2009年10月13日火曜日

王道または肉食系

みうらじゅんの本は大抵サブカルチャのコーナーに置いてあるが、いつも苦笑してしまう。
みうらじゅんという人は勘違いされやすいというか、海外のメディアがアキバ系の教祖だと勘違いして取材にきた、みたいな話をしていたが、実際みうらじゅんの立ち位置がわかってる人は少ないのではないか。
だいたいサブカルチャというものは、いや、そもそもこの人は王道の人じゃないかと思うのだ。
自分のことをドッチャク(土着を愛する意)と称しているが、本当は王道路線でいきたいタイプなんだと思う。だから土着的なものにもこだわっているのだが、見せ方の問題で、何となくサブカルっぽい立ち位置になってしまってる気がする。

話は突然変わるが、ここんとこ草食系なる言葉が流行ってるようだ。
自分はジジイなので、ついセックスに結びつけてしまう。
草食系=淡泊、肉食系=ガッツリ、という具合に。
しかしなんだ、見た目はともかくとして、中身まで草食系だと、そいつははっきりいってダメ人間なんじゃないかねと思ってしまう。
昔から英雄色を好むというが、結局それがやる気の源のような。だいいち本当に草食系なら、全然まったりできなそうだ。

何がいいたいかわからなくなってきたが、微妙に話を戻す。
サブカル系のイメージはどう考えても草食系だ。間違っても肉食系ではない。
ではみうらじゅんはどっちなんだとなると、これはもう、完全に肉食系だろう。
つまりはだ
・草食系=サブカル指向
・肉食系=王道
といえるんじゃないか。

またまた話は変わる。
以前「封印作品」シリーズのことを書いたことがあった。
通しで読むとよくわかるのだが、作品が封印されるすべての元凶は、日本人のことなかれ主義からきてるような気がする。
いや、ことなかれ主義の人も企業も昔からある。それは本を読んでてもよくわかる。
でもその傾向がここ最近より顕著になってきたのではないか。
このことはテレビがつまらなくなってきたこととも関係があると思う。
「8時だョ!全員集合」のプロデューサーは、どれだけクレームがきても、出演者(つまりはドリフターズですな)には一言も耳に入れなかったという。
今こういう人がいたらな、というのは簡単だ。しかし実際にいたらウザがられるんではないだろうか。
自分ひとりが矢面に立つ、守るべきものは守る、という発想は肉食系そのものだ。が、こういうスタンドプレイが今の時代に受け入れられるかといえば疑わしい。
「ルーキーズ」がウケているというが、あれは見た目草食系の人が肉食系のキャラクターを演じるからシャレになる、というか受け入れられるのだと思う。
もしあのドラマや映画を、いかにも肉食系、たとえば歴代の仮面ライダーを演じた面々、藤岡弘、とかでやってごらんなさい。絶対コケたから。

そろそろまとめに入る。
今はどうも肉食系はダメだが、エセ肉食系はウケる時代のようだ。
本物の肉食系はウザくてかなわんけど、エセならいい、みたいな。
ここにきてみうらじゅんが受け入れられているのはここだと思う。
本当は王道中の王道、肉食系中の肉食系なのだが、妙にサブカル、つまり草食系的なイメージがある。そこでうまく中和されているんじゃあないだろうか。偶然エセ王道、エセ肉食系になったというか。

2009年10月10日土曜日

長江健次

前回の続きではないが、やや関連性のある話を。

鶴瓶のことを書いたのはYouTubeで「突然ガバチョ!」(毎日放送・1982〜1985年)を見たのがきっかけだったのだが、共演者である長江健次の達者ぶりはまったく予想外であった。
当時「突然ガバチョ!」は毎週といっていいくらい見ていたのだが、長江健次にたいして、良くいえばソツがない、悪くいえば存在感が希薄、というイメージを持っていた。
が、動画を見て、そのイメージが覆された。
まだ二十歳前の頃だが、今この年齢でこれだけこなせる人は、芸人はおろか、早熟が多いジャニーズにすらいない。
考えてみれば、萩本欽一から始まって、笑福亭鶴瓶、明石家さんまと、持ち味を最大限に引き出してくれる、これ以上ない人たちについて、しかも10代の頃からやってきたのである。いわばエリート中のエリートといえる。
歌も少々驚いた。これまた予想外に巧い。というか声が非常にいい。
逆にいえば、まだ10代でこれだけの能力を見せつけながら、今のポジションの方が意外なのかもしれない。
もしかしたら本人があまりバラエティに興味がなかったのかもしれないし、アイドル的な売り方をされたので、誤解された見解が重荷だったのかもしれない。
でも本当に惜しい。Wikipediaなんかを読むとパージされたことなどが書いてあるが、今頃ゴールデンタイムで(奥様向けの時間帯でもいいが)司会のひとつはやっていないとおかしいんじゃないか。

ま、そんなことをいってもはじまらないのはわかっているが、あまりの衝撃につい書いてしまった。

2009年10月7日水曜日

偽善者にならない男

笑福亭鶴瓶という存在はつくづく不思議だ。
テレビで局部を露出したり、大便したり、失禁したり、ほんらいなら危険極まりない芸人として認識されてしかるべきはずである。
ところが「家族で乾杯」での、一般人の反応を見るまでもなく、非常に近しい、しかも関西弁でいうところの「ええ人」で通っている。
鶴瓶は番組の出演者やファンを連れだって旅行を行うのが好きで、大昔の「花の女子大生」や「ぬかるみの世界」からずっと、現在放送中の「ヤングタウン日曜日」でも、まだ、やっている。
ファンとふれ合おうという姿勢だ、という意見に異を唱える気はさらさらないが、一歩間違えば、偽善的ととらえられてもおかしくない。
これまた大昔の「突然ガバチョ!」では、番組の最後に「スタジオに遊びに来てくれた人」(はっきりいえばただの番組観覧者)ひとりひとりに握手していた。それにとどまらず、送迎バスまで見送るという徹底ぶりだった。
これを「偽善的行為」とみなすのはたやすい。もし、こういうことがやりたいとしても、何も番組の一部にすることはないんじゃないかという意見にも頷ける。
ところがだ、ここまでストレートにやられると、偽善という感じがしないのだ。
一時期さかんに「日本一感じのいいタレントを目指す」と吹聴していたが、これがギャグになるのは、観客が鶴瓶のハチャメチャぶりを知っているからだ。
しかも明石家さんまやナインティナインから「本当は悪い人」といわれることすら、そういわれることを許容することによって
表面はいい人→裏では悪い人→でも本当のホントは、やっぱりいい人
という公式がなりたってしまう。

こんな両極を持った人は他にいない。たとえばビートたけしが局部を露出したりしても(本当はそういうことはしない人なのだが)、番組観覧者と握手していったりする姿は想像できないだろう。
萩本欽一なら、番組観覧者と握手したりする画(例:24時間テレビ)は想像できるが、パンツを脱ぎ捨てる姿は想像できない。
両方がそこそこ様になりそうな芸人は、カンニング竹山ならちょっとできそうな気もするが、スケールが違いすぎる。
これがまさしく鶴瓶の特異性である。たけしやタモリ、さんまといった人より、昔とやってることは変わらない。
あいかわらずエロさをむき出しにしているのも変わらない。それは下ネタをいうとかという話ではなく、共演の女性にたしての接し方はセクハラそのものである。
にもかかわらず、そういう姿を目の当たりにしても、やっぱり「ええ人」であることはブレない。
極端な話、犯罪さえおかさなければ、鶴瓶の「ええ人」は保証されているといってもいいのだ。

2009年10月6日火曜日

月亭の万能言

昔見た、「♪ボインは〜」で知られる月亭可朝の漫談は驚愕ものだった。
「いや〜ホンマにね、ホンマに。いやホンマ。ホンマでっせ」
ずっとこんな感じで、ホンマしかいってない。
しかしホンマというのはまさに万能な言葉だ。標準語の「本当」に置き換えてもいい。何を聞かれても「本当にね・・・」といっていればさも意味ありげに聞こえてしまうから不思議だ。
可朝の弟子である八方も万能言を持っている。
「さあ、そこやがな」
これまた非常に便利な言葉で、嫌なことを突っ込まれたり、返答に苦しむようなことをいわれた時など特に活用しやすい。
いかにも「じゃあ今からそのことについて詳しく説明しますよ」的な物言いだが、実は会話の内容を他へ逸らすためのブリッジであり、はっきりいえば煙に巻くために使うのだ。
この万能言の後は何をいってもいい。まったく相手の質問と関係ない話をするのも当然アリだ。
要は相手に、どんな質問をしたか自体を忘れさせればいいわけで、コツはなるべく長めに話をし、その中に相手が引っかかってくる言葉を挟み込めればベスト、できなくても頃合いを見計らって、適当にその場から立ち去ればいいわけだ。

可朝→八方、はあまり芸風につながりがなさそうだが、確実に共通しているのは、ともに相手を煙に巻くことに長けていることだ。
それが月亭の芸風だとしたら、そりゃ米朝一門を距離を置かざるをえないのも当然という気がする。