2009年5月19日火曜日

ドラえもん

でどれだけ笑ったか数えると夜も眠れない。←実は不眠症だった(わかりづらいボケ)

とうとう、ついに「藤子・F・不二雄大全集」が発売されることになった。しかも「(Aとの)合作を含む」のである。これを奇跡といわずして何といおう。
そこで関連したことでも書こうと思ったが、あれこれ悩んだ末、ド直球に「ドラえもん」でいくことにした。

よくいわれることだが、似非評論家はドラえもんのどこを読んで「教育的で健全な漫画」といってるのだろう。
たしかに教育的と思われないでもない話はあるが、健全な漫画では絶対にない。
ジャイアンの理不尽な暴力、しずちゃんのヌード(しかも微妙に胸のふくらんだ、やけにリアルな体型)、のび太の道具を使った黒いたくらみ。藤子・F・不二雄のトキワ荘時代の仲間で、純粋なまでに健康的漫画に殉じた寺田ヒロオならやるはずがないことのオンパレードである。
そもそも子供は「お行儀のいい漫画だから」なんて理由で漫画なんか読まない。ただ面白いから読むのだ。
ではドラえもんのどこが面白いのか、未来の道具を使ったSFマインドあふれるセンス・オブ・ワンダーな部分ももちろんある。
しかしもう単純に、ドラえもんはギャグが面白いのだ。丹念に読めば「ドラえもんはギャグ漫画である」ということを再認識させられることになる。
藤子Fの笑いの発想は落語から着想されていることが多いが、ともかく「笑わせるために」というか「まずは笑ってもらわなければ話にならない」という作者の考えは十分伝わってくる。
しかも対象は子供である。子供を笑わせるために多少の下品さもいとわない。
のび太恒例の鼻水垂れに始まり、鼻くそでボールをつくる、そして極めつけは「メロディーガス」の、おならでメロディーを奏でるという話だ。
「♪プップップ〜ハトプップ〜イモガホシイカソラヤルゾ〜ミンナデナカヨクカギニコイ〜」
これをおならで奏でるのである。
たしかに下品だ。しかしお行儀のよさも何もない、ひたすら笑わせることだけを追求する姿がそこにある。

とはいえ下品だけにこだわっているわけではない。
ビジュアルのおかしさを全面に出したギャグもあれば、風刺的なもの、考えオチ、メタフィクションなど、種類を問わず無数のギャグが詰め込まれている。
藤子Fの絵は端正で、そこが一見お行儀のいい漫画と勘違いされるところでもあるのだが、しかし「見るからにギャグ漫画風のタッチ」であったり「キャラクターが際限なしにふざけまく」ったりする、よくあるギャグ漫画よりよほど「笑わせること」にこだわっている。その結果どの漫画よりもギャグを大切にしていると感じるし、あれほどの名作となりえたんじゃないかとも思うのだ。

人はよく藤子Fを天才という。それにたいして何の否定もしないが、つまらない作家性を全面に出すのではなく、当たり前のこと、ギャグ漫画なんだからまずは笑ってもらって当然で、あとのこと(SFマインドやほのかな主張)はそれをクリアしておかないと感じ取ってもらえない、そういうことをきっちりやろうとしたこだわりがあったからこその天才だというのを忘れてはならない。
突飛な発想をすることばかりじゃない、実は当たり前のこと、絶対に必要なものは何かに気づける人、そういう人を天才というんじゃないだろうか。
少なくとも児童漫画の世界において「それ」を気づけた人は藤子Fだけだろう。自分は他には知らない。