2009年5月30日土曜日

ツレうつ

ほぼリアルタイムでの更新はいつ以来だろうと考えると夜も眠れない。

いや本当は考えるまでもなかった。前回リアルタイムネタで更新した時も「ツレうつ」ネタだったからよくおぼえている。(ほとんど藤原紀香の話だったけど)
さてドラマのことだが、わりとどうでもよかったりする。いや、面白いとかがどうでもいいのであって、病気がああいうものだけに誤解をうむような内容だとちょっと困るな、と思っていたのだが、その点は問題なかった。
普通のドラマとして見た場合(まだ一回目だけだけど)、原田泰造が抜群によかった。彼の演技がすべてを支えているといっても過言ではない。

実はドラマ自体に語れることはこの程度なのだが、どうしても書きたいことがあった。
自分の知人で実際にうつを患った人がいる。しかも正確にはふたりいる。
そのうちのひとりはこのドラマを見ていたかは定かではない。が、もうひとりからは番組終了後連絡があった。
本人は自分がうつを患っていたことはオープンにはしていない。だから自分の日記にはこのドラマの感想は書かないだろうから代わりに自分が書いてみることにした。

知人はドラマを見て泣いたという。しかしちょっと方向性が変だ、うつになったことがない自分からすれば。
もちろんのことだが、ドラマの不出来が悲しくて泣いたのではない。感動して泣いたのだ。が、内容うんぬんではなく、当時を思い出して泣いたのである。
当時とは知人の病気が酷かった時期という意味だが、若干説明が必要になる。
知人は一番症状が酷かった時、ドラマの原作となった漫画「ツレがうつになりまして。」と出会った。この頃、うつ関連の書物を手当たり次第に購入していたというから、まあ必然の出会いといっていいだろう。
うつ関連の書物は意外とトンチンカンな内容のものが多いようで、本当に本物の精神科医が書いてるの?と首をかしげたくなるものも多いそうだが、「ツレうつ」は非常に軽いタッチで描いてあるにも関わらず勘所は押さえており、実際に自分も薦められるがままに読んだのだが、これは名著といっていいと思う。(特に続編である「その後のツレが・・・」がいい)
長々と書いたが、つまりはこういうことだ。
知人がこの本と出会ったのは一番症状の重い時のこと。そして放送されたドラマを見た。すると原作を初めて読んだ頃、そう、あの時の辛さを思い出して泣いたらしい。

そしてもうひとつ泣いた理由がある。
「ツレうつ」はいわゆるコミックエッセイと呼ばれるものだ。
このジャンルは西原理恵子の独壇場なのだが「ツレうつ」はあくまでコミックエッセイの軽さを維持しながら、バックボーンにものすごい重いものを持っていた。そして意外と調和している。
コミックエッセイの主人公はほぼ作者自身であり、わき役はカリカチュアした身近な人である。
「ツレうつ」もそうで、登場人物もドラマではいっぱいでてくるが原作ではほぼふたり。主人公の漫画家とその旦那、うつ病を発症するツレさんだけ。
ほとんどふたりしかでてこない。が、ふたりだけなのに内容がよくできていて、話のリードがうまい。
ただでさえ感情移入しやすい話なのだが、そこへ持ってきてこれだとする、こうなってくると読み手は自然と作者への感情移入が深くなる。
知人のもうひとつの感動の理由がわかってもらえただろうか。ドラマ自体よりも「ツレうつがドラマになった!」ことに感動しているのだ。
たとえるなら路上ライブやってた連中が、そしてその頃から応援していたファンが、というべきか。
そしてついに武道館でライブをやることになった。
「ああ、とうとうここまできたか・・・」と感涙にむせぶのと基本一緒だ。

これはちょっとやそっとでは真似できない。うつという重いテーマを真面目に、だけど軽身をもった作品に仕立るのは並大抵ではない。二番煎じがこれほど難しい作品も珍しいんじゃないだろうか。少なくとも自分は知らない。

2009年5月25日月曜日

タイガーマスク

子供のおもしろがることはよくわからないが、自分が子供の頃におもしろがってたものですらよくわかっていないじゃないか、とか考え始めると夜も眠れない。

生まれてから一番最初にハマったフィクション、自分の場合は「タイガーマスク」だったのだが、今考えるとどうもフシギな感じがする。
冷静に、今の目で見ると、タイガーマスクって物語は、1960年代後半独特の暗いもので、そもそも「みなしご」がテーマになっている時点で明るいはずがない。
徹底的に暗いドラマとコートームケーでダイナミックなアクション、この両極をひとつのパッケージに収めてあるのがタイガーマスクの「売り」であり、そのことはオープニングとエンディングを見るだけでわかる。
オープニングの、まさしく血湧き肉踊るテーマソング。一対であるといわんばかりの「圭子の夢は夜ひらく」をも超越する、暗すぎるエンディングテーマ。
それはそれで全然いいのだが、どうにも自分の今現在の好みとは反している。
そういう振り幅の大きい物語はどうにも苦手なのですな、今の自分は。
ついでにいえば「主人公が大仰な悲壮感を持って戦う」ってのもあんまり好きじゃない。バックボーンとしてあるのはいいが、ちびっこハウスの子供たちの前じゃ気のいい、というか軽薄極まる青年を演じ、裏ではあまりにも重い十字架を背負って戦う伊達直人。
重い。重すぎる。
何度もいうけど別にいいんだよ、これで。物語としては何の問題もないんだけど、ただ今の、自分の好みからは離れすぎているわけで。

もうひとつ、わからないことがある。
いうまでもなくタイガーマスクはプロレスの世界を舞台にしている。が、その後、自分はただの一度としてプロレスに興味を持ったことがないのである。
正直プロレスがガチだか花相撲だかはどうでもいいわけで、プロレスという興業自体にハナから興味がわかないのだ。
格闘技に興味がないというわけでもなく、相撲は以前書いたように昔はしっかり見てたし、子供の頃は剣道を習ってた。ボクシングも世界戦くらいは見る。K-1も一時は会場まで足を運んだこともある。
でもプロレスには興味がない。「なぜ興味がないんだろう」とすら考えたことがない。

よく「子供の頃にハマったものに大人になってから重要な影響をもたらす」なんていうが、少なくとも自分にとってタイガーマスクは人生に何の影響もあたえていないのではないか。
そりゃ自分だって子供の頃にハマったものに影響されて生きているな、と思う瞬間はありますよ。でもそれはすべて小学校高学年以降にハマったものに限られるわけで。
つまりは小学校低学年までの自分は今の人生とはほとんど関係ない気もする。
いったい何を考えて生きていたんだろう。だいたい幼少時の記憶がほとんどないってのもちょっと珍しいんじゃないか。タイガーマスクにハマったのはおぼえているが、どこがおもしろかったのかとか全然覚えてないし。
ここまで無駄な子供時代がある人を他には知らない。

2009年5月21日木曜日

ほりえもんと横山やすし

こんな一見何の関係もなさそうなふたりをタイトルに並べて大丈夫なのか、と思われそうで夜も眠れない。

今更ながら、というか今だからこそほりえもんの話である。
ライブドアの社長やってる頃からこの人のいうことには納得できなくて、納得できないというか、結局何を喋っても胡散臭いので真面目に聞く気にはならなかった。
ここ最近になって、半分ネット上限定ながらまたぽつぽつ表舞台に出始めていて、長いインタビューなんかもされている。
それを読んだ感想は、やっぱり社長時代と一緒で「何いってんだ」といか思えないのだ、自分にとってはね。
が、もうひとつのことに気づいた。
このほりえもんという人、どうも天性の「愛され属性」を持ってるんじゃないかと思えてきたのだ。
では田代まさしと一緒か、といわれればまたちょっと違う。田代まさしの場合、何というか、弄ばれている感じなのだが、ほりえもんはそういう「弄ばれている」感じはしない。発信はあくまでほりえもんの側からされているからだ。
ではほりえもんに一番近い存在は誰かといえば、往年の横山やすしじゃないかという気がする。

横山やすしほど「愛され属性」を持った人はいなかったと思う。何をやっても許される、というより、何をやっても周りに「やっさんだから」とあきらめてもらえる。
晩年は不幸の連続だった。もちろんそれは己の責任で「報い」というひと言で片づけられるのだが、それもこれもすべて死で浄化されてしまう。
最終的には「どうしようもねえけど、懐かしい奴だったな」と思ってもらえる。ほとんど山田洋次の世界じゃねーか。

横山やすしは他人への甘え方、自分をかわいく見せる方法に長けていたといわれている。しかしそれは、ほぼ生まれもって身についていたもので、努力で手に入れたものではないだろう。
ほりえもんにも同じニオイを感じるのである。逮捕がはたして正当なものだったかはともかく、宇宙だの球団持つだの、逮捕前の彼の言動はまるで子供の戯言のようだったし、今だって話のスケールが若干小さくなっただけで、戯言にしか聞こえない。
戯言なんだから真面目に受け取れば胡散臭く聞こえるのは当然で、でも逆にとれば胡散臭いのではなく、理屈をこねくりまわすのも純粋な夢を語るためのデコレーションにしかなっていないんじゃないか。
だから愛される。「しょーがねえな、またわけわからんことに理屈つけて語ってるよ」とは思っても、何だか、どうにも憎めない。それは相手が「大きな子供」だからだ。
子供に呆れることはあっても、本気で嫌うことに意味を持たない。だって子供なんだからしょーがないでしょ。

何だかものすごくほりえもんを馬鹿にしてるみたいだが、そうじゃない。ほりえもんにしろ横山やすしにしろ「愛され属性」は才能なのだ。
子供っぽく振る舞えば誰でも愛され属性を得られるかというと無理なのだ。あざとさなどあってはならない。本当に心底子供でなければならない。
でも実際どうですか、子供の心を持ち続ける、なんていうけど「ある部分だけ」ならともかく「全部」を持ち続けるなんて絶対に不可能だ。

ん、まあ、自分にはどうにも「愛され属性」を持ってないので、正直にいえばうらまやしいのですね、こういう人たちを。自分のような愛され属性ゼロで、しかもこんな理屈ばっかりの人間が世間でいうところの「ややこしい奴」ってことになるのだろう。
と思われたところでどうしようもないし、どうかする方法も知らん。

2009年5月19日火曜日

ドラえもん

でどれだけ笑ったか数えると夜も眠れない。←実は不眠症だった(わかりづらいボケ)

とうとう、ついに「藤子・F・不二雄大全集」が発売されることになった。しかも「(Aとの)合作を含む」のである。これを奇跡といわずして何といおう。
そこで関連したことでも書こうと思ったが、あれこれ悩んだ末、ド直球に「ドラえもん」でいくことにした。

よくいわれることだが、似非評論家はドラえもんのどこを読んで「教育的で健全な漫画」といってるのだろう。
たしかに教育的と思われないでもない話はあるが、健全な漫画では絶対にない。
ジャイアンの理不尽な暴力、しずちゃんのヌード(しかも微妙に胸のふくらんだ、やけにリアルな体型)、のび太の道具を使った黒いたくらみ。藤子・F・不二雄のトキワ荘時代の仲間で、純粋なまでに健康的漫画に殉じた寺田ヒロオならやるはずがないことのオンパレードである。
そもそも子供は「お行儀のいい漫画だから」なんて理由で漫画なんか読まない。ただ面白いから読むのだ。
ではドラえもんのどこが面白いのか、未来の道具を使ったSFマインドあふれるセンス・オブ・ワンダーな部分ももちろんある。
しかしもう単純に、ドラえもんはギャグが面白いのだ。丹念に読めば「ドラえもんはギャグ漫画である」ということを再認識させられることになる。
藤子Fの笑いの発想は落語から着想されていることが多いが、ともかく「笑わせるために」というか「まずは笑ってもらわなければ話にならない」という作者の考えは十分伝わってくる。
しかも対象は子供である。子供を笑わせるために多少の下品さもいとわない。
のび太恒例の鼻水垂れに始まり、鼻くそでボールをつくる、そして極めつけは「メロディーガス」の、おならでメロディーを奏でるという話だ。
「♪プップップ〜ハトプップ〜イモガホシイカソラヤルゾ〜ミンナデナカヨクカギニコイ〜」
これをおならで奏でるのである。
たしかに下品だ。しかしお行儀のよさも何もない、ひたすら笑わせることだけを追求する姿がそこにある。

とはいえ下品だけにこだわっているわけではない。
ビジュアルのおかしさを全面に出したギャグもあれば、風刺的なもの、考えオチ、メタフィクションなど、種類を問わず無数のギャグが詰め込まれている。
藤子Fの絵は端正で、そこが一見お行儀のいい漫画と勘違いされるところでもあるのだが、しかし「見るからにギャグ漫画風のタッチ」であったり「キャラクターが際限なしにふざけまく」ったりする、よくあるギャグ漫画よりよほど「笑わせること」にこだわっている。その結果どの漫画よりもギャグを大切にしていると感じるし、あれほどの名作となりえたんじゃないかとも思うのだ。

人はよく藤子Fを天才という。それにたいして何の否定もしないが、つまらない作家性を全面に出すのではなく、当たり前のこと、ギャグ漫画なんだからまずは笑ってもらって当然で、あとのこと(SFマインドやほのかな主張)はそれをクリアしておかないと感じ取ってもらえない、そういうことをきっちりやろうとしたこだわりがあったからこその天才だというのを忘れてはならない。
突飛な発想をすることばかりじゃない、実は当たり前のこと、絶対に必要なものは何かに気づける人、そういう人を天才というんじゃないだろうか。
少なくとも児童漫画の世界において「それ」を気づけた人は藤子Fだけだろう。自分は他には知らない。

2009年5月18日月曜日

ブログ

何だか最終回っぽいタイトルだが最終回でも何でもない。だけどもし勘違いされたらどうしようと思うと夜も眠れない。

このブログのヘッダーに「某所でやってたブログの縮小版&別の某ブログのざっくり版&某SMS日記のテキトー版、それがSugame京浜」とある。
最初の「某所でやってたブログ」は一番最初に書いた、ドメインまでとってやってたブログのことである。
何でこれをやめたかは第一回目を読んでもらうとして、文体は全然違うが、ほとんど内容はここと一緒だ。ただネタがカブらないようにだけ気をつけている。(カブったとしても誰もおぼえていないだろうし、自分自身もおぼえてないぐらいだが)
次の「別の某ブログ」とは、デジタル小物系に特化したブログだった。これは自分で書いたスクリプトをアップしたいだけのために始めたのだが、スクリーンショットを多様していたので、次第に面倒になってしまった。
今のところこれに準じる内容はここには書いていない。が、いずれはやりたいという気持ちはある。ブログをやってた頃より若干だがスクリプトのテクもあがったし、つくったスクリプトもたまってきた。自分のために書いてるんだけど、それももったいないし。共有できるならした方がいい。

最後の「某SMS日記」とは、はっきりいえば某mixiでやってた日記のことである。
これは今まで苦手とした、自分の過去を振り返って、それを面白おかしく書こうとしたもので、それまでやってたテレビとかそんなのにツッコミを入れるのとは全然違ったスタンスでやっていた。
が、何しろ自分をネタにするので、早々にネタがつき、ひと月ぐらい集中的にやった後、書くのをやめた。
ここで書いてるのとは内容も趣旨もまるで違うが、文体的には一番近い。

この3つを寄せ集めてつくったのがここである。映画やテレビへのツッコミもやるし、自分のことも(たまにだが)書く。そしていずれデジタル小物のことも書いていこうと思っている。
そーゆーことを知ってる人が読んだら「ああ、らしいブログだな」と思ってもらえると思うが、突然ここにたどり着いた人には何がなんだかわからない、何とも統一感のないブログに思えるだろう。
しかし実際やってみてわかったんだけど、このスタイルは楽だ。毎日更新すると決めているわけでもないし、何を書いてもいい、というのもいい。本来ブログってこういうスタンスでやるもんなんだよな、とつくづく思う。

ただ書き出しと締めの言葉を決めてしまったため、これを考える時だけは苦労する。書き出しは強引なこじつけでもいいんだけど(実際ほとんどそうだ)、締めにうまく「知らない」にもっていくるのは本当に難しい。
だったら止めればいいんだけど、もうちょっとだけがんばってみる。それぐらいはしないとねえという気持ちもあるし、まだ始めて半年もたたないうちに止めるのはシャクという気持ちもある。
どうしてこう意固地なのかね、自分というやつは。止めりゃいいじゃん。何がそこまで「知らない」で締めることにこだわってるのか、自分でもわからない。じゃなくて知らない。

2009年5月15日金曜日

田中絹代

やはり戦前と戦後とでは価値観が大きく違ったのだろうかと考えると夜も眠れない。

昔の邦画が好き、ということはここで何度か書いた。当然名作もいっぱい観たが、ヒドい出来の作品もかなり観ている。
中には公開当時は大ヒットしたらしいが、今の目で観ると何が面白いのかさっぱりわからないものもある。
スター映画なんてそんなもんだ、といわれればそれまで。昔はひとりのスターを光らせるためだけの映画がずいぶんつくられている。面白い面白くないではなく、どれだけそのスターが魅力を発揮できているか、その一点で観客動員が左右されたらしい。
ま、こういう事情もものの本で読んだことがあるのでわからないでもない。しかし中にはどうみてもスター映画じゃない、でもヒットした、そして今観ると面白くないってのがあるんですな。

そもそもスター映画といわれても、ホントにスターだったの?と疑いたくなる俳優もいる。
一番わからないのは田中絹代だ。
田中絹代といえば伝説の女優だが、自分の審美眼で計るとどう考えても美人の範疇には入らない。
後年はともかく、何本も観たわけじゃないことを断っておくが、いわゆる全盛期の演技もそう驚くようなもんじゃない。存在感も希薄とまでいかないが、強烈というほどでもない。
そして何より、どうにも、華が感じられないのだ。
顔立ちは、簡単にいえば薄い顔、とでもいうのか。しかし田中裕子あたりともちょっと違う。田中裕子も薄いがある種独特の顔立ちであり(どこにでもいそうにみえて、そっくりな人があまりいない)、少なくとも田中絹代に比べるとアクを感じる。

これが「わき役として一時代を彩った」といわれるならまだ理解できる。が、田中絹代は大スターだったのだ。
たとえば、少し時代はあとだが、やはり戦前からのスターである原節子は、どの映画もみても「ディスイズ原節子」であり、すべてのパーツの大きい顔立ちは今の目でみても十分美人の範疇に入るし、大スターだったといわれても納得いく。
しかし、どうにも田中絹代だけは納得できない。もし往事を知る関係者から直接話を聞いても、この疑問が氷解することはないだろうと思う。
それはもう根本的な問題だからだ。仮に現場ですごい華があったとしても、あまりにも平々凡々とした顔立ちから、どうしてもスターのニオイを感じ取ることができないのである。

やはりこれは戦後、いや、関東大震災以降、日本人の美的感覚が変わったのかもしれない。そういうことにでもしておかないとやってられないのである。
今回ばかりは「知らない」ではなく「わからない」としておこう。

2009年5月13日水曜日

大泉洋

前回の続きであるが、興味のない人には耐え難いのではないかと思うと夜も眠れない。

大泉洋は芸人ではないが、ただの役者でもない。言葉本来の意味でのタレントでもある。
タレントなんて肩書きをつけようがない(言い方が悪ければ特に専門分野を持たない)芸能人の専売特許のようだが、本当は才能のある、というニュアンスを持つ。
そういう意味で大泉洋はまさしくタレントといえる。
芸人でも俳優でもコメディアンでも何でもいいのだが、自分の中にひとつの指標があって、それは「空恐ろしい」と感じさせてくれたか、これをクリアできた人が、自分の中で最高ランクの芸能人としている。
(まあ自分に「最高ランク」なんて認められたところで何ひとつ価値はないが)
大泉洋の場合でいうと「関西弁」ということになる。
「水曜どうでしょう」でいうなら「ユーコン」編でも「試験に出る日本史」編でもいい。これらを見るとわかるが、関西人である自分が聞いても違和感があまりないくらい関西弁が巧い。
もちろんオクラホマという関西弁を喋る漫才コンビとずっとラジオをやっているのもある。しかしそれだけであれだけ喋れるようになるものだろうか。
(ちなみにそのラジオが始まったのは「ユーコン」編や「試験に...」編の後だから関係ないともいえるが、オクラホマは同じ事務所なの後輩なので交友はあっただろう)
関西弁というのはある意味一番メジャーな方言であり、喋れる人も非常に多い。しかし他地方に住む人が関西弁を喋るのはことのほか難しいようで、関西人が聞くと違和感を覚えてしまう。
これは巧いなあと思ったのは「ちりとてちん」での原沙知絵(福岡出身)だが、あれは方言指導のテープを丸覚えしたらしい。しかしそこまでしないと関西弁としてはダメなのである。
大泉洋のすごいところは基本全部アドリブだということだ。
アドリブということはほぼすべての言葉の関西弁イントネーションが入ってないとできないわけで、それを頭で(つまり勉強して)ではなく、身体で、フィーリングで身につけてしまっているところが恐れ入る。
もちろんよーく聞くとやはりおかしいところはあるのだが、勘所はしっかり押さえているため、違和感がまったくないのだ。
そういえば森繁久弥が「方言で一番難しいのは北海道の言葉」といっていたそうだが、大泉洋の場合、当然北海道弁(というのがあるのか知らないが)は喋れる。
そして北海道の人にとって相当難しいと思われる関西弁も喋れ、また「東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン〜」では博多弁まで喋っていた。
(自分は一時期福岡に住んでいたことがあり、また今も福岡に友人がいるのでヒアリングは大丈夫なのだが、まったく違和感がなかった)
しかもこれは彼にとっては余技にすぎない、とまで書けば自分が大泉洋にたいして「空恐ろし」さを感じてしまう理由がわかってもらえるんじゃないか。

本当はもっと書きたいことがあるんだが、また今度。本当に今度があるのか知らないが。

2009年5月12日火曜日

水曜どうでしょう

今年こそ↑の新作がつくられるんだろうかと思うと夜も眠れない。

別に大泉洋の結婚記念ってわけでもないんだけど。
「水曜どうでしょう」を知らない人に、この番組の魅力を説明するのは非常に難しい。
上っ面だけを聞いていると、確実に「電波少年」のパチモノにしか思えないだろう。が、実際は「電波少年」とは似て非なるものどころか、まったく似てすらいない。
たとえば「東京ウォーカー」編の、あのデタラメさは電波少年との違いを明確に表している。あんなの電波少年なら絶対にありえない。

この番組をジャンル分けする(必要ないのはわかっているが)なら、絶対旅番組に分類されると思う。よくいわれる、いわゆるドキュメントバラエティではない気がする。
とはいえ「ああ、こんなところに行ってみたいな」と思わせるたぐいの旅番組ではなく、もっとオフビートで、「旅の面白さって何なのか」を鋭く切り込んでいる。
個人的に考える旅の面白さとは「期間限定の共有体験」だと思っている。旅の途中で出会った人、出くわしたエピソード、それらは一緒に旅をする仲間との共有体験になる。
そういった旅の本質を見せることで、見ている側も、彼ら4人とともに旅をしている錯覚に陥る。面白い面白くないより(無論面白いのだが)、共有感覚を得ることができるのは非常に気持ちいい。

さて大泉洋である。
そもそも一切感動を排除してあるにもかかわらず「ベトナム」編でいつも泣けるのは、ゴール間際に藤村Dが大泉洋に「天才ぶりをありがとう」というようなことをぼそっとつぶやくところだ。
旅の仲間、ミスターこと鈴井貴之も、藤村Dも嬉野Dも、ずっとずっと、大泉洋の天才ぶりに助けられたと思っていたのだろう。
さっきも書いたように「どうでしょう」は旅番組であり、このフォーマットが固まった時点で(仮にD陣が全然しゃべらなくても彼らが制作に関わったら)、旅番組としては十分すぎるぐらい面白いのだが、それを「爆笑できる」ところまで引き上げたのは、間違いなく大泉洋の功績なのである。
とにかくバランスがとれている。やる気のなさも、そしてやる気も、さっき書いた共有体験の押しも、得意の物真似も、ホラ話も、全然しつこくない。すべて効果的にやっている。過不足なく、とはまさにこのことだ。
ここまでできるタレントは、ちょっと思いつかない。ひと言でいえば藤村Dのいった通り「天才」ということになるのだろう。
正直タレントを生み出す土壌が何もない北海道で、ここまでの天才が生まれたことは奇跡としかいいようがない。
もちろん、大泉洋がまだ素人同然でタレントとしての方向性をつかみあぐねた時期に番組を引っ張り、大泉洋が自我に目覚めてからは、まるで志村けんブレイク後の加藤茶のように一歩下がったところで番組を支えたミスター。
大泉洋の良さを全面的に活かすためにディレクターという立場にありながら積極的に絡みはじめた藤村D。
その藤村Dとは違い、あまり声は発しないもののカメラアングルで自己主張をした嬉野D。
誰が欠けても(出演者・スタッフの垣根を越えて旅の仲間として)番組は成り立たなかったと思う。

それでもやっぱり大泉洋は別格の気がする。演技力もあり、芸人ではなく、今では希少ともいえる本当のコメディアン(喜劇役者)として成り立っていける可能性があるのは、今、この人しかいないのではないかと思うし、他には知らない。

2009年5月11日月曜日

冨浦智嗣

という名前だけを聞いてどれくらいの人がわかるのだろうと思うと夜も眠れない。

本当は2009年上半期の朝ドラ「つばさ」について書こうと思ったんだけど、やめた。「つばさ」はその前の「だんだん」よりははるかにまともなドラマであり、要所を押さえたつくりになっている。
だが、いや、だからこそというべきか、書くことがないのである。まあギャグが致命的につまらないという欠点はあるにせよ、自分の中で、何だか「なんとなく見ている」程度の扱いになってしまった。
一見破天荒に見えるこのドラマは、よくよく見てみると「無難」の一言に尽きる。
しかしある意味、この無難さこそ本来の(自分が避けていた最大の要因でもある)朝ドラの持ち味なのかもしれない。
ただこの無難なドラマの中でひとりだけ異彩を放ってる人がいる。
それが冨浦智嗣だ。
彼をはじめて見たのは「わたしたちの教科書」でだが、「わたしたちの教科書」の内容とあいまって、とにかく独特の雰囲気を醸し出していた。
そもそも朝ドラでは典型的ともいえる両親と姉、弟という家族構成で、その弟役にこんなにアクの強い役者を使うのは理解不能というか、この弟が精神的に荒れる話があったが、叫んでうずくまるシーンなど、まったく朝ドラらしくないコワさがあった。
中性的なルックスで、声は少女と聞き分けができない。それだけでも異様なのに、演技も、何を考えているかわからないようなキャラクターであればあるほど光り、発狂するようなシーンは見ているものに戦慄を走らせる。

似たような個性を持っていた役者をひとり知っている。松田洋治だ。
「家族ゲーム」の、といえばピンとくる人も多いだろう。子役あがりで(自分がはじめて見たのは「仮面ライダーアマゾン」だった)、思春期の「狂い」を演じさせたら右に出る者はいなかった。
その後は映画「ドグラ・マグラ」に出たのをみたぐらいで、まあ今も舞台を中心に活躍しているみたいだが、基本的には思春期の象徴のような人である。
冨浦智嗣が松田洋治の後継者というか、まったく同じライン上に位置しているのは間違いない。いわば「昭和50年代的演技者」ともいえる。

彼が今後どういう作品に出演するのか、そして役者としてどのような歩みをたどるのか、大いに興味がある。
はたして「思春期の象徴」的なキャラクターから脱皮できるのか、もし脱皮できたらどんな役者になるのか、興味は尽きないし、予測もできないし、自分にはわからない。

2009年5月9日土曜日

パペポ

笑える、ということは何と素晴らしいことなのだろうと思うが、もしそれが制限されたとしたらと考えると夜も眠れない。

最近、昔撮った「鶴瓶・上岡パペポTV」をずっと見ている。
つくづく思うのは、上岡龍太郎という人は根っからの芸人なんだな、ということだ。
一般的には「知的」であったり「毒舌」であったり、そういうイメージだと思うが、この人が本気で怒るのは、霊や占いに関することだけであり、あとは怒ったフリ、というか、あくまで芸として演じていることがありありとわかる。
とはいえまるっきりどうでもいいことに怒ったりしているかといえばそうでもなく、この人の言葉を借りるなら「虚にして実にあらず、実にして虚にあらず」ということになるのだろう。
ただし着地点は必ず「笑い」しかない。笑わせる手段として、いわば前フリとして、知識を開陳したり怒ってみせたりする。これは非常にレベルの高い芸であり、誤解を受けやすい芸とも思うが、それをたやすくやってのける上岡龍太郎には舌を巻く。

あらためて「パペポ」を鑑賞すると、これは今のテレビでは絶対に無理だろうなと思う。いや、某芸人のこともあるように、ラジオでさえ無理な気がする。(もちろん某芸人が上岡龍太郎ほどの芸を持ち合わせていたかという問題もあるけど)
おそらく今では一元化されたタブーといえる、宗教ネタや暴力団絡みのネタもガンガンでてくる。それらはすべて「笑い」に昇華されているのだが、今ではいくら笑いに転嫁したとしても無理なんじゃないだろうか。

もうひとつ、この番組はほとんど編集を施していない。いや、この番組が発祥といわれる禁マークなどはあるのだが、放送時間に限りなく近い時間で収録しており、昨今のバラエティ番組とは根本的に作り方が異なる。
そもそもVTR収録というものがテレビで使われだした理由は、最初はタイムシフトという考え方であった。たとえば「シャボン玉ホリデー」はタレントのスケジュール的に生が無理であったため、事前に生と同じ形で収録する、という方法がとられた。
同時に編集すると滅茶苦茶お金がかかったという事情もあったらしいが、これは技術革新によって編集は容易になっていく。
編集が効くのなら、とリハーサルを減らし、ぶっつけ本番的な収録が可能になった。これはクオリティをあげる作用もあったと思う。
さらに編集を利用して、本当にマズいところだけカットすることも可能になった。

ところが昨今のバラエティはどうだろう。より面白い番組にするためでもなく、本当にマズいところだけを切るためでもなく、ただレベルの低さを補うためだけに編集が行われている。
より面白くするためじゃない。とにかく長時間収録して面白いところだけをより抜く。仮にタレントのレベルが低くても、何十時間もまわしていればそれなりのシーンはつくれる。
言語が不明瞭だったとしても、テロップで全部文字に出す。

いみじくもパペポの中で「テレビでウケるのは、素人が芸をするか、プロが私生活(素)を見せるかしかない」と上岡龍太郎がいっていたが、今のテレビはどっちでもない。半素人が人工的な素を見せる。さらにそれを編集でごまかす。
これでは面白いはずがない。それに上岡龍太郎のいったことは一種の反語であり「プロなんだったら芸を芸らしくみせるな」という意味が含まれている。
しかし今、そういうことができる芸人がどれほどいるだろう。いなくはないけど、作り手がわかっていなければやりようがない。

パペポは今にして思えば、プロによるプロの芸を見せる番組だったのだ。一見どこに転がるかわからないようなトークを展開しつつ、最後は絶対笑いに持っていくことができる。これこそプロの芸とはいえまいか。
鶴瓶は現在も健在だが、相方がいない。「きらきらアフロ」はパペポに近いスタイルに見えるが、プロの芸を見せる番組とは根本的に異なる。
では鶴瓶は誰と組めばいいのかとなるが、今のところ(相性も含めて)適当な芸人はひとりも思いつかない。

2009年5月8日金曜日

松之助

センス=時代感覚だと思うが、これに長けたといえる人が今どれくらいいるのだろうと考えると夜も眠れない。

唐突だが、明石家さんまのいいところは、非常に師匠を尊敬しているのが見えるところである。師匠とはもちろん笑福亭松之助である。弟子入り志願をした時、さんまは(やがて師匠になるであろう)松之助に向かって「あんたはセンスがある」といったそうだが、ま、気持ちはわからんでもない。
今でもそういう「これはかなわない」と思わせるセンスを松之助が持っているからこそ、さんまも素直に尊敬できるのだろう。
自分から見ても松之助はセンスのカタマリのような人に見える。こと笑いのセンスというか発想力はさんまよりもずっと上に思える。

松之助のネタでずっと見たいと思っているのが「仮面ライダー」だ。これは仮面ライダー(いうまでもないがV3の前の)が放送していた当時でないとやる意味がないネタだから、今高座にかけるのは考えづらい。
記録もあんまりないのだが、小林信彦著「笑学百科」の中で、わずかながら採録されている。
「ライダーキック!ショッカーアホか!とこうなる」
何度も何度も思いだし笑いをしてしまうぐらい面白い。そしてすごい。
全編を聞いたわけじゃないので詳しいことはわからないが、この一節を聞く限り、仮面ライダーは完全にただのツッコミでしかない。逆にいえば悪の限りを尽くすショッカーどもはボケということになる。

ショッカーがボケてボケてボケ倒している。ライダー(正確には本郷猛と滝)も細かいツッコミを入れているのだが、それもかまわずショッカーはボケ続ける。んで最後にライダーがライダーキックで強烈なツッコミをカマす。

この発想はすごすぎる。ヒーローものを見事に漫才に置き換えている。「ヒーローの日常」を映画にまでした松本人志よりも発想的にはすごい。
よく「悪役が輝く作品ほど面白い」といわれるが、漫才に置き換えるとすごく納得がいく。ボケが光ってないと、ツッコミがいくらいいツッコミをしたところで漫才は映えないのだから。

悪だくみ=ボケ、ヒーロー=ツッコミ。すごすぎるじゃないか。「ナイトinナイト」で答えがわからずひたすら「肌着」と書き続けて天丼を繰り返すだけのオッサンではないのだ、松之助は。こんな発想を持った人、他には知らない。

2009年5月5日火曜日

引っ越し

久々に周辺雑記みたいなものを書こうと思うが、こんなもん読んでくれる人がいるのかと思うと夜も眠れない。

ごく最近引っ越しをした。場所は京浜地区、とだけいっておこうか。そもそも京浜地区に引っ越す予定があったからこんなブログ名にしたんだけどね。
自分は、別に夜逃げを繰り返してたわけじゃないんだけど、わりと引っ越し慣れをしてるつもりだった。高校を卒業してからかれこれ10回以上は引っ越しただろうか。だからすっかり引っ越しには慣れているというか、完全にベテラン気取りだった。
が、今回の引っ越しは、もうホント、ほとほと疲れた。私用が重なったことや部屋探しのトラブルなんかもあっったりして、重労働極まりなかった。
引っ越し間際には、ずいぶん前に書いたと思うが、HDDレコーダの整理に追われた。なんとか全部ダビングできたものの、もうあれを繰り返すのは御免被りたい。

一応部屋も片づいたが問題も山積している。まずネットだ。これがなかなか開通しない。しかたなくPHSからダイヤルアップでつないでいたが、いや〜懐かしいね、この速度。
遅い。遅すぎる。ダイヤルアップでつないでいた当時よりも全体的にサイトが重くなってるので余計遅く感じる。
遅いといえばブロードバンドの開通にやたらと時間がかかった。さすがに我慢できなくなってイーなんちゃらとかいうのを契約してきた。
前が光だったのでそれと比べると全然遅いが、幸い電波状況も良好で、ふつうにネットしたりする分には問題ない。
維持費もMAXで5000円弱。全然使わないと1000円。安くはないが、この先ブロードバンドが繋がったとしても、1000円なら我慢できるし、非常用回線としても使えるわけで、まあこれくらいはしょうがない。一応問題は解決した。

本当の問題はCSが見れないことである。
どうもうちのアパートの問題とかで、ケーブルテレビは開通まで下手したら3ヶ月以上かかるといわれてあきらめた。
だったらネットを光にして、スカパー!光とかも考えたのだが、光を入れるのはこれまたアパートの問題で難しいとのこと。
ではアンテナを立てて、となるのだが、これは部屋の向きから考えてハナから無理、と八方塞がりなのだ。
地デジなんて見れなくても一向に平気だが(しかもこれはやろうと思えばすぐに解決する)、CSを見れないのはマズすぎる。
映画(ビデオやDVDになっていないもの)が見れないのも悲しすぎるが、野球が見れないのはもっとマズい。これが楽しみで生きているのにさ。

今年はいろいろ受難の年になりそうである。まあ仕事や身内のことはどうしようもないのであきらめるとしても、解決できそうで解決できない問題が一番堪える。というか精神衛生上よろしくない。
今年と来年のテーマは忍耐だ。堪え忍ぶしかない。ま、2年間耐えたとして、その先本当にうまくいくかは知らないけど。

2009年5月4日月曜日

深夜番組の黄金時代と東京への憧れ

今の時代、地方出身者が東京への憧れをもつとしたら、いったいどんなことろに憧れを抱くのか考えると夜も眠れない。

自分の場合は単純というか、東京でしかやってない映画が見たかった。関西でも名画座のようなものは存在する(した)のだが、やはり東京の方が数が多い。
以前にも書いたが、自分は古い邦画が好きなので、そういうのはやはり東京に分がある。とはいえもうだいぶ減ってしまったが。
もうひとつ、東京への憧れがあったのは深夜番組である。
小林信彦によると、テレビの黄金時代は1970年ごろまでとあるが、1960年代後半生まれの自分は当然知らない。
しかし1990年代までは、なんだかんだいいながらもテレビのクオリティはそれなりにあった。
つまり2000年代に入ってから絶望的にヒドくなったわけで、ある意味ノストラダムスの予言は(少なくともテレビというメディアについては)当たったのではないか。

1990年代まではもう少しテレビに活気があった。新しい息吹を生みだそうとする熱意が感じられた。そしてその象徴が深夜番組だったような気がする。
とくに1990年代のフジテレビの深夜番組はすごいとしかいいようがない。
「カノッサの屈辱」や「カルトQ」など、深夜番組という性質上からか、関西ではネットされなかった。(「カルトQ」はのちに全国ネットになるが)
自分はこれらの番組が見たくてしかたがなかった。たまに関東人と話すと「カノッサっておもしろいよね」といわれても
「それ、関西でやってへんねん」と答えるしかない。そのわびしさ、と同時に関東人の勝ち誇ったような笑み。
「ああ、やっぱり東京に行くしかない」と何度思わされたことか。
いや、それをいうなら1980年代の、毎日放送もすごかったし、少しパワーダウンしたものの、1990年代に入っても面白い番組は多かった。
毎日放送に限らない。ABCの深夜番組も今よりは良質だったし、関西テレビは「エンドレスナイト」があった。極めつけはよみうりテレビの「鶴瓶・上岡パペポTV」であるが、これはいずれじっくり触れたい。

そう、1990年代までは関西も関東も深夜番組は面白かったのだ。それなのに東京に憧れたってのは、いわゆる灯台もと暗しってやつでしょうか。いやはやなんとも。
いや、関西や関東だけじゃない。北海道ではあの「水曜どうでしょう」がはじまったのも1990年代だ。
(「水曜どうでしょう」についても後日記していこうと思う)
つまり今よりもずっと全国各地で深夜番組は面白かったわけだ。これはもう、1980年代〜1990年代は深夜番組の黄金時代といって差し支えないと思う。

ところが今はどうだ。地方の友人が「最近ローカルの深夜番組が絶望的に面白くない。できれば関東ローカルや関西ローカルの番組に差し替えてほしい」といったところで「いや、関西も関東もヒドいし変わらないと思う」としか答えられない。
こういうのを地盤沈下というのだろう。どこまで落ちるのか自分は知らない。

2009年5月3日日曜日

パクリ

友近が渡辺美里の真似をすると、決まって誰かが「あ、ライブバージョンや」と合いの手を入れるが、「マイレボリューション」のライブバージョンってそんなに有名なのだろうか。自分が知らないだけ?それとも明らかにレコードテイクと違うからそういってるだけなのか、気になって夜も眠れない。(こういうのを冗長な書き出しという)

そういや槙原敬之と松本零士の盗作云々の裁判がどうなったのだろうとざっくり調べてみたら、どうやら槙原敬之の主張が認められたようだ。
しかし盗作か否か、という問題ほど難しい問題はない。
以前小林亜星と服部克久との間で争われた裁判は、流用したことが認められる、つまり盗作とまではっきりいわなかったが、裁判所は「パクったんじゃね?」みたいな判決だったと思う。
この裁判では譜面からどれだけの類似点があるかで決まったようだが、はっきりいってほとんど意味はない。

こういう問題で常につきまとう、「インスパイア」というのは、創作とは切っても切れないものだからだ。
たとえば現実に起こったことからインスパイアされて創作する人もいるし、過去につくられた著作物からインスパイアされて創作する人もいる。
当然インスパイアされたものから、どう自分なりのオリジナリティを出せるかは作者の力量によるが、原典を横においてそっくり真似しない限り、本物そっくりになるわけがない。
もう、はっきりいえば、音楽でもギャグでも小説でも、オリジナルです、と胸を張っていえるものは、新しくはでてこないと思う。
音楽でいえばメロディなんかは音符を並べていくにしても限界があるし、小説をはじめとするフィクションでも、もうありとあらゆるストーリーがあるわけで、カブらない方が無理というもの。ギャグに関しても青島幸男は「ギャグのパターンは無限にあるわけじゃない」といってるし、自分もそう思う。
結局何かしらからインスパイアを受けて、創作は続けられていく。今もそうだし未来もそうだ。

インスパイアも多様化している。たとえばAという作者がつくったAAという作品を、AAにインスパイアを受けたBという作者がBBという作品をつくり、AがBを訴えた。これなら筋は通っている。
しかしAAという作品から、BはBBを、CはCCをつくったが発表はBBの方が先だった場合、話がややこしい。
自分は、槙原敬之と松本零士の件も、小林亜星と服部克久の件も、このパターンではなかったかと睨んでいる。
槙原敬之はおそらく本当に、例のセリフは知らなかったと思うし、服部克久も「どこまでもいこう」を意識したとは思えない。
ただインスパイアの原典が同じ、もしくは原典から派生した作品からインスパイアしてつくったのではないか。

とにかく「似たものはすべてパクったとみなす」というのは無理がありすぎる。先に発表したのが本当にオリジナルといえるものならともかく、先に発表しただけのものが著作権的に有効、というのはどう考えても納得いかないし、これでは創作する時似たようなものがないか著作権ばっかり気になって、本気でクリエイティブなことをやっていこうという人がいなくなる。
著作権を争う場合、似てるか似てないかではなく、フェイクかどうかで争うようにしないとマズいのではないか。さっき書いたように、発表された著作物を横において丸写しした場合はフェイクとみなしてアウト、ぐらいにしないと。

んで書き出しの件になるわけだけど、じゃあ物まねはどうなるんだ、となる。実際さいきんでも織田裕二が怒ったり、ショーケンや矢沢永吉がそっくりさんと揉めたりしてる。
これも本人が怒ったらアウト、というのはあまりにも曖昧だ。物まね芸人がいちいち本人の許可を取りに行くとは考えづらいし。(売れてない人ならなおさら)
ネットの問題も絡まって、著作権というのは曲がり角にきてるのではないか。このままほっておいたら、というか、真剣に議論を重ねないととんでもないことになりそうな気がするし、そうなっても知らない。