2013年5月27日月曜日

凍結

一応こっちのブログはしばらく凍結します。
今後は
で書くことにしました。よろしくお願いします。

2013年5月21日火曜日

わかったこともあるのですよの続き

前回の続きです。
たった半年とはいえ、海外から日本を眺める、というのを体験できたのは本当に大きかった。自然と「日本とは」、「日本人とは」ってことを意識するようになったというか。
ひとつ強烈に感じたのは、日本人は真面目・勤勉というのは大嘘じゃないかということです。
ヨーロッパの人々にいい加減なイメージを持ってる人はいっぱいいると思います。アタシ個人もそう思う。しかし彼らは自分の意思で動いている感じがするんです。
日本人はそうじゃない。行かなきゃいけないから行く、やらなきゃいけないからやる、という感じというか。どっちでもいいよ、となると途端にやらなくなる。どっちでもいい=しなくていい、なんです。

さてこれから海外に滞在する方々にお勧めしたいものがあります。これだけは体験しておけ、その方がより話が広がるよ、みたいなものです。
ひとつは「ONE PIECE」。アタシもこっちにきて慌てて読んだのですが、まあよくできてるとは思うけどギャグがつまんないし、何より物凄く読みづらい。ハマったかどうかと聞かれると確実にハマってない。
けどヨーロッパでONE PIECEは強いです。イギリスはそうでもないけど。ルフィの絵でも描けようものなら一気に話が広がります。

もうひとつは、これはいわずと知れた(あくまでこのブログでの話ね)「水曜どうでしょう」です。滞在する場所にもよりますが、ヨーロッパに滞在する場合は特にヨーロッパ三部作は必見です。
別に海外の旅紀行番組でもいいのですが、水曜どうでしょうの場合、基本的に名所には行かないからね。だからこそダイレクトでその国の雰囲気がわかりやすいし、会話のネタになりやすい。つか「日本のテレビ番組で見たんだけど、本当はどうなの?」みたいな会話が作りやすいのです。
実際アタシはこれでベトナム人と会話のネタができましたし。

どっちみち相手は日本のことなんか何も知らない。知ってるのは寿司(アチラ流に発音すればスーシ)くらい。だったらこっちが部分的に知ってるその人のことを聞いていく方が楽だからね。つか質問に答えるより質問して聞く方が楽だし楽しいですからね。

2013年5月19日日曜日

わかったこともあるのですよ

フルーツポンチのネタではありませんが、海外に行って「自分が一回り大きくなった」錯覚ってのは、まあ誰にでもあるんじゃないでしょうか。
しかし大抵の場合は錯覚ではなく、絶対変わってると思うのですよ。日本にいるだけじゃ気付けないことに気付けるのも、やっぱり事実なんですね。

もうちょっと具体的に書きます。
大別してふた通り、ひとつは海外の空気と人に触れ合うことで気付くことってのがあります。
アタシもそうでしたが、初めての海外での滞在はストレスの連続です。まず言葉が通じない。語学には自信があるよってな人でも、より深い話になると太刀打ちできないと思うのです。
いや、そういう心理があるからでしょうが、大抵の日本人は日本にいる時の80%増しくらいでシャイになってしまう。日本では結構陽気で通ってたようなヤツでも、借りてきた猫みたいになる。それを続けると自分が入っていないコミュニティーがどんどんできる。するとますます萎縮する、という悪循環に入ってしまいます。実際こういう日本人はいっぱいいました。
アタシは発想をガラリと変えて立ち向かいました。
つまりは「旅の恥はかき捨て」って発想です。逆にドンドン恥をかいてやろうじゃないかと。これを続けることによって「全然喋れないくせにコミュニケーションはとれる」、はっきりいって奇異な感じになりました。
これから海外で生活しようという人に、もうこれだけはいいたい。
とりあえずノッておけ。絶対に斜に構えるな、と。

さてアタシの滞在していたロンドンは実に多民族です。イギリス人を見つける方が難しいくらい。当然友達になったのも、世界各国の人たちです。
正直ね、ヨーロッパの地図なんて全然把握してなかったのですよ。イギリスがあって、海をまたいでフランスがあって、その下にブーツの形のイタリアがある、本当にその程度しか知らなかった。
アタシはずっとオランダに行ってみたかったんです。一昨年初めてイギリスに行った時もイギリスなんかじゃなくオランダに行きたかった。なんたって敬愛するディック・ブルーナの国ですから。
しかし今はオランダに興味が全然なくなった。だってオランダ人の友達ができなかったから。
それよりイタリアとかスペインね。ここらは本当に行ってみたい。そしてなんと言ってもトルコ!こんなオモシロソウナ国だとは思ってなかった。
「あー、トルコ行きてぇなー!」なんていってたら昭和のオッサンみたいですが。
あとマリとかアルジェリアね。さすがに行きたいとは思わないけど、紛争のニュースとか見ると心配になるんですよ。アイツ、大丈夫かなって。

きっとね、こういう感情って日本にずっといたら覚えなかったと思うんです。「紛争?どうせ外国の話でしょ」程度で終わっていたと思う。実際そうだったし。でも今は違う。これも、大きくなったかどうかはさておき、立派な「変化」じゃないんですかね。
そしてもうひとつは・・・長くなったので続きは今度。

2013年3月29日金曜日

昭和のアイドル

アタシも40代になって何年か経ちましたが、今の今まで、アイドルってやつに興味を持ったことがただの一度もない。ま、今現在興味がないのは当たり前すぎますが、若い頃ね、10代の頃ですら、コンサートに行ったことがあるとかレコードを買ったとかそんなレベルはおろか、普通に可愛いと思ったことすらないのですね。
アタシは1960年代後半の生まれですから、世代的には松田聖子とか小泉今日子とか中森明菜とか、あのあたりのアイドルはピンズドなはずですが、誰もなんとも思わなかった。

あんな青臭いガキを好きになるわけないってことだよねってことでもない。中学生や高校生が若干年上の女性を青臭いと思うわけがない。そんな理由なわけがないのですが、じゃあちゃんとした理由があるかといえば、これが本当に何にもない。ただただ興味がないだけで。

そんなアタシがアイドルについて論じれるわけがない。無理矢理後付けの屁理屈をこねくり回して、だからアイドルなんて意味がない!なんていう気もさらさらない。
この話は前にも書いたかもしれませんが、大学の頃、他人の卒業論文を有償で書いたことがあって、テーマがアイドルだったんで自分なりに調べましたけど、ああいうのも思い入れがないからできたんですよね、今考えると。

さて、残念ながら写真をアップするわけにはいきませんが、アタシの知り合いに、もうどう見ても「昭和のアイドル」としかいいようがない見た目の子がいます。正確にいえば1980年代の女性アイドル。アタシは彼女を見るたびに、生まれる時間と場所を間違えてたら、本当にアイドルになれたかもしれない、と思うわけです。
時間はともかく場所?ってことですが、彼女は日本人じゃない。ベトナム人です。日本人顔なのか、といわれれば、ちょっと違うのですが、1980年代の女性アイドル顔か、といわれれば、もうまさしくその通り!というか他に形容しようがない。
具体的に誰?といわれると難しい。藤井一子とか、少女隊かセイントフォーにいそうな感じ、と書こうと思ったけど、そもそも最初に書いたように詳しくないからよくわからない。だからもう、誰とかという話ではないんです。
ただね、彼女を見てると何となくアイドルに入れあげる人の気持ちはわかる。なんというか、徹底的に未完成なんですね。子供でもないけど大人では断じてない。将来美人になるのかどうかすらわからない。そんな不安定さや脆さこそアイドルの必須条件なんじゃないかと思ってみたり。

そういやアタシの知り合いの友人(仮にAとします)はアイドルデビューしたもののさっぱり売れず、しかもあろうことか芸能界にまったく興味がなかったという、Aの妹がたまたま東京に遊びにいった際にスカウトされ大人気アイドルになった挙句、まだ人気絶頂だった時に過去にここのブログでも名前を出したことがある超大物と結婚して引退しました。(あんまり詳しく書くと特定されるんで曖昧に)
友人の話では、Aは高校の頃から華やかな人だったらしく、たいしてAの妹は非常に地味な感じだったといいます。
が、ある意味完成されていたAは売れず、地味で未完成だったAの妹は売れた。もちろんアタシがフィルターをかけている可能性もありますが、完成未完成は「アイドル」になれる分岐点なような気がするのです。
つまりアイドルはプラモデルでなければいけない、のではないかと思うのです。
何となく上手く言えた感じなのでこの辺で。

2013年1月31日木曜日

フータくんという分岐点

さいきんは「え?なんでこんなもんが?」みたいなもんまでCD化されており、まあそういう意味ではありがたい時代なんですが、ソノシートでしか発売されなかった「フータくんのうた」までCD化されているのは凄いとしかいいようがない。
「フータくん」については旧yabuniramiJAPANで書きましたし、何より藤子不二雄A作品で一番好きだからね。ソノシートが発売されてたのはずっと前から知ってたんですが、この超レア盤はそう簡単に手に入らない。がCD化によって状況は大きく変わったというわけでして。

実際聴いてみると、もう泣けてくるんですよ。アニメ化の予定がありながら結局頓挫したっていう経緯もあって、ああ、もしアニメ化されてたらこんな感じになったんだろうなってのが浮かんでね。
しかもカラーで製作するはずだったから、少なくともアタシが子供の頃くらいまでは普通に再放送とかされてただろうし。

ここからは完全に「IF」の話になりますけど、もし「フータくん」が予定通りアニメ化されていたら、その後の藤子不二雄(F・A問わず)の置かれる状況って結構変わっていってたんじゃないかと思うんです。

一般の人が藤子不二雄モノと聞いて、まず思い浮かべるのは
現代日本の、ごく普通の家庭の、少し出来の悪い少年のいる家庭に、特殊な能力を持つ異性物が混入して騒動が巻き起こる
みたいな感じだと思います。これはフォロワーともいえる「まじかる☆タルるートくん」や「ケロロ軍曹」もこのパターンです。(「まじかる☆タルるートくん」は創作の経緯はフォロワーとは全然違うけど)
しかし第二次藤子不二雄ブーム、つまりコンビを解消して以降、F・Aともに作品の多様性がある程度認知されるようになりました。
FでいえばSF短編や「モジャ公」など。Aでいえば「笑ゥせぇるすまん」や「まんが道」などです。
が、もし「フータくん」のアニメ化が実現していたら、どうだったでしょう。
「フータくん」は藤子不二雄作品としてみても、A作品としてみてもかなり異端です。
後にAが得意とすることとなるブラックユーモア要素も皆無であり、ひたすらパワフルで、テーマも「お金」というストレートなもの、またキャラクター設定も主人公が小学生くらいの年齢でありながら学校に行っていない風来坊、風来坊であるから当然のように毎回舞台となる街が変わり、他のキャラクターは手塚治虫考案のスターシステムに基づいて毎回役回りが変わる、その他その他・・・。

もし、もっと早い、第一次藤子不二雄ブーム(「ウメ星デンカ」終了)の後の段階で「フータくん」という異端な作品が認知されていたら、やっぱり取り巻く状況は大幅に変わっただろうな、と思わざるをえないのです。つまり本人の意思ではなく編集部が、いわゆる藤子不二雄パターンでない、「フータくん」的なものを求めたのではないかと。
Aは当然「フータくん」に近い、バイタリティ溢れる主人公の作品を描いただろうし、もしかしたらFも男の子が単独の主人公の、異性物が混入しないパターンの児童向け作品を描いていたかもしれない。
しかし実際にはAは、放浪する男を描いた「さすらいくん」、流されるように生きる男を描いた「戯れ男」を描くに留まり、どちらも非常にマイナーです。(「さすらいくん」はずっと後にアニメ化されたから少しは知名度がありますが)

Fの「未来の思い出」じゃないけど、「もし「フータくん」が無事アニメ化されてた時」のパラレルワールドも見てみたい気がするのです。

2013年1月22日火曜日

ジョークの難しさ

最近つくづく思うのですが、ジョークの本質って、面白いか面白くないかじゃなくて、時と場所にマッチしてるかどうかじゃないかと思うわけです。
もちろん面白いに越したことはない。でもその判定をするのは自分ではないわけで、相手がどう感じるかがすべてです。いくら「な、面白いだろ?」と押し付けたところで、そしていくら相手が自分に合わせて愛想笑いをしたところで、本心まで、つまり本当に面白がってるかどうかまでコントロールすることはできません。
しかし時と場所はある程度コントロールできます。

どんな相手にでも、どんな場所でも、そしてどんな空気でも、笑わせられる鉄板ジョークなんて存在しない。
ごく親しい友達にはウケるけど、嫁や恋人にはさっぱりウケない。
会社の上司にはウケるけど、親や親戚には全然ウケない。
また
酒の席ではウケるけど、シラフではウケない。
深夜ならウケるけど、昼間にいってもまったくウケない。
他にも
言葉にするとウケるのに、文章にすると見事に面白くない。
ってのもあります。
はっきりいって「場」に合ってないんですね。そういう時はどんだけ面白いはずのネタでもウケるわけがないのです。
いや、笑いを誘発しないだけなら全然いいのです。しかし「場」を外したジョークは相手の怒りを買ってしまうことも多い。

そもそもの話になりますが、いったい人間というのは何故ジョークをいうのか。
人によって、場面によって違うのは当然ですが、大抵の場合は「場を和ませたい」ためじゃないでしょうか。(もっとはっきり「相手を大笑いさせたい」という意思がある場合は、ジョークの範疇を越えてギャグになる。親しい友人をウケさせたいとか、もちろんプロの芸人が発するのはジョークではなくギャグですね)
せっかく和ませようと発したジョークのせいで、逆に空気が悪くなる、なんてことは珍しくありません。
前に「毒舌による笑いが一番難しい」ってなことを書きましたが、素人は一切毒のないジョークを言え、とかいってんじゃないんですよ。でも「場」を間違えた上に毒や皮肉を含んでいる場合は、まず相手が怒ると考えて間違いない。
いやね、特に文面上で毒や皮肉を含んだジョークを書くのは危険極まりない。対話上ならまだ相手の表情などから、あ、これはジョークだな、と察することも可能ですし、その場で確認することもできます。しかし文面でやられると即時に返すことができないし、意図も読み取りづらい。

アタシは「場」を間違えたジョークこそ最低のジョークだと思ってる。いくら面白くなくても場を間違えてなければ、少なくとも不快な気持ちになることはないのです。
人間だから場を間違えることもある。でもそんな時は素直に失敗したなと思ってくれてもいいんじゃないかね。一番タチが悪いのは、ジョークだよ、わかれよ、とか思っちゃうヤツ。
いやいや、ジョークにとって場ってもんが一番大事だとわかってないテメエが一番ジョークってもんを理解してないんだよ、バーカ!とか思ってしまうわけで。

2013年1月20日日曜日

アタシが始めて映画に出た日

俳優や監督に「あの映画はどんな感じだったんですか?」なんていう質問は定番です。要は裏話教えてってことなんですけど、こんな時「いやぁ、あの頃はメチャクチャ忙しくて、あんまり憶えてないんですよ」てな返答は珍しくありません。
そりゃ実際メチャクチャ忙しかったろうし、映画が作られたのが数十年前とかなら憶えてなくて当然なんですが、ファンとしては何となくガッカリしてしまいます。

さて、アタシは何度も書いてます通り記憶力が非常に悪い。だからもし数十年前の映画に出てたとして、その当時のエピソードを憶えているかとなると、たぶんほとんど憶えてないと思う。
いや、遡ること20年ほど前、一度だけ映画に出たことがあります。もちろんエキストラで。しかもいわゆるピンク映画。でも一応「映画」であることには変わりない。
そこで、実際どれくらい憶えているものなのかの実験として「もしアタシがこの映画について何か喋れ」となったとしての架空インタビューをやってみたいと思います。

ー映画に出たきっかけは?
「その前にね、これは完全にバイトですけど、カラオケ用のビデオに出たことがあるんですよ。ブキーマンが歌った「パチンコマン」の。たしか大阪の住之江にあるパチンコ屋で撮影したと思う。その時の監督がピンク映画の監督だったんです」

ーその縁でエキストラに呼ばれたと
「その辺ははっきり憶えてないんです。ただ大学の後輩が監督と知り合いだったんで、カラオケビデオの時もピンク映画の時も、後輩経由だったような気がする」

ーどんな内容だったんですか?
「何しろタイトルすら忘れたからね。憶えているのは新東宝系の映画だったってことぐらい。僕は東宝のファンなので、新東宝といえば、その当時はまったく関係ない会社とはいえ、過去に東宝から枝分かれした会社が母体になって作られたわけだから嬉しかったのは憶えてます」

ー主演が誰かとかも憶えてないんですか?
「憶えてない。まあ僕はピンク映画には明るくないから。ただ台本に同じエキストラとして、「プロジェクトX」のナレーションでお馴染みの、あの人の名前がありました。といっても撮影は別なので会ったわけじゃありませんが」

ー無名時代ですか?
「とんでもない。その時点でかなりの有名人です。おそらく監督の友人かなんかで特別出演みたいな感じだったんでしょうね。ちなみに僕の役名が「客H」で、その人は「客I」だったんで、僕の方が格上だと言いふらしてました(笑)」

ー撮影はどんな感じでしたか
「当日までどんなことするか、まったく知らなかったんです。それで現場に行ったら監督から開口一番「とりあえずシャワー浴びてきて」って(笑)。んで台本を渡されたんですけど、エキストラなのにけっこうセリフがあるんですよ。たしか5行くらいはあったはずです」

ーピンク映画ということですから裸ですよね
「そもそも何をするかすらわかってなかったからね。僕はその日、大阪にある某サウナでパクったパンツを履いていったんです。水色のデカパン。脱ぐとわかってたら、こんな小汚いパンツ履いていきませんよ。もちろん衣装用のパンツは用意されてたんですけど、監督がサウナのパンツを面白がって、それで撮影しようということになりました」

ーパンツ一丁での撮影
「ファッションヘルスの客役だから当然途中で脱ぐわけです。角度的に股間は映らないんだけど、一応前バリしてね。最初で最後ですよ、前バリなんてしたの。ところがこの前バリってのが実にザックリしたものでね。黒のゴミ袋を適当に切って、ガムテープで張り付けただけ。
まあ役柄的には股間を咥えられるんだけど、本当にフリだけだからオイシイことはまったくない。相手の女優さんも、いわゆるピンク女優じゃないし。でもフリだけでも顔を近づけて手を添えてユサユサはするんで、ありゃ、こりゃヤバい、くらいはなりました。フリだけでアソコの形が変形することほどみっともないことないと思ったから必死で食い止めましたけど。まあ当時は20代前半だし、目の前には下着姿の綺麗な女優さんがいるんだからしょうがないんだけどね」

ーそのシーンだけですか
「そのシーンだけです。でもその後に簡単なアフレコをやったんです。あ、これはいっておかなきゃいけないと思うんだけど、撮影はビデオテープじゃなくてフィルムです。しかも同録じゃないんでアフレコしなきゃなんない。といってもマイクに向かってセリフをなぞるだけなんですが。
ま、ピンク映画なんでセリフもとても恥ずかしいものです。それでも身体を動かしての演技をしながら、とかなら、まだ役に入っていけるからそれほどでもないんだけど、着衣の状態で、壁際に吊るされたマイクの前で「ああああー!そこだよそこ!」とかハイテンションで叫ぶのは、いろいろ難易度が高すぎました(笑)」

ー完成した映画は見た?
「見てるわけない。だいたいちゃんと完成したのかも、どこで公開されたのかも知らないし」

ー見たいと思う?
「今更見てもね。ただ当時の僕は、今の中年太りとは別人の、超がつくほどのガリガリだったんで、そこは見てみたいかな。何しろ裸だし」

ま、こんなもんですか。
お、意外と憶えているなってとこと、逆に何でタイトルすら憶えてないんだよってことが混在してますな。
しかしインタビューとか難しいわ。これはあくまで「架空」なんで、自分で設問を考えてるし、ゆっくり思い出しながら書けるし、オチまでつけられたけど、これをアドリブでやるのは至難の技だわ。
ああ、有名人というかインタビューされるような人間じゃなくて本当によかった。