京都は嫌いだが、「祇園小唄」は好きだ。
1930年の歌だが、何というか、京都のもってるムードの、いいところだけをうまく抽出してある。80年近く経っているが、まったく古びていない。というか、未だにこの歌にすべてが集約されているよな気がする。
「祇園小唄」や「ちゃっきり節」、「東京音頭」などは厳密にいえば<新民謡>といわれる民謡を模してつくられたもので、昭和初期に量産されている。
新民謡を含めた民謡とは、いわゆるご当地ソングなのだが、長年生きながらえただけあって、どれも本当によくできている。ただ名物・名産を歌詞に織り込んでいるだけでなく、土地の持つ空気感を見事に再現してあるものが多い。
たとえば「黒田節」なんかもそうで、数年とはいえ福岡に住んでいた身としては、何というか、実に福岡っぽい。「♪さぁ~けぇはぁ~」という出だしを聴くだけで、福岡の、あの街並みを思い出してしまう。
街には歌がある。歌が記憶をつなぎ止める。時間が経っても、歌を聴くと、その時の記憶や街の空気が、頭の中にさっとよみがえる。
思えば、生まれて早40年。いろんなことがあった。いろんなことは誰にだってあるが、本当に、流転の人生だった、と思う。流転も形容ではなく、実際に何度も何度も引っ越した。成功のプロセスとしての引っ越しではない。まさに、流れ流れて、そして今に至る。
福岡に住んでいたことは、何度か書いた。生まれ育った神戸のことも、もちろん書いた。しかし住んだのはその二箇所だけではない。東京も住んだし、大阪も住んだ。他にも住んだ街はいくつかある。
どれも思い出深いところばかりである。絶望して離れた街もあるし、泣く泣く離れた街もある。
それでも、歌は偉大だ。どんなに辛い思い出しかない街でも、土地の歌を聴くと、悪い記憶が浄化されていくような気がする。良い記憶は、さらに美化されていく。
流転も悪くないな、と最近になって思い始めた。今から土地ごとの流転は、さすがにちょっとしんどいが、30代までの流転なら、やっておいてよかったと思えるようになってきた。
これが活かされるか否かは、これから次第なのはもちろんだが、しかし、思うのだ。
おそらく、もう一度人生をやり直しても、また同じような人生になるのだろうな、と。細部は異なっても、やっぱり流転の人生になるのだろう。
でもそれもいいかな、と思う。大変と退屈、二択しかないのなら、大変を選んでしまう、それが自分なんだと思う。
京都も福岡も、街の空気は、何十年、何百年経とうが変わらない、ということは歌が証明している。
人間も一緒だろう。もし子供の時に自分のテーマソングができてたとしたら、おそらく40年近く経った今でもテーマソングとして通用するはずである。
そのテーマソング、歌詞にはきっと「流転」という言葉が編み込まれているはずだ。
さて、ひと月近くがんばって日記を更新してきたが、それも今日でおしまいである。
そういうマメなことができるタイプではないのだが、自分を試す意味で、あえてやってみた。
もうひとつのチャレンジ、それは「自分について書く」ことだった。
何度か名前が出てきたEから「秘密主義」呼ばわりされているが、自分は秘密主義でもなんでもない。説明するのがめんどくさかったり、何でそんなこと聞きたがるの?と訝しがってるだけの話だ。本当に秘密にしておきたいことなら、もっと巧妙にやる。
とはいえ自分のことを書くのは、何となくイヤだった。文章にするからには過去の出来事を整理しなければならない。書いてあることは基本的に本当だが(一部に誇張と補足はあるけど)、ただ事実を書き連ねていけば冗長になりすぎるので、事象やら人物を削っていかなければいけない。その整理が面倒だった。今更、という気持ちもあった。
「過去を整理したい」という気持ちなども、さらさらなかった。そんな面倒なことはしょっちゅうやるもんじゃない。せいぜい生きているうちに一、二度やればいい方だ。
それでも、秘密主義とまでいわれたら黙っていられない。そこまでいうならチャレンジしてやろうじゃないか、という気持ちで始めた。
三年以上ブログをやってたが、このひと月の方がよほど疲れた。やはり自分のことを書くより、他人が作った作品なんかについて、うだうだ書いてる方が向いてるようだ。