処分できない」本で溢れかえる結果になってるわけで。まあそんな人も多いのではないでしょうか。
となると「自炊」という選択肢が浮上します。手持ちの本を電子化するってことなんですが、これまでは消極的でした。
何度か電子書籍なるものを読んでみたのですが、はっきりいって読みづらい。電子書籍を読むのに向いた端末を持ってないというのもあるんですが、これで本一冊まるごと読むのは辛いなあとね。
電子書籍はそれでも文字サイズも変えられるし、自炊した本よりはマシなはず、つまり自炊した本とかとてもじゃないけど読めたもんじゃないだろうと。
しかしいろいろ事態は切迫し、ついにドキュメントスキャナなるものを買ったのです。機種はScanSnapシリーズのs1300。定番ともいえるs1500にしなかったのは値段が倍ほど違うし、サイズもだいぶ大きいから。自炊本を上手く取り込めるのか、そしてちゃんと読むことができるのかわからない状態で5万円は勇気が要ります。その点s1300は2万円前後でサイズもコンパクトなので使わない時も邪魔にならないしこれでいいかと、ね。

スキャンの過程の話はまたの機会にして、読めるかどうかでいえば意外と読めました。相変わらず読むのに適した端末を持ってないのですが、iPhoneでも読めないこともない。GoodReaderはPDFの余白をカットできるのでギリギリですが可読できます。
ただiPhone程度の画面サイズでは限界がありますし、意外と大丈夫ということがわかったので、なんか適当な端末を買おうかと思案中です。

本は溜まるけど金は溜まらず、スキャナ買って本は減るけど金も減るのね。

2012年3月23日金曜日

昭和30年代を舞台にしたあの作品とあの作品

だいたいアタシは3D映画なんてもんに懐疑的です。
大昔にやたら棒を振り回す体のインチキ極まる3D映画を観に行ったことがありますが、コケオドシという表現がピッタリで、しかもスクリーンが観づらい。ここ数年アバターあたりからですか、やたら3D映画が流行りましたが、絶対に観に行くもんかと思っておりました。
それが今回「ALWAYS三丁目の夕日'64」を3Dで観たのは、やはり大昔に観た時とは技術も違うだろ、一度観てから批判なりなんなりしなきゃな、と思ったからなんです。それに内容的にもやたら「飛び出す」表現もないだろうから目も楽だろうなと。

とにかく泣けました。それも始まって10分もしないうちに。泣けて泣けて。
当然ストーリーで泣けたわけではなく目が痛くて涙が止まらなくなったんですね。いやあ、これは結構拷問でした。途中からさすがに慣れてきたものの、観終わった後の目の疲れは半端ではなく、やはりこれは無理だわ。
もちろんアタシの視力が右と左で極端に違うというハンデもあるのですが、それにしてもこんなおっとりした内容の映画でこんだけ目が疲れるんだから、それこそアバターみたいなのは絶対に無理だわ。

さてそんなことはどうでもいいのです。
思えば「三丁目の夕日」シリーズはすべて劇場で観ました。こんなことは珍しい。そしてそれはこの映画にハマったからではなくとある事情で第一作を観なきゃいけなくなって、後は惰性というか、つまらない意地というか。
はっきりいってこのシリーズには褒める部分もあるけど基本的には批判的なのです。

これは根本的な不満なのかもしれないけど、音楽をね、まったく効果的に使ってないのですよ。サントラも主題歌も悪いってわけじゃないんです。ただ、音楽と記憶ってガッチリ結びついてるじゃないですか。なのに「いかにも昭和33年を彷彿させる」という音楽がほとんどない。悲しいほどない。いや、何曲かは挿入歌として入ってるんだけど、使い方が悪いんで、ほとんど印象に残らない。せっかくね、テレビがやってくるってエピソードが入ってるんですよ。だったら当時のいい方でいえばコマソンね。三木鶏朗の曲とかをもっと効果的に使えばいいのに。そうしてこそはじめて、「当時じゃ作れない、昭和30年代を舞台にした映画」になったんじゃないかと思うのです。(2006年1月13日更新「『ALWAYS 三丁目の夕日』のこと」より)


これは第一作を観た後に書いたものですが、今回の「'64」でも一緒で細かいCGはともかく何も改善されていないといっていい。
まあでもわかるのですよ。これだけ固定ファンがつくシリーズも近年珍しく、となると固定ファンが安心できる内容にしなきゅならない。当然どんどん保守的になっていくってのはね。

原作は第一作でちょろっと使われただけで、それ以降はオリジナルといっていい。ただ第一作の時点で巧かったのは、お馴染みの癒しの昭和30年代の象徴として鈴木家を、激動の昭和30年代の象徴として茶川家を対比で描いたことで、原作でわき役に過ぎない茶川を年齢設定を替えて主役に持ってきたのは間違いなく映画スタッフの功績です。
さっきも書いたように、固定ファンの期待を裏切らないためか、これは「'64」でも踏襲されています。だけどこれは逆転させてもよかったと思うんですよね。せっかく第二作で茶川が結婚したんだから、今度は鈴木家を激動に放り込んでもよかった。

さて「三丁目の夕日」シリーズで鈴木オートの主を務めた堤真一ですが、今年のはじめにNHKで放送された「とんび」でも主役を演じていました。これは昭和30年代がドラマの導入部なのですが、まあ妙に合うというか。
だいたい堤真一がトレンディドラマの残り香のようなドラマに出ていた頃(やまとなでしことか)一応二枚目として出ていましたが、いったいどこが二枚目なんだよと。ただのゴリラじゃねーかと。でも昭和30年代って設定だとゴリラぶりが栄えるんですよ。それにこの人、素はバリバリの関西人なので、真面目な演技でも妙に可笑しいんですよ。それが「三丁目の夕日」シリーズでも「とんび」でも上手く出ています。

さて「とんび」ですが、内容は「'64」よりずっとよかった。内容はベタなんだけど、細かい描写の巧さもあってジンワリいい作品に仕上がっていました。
堤真一演じるのは鈴木オートに近しい昭和の頑固親父なんだけど、実に人間味があってね。鈴木オートはキャラとしての頑固親父だけど、「とんび」のは血の通った人間なんですね。人間として弱い部分がいっぱいあって、それでも必死で頑張ってる一小市民になってた。

「三丁目の夕日」シリーズに話を戻しますが、このシリーズの最大の弱点は「人間味のなさ」なんです。所詮全員キャラでしかない。必死でこの時代を生き抜いた人たちの群像なんだって感じがないんです。
原作が漫画だという言い訳は通用しない。せっかく登場人物の過去を語るエピソードもあるのに、それが人間的な深みになっていない。ただのエピソードで終わっている。

もったいないですよ。お金もいっぱいかけてただ昭和30年代をCGで再現しただけってのは。もっともっといい作品にできただけにね。

2012年3月14日水曜日

対話は本当に必要なのか

「死ねよ。糞が。」という言葉には僕も傷つきますが、しかし一方で、対話の前提条件が既に消失した現代において、無理やりファンとアンチが対話しようとすれば、結局アンチ「ステマ乙」→ファン「死ね」、というようなやり取りにならざるをえなくなるのです。(なぜステマ疑惑でここまで炎上が起きるのか「斜め上から目線」


これはGIGAZINEからリンクが張られていたので読んだブログなのですが、まあ全体の内容はどうでもいい。どうでもいいはいいすぎですが、ステマというものにたいして興味がないアタシからすれば、まあどうでもいいのです。
が、上記の一文、特に「対話の前提条件が既に消失した現代において」という部分は、正直あ、と思ったんです。
ブログでもmixiでもTwitterでも、そして某巨大掲示板でもそうですが、何でそんなこと書くんだろうと思うことは多々あるわけで、それは「コミュ障」という言葉で片づけられてしまうのですが、まあもし「障害」なのであれば本人は多かれ少なかれ本人は悩むもんだと思うのですが、悩んでいる感じが、ごくごく短い文章からも感じられない。むしろ「何でオレが悩むんだよ。悩むのはお前等の方だろ」という開き直りすら感じます。

ネットだけじゃない。現実世界でもハナから対話する気がない、という若い人が結構いるのです。いや、もっとそもそもの話になりますが、対話というのは本当に必要なものなのか、というところに行き着きます。
何いってんだ、いるだろと思われる方の方が正常だとは思うのですよ。でも徹底的に理詰めでいくと、対話で何かを生み出すというのは甚だ非効率です。もっとも成果があがる方法を対話ではなく統計なり科学的根拠なりでベストを導いた方がいいのかもしれない。絶対的正解というものです。
ところが人間は機械じゃないわけで、特に古い人間になればなるほど、いや違うな。学歴が高ければ高いほど、いやいやこれも違うわ。人間であればあるほど、うん、これが一番近いか。とにかく割り切れない部分が出てくるはずなんです。
そしてもっといえば、もう人間は何もしない方がいいという結論になってしまう。人間的な部分は計算では出てこない閃きがある代わりに、論理的な根拠を導くのに邪魔な「感情」というものがありますからね。
「感情」を解決するには「対話」しかないのです。いや、もしかしたら他に方法があるのかもしれないけど、とりあえずは対話は必要なものです。必要なんだけど対話はめんどくさいものでもある。これは間違いない。

アタシ自身、到底コミュニケーションが得意な人間とはいえない。得意ではないけど対話でしか解決しないことがあるのは知っている。知っているからこそ問題が起こった時に、苦手を自認していながら対話を試みるのです。
ここで開き直って「だって対話なんて必要ないでしょ。対話から何が生まれる?」となってしまったら、もう自分は人間ではない、と宣言してしまってるような気がするのです。
もちろんそれはそれでいい。その代わり自分が人間的な扱いをされなくても一切文句をいってはいけないと思うのですよ。だって放棄したのは自分なんだもん。自分の都合で、相手を人間扱いしない、でも自分のことは人間扱いしてくれ、というのはあまりにも勝手すぎます。

もう一回いいますが、対話を拒絶する人にいいたい。本当にいいの?そっちがそのつもりなら、こっちもそっちを人間扱いしないよ、と。

2012年2月21日火曜日

三菱銀行人質事件を読み解かない

去年の大晦日でしたか、平田信が出頭しましたね。実はめちゃくちゃ軽い因縁があるというか。
アタシが音楽をやってた頃の話です。仕事はそこそこに、それこそ友達の家に入り浸っていたわけです。遊んでたんじゃないですよ。ちゃんと「音楽をやってた頃」と前フリしたじゃないですか。そう、音楽の制作をしていたんです。しかしそんなこと表向きには誰もわかりゃしない。いい若者が昼の日中からブラブラしてるようにしか見えないでしょう。
そんな折りにね、来たんですよ。何がってもちろん警官が。時は1997年、場所は大阪の南部。
まあそれだけじゃ、あのオウムと全然関係ないのですが、アタシはどっちかっていうと、どっちかといわなくても濃い顔だからね。平田信に似てないこともない。しかも友人の名前が平田信と紛らわしい名前で。そこにもってきて昼間から何やらガサガサしてると。まあ近所からタレコミでもあったのでしょう。
もちろんまったく関係ないからね。それで済んだんだけど、何となくオウムの逃亡犯の中でも平田だけは早く捕まれよ、と思っておった、と、まあこれだけの話でして。

さて

今まで何回か猟奇事件のことを書いてきましたが、これらはアタシが生まれる前の事件です。厳密にいえば三億円事件は生まれた後だけど、赤ん坊だったアタシが覚えてるわけないわけでして。
ではリアルタイムで初めて戦慄を覚えた事件は何だろう、と考えた時、やはり三菱銀行北畠支店での立てこもり事件は忘れることができないのです。

さくっと三菱銀行北畠支店と書きましたが、これは後年の知識ではなく当時から脳裏に刻みこまれたものです。もう「猪木のリズムタッチ」と同様、三菱銀行といえば北畠支店、というように完全にセットになってインプットされているのです。(リズムタッチネタ、ずいぶん前に書いた気がするけど、まあいいや)
犯人の名前は梅川昭美。これまた強烈に刷り込まれた名前で、一部の人には「江川梅川」とセットで覚えておられるのではないでしょうか。江川ってのはもちろん江川事件の江川卓なのですが、さすがに梅川とセットなのはかわいそうですな。

立てこもり事件の実況中継といえば、アタシより数年年長の方からすれば連合赤軍によるあさま山荘立てこもりになるのでしょうか。さすがにあさま山荘は覚えていない。でも三菱銀行のやつはもう小学生でしたからね。テレビにかじりついて見てました。
何なんだろうね、あの緊張感と集中力。この事件以後大きな立てこもりがない、というのもあるとは思います。けどそれだけじゃないというか。
いったい中で何が行われているんだろうと。すでに死者も出ているわけですからね。とはいえ小学生ですからエロい想像とかはしないんですが、もし自分が人質だったらどれだけ怖いだろう、と。
人質になるなんて嫌に決まっているわけです。でも想像を膨らませるというのは、どこかで人質願望とまではいきませんが、ああいう極限状態への憧憬みたいなものがあったんでしょうね、その頃から。

まあ後年この事件を調べて、あれ?と思ったこともあって。犯人の梅川ね、ずっとベタベタの関西弁だと思っていたんですよ。でも今聞くと結構訛ってるというか純粋な関西弁じゃないんですね。地方出身者が若い頃に関西に住み着いて身につけた関西弁、とでもいうか。実際そうなんだけど。
もしかしたら関西弁イコール怖い、になったのはこの事件からなんかね。アタシは神戸出身という土地柄、そっち系の人が喋ってるのを何度も聞いていましたが、言葉自体は怖いとは思わなかったからね。でも梅川の関西弁は怖かった。やっぱりあれは・・・いややめとく。

2012年2月11日土曜日

才能で得られるもの、努力で得られるもの

昔は打撃は才能、守備は努力といわれたものですが、最近は逆ではないかといわれています。
たしかにそうです。打撃はまれにプロに入って突然変異のように花が開く選手がいます。たとえば元ヤクルトの古田なんか最たるものでしょう。
アマチュア時代の古田は守備はおおいに評価されていましたが、打撃面でプロは厳しいといわれていました。だからこそ大学卒業時にどこからも指名されなかったのです。
が、野村克也監督の指導の元、めきめきと力をつけ首位打者を獲得しましたし、三割30本塁打も記録しました。そして最終的には大卒・社会人出身者としては初の2000本安打を達成したのです。
古田は極端な例だとしても、プロに入って打撃が飛躍的に向上するというのはさほど珍しい話じゃありません。
ところがアマチュアの頃に守備がヘタクソで名手になったって話は聞いたことがない。
現在はさておき、数年前まで阪神の金本の守備を指して「ヘタクソの最高到達点」といわれていました。金本は打撃力と走力はありながら守備はからきしダメで、肩も極端に弱くないのに守備は下手で通っていました。しかし数々の修練を重ねたのでしょう。一応まともな外野手になることができた。
といっても上手い外野手になれたわけじゃない。外野で最も守備力を問われないレフトを過不足なくこなせるようになったにすぎません。

アマチュア時代の守備力なんてプロの二軍選手にも劣るもので、だからいきなり守備で一軍で通用する選手など稀です。が、後年名手になる選手は入ってきた時点からキラリと光るものをもっている。
阪神の平野はアマチュア時代には「プロでもいきなりトップクラスの守備力があるんじゃないか」といわれて入ってきた選手です。が、オリックス時代の平野の守備は惨憺たるもので、早々にショート失格、セカンドにコンバートされた挙げ句大怪我をして、最終的には外野とセカンドを兼任することになります。
阪神にトレードで来た後も、守備範囲は広いがポカが多い選手で、とても名手とはいえませんでした。ところが試合を重ねるにつれモロかった部分が安定し、昨年今年と二年連続でゴールデングラブ賞を獲得したのです。
やはり最初から、というかアマチュア時代から守備の才能があったとしか思えないんですね。

野手に限らず、最近は投手も、スピードボールを投げるのは努力、コントロールは才能、といわれるようになってきました。
スピードボールを投げるのは持って生まれた身体能力も関係ないとはいえませんが、それより「速い球を投げることができるフォーム」を身につけることが肝心なわけで、実際身体作りとスピードボールが投げられるフォームを会得したことで、プロで10キロ以上速くなった投手はゴマンといます。
ところがコントロールはいくらいいいフォームで投げていても、精密機械のようなコントロールはつかないらしいのです。

投手ならコントロール重視、野手なら守備重視というと何となく後ろ向きな感じがしますが、これにプラスして身体の強さと練習嫌いでない、これらの要素があればプロとして通用する気がするのです。
これからはドラフトでその辺を重視して指名してもらいたいのですがね。え?どこがって?もちろん阪神がですよ。

2012年2月7日火曜日

マネーボール

「マネーボール」を観ました。お、何かyabuniramiJAPANぽいぞ。

ま、改めて書くことじゃないんですが、アタシは大の野球好きです。しかし面白い野球映画に出くわしたためしがない。
たとえば「フィールド・オブ・ドリームス」なんかは野球映画の名作といわれていますが、もうひとつピンとこなかった。一般にはラストのキャッチボールのシーンがいいといわれていますが、それよりもとうもろこし畑からかつての名選手が現れるシーンの方がゾクゾクしました。
この映画を観たのが、ちょうど敬愛する阪神タイガースの暗黒時代でして、かつての名選手が再び現れてボロボロのチームを救ってくれたら、と思うと涙がでてきましたが、それは映画とはあまり関係ないことで。
邦画で野球映画の名作といわれているのは「男ありて」ですが、この映画に関しては昔に書いたことがあります。

部分的に光る場面はあるんだけど、どうしても納得できないところがあって、点数を下げざるを得ないという感じですか。(中略)物語の中盤まで、主役で監督役の志村喬に感情移入されては困るわけで、観客が感情移入すべきキャラクターは、家庭でも職場でも志村喬と関わりを持つ、藤木悠でなければならない。なのに藤木悠のキャラクターが全然わからないんです。(中略)演出もシナリオも大筋は悪くない。お好み焼き屋で復帰が決まった志村喬が手帳を開いてチームのスケジュールを確認するシーンとかもよかったし。だからねぇ、もう本当に惜しい作品というか。ちょっとの差で佳作にもなってない。本当にちょっとの差なんだけどね。(2004年1月13日更新「『男ありて』のこと」より)


ひとことでいえば芳しい作品ではなかった、ということになります。

さて「マネーボール」ですが、この映画の主人公のモデルになったビリー・ビーンはセイバーメトリクス理論を大々的に導入した人物として知られ、要は資金のない球団が豊富な資金を有する球団にどうやったら勝てるか、という理論なのですが、セイバーメトリクス自体賛否両論あり、たとえば攻撃面でいえば「バントや盗塁は御法度、打率や長打力もどうでもいい。とにかく出塁率を重視する」といったもので、野球のもつ爽快感を殺してでも勝つということに拘った理論なので賛否両論があって当たり前なのです。日本では現在オリックスの監督を務める岡田彰布がセイバーメトリクスぽい野球をやることで知られています。

映画そのものに目を転じると、何しろ実話ベースなので煮え切らない部分もある。アタシがイマイチだと思った「ソーシャル・ネットワーク」に似た「現在進行形ゆえの煮え切らない結末」なのは間違いないのです。(製作と脚本家にひとりずつ「ソーシャル・ネットワーク」のスタッフが参加しているし)
が、それでも面白く感じたのは、ブラッド・ピットの予想外の好演によるもので、正直彼の家族の話は蛇足なのですが、全体的に地味な題材をブラッド・ピットが華やかに演じてくれるので、映画がカラフルなものになっているんですね。
特に電話をかけまくって、カマをかけながらトレードを成立させるシーンはブラピの華がなければ成立しなかったでしょう。
こういうのがハリウッド映画の巧さで、ジョナ・ヒル演じるオタク気味の片腕との対照で両者が光っているのです。

絶対面白い、というおすすめはしませんが、野球好き、そしてセイバーメトリクスという言葉に引っかかる方ならDVDででも観る価値はあると思います。逆に野球に興味がない人は止めておいた方が無難です。というか観るとこないと思うしね。

2012年2月1日水曜日

三億円事件を読み解かない

「で、それがその時の集合写真」「・・・いないじゃん」「え?」「おまえ写ってないじゃん」「そんなわけないだろ、いるだろ」「どこ・・・よ?」「ほら、ここにいるだろ」「・・・なんか似てなくね?」「似てないも何もオレだろうが」「もしかして顔変わった?」「たかだか一年で顔変わるかよ!」

みなさんもこのような経験をしたことが一度はあるのではないでしょうか。
同一人物が目の前にいるのに写真に写っている人物と別人に見えてしまう。それはその人の顔の一部分だけを強く認識していて、そこが写ってなかったりはっきりしなかった場合、同一人物と認識できなかったりするわけです。

さてアタシは昭和43年生まれです。昭和43年というとあの三億円事件が起こった年でして、オレ三億円事件があった日に生まれてん、なんて同級生もいたわけです。
三億円事件といえば昭和の未解決事件の中でもとびきりの大事件で、しかもこの事件が特異なのは誰ひとりとして被害者がいなかったというところです。(実際は報道被害はありますが)
まあ警察はだいぶ捜査費用を使っており「♪あれから一年三億円~ 頭抱えた警視庁〜 捜査に使った費用を見たら こんなことあるかしら三億円」と「アッと驚く為五郎」の替詞としてシャボン玉ホリデーの中でも歌われていますが、実際にかかった捜査費は9億円以上だったといわれています。

未解決事件に初動捜査ミスはつきもの、というのは何度もいっていますが、正直今考えても何で未解決なのかさっぱりわからない。というのもですね
・犯人は顔を見られている
・山のような遺留品が残されていた
・犯人は犯行現場に土地勘があった(つまり犯人の居住地や行動範囲を絞りやすい)
・前フリともいえる脅迫事件(三億円事件と同一犯の犯行と判明している)で筆跡と血液型までわかっている
・事件当日は歳末特別警戒の初日で各所で検問を実施していた
・盗まれた札のナンバーが一部にしろ判明していた
・その他計画自体も完璧とは言い難く、というかずさんな部分が多く完全犯罪の要素は微塵もない
これだけ早期に犯人を検挙できる可能性がありながら、初動ミスからまったく容疑者を絞り込めず、最後は遺留品と疑わしい地域での尋問をローラー作戦するしかなくなったのです。

三億円事件と聞いて、大半の人はまずあのモンタージュ写真を頭に浮かべるのではないでしょうか。
今ではよく知られていますが、あの、例の写真、あれは本当はモンタージュではありません。当時疑わしいと思われた人物の顔によく似た、まったくの別人の写真にヘルメットを合成しただけという、正直合成とすらいえないシロモノでした。
しかも当時疑わしかった容疑者はその後謎の自殺をしており、その後の捜査で「真犯人ではない」と発表しています。当然モンタージュ写真も全然意味のないものになり、最終的には警察はモンタージュ写真を撤回する、というお粗末さでした。
初動捜査ミスも痛かった。そして結果的に決定的な容疑者となりえなかった人物に似た人物の顔を「こんな顔です」と発表してしまった。それらも十分失態なのですが、アタシは後々まで検挙できなかったのはこのモンタージュ写真に原因があるような気がしてなりません。

モンタージュ、というのは、今はそれこそPhotoshopなんかで簡単に作れますが、顔の各パーツをつなぎあわせて作成します。しかしそれは「誰かと似ているようで絶対に存在しない顔」なのです。人間が無理矢理作った顔なのですからどうしてもそうなります。
だけれども、だからこそ似ている、という判断ができると思うのです。
仮にモンタージュ写真と似てなかったとしても、それが正規の方法で作成されたモンタージュであれば、その他で「怪しい」部分が多ければね、似ているような気になってくると思うんです。モンタージュの誰かに似ているようで誰にも似てない、というのはそれくらいの認識の幅が広がるはずですから。となるともっと有益な情報提供があったはずなんです。
それが実際に存在した人物の写真を使ってしまった。つまり「本当に存在する顔」になるわけで、となると逆に「似ていても、違う」という判断をしてしまうと思うのですよ。

アタシは人間の脳がいったいどのような仕組みで他人の顔を認識しているのかは知りません。しかし純粋に顔だけみて判別できるのは、よほど親しい人に限られるのではないでしょうか。その人の身体的特徴だったり表情のつくり方だったり雰囲気だったりを加味しながら、あれはあの人だ、と認識しているような気がするのです。
たとえばよーく見ると有名人のダレソレに似ているのに、ぱっと見は全然違う、なんてことも珍しくありません。顔のパーツや配置は似ているんでしょうが、それ以外の部分が違いすぎるので認識できないのでしょう。
なんとなくですが、同一人物かどうか顔で判断する時、似ている部分を探しているのではなく違う部分を探しているのではないでしょうか。となるとモンタージュというのは実に優れた方法で、すべてにおいて曖昧だから相違点の判別がしづらいですからね。

三億円事件は様々な教訓を残しましたが、その中のひとつに「実在の人物をモンタージュです、などという馬鹿なことはしない」も絶対に入ると思うのですがね。

2012年1月27日金曜日

前進あるのみ!

今日はドリフ映画の話でも。

ドリフ映画に関しては以前総まとめで一回書いて、「誰かさんと誰かさんが全員集合!!」は単独で取り上げたことがあります。
総まとめで書いた通り、ドリフ映画は松竹と東宝で作られ、メジャーで安定した出来なのが松竹、マイナーで不安定なのが東宝、とこれはまあその通りなんです。
松竹ドリフ映画はDVDにこそなってないものの一応ビデオ化はされているので今回は割愛して、東宝ドリフ映画についてやや詳しく書きます。
東宝ドリフ映画は計5本。うち2本は松竹でメイン監督だった渡邊祐介があたっているので、この2本は、まあ松竹ドリフ映画との差異も少ない。出来も安定しています。
問題は残り3本、和田嘉訓監督分です。
この3本、相当毛色が違う。渡邊祐介監督作品と、というよりドリフターズぽくないとでもいうか。とにかく和田嘉訓という監督の色が濃厚で、同じく色が濃厚な渡邊祐介作品とは対を成しているといっていい。
第一作の「ドリフターズですよ!前進前進また前進」(以下「ドリフターズですよ!」は割愛)は後で詳しく述べるとして、第三作「冒険冒険また冒険」と第五作「全員突撃」ははっきりいってバラバラな映画になっています。
特に「冒険冒険また冒険」はいかりや長介入院中ということもあり、ドタバタシーンはすべていかりや長介抜きであり、以前高木ブー氏から聞いた話では、途中の渋谷の西武百貨店屋上からのロケはいかりやが退院した当日に撮られたらしいです。
こんな状況でまとまりのある映画が撮れるわけもなく、コント55号の摩訶不思議なコントが見れたり、前作「前進前進また前進」と同じ役で登場する藤田まことの活躍、またボーヤになりたてだった志村けんがワンシーンだけ登場するなど非常に見所が多いにも関わらず、かなり厳しい出来です。

さて第一作の「前進前進また前進」です。
ひとことでいえば新鋭コメディアンの主演第一作のお手本のような、非常に手堅い展開を見せます。
松竹ドリフ映画の場合、テレビでおなじみのキャラクターをうまく活かしているのですが、やはり映画とテレビは違うものですから、うまくアダプテーションしてやらないといけない。「前進前進また前進」は実質主演第一作ですから(公開は松竹の「なにはなくとも全員集合」の方が早いけど、あれはドリフ主演映画とはいえない)、手探り感が非常に強い。つまり各人のキャラクターを映画でどう活かすか、まだ掴めてないのです。
キャラを全面に押し出すことができないのならストーリーで魅せるしかないわけで、話が転がりやすい、いわゆる「巻き込まれ型」の展開にしてあるのが巧い。巻き込まれ型の話は二転三転して話が進みやすいのですが、意外と面白くならないものでして、この手の話はアイデアが相当いるのです。それによって出来が左右される。
「前進前進また前進」はよく見るとイタダキも結構あるんですが、まあ上出来といえるのではないでしょうか。
もうひとつ、脇役にいい人材を配置しているのも特徴で、貫禄たっぷりに親分を演じるスマイリー小原をはじめ、イカれたフーテン娘の大原麗子、そして天本英世が圧巻です。わざわざ東映から大原麗子を借りてきたのも、興行的に未知数のドリフの補填の意味合いもあったのでしょうが成功しています。

こうしてストーリーと脇役に気をつかうことで成功した「前進前進また前進」ですが、ドリフがやる意味が薄いといえば薄い。つまり誰がやってもそこそこ上手くいくように作っているからで、だからこそコメディアンというかコメディグループ主演第一作に相応しい内容といえるのです。
上手くリメイクすれば、今でも通用しそうです。五人もグループじゃなくて寄せ集めでも何とかなるし。というか話の骨格は既存のものを使って、そこに上手く盛り込んでいった方が安全かつぶっ飛んだ作品が作れると思うのですがね。

2012年1月20日金曜日

死ぬほど旨いラーメン屋

生きてきた中で一番旨かった食い物は、と聞かれると相当困る。
メニュー別で、たとえばチャーハンならここ、焼き鳥ならここ、イタリアンならここ、というのはあるんだけど、料理すべてひっくるめてどこそこのなになにが一番旨いというのを決めるのは困難を極めるわけです。

別に聞かれてもないので答える必要はないんだけど、ひとつメニューを絞って書いてみましょう。
ちまたで話題になりやすいのは、やはりラーメンでしょう。どこそこのラーメン屋が旨い、みたいな話は一度はされたことがあるんじゃないでしょうか。ラーメンてなもんは絶対的な指標があまりなく、味覚の好みに左右されますから「ここ旨いから一度行ってみな」といわれて行っても「え?どこが?」みたいな事態に陥りやすい。逆にいえばおいそれと他人におすすめの店を教えるわけにいかないものでして。

話が変わるようですが、ケンタッキーね。アタシはかなり旨いと思っています。が、一度食べると一年くらいインターバルが欲しくなる。旨いんだけど飽きるってやつです。
ラーメンはそういうのが多くて、評判の店に行くとね、大抵一口目は旨い。しかし食べてるうちに飽きてくるってパターンが多いのですよ。食べてるうちに飽きなくても、また次、すぐに来たいかと聞かれれば、しばらくは結構、と思ってしまいます。

福岡県にある、某ラーメン屋は正反対のパターンで、最初食った時は正直マズいじゃねーか、と。散々旨い旨いと聞かされて行ったので、いったいどこがだよ、とね。
が、不思議なもので食ってるうちに、あれ?これはこれでいけるんじゃないかと思えてきたんです。まあ福岡ですからね、当然とんこつなんだけど最初は臭みが気になったんです。でも食ってるうちに気にならなくなったっていうか。
こうなると一回目に行った時より二回目の方が旨く感じる。んで三回目はさらに旨く感じるんですよ。ハマる典型的なパターンです。
かなり不便な場所にあるので車でないと行けません。一度無理矢理電車で行きましたけどね。駅から相当離れてるんだけど、もう食いたい一心で。

「そんな旨い店なら店名くらい書けよ」ってなもんですが、でもね、ここは誰にでも勧められるような店じゃ全然ない。つーかマズいといわれても、ああそうだろうなと思ってしまいそうだし。
でもそんなことはどうでもいいのです。アタシが旨いと思ってりゃそれでいいんだから。味覚なんて本当に個人的なもんだと思うしね。

2012年1月15日日曜日

ロボトミー殺人事件を読み解かない

一時期よくブログに「うつ病」について書いたことがありました。
これは知り合いにうつ病の人がふたりもいたためで、特にひとりは身内関係だったのでいろいろ調べないわけにはいかなかったのです。
調べてわかったのは、いわゆる特効薬のようなものは存在しない、ということです。もちろんいろいろ研究が進んで症状が改善する薬も開発されていますが、特効薬というほどのものはまだ存在しません。
ふと気になって、外科的な処置はないのかと思ったのですが、どういう調べ方をしていいかわからず、そのまま放置していました。
そんな時、安藤健二著「封印作品の謎」というルポライトを読みました。この本に関しては以前詳しく書いたので割愛しますが、この本の中で「ブラックジャック」に関する章があります。「ブラックジャック」とは、もちろんあの手塚治虫の名著であり、その中の一本、どうしても封印を解けない作品がある、とのことでした。
どうしても封印を解けない一話、それはロボトミーという脳外科手術を扱った回でして、ロボトミーとは脳の、前頭葉の一部を切除してしまう、という、今考えると何とも荒っぽい手術なのですが、つまり「ブラックジャック」のある回はロボトミーの描写に問題があったわけでして。

この手術を施すことによってうつ病が改善する可能性がある、というわけですが、まあだいたいわかると思いますが、脳の一部を切除する、というのは非常に危険を伴うわけでして、危険といっても失敗して死亡、ということではなく、人間としての思考が困難になってしまうのです。
有名な例ではジョン・F・ケネディの妹がロボトミー手術を受け知的障害になったといわれています。

日本でロボトミーといえば、ロボトミー殺人事件でしょう。
これはスポーツライターとして活躍していた男性が妹夫婦の家で暴れたことをきっかけに「無理矢理」ロボトミー手術を受けさせられ、その後、手術を施した医師の家族を殺害した事件です(医師は帰宅しておらず無事)。
スポーツライターはロボトミーの術後、感受性が極端に落ち、スポーツライターを続けることが困難になりました。そのことを恨んで(逆恨みとはいいづらい)医師の家族を殺害したわけです。
そもそもロボトミー手術を受けた患者は、感受性ややる気の低下と引き替えに非常に穏和になるといわれており、穏和になるどころか殺人事件までいってしまったことにこの事件の特異性があります。

うつ病の話に戻ります。
うつ病の人にとって一番困難なのは感情のコントロールが困難になることで、悪い思考のスパイラルから抜け出せなくなってしまいます。ですから当然、うつ病患者の願いは、心穏やかに生きたい、となるわけですからロボトミーに興味を示す人も少なくないでしょう。
しかしロボトミー殺人事件は、現在日本で禁止になっているロボトミー手術への抑止力になるはずです。仮に脳の一部を切除したところで、もっと極端な悪い結果になる可能性すらある、というね。

2012年1月10日火曜日

帝銀事件を読み解かない

この前「昭和の猟奇事件に興味がある」なんてことを書いたのですが、そもそもアタシが昔の事件に興味を持ったきっかけはというと、なんといっても帝銀事件になるわけです。
もちろん以前書いた阿部定事件もあるのですが、阿部定事件の場合事件の背景にさほど興味を持ったわけではなく、あくまで男性のイチモツを切り取る、という猟奇姓に惹かれたのですね。しかし帝銀事件は違う。こんなに事件の背景に興味をそそられる事件はないといっても過言ではない。

未解決事件とひとくちにいっても、たいていは警察の怠慢捜査、もしくは初動捜査のミスに端を発します。まあそうでない未解決事件はありえないのですが、それでも非常に入り組んでいて捜査のとっかかりが掴みづらい事件もあるわけです。
たとえば下山事件などは、入り組んでいるというより「様々な社会情勢を入れ込みやすい」側面がありました。陰謀説を唱えるにはもってこいの事件でして、いわゆる事件マニアが飛びつくのもわかる気がします。松本清張は替え玉説という、ある意味飛び道具的な推理をしていましたが、これも想像の余地が非常に大きいからできたわけです。
松本清張は帝銀事件にも大きな関心を示していました。これまた想像の余地が非常に大きい事件でして、単純な冤罪事件だとしても、はたまたそうじゃなかったとしても、いかようにも推理できてしまいます。
特に「GHQが関与していた」というのは推理としては、というより読み手からすれば、ある意味楽しい推理なわけです。
が、これまた容疑者とされた平沢貞通は、現在では完全な冤罪ではなく一部関与していたのでは、といわれていますし、有力とされたGHQの関与もほとんどなかったのでは、といわれています。

さてさて、アタシが帝銀事件に興味を覚えたのは子供の頃からこの事件の話を聞かされていたこともありますが、今では信じられないことですが、平沢貞通が獄中死した時、テレビで追悼というわけでもないのでしょうが、映画「帝銀事件 死刑囚」が放送されたんですね。監督は名匠・熊井啓。熊井啓はこの後下山事件の映画化にも取り組んでいますが、これがデビュー作です。
主演は信欣三。正直あまり知らない俳優で、その後脇役で出ているのを見たことがありますが、テレビでこの映画が放送された当時アタシは見たことがなく、知らないからこそ逆にリアリティがあったんです。
ずいぶん前に「ウィークエンダー」という三面事件をテレビ化したような番組があり、それについて書いたことがありましたが、この番組の再現ビデオに出ていた俳優も世間では無名の人でした。
こういうセミドキュメンタリーの場合、有名な俳優がやると逆に物語に入り込めないのですね。帝銀事件もテレビドラマ版で田中邦衛が出ていたりしてたのですが、これはあきらかにマイナス要因でした。
「帝銀事件 死刑囚」はその後再見してないですが(あえて、です)、これが非常に怖かった。この映画はあくまで平沢貞通冤罪という立場で作られたものですが、毒薬の入ったビーカーのせいで一時期瓶入りのドリンクが飲めなくなったりしました。

帝銀事件がアタシにとって他の事件と違うのは、興味の幅が広がったというのもあります。
平沢貞通の本職は画家であり、テンペラ画を描いていました。テンペラ画といっても普通の人は存在すら知らないと思いますが、この事件の影響で強い興味を覚えました。
またコルサコフ症候群という病気も初めて知りました。平沢は狂犬病の注射の影響で病気にかかったといわれますが、コルサコフ症候群は非常に厄介な病気でして、早い話極度の虚言癖が出てくるのです。この虚言癖のせいで捜査は振り回されるのですが、持って生まれた(それこそサイコパスのような)人格でなく、たかだか狂犬病の注射ごときで虚言を何とも思わなくなる、というのは非常に恐ろしいし、物凄く興味を惹かれます。
あまり関係なかった(かもしれない)とはいえ、GHQの存在に興味を持ち調べるきっかけになりました。もしこの事件がなければ「終戦後の日本の情勢」に興味を持たなかったかもしれません。

ま、以前も書きましたが、別に新たな検証も何もないのですが、こんな感じで昭和の事件について書いていければ、と思っております。

2012年1月8日日曜日

ハウフルスのこと(再録)

お馴染み手抜きデー、yabuniramiJAPANリターンズの日がやってまいりました。
今回はとあるテレビ番組制作会社にスポットをあてたエントリです。
では時計の針を2005年2月27日に巻き戻します。




さてみなさん、ハウフルスって知ってますか?テレビ番組の制作会社なんですが、ふつうの人はまず制作会社なんて意識しないでしょう。アタシだって何も制作会社で番組をみてるわけじゃない。でも好きな番組を並べると、とある共通点に気がついたのです。

たとえばアタシはここ10年以上見続けている唯一の番組が『出没!アド街ック天国』(テレビ東京)なんですが、これの制作会社がハウフルス。またアタシが「この番組だったら自分で企画を出して出演してみたい」と思っている『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)もハウフルス制作。他にも『タモリのボキャブラ天国』(フジテレビ)や『どっちの料理ショー』(よみうりテレビ)、『チューボーですよ!』(TBS)もここの制作です。

アタシがこの会社を最初に意識したのが『探検レストラン』(テレビ朝日)という番組で、山本益広を料理評論家として有名にしたことで知られますが、おそらくはじめて≪料理≫をエンターテイメントにした番組だと思います。
とにかく切り口が新しく、にもかかわらず司会に超大衆的な愛川欽也を起用したのも斬新でした。

この<斬新またはマニアックな企画>+<大衆的な司会者>というのがハウフルスの基本で、『どっちの料理ショー』の関口宏や『チューボーですよ!』の堺正章はもちろん、アタシの大好きな『出没!アド街ック天国』ではふたたび愛川欽也を起用しているのです。

ところで番組名が並んでいるのをみて、ひとつ気がつくことがあると思います。そう、どうにも料理系の番組が多いのです。しかし一度でも『どっちの料理ショー』や『チューボーですよ!』をみたことのある人ならおわかりになると思いますが、とにかく料理の撮り方が抜群にうまいのです。とにかくやたら旨そうにみえる。
これはふつうのカメラで料理を撮ってみるとよくわかるのですが、料理を旨そうに撮るというのは非常に難しいことなんです。ましてや動画になるとなおさらです。
アタシが広告代理店に勤めていた当時、やたらクライアントから「もっと『どっちの料理ショー』みたいに撮ってくれ」といわれたものですが、アタシはプロのカメラマンではないですし、そんなもん撮れるわけがありません。でもそれぐらい「おいしそうな料理の指針」になっているんじゃないかと。

まぁそんなことはどうでもいいです。

ここの武器は「料理の撮り方」だけではありません。もうひとつ、やたらBGMの使い方が巧い、というか、センスがいいのです。
これは『出没!アド街ック天国』なんかをみてもよくわかります。たんなるダジャレから映像の雰囲気に合うものまで様々ですが、その選曲が実に幅広い。番組の終わりにわざわざ「選曲の3曲」というミニコーナーまで設けて曲名とアーティストを明示しているくらいです(※現注:現在は終了)。60年代のR&Bから最新のナンバーまで使用しているんです。
とくに70年代のディスコサウンドには、スタッフの中にかなりのマニアがいるとみえるようで、アタシの知識じゃ到底噛み砕けません。

当然のようにアタシの好きな植木等の曲もちゃんと使われていて、「薬丸印の新名物」のコーナーでは、ずっと『馬鹿は死んでも直らない』が使われていますが、このことだけでもスタッフの音楽的知識のすごさがわかってもらえるんじゃないかと。

その音楽的知識とセンス、さらに徹底的なおふざけ精神がいかんなく発揮されているのが『タモリ倶楽部』の中の「空耳アワー」のコーナーなんですね。

たしか2000年の年末に「空耳アワー」の特番をやってたんですけど、これは死ぬほど笑いました。そん時アタシはこう思ったんです。
「このおもしろさを共有できない女性とは付き合いたくない!」
と。

このおもしろさはいったい何なんだろうと考えてみると、ハウフルスのセンスってジョーク好きのミュージシャンのセンスなんですね。いわゆる演芸系の笑いとは180度違う笑い。それこそエノケンからはじまって、三木鶏郎、クレージーキャッツに受け継がれた≪ジョークの延長としてのギャグ≫がある気がするんです。
だからタモリと相性がいいのは当然で、「仲間内のジョーク」を芸にしたところから出発したタモリは、まさにハウフルス制作の番組をやるために生まれてきたようなタレントだともいえます。

それは『タモリのボキャブラ天国』はもちろんだし、非常に短命で終わったものの『タモリのネタでナイトフィーバー!!』(フジテレビ)なんて、本物のジャズメンからジャズメンでない人まで≪ジャズメン風のジョーク、ホラ≫をひたすら披露する構成になってました。こんな生に近い素材がウケるはずもないのですが。

『ボキャブラ天国』でも「空耳アワー」でもいいのですが、最後のオチのために、かなりカチッとした映像をつくっているでしょ。あれって結構大変な作業ですよ。でもオチを最大限にまで活かすためには、あの映像は絶対必要なんです。
谷啓がつくったコントのひとつに「これは本当の話です」という語りからはじまり、その後延々日常のありがちな光景を映像でみせる。そしてふたたび谷啓が画面に現れて「これは本当の話です」なんてのがあったそうです。
実際アタシもこの谷啓作のコントをみたわけじゃないんだけど、これこそまさに≪ジョークの延長としてのギャグ≫ですよね。そしてこれは見事にハウフルスのセンスにつながるんです。

ただ音楽にくわしい制作会社ってだけじゃない。音楽が基本になったおふざけが本当にわかっているというか。そういうところがアタシを猛烈に引きつけるんでしょうね。




今回も2回分をまとめてます。
1回目の前フリはたまたま見た「ケロロ軍曹」についてなんですが、2回目はホリエモンについて書いています。
ちょうどニッポン放送を買収する云々の頃だったのですが、何だか妙におかしかったのでそこも再録します。




何かと話題のほりえもんVSフジテレビですが、こないだテレビをみてたらこんな場面に遭遇しました。
それはほりえもんが、ネットを有益に使えばラジオの世界が広がるかを説明している時でした。するとインタビュアーが「じゃあインターネットにつながってない人はどうするんですか!」と、まるで鬼の首をとったかのように莫迦な質問をしてました。
アタシはほりえもんに関しては、アンチでも擁護でもないけど、ネットをやってる人間をいまだにマイノリティと思っているような、あんな莫迦な記者を相手にしなきゃいけないほりえもんにつくづく同情します。
ラジオで「FAXでご意見を募集してます」なんていわれると「FAXを持ってない人はどうするんですか!」なんて抗議の電話でもかけろってのか、ホントに。
「じゃあラジオ受信機を持ってない人はラジオを聴けないんですか!」
「テレビを持ってなければテレビがみれないじゃないですか!」
「金のない人間は好きなものを食うのを我慢しろってことですか!」
「ムカつくヤツがいても無闇に殺しちゃダメっていうんですか!」
なんでもいけるな、この記者の理屈なら。




だからなんだって話ですが、今日はこの辺で。

2012年1月5日木曜日

≪プチ≫昭和の猟奇事件マニア

以前ここに阿部定事件について書いたことがあるのですが、どうもアタシは猟奇事件のマニア的傾向があります。
といっても猟奇事件なら何でもいいというわけではなく、わりと幅が狭い。

▽日本国内の事件であること
▽昭和初年から45年までの事件であること
▽未解決、またはそれに準ずる謎が残されていること

フィクションなら海外のミステリでも興味があるんですが(積極的ではないけど)、ノンフィクションの場合は風土やその国の警察というものであったりが頭に入ってないとどうもダメで、どうしても国内の事件に限られてしまうのです。

時代背景も同じで、大正以前になってしまうと、やはり遠すぎてわからない。
が、ここが難しいのですが、あまりにも最近の事件だと、なんだかツルツルテカテカのようで猟奇的な感じがしない。というか残ってる映像がカラーだと、もう最近じゃないか、とか思ってしまうのです。

最後の「未解決、またはそれに準ずる謎」というのは、まあ緩い縛りです。
たとえば「津山三十人殺し」なんて未解決の要素は皆無なのに興味がありますし、逆に国鉄三大ミステリのひとつ「三鷹事件」とか、今もって再審請求中の「袴田事件」とかはあんまり興味がない。
そんなことをいえば「阿部定事件」も謎とかほとんどないんだよね。

まあ、どういいますかね。猟奇事件マニアです、とか、堂々と言いづらいというか。趣味が悪いとか思われちゃうだろうし、だいたい本物のマニアからすればアタシは赤子同然ですし。
本物の方は裁判記録まで読んじゃうんだから。

それはともかく、少しでも興味が湧いた方はぜひ松本清張の「日本の黒い霧」を読んでみてください。もちノンフィクションですよ。
少々強引な推理が入ってるし、特に「下山事件」の項とかね。
でもそんなことはまったく関係がないくらい、グイグイ引き込まれますから。

そんなことで、これからちょっとずつ昭和の猟奇事件について書いていきたいな、と。別にアタシが補足したり新たな発見があるわけじゃないんですが、書きたいもんは書きたいのでして。金銭が発生しないブログだからいいでしょ、と、ね。ダメ?
そんな時にはとっておきのこのセリフを。
みなさん

こらえてつかぁさい。

2012年1月3日火曜日

SNSなんてでぇっきらいだー!!

もうこの際はっきりいっちゃいますが、心底SNSという奴に腹がたっています。
日本でSNSといえばずっとmixi、そしてここんとこFacebookが急速に普及していますが、何でこんなに使いづらいのか、さっぱり理解できない。
まあ理解できないっていうくらいだから、両方ともアカウントを持っているのですがね。

mixiははじめてから相当たちます。が、これはいろいろあかんわ。
一番ムカついたのは、○○さんが魚を釣り上げました、とか、○○さんが収穫しました、とかいうの。最初何のことか全然わからなかったんですけど、ゲームの話なんですね。それがいちいち表示されるという。
もうね、知るか!ってことなんです。アタシがそのゲームをやってるならまだいい。でもそんなゲームやってないし、そんなのが表示されたところでやりたいとも思わない。これは設定でオフにできるみたいですが、最初はそれもできなかった。んで開いたらこんなんばっかり表示される。ウザいったらありゃしない。
Facebookもいい加減腹がたつ。何が腹がたつって、ちゃんと投稿順に表示してくれない。勝手に「ハイライト」と称して順番を並びかえやがる。特にモバイルで見るとその辺の設定もうまくできない。
アタシが文句をいいながらもTwitterを使っているのは、Twitterは余計なことをしないんですよ。ひたすら投稿順に表示してくれる。仕様が素直なんです。かといって自分なりにカスタマイズができないかといえばそんなこともなくて、リストをうまく活用すれば、わりと気分良く閲覧できるようになる。

mixiやFacebookにはそういう素直さがないんです。とにかく勝手にいろいろやる。設定で変えれるよ、といわれても、むしろ勝手にいろいろやってくれるのをオプションにするべきじゃないかって思うし。

なにしろただの一回も、ああSNSってのは便利なもんだなと思ったことがない。とか書くと、それはお前さんが人と繋がろうとしてないからだろ、といわれそうです。
いや、これは間違っていません。でもそこまで拒絶することもないと思っているのです。過去にオフ会を開いたこともありますし、ネットからの人間関係の発展にはそこまで否定していないのです。
が、現状のSNSでは思うような人間関係の構築ができないのです。
仕事でね、アタシの仕事は基本在宅なのであまり人と接することも少ないのですが、それでも人と出会うことは皆無ではありません。
そういう時、たまに聞かれるのですよ。Facebookやってないんですか?って。そうなるとあいまいに「いや、アカウントは持ってるんですけど、ほとんど使ってないんですよ」と。別に嘘はついてない。しかしこれはある種の拒絶ですよね。
いや、本来口に出して聞かれなくても先方の名刺にFacebookのアカウントが記載されてたら、やっぱりアクセスして挨拶すべきなんですよ。それが社会的な礼儀になってるとは感じているのです。
でもしない。しちゃうと収拾がつかなくなるから。

友人関係ってのは本当に難しいものでして、集まる人によって、やっぱ自分の態度を微妙に変えているわけです。本当に親しい友人と、仕事先で出会った人とでは態度が違って当然です。そしてそれが特別なことというか、アタシが特別だとはさして思わない。
それを最大公約数的な態度でやろうとすると、もう堅苦しくて何も書けなくなる。
アタシは現在絶賛放置中に近い状態ですが「CrazyBeats」というクレージーキャッツのファンサイトもやっています。ここにね、CrazyBeatsと同じ内容を書こうと思えば書けるんですよ。でもやはり「クレージーキャッツが何者なのかよくわからない、興味がない」人にも読んでもらおうと思うと、微妙に内容が変わってくるし、おそらく濃いファンが読んでもつまらないでしょう。
いわば使い分けです。TPOといってもいい。カジュアルな格好で行ってもいい場所とフォーマルな格好でないとダメなところで服装を変えるのは当たり前なんです。

じゃあ現状のFacebookなんかでそういうことができるのかといえば、できないことはない。でもアタシからすればできないも同然です。そういう意味ではアタシ思うSNSに一番近いのはGoogle+かもしれない。あれはサークルという概念が基本にあって、TPOに応じて装いを変えることができるのを理念にしていますから。しかし如何せんやってる人が少ない。
いや、アタシの中に理想のSNSってのがあって、EvernoteとTwitterとメールとGoogle+を合体させたようなもんなんだけど、といっても極々シンプルなもんで。
仮にアタシが技術力も資金もあって、そういうのを作ったとしても、こればっかりは利用者がいないとどうしようもないですからね。そうなるとやっぱりGoogle+は辛いわけで。

2012年1月2日月曜日

2012年・今年の目標

みなさま、あけましておめでとうございます。今年も何も考えず、適当に書いていきたいと思います。
さて、せっかくですから今年の目標でも書いていきましょうか。せっかくだから今まで何度も挑戦してできなかったこと、言い換えるなら弱点の克服ですね。これにチャレンジしたいなと。

アタシにはどうしても克服したい弱点がいっこあります。それは「口笛を吹けない」ことです。
何を大仰な、と思われるでしょうが、これ、結構コンプレックスなんですよ。
まあ楽器が弾けないのはしょうがない。何の修練もしてないんだから。ああ、ギターはごく簡単なコード弾きくらいならできるけど、こんなのできるうちには入らないでしょう。
そういえば小学生の時、クラスにオルガンが置いてあって、何故か競うように「猫ふんじゃった」を演奏していました。だから「猫ふんじゃった」は弾ける。いや弾けた。当然今は弾けなくなっています。
かといって皿回し、DJができるわけでもない。シャレで回したことはあるけど、真面目に人に聴かせられるもんじゃない。
アタシはかつて音楽ユニットを組んでおったのですが、ご覧の通り何にもできないので、仕方なく歌っていました。といってもメインヴォーカルではない。サブですらない。しいていえばサードヴォーカル、とでもいいますか。
けして歌が巧いわけじゃない。はっきりいってヘタクソ。でも歌うのはとりあえず誰でもできるからね、レベルを問わなければ。

アタシの楽器コンプレックスは根深いのです。そういや大学の時、トランペットかトロンボーンを習おうと思ったことがありました。思っただけですが。何故止めたかといえば高いから。楽器が高いから止める、という時点で楽器をやる資格ゼロです。
ところがタダの楽器ってもんがあって、それが口笛です。この口笛ってやつは結構馬鹿にはできない。よく聴くといろんな曲で実に効果的に使われています。
だからせめて口笛くらい吹けるようになろうと。

でもね、まず鳴らないのですよ。フイーみたいな音しかでない。
具体的にいえば♪ハッピバスデーツーユー ハピバスデツーユー パチパチパチ!フーッ!!のフーッ!!くらいの感じです。(こんな説明でホントにいいのか)
練習して何とかピーとまではいきませんが、ヒュイーくらいは鳴るようになったのですが、一切メロディをつけられないのです。
いや、ホントに、口笛のメロディってどうやってつけるんですか?いまだにわからない。何度やってもメロディにならない。単一の音程でしか鳴らないのです。

口笛は今年の目標ですが、アタシには楽器関係でさらに偉大な野望があります。
進軍ラッパってありますよね。あれって口先だけでメロディつけてるはずですが、つまり口笛が吹けないというのは進軍ラッパも吹けないってことじゃないですか。(本当は知らん。適当)
進軍ラッパは比較的安価ですからね、あの正露丸の、パッパカパッパ パッパカパッパ パーパパッパッパーくらいは吹きたいじゃないですか。
口笛は進軍ラッパのための前哨戦なんです。もちろん進軍ラッパが必要な情勢なんてまっぴらだけど。