2009年2月27日金曜日

朝ドラ

今回はちょっと長くなりそうなんで、ちゃんと最後まで読んでくれる人がいるのだろうかと考えると夜も眠れない。

うちの実家は朝ドラを見る習慣がなかった。だからあれだけ話題にもなり視聴率もとった「おしん」すら、ただの一回も見たことがない。
大人になっても朝ドラへの興味は変わらなかった。「ふたりっ子」や「ちゅらさん」などはおもしろいという評判は聞いていたが、それでも関心を持つことはなかった。

風向きが変わったのは「芋たこなんきん」からである。
これは名優・藤山直美が主演ということで、かなり興味をそそられた。(藤山直美は名女優というより名優といった方がしっくりくる)
実際、藤山直美と國村隼との掛け合いは抜群におもしろく、攻めの藤山直美を國村隼がさらりと受け止める。このコンビ芸のおかげで楽しいこと無類だったが、モデルが実在の人物ということもあって、基本的に話は転がらない。
火野正平や城島茂もよかったんだけど、ストーリーに関心が行きづらい設定上、どうしても主演のふたりだけを見る、という偏った視聴になってしまった。
だから、かどうかはわからないが、「芋たこなんきん」に関しては、とてもじゃないが熱心な視聴者ではなかった。その時間にテレビの前にいればチャンネルを合わせる、といった程度である。
次の「どんど晴れ」は、主役の女の子がどう見ても朝ドラの主役っぽくないことや、舞台が東北の旅館ということもあって見るのが遠慮気味になってしまった。

さて「ちりとてちん」である。これは「芋たこなんきん」と同じBK(大阪放送局)制作であり、舞台となる福井県小浜市は知人がいることもあり何度か訪れたことがある懐かしい街である。
だから放送一回目から丹念に見ていたのだが、これは本当にぶったまげた。朝ドラの枠を大きく踏み外していないにもかかわらず、どうしようもないぐらいおもしろい。
とにかく精細な伏線を張っており、話が進むにつれ伏線が見事に「昇華」されていく。
役者面でいえば、見る前は二大不安材料だった和久井映見と渡瀬恒彦が実にすばらしく、足を引っ張るどころかドラマをぐいぐい引っ張っていった。

「瞳」は「ちりとてちん」ほどではないが、それなりには見た。まあこれはすべての面で地味すぎた。配役に何のひねりもなく、適材適所といえばそうなのだが、ハマりすぎるとかえって印象がなくなってしまう。

さあここからだ。やっと本題に入れる。今やってる「だんだん」のことである。
いろんなところで指摘されているように、出だしは悪くなかった。「ちりとてちん」には劣るが、「瞳」よりはだいぶマシ、さすがBK制作だなと思わされた。
配役も吉田栄作を父親、それもシジミ漁師役で使うのはうまいと思ったし。
ところが、どこをどう間違ったか、途中から滅茶苦茶なドラマになってしまった。
おもしろくない、のではない。ドラマとして成立していないのである。

ややこしいので箇条書きにする。
・キャラクターの心情の伏線がまったくない。続けてみているはずなのに、あれ?二三回飛ばしたか?と思ってしまうことがしばしば。
・肝心なストーリーをすべてナレーションもしくはキャラクターにセリフで説明させる。
・季節感ゼロ。夏だろうが冬だろうが服装は変わらず、大晦日という設定の話でさえそれらしい描写は皆無。
・双子が主役や歌手になる設定もまったく活かされていない。
・どうでもいい伏線は張ってあるが、ただ「消化」してるだけ。しかも肝心な部分の伏線は一切ない。

書き出せばキリがないのでこの辺にしておくが、原因のほとんどは脚本にある。いや、これは脚本とすら呼べない代物である。
そもそもストーリーのアウトライン自体は古典であって、「ふたりのロッテ」でも、ピーナッツが主演した「私と私」でも、山口百恵がやった「古都」でも、原典はいくらでも見つかるのである。そんな手堅い話をここまでヒドいものにできるのは、森脇京子、あんたのせいだよ。
特に二番目の、ストーリー上重要なことをナレーションかセリフで語らせるなんで、ちょっと脚本を勉強した人なら絶対にやっちゃいけない基本だとわかるはずだ。
鈴木砂羽が「スタジオパーク」に出た時、やんわりと脚本のヒドさを指摘したそうだが当然だろう。おそらく出ていた役者全員、ここまでヒドい脚本は初めてだったろうし、自分も「おもしろくないドラマ」は数多く見たが、ここまで最悪なドラマは初めてだった。
だからもう役者の人たちがかわいそうでしかたがなかった。みんな本当にがんばってるんだけど、やればやるほどドツボにハマる台本、とでも申しましょうか。

このドラマのテーマは(なにしろあまりにもヒドいので読みとるのが困難なのだが)おそらく主題歌のタイトル通り「縁の糸」なのだろう。脚本家は「どうだ、まさかこんな展開になるとは思うまい」と思って書いてるのかもしれないが、何の伏線もなく、ただ強引に結びついたキャラクターの話に「ああ、運命の糸で導かれたんだな」とか思うわけねーだろ!

そういえばこの度「だんだん」が舞台になるそうだ。いやもうこれはNHKの尻拭いとしか思えない。ベテラン陣やマナカナはともかく、初めてといってもいい大役の石橋役の山口翔悟などはこれが致命傷になりかねないぐらい支離滅裂な役に相当苦しんだと思う。
(同じくまだ役者としての技量の足りなかった、「ちりとてちん」に出ていた 青木崇高は技量に沿った適役を与えられたのと正反対である)
これじゃあまりもかわいそうだ。かわいそうすぎる。だからこその舞台化だろう。もうそうとしか思えない。
しかし舞台にするにしろ何にしろ脚本家を変えないことにはどうしようもない。もっと傷口を広げるのがオチだ。まあ脚本家を変えたからってうまくいくかどうか自分は知らないが。

2009年2月19日木曜日

相撲

相撲のことを考えると夜も眠れない、という状態になったことは一度もない。

久しぶりの更新だが気にせず書く。
これでも子供の頃は人並みに相撲を楽しんでいた。
ま、楽しんだレベルであって、熱中した、ではないんだけど、場所中は夕方になるとNHKにチャンネルを合わせたクチだ。
大人になってからはほとんど見なくなったのだが、これは周りに相撲を見ている人がいない、というのが大きい。
嫌いではないが大好きでもない。こういう場合、会話として盛り上がれるというのは大きなプラスアルファになる。
サッカーのワールドカップなんかいい例だ。しかしいろいろ事情があって最近代表の試合は見てないのだが、それはまた別の話。
周りに相撲好きな人がいない、よく考えてみればわりと当たり前なのかもしれない。

大相撲は年に6回、15日間行われる。日曜日からはじまり、翌々週の日曜日に終わる。
つまりだ、15日のうち、10日は平日に行われていることになる。
しかも幕内の取り組みはだいたい16時から18時の間。
よく考える必要はないだろう。平日の夕方に誰がテレビを見れるというのだ。
勤め人は職種にもよるが、まず無理。ラジオが関の山だろう。しかしサッカー同様、相撲のラジオ中継は何がなんだかわからない。
自営業者なら見れるかもしれないが、これまた職種によるが、商店の場合はカキイレ時である。ゆっくり観戦できるなんて、道楽でやってる人に限られるだろう。
専業主婦なら見れるかもしれないが、そもそも相撲は女性向きじゃない。
じゃあ録画して、といってもスポーツを生で見ず録画なんてよほどのファンがやる行為だ。

そう見る機会があるわけじゃないが、相撲がつまらなくなった、とは思わない。
スター不在なんていわれるけど、朝青龍なんて立派なスターじゃないか(悪役だけど)
結局相撲も、歌舞伎なんかと同じジャンルに入ってしまうのだろうか。ある種のマニアのものになってしまうのだろうか。
歌舞伎だって昭和30年代までは有名な話は子供でも知っていたらしいし、コントでもよく歌舞伎ネタのパロディが取り上げられていたそうだ。
元ネタが知れ渡っているからパロディをやっても成立するわけで、では今、相撲ネタをやってコントが成立するかと考えると難しい。
相撲ほど単純明快なスポーツはない。だから最低限のルールぐらいはまだ結構な人が知ってると思うけど、パロディとして成立するには、たとえば幕内力士(三役以上でもいい)の得意手や、行司のひとりふたりの名前がソラで出てくるぐらいの知識が観客側に必要になってくる。

別に歌舞伎の仲間になりたいならそれでもいい。でも、「伝統芸能」ではなく「スポーツ」であるなら、ちょっとマズいんじゃいかと思うんだけどね。

一度伝統芸能に入ってしまうと抜けられなくなってしまうと思う。猿之助ががんばってもあんなもんだし。抜け出せた例を知らない。

2009年2月4日水曜日

淡いオレンジ

意外な出会いがまた今度いつくるかと思うと夜も眠れない。

といっても艶っぽい話ではない。映画の話である。
その映画を初めて観る時、期待値が高ければハードルが上がるのは当然で、逆もまた然り。
全然期待していない映画が思いの外面白かったりすると、とんでもなくうれしくなってしまう。
先日、友人に薦められるがままに「オレンジロード急行」を観た。
以前書いた通り、邦画は好きなのだが、この辺の年代の映画はまったく眼中にない。
しかしこの映画に限ってはいい意味で期待を裏切られた。
いやー、面白かった!
全然好きなタイプの映画じゃないし、おそらく友人の薦めがなければ一生観ない作品だったろうに。

正直出だしの無声映画っぽいシーンを観た時はダメかもしれないと。何というか、ああいうあざといのが苦手なんですな。いかにも1970年代後半の映画ってニオイがね。鼻につくっつーか。
でもその後は快調そのもの。原田芳雄の怪演もいいし、こういうキャスティング自体あまり好きでないけど、ま、当然ながらアラカンもさすがの出来。
その代わりといっちゃなんだけど、森本レオや小倉一郎といった、芸達者だけど主役を張れないタイプのふたりをメインキャストにしたのはうまいなあと思いましたね。
でもこの映画、役者がどうこう語るたぐいの映画じゃない。というぐらいあくまで監督による監督のための映画。
大森一樹はね、好きとか嫌いとかじゃなくて興味がない監督の典型なんだけどね。フィルモグラフィを見ても「あ、あれもそうなんだ」って感じで。
何ちゅうか、この人の作品って自己主張は強めなんだけど、色が淡い(絵的にではなく)印象しかなくて。
「オレンジロード急行」も商業映画初監督作品にして、やっぱり淡いんだけど、題材もそうだし、時代背景も含めて「淡さ」といいマッチングができた、そんな気がする。

さっきも書いたように基本的には大森一樹には興味がないんで、もしかしたらもっといいマッチングの作品があるのかもしれないけど、ま、自分は知らない。