2013年1月31日木曜日

フータくんという分岐点

さいきんは「え?なんでこんなもんが?」みたいなもんまでCD化されており、まあそういう意味ではありがたい時代なんですが、ソノシートでしか発売されなかった「フータくんのうた」までCD化されているのは凄いとしかいいようがない。
「フータくん」については旧yabuniramiJAPANで書きましたし、何より藤子不二雄A作品で一番好きだからね。ソノシートが発売されてたのはずっと前から知ってたんですが、この超レア盤はそう簡単に手に入らない。がCD化によって状況は大きく変わったというわけでして。

実際聴いてみると、もう泣けてくるんですよ。アニメ化の予定がありながら結局頓挫したっていう経緯もあって、ああ、もしアニメ化されてたらこんな感じになったんだろうなってのが浮かんでね。
しかもカラーで製作するはずだったから、少なくともアタシが子供の頃くらいまでは普通に再放送とかされてただろうし。

ここからは完全に「IF」の話になりますけど、もし「フータくん」が予定通りアニメ化されていたら、その後の藤子不二雄(F・A問わず)の置かれる状況って結構変わっていってたんじゃないかと思うんです。

一般の人が藤子不二雄モノと聞いて、まず思い浮かべるのは
現代日本の、ごく普通の家庭の、少し出来の悪い少年のいる家庭に、特殊な能力を持つ異性物が混入して騒動が巻き起こる
みたいな感じだと思います。これはフォロワーともいえる「まじかる☆タルるートくん」や「ケロロ軍曹」もこのパターンです。(「まじかる☆タルるートくん」は創作の経緯はフォロワーとは全然違うけど)
しかし第二次藤子不二雄ブーム、つまりコンビを解消して以降、F・Aともに作品の多様性がある程度認知されるようになりました。
FでいえばSF短編や「モジャ公」など。Aでいえば「笑ゥせぇるすまん」や「まんが道」などです。
が、もし「フータくん」のアニメ化が実現していたら、どうだったでしょう。
「フータくん」は藤子不二雄作品としてみても、A作品としてみてもかなり異端です。
後にAが得意とすることとなるブラックユーモア要素も皆無であり、ひたすらパワフルで、テーマも「お金」というストレートなもの、またキャラクター設定も主人公が小学生くらいの年齢でありながら学校に行っていない風来坊、風来坊であるから当然のように毎回舞台となる街が変わり、他のキャラクターは手塚治虫考案のスターシステムに基づいて毎回役回りが変わる、その他その他・・・。

もし、もっと早い、第一次藤子不二雄ブーム(「ウメ星デンカ」終了)の後の段階で「フータくん」という異端な作品が認知されていたら、やっぱり取り巻く状況は大幅に変わっただろうな、と思わざるをえないのです。つまり本人の意思ではなく編集部が、いわゆる藤子不二雄パターンでない、「フータくん」的なものを求めたのではないかと。
Aは当然「フータくん」に近い、バイタリティ溢れる主人公の作品を描いただろうし、もしかしたらFも男の子が単独の主人公の、異性物が混入しないパターンの児童向け作品を描いていたかもしれない。
しかし実際にはAは、放浪する男を描いた「さすらいくん」、流されるように生きる男を描いた「戯れ男」を描くに留まり、どちらも非常にマイナーです。(「さすらいくん」はずっと後にアニメ化されたから少しは知名度がありますが)

Fの「未来の思い出」じゃないけど、「もし「フータくん」が無事アニメ化されてた時」のパラレルワールドも見てみたい気がするのです。