2013年3月29日金曜日

昭和のアイドル

アタシも40代になって何年か経ちましたが、今の今まで、アイドルってやつに興味を持ったことがただの一度もない。ま、今現在興味がないのは当たり前すぎますが、若い頃ね、10代の頃ですら、コンサートに行ったことがあるとかレコードを買ったとかそんなレベルはおろか、普通に可愛いと思ったことすらないのですね。
アタシは1960年代後半の生まれですから、世代的には松田聖子とか小泉今日子とか中森明菜とか、あのあたりのアイドルはピンズドなはずですが、誰もなんとも思わなかった。

あんな青臭いガキを好きになるわけないってことだよねってことでもない。中学生や高校生が若干年上の女性を青臭いと思うわけがない。そんな理由なわけがないのですが、じゃあちゃんとした理由があるかといえば、これが本当に何にもない。ただただ興味がないだけで。

そんなアタシがアイドルについて論じれるわけがない。無理矢理後付けの屁理屈をこねくり回して、だからアイドルなんて意味がない!なんていう気もさらさらない。
この話は前にも書いたかもしれませんが、大学の頃、他人の卒業論文を有償で書いたことがあって、テーマがアイドルだったんで自分なりに調べましたけど、ああいうのも思い入れがないからできたんですよね、今考えると。

さて、残念ながら写真をアップするわけにはいきませんが、アタシの知り合いに、もうどう見ても「昭和のアイドル」としかいいようがない見た目の子がいます。正確にいえば1980年代の女性アイドル。アタシは彼女を見るたびに、生まれる時間と場所を間違えてたら、本当にアイドルになれたかもしれない、と思うわけです。
時間はともかく場所?ってことですが、彼女は日本人じゃない。ベトナム人です。日本人顔なのか、といわれれば、ちょっと違うのですが、1980年代の女性アイドル顔か、といわれれば、もうまさしくその通り!というか他に形容しようがない。
具体的に誰?といわれると難しい。藤井一子とか、少女隊かセイントフォーにいそうな感じ、と書こうと思ったけど、そもそも最初に書いたように詳しくないからよくわからない。だからもう、誰とかという話ではないんです。
ただね、彼女を見てると何となくアイドルに入れあげる人の気持ちはわかる。なんというか、徹底的に未完成なんですね。子供でもないけど大人では断じてない。将来美人になるのかどうかすらわからない。そんな不安定さや脆さこそアイドルの必須条件なんじゃないかと思ってみたり。

そういやアタシの知り合いの友人(仮にAとします)はアイドルデビューしたもののさっぱり売れず、しかもあろうことか芸能界にまったく興味がなかったという、Aの妹がたまたま東京に遊びにいった際にスカウトされ大人気アイドルになった挙句、まだ人気絶頂だった時に過去にここのブログでも名前を出したことがある超大物と結婚して引退しました。(あんまり詳しく書くと特定されるんで曖昧に)
友人の話では、Aは高校の頃から華やかな人だったらしく、たいしてAの妹は非常に地味な感じだったといいます。
が、ある意味完成されていたAは売れず、地味で未完成だったAの妹は売れた。もちろんアタシがフィルターをかけている可能性もありますが、完成未完成は「アイドル」になれる分岐点なような気がするのです。
つまりアイドルはプラモデルでなければいけない、のではないかと思うのです。
何となく上手く言えた感じなのでこの辺で。