2012年5月23日水曜日

上岡方式

まだアタシが20代の頃だったと思います。まあ年齢的にもいろいろと悩み多き頃だったのですが、とある友人がこんな言葉をくれました。
「その時はどれだけ苦しくても、後でオモロイ話のネタになると思えば、意外とどんなことでも耐えられるもんや」
この言葉を吐いた彼とは現在交友はありませんが、辛酸を舐めた過去を持ち、誰よりも人の心がわかる彼の言葉はアタシの人生の大きな支えになりました。
現在アタシはこれを「上岡方式」と呼んでいます。
時期的にはほぼ同じくらいだったと思います。たしか「鶴瓶上岡パペポTV」の中で、上岡龍太郎が面白いことをいいはじめたのです。
「タバコを辞めた時期があって、身体に悪いからとかちゃうで。ほら、辞めた人がいうにはしばらく禁断症状が出るいうやん。あれが味わいたかったんや」
だいたいこんなニュアンスだったと思います。
(余談ですが、同じ喫煙者であるアタシは、そうか、いっちょう試してみようと感化されたのですが、あいにく禁断症状が出ないまま三年(!)の月日が経ってしまいました。もともと健康のための禁煙じゃなかったので「禁断症状がでない禁煙なんてつまらん」とまた喫煙を再開したのでした)

最初の話と上岡龍太郎の話は似ているようで微妙に違うのですが、それでも「苦闘を一種の娯楽に変えてしまう」という部分は共通している。
誰が言い出したかしりませんが、若い頃の苦労は買ってでもしろとかね。誰が苦労を買ったりするかバカって話ですが、別に買ったりしなくてもいくらでもオマケでくっついてきますからね。
いや、若い頃の云々よりもっとタチが悪いのは「その苦労が将来きっと自分を助けるはずだ」とか、こんなセリフが平気で吐ける人間は少し頭がおかしいんじゃないかと思ってしまいます。
辛酸を舐めたからこそ、苦労なんかまっぴらだと思うはずで、正直アタシもいろいろありましたが、あの時の苦労が役に立ったなんて思ったことは一度もない。むしろ尻込みする原因になったり、トラウマになってる部分も多い。

人間はね、楽をしたいものなのですよ。楽ができなければせめて楽しみながらいろんなことをやりたいものなんです。これは苦労とかそんな大仰な話じゃないんだ、今しかできないオモロイゲームにチャレンジしているだけなんだ、と思った方がよほどいい。
映画でもなんでもフィクションなんて全部そうでしょ。功成し遂げた後の物語なんて面白くもなんともない。それより駆け上がっていく過程が面白いわけで。恋愛モノなんかでいえば、男女が結ばれるまでを描くものだしね。
でもそういう時は本人は辛いんですよ。仕事でも恋愛でも成就するまでは本当に辛い。毎日毎日ドキドキの繰り返しです。
ところが不思議なもので、遠い過去となってみると、一番苦しかった時代が一番懐かしく思い出される。遠い過去とか、自分のことであってもある種のフィクションみたいなもんだからね。

どうせ将来そう思えるのなら、最初から楽しみながらこなす方がいい。その方がどれだけヤキモキしたかずっと憶えているはずだし、後で「オモロイ話」にしやすいと思うのです。