2009年8月23日日曜日

ゆうこりん

何か勘違いされそうなタイトルなので気になって夜も眠れない。

ちょっとマジメな話題が続いたので、やわらかめの話を。
もう週刊の漫画雑誌を買わなくなってずいぶん経つが、コンビニの雑誌コーナーを冷やかすと、いまだに小倉優子が表紙を飾ってたりする。
いろいろ悪い噂をネットでたてられたりしているが、それでも10代のアイドルが中心の表紙&巻頭グラビアで20代半ばの彼女が使われているというのは、やっぱりそれなりの需要があると見なすべきだろう。
「あれは事務所が・・」とかいくらでも穿った見方はできるが、何となくそれはないんじゃないかという気がする。

小倉優子が何でそれだけ需要があるのか、もうこれはセックスとしか思えない。
あのしゃべり方やキャラクター、そして体型がああだから、、つい「ロリに人気なんじゃないの?」と思われるかもしれないが、ちょっと違うような気がする。
彼女が醸し出しているもの、それはセックスそのものだ。それも表面上から連想しやすい「おいたな悪戯」といった、ある種倒錯的なものではなく、もろセックス、しかもごくノーマルなセックスなのである。
男はセックスのニオイに弱い。だが杉本彩や青田典子のような、年齢は別にしても、濃厚なものが苦手な人も多い。
小倉優子からは杉本彩に負けないくらいのセックスのニオイを発散していると思う。しかし濃厚なセックスは想像しづらい。
そこがいいのだと思う。だがいくらアメリカン(コーヒーのことね)な感覚でも、あそこまで生だと引いてしまいそうなものだが、何しろあのキャラクターである。いわば表面上のキャラクターがうまく中和、というよりもカモフラージュしているのである。

ここで取り上げる女優や女性タレントがもれなくそうなように、実は小倉優子も、顔も、それ以外もまったくタイプではないのだ、自分は。
が、目の前で全面的にセックスのニオイを出されると、何をするかわからない。もし噂通り、裏で・・・だったとしても、きっと誰も自分を止めることができないだろう。
以上ですキャップ!

2009年8月16日日曜日

リアル隣組

またしても同じようなことを書く。そろそろ飽きられそうで夜も眠れない。実はとっくに飽きられていると思うけど。

前回隣組について書いたが、参考までにと検索していくとWikipediaにYouTubeへのリンクが貼られていた。岡本一平が作詞した「隣組」の動画へのリンクだ。
あまり活用されているとは言い難いが、実はYouTubeにもコメント機能があり、この楽曲にたいしてもいくつかコメントが書いてあったのだが、あまりにもノーテンキなコメントばかりなのに、正直驚かされた。
いや、YouTubeばかりではない。「隣組」で検索してみるとおわかりいただけると思うが、かなり肯定的な意見が多いのだ。

隣組制度は、岡本一平作詞、飯田信夫作曲、徳山璉歌唱による、実に明朗なメロディと、あたたかい歌詞を持った歌のせいで、大いなる誤解を生んでいるといっていい。もちろんそれは内務省の狙いだったのだろうが、ここまでまんまとハマるケースも珍しいと思う。
たしかにあの歌だけを聴くと隣組は一種のパラダイスにすら感じる。しかも60年以上経ち、まったく価値観が変わってしまった今の人たちにまで幻覚を見せているのだから凄いとしかいいようがない。
作詞した岡本一平は・・・説明の必要もないだろうが、もちろんあの岡本太郎の父である。モノの本を読めばわかると思うが、ある意味息子以上に変わった人だったのだろう。
とにかく彼の家庭は「まともじゃなかった」のだ。とても普通の近所付き合いがあったとは思えない。
その岡本一平が、あんな歌詞を書き、(歌ができた当時から見て)未来人すら「その気」にさせてしまっているのだからおもしろい。

が、前回も書いた通り、隣組制度はパラダイスでも何でもない。個人的には国が責任を持たない分だけ、もしかしたら徴兵制度よりも悪法に感じてしまう。
相互監視のコワさを表現するのは難しい。
きっと「悪いことさえしてなければ、何の問題もない」という人もいるだろう。
しかし、当時のことを記した文献を読んでいただければ、到底そんな生やさしいもんじゃないとわかっていただけると思う。
そもそも「悪いこと」という定義がよくわからない。
法に触れるとかそんなレベルじゃなく、結局善悪の判断は個人の裁量に任されている。それが民主主義だ。
ところがそれを許さないのが隣組制度なのだ。
善悪の判断は隣組の人がする。しかも一番権力を持った人が。法には触れておらず、自分的には何ら問題がないことでも、権力者がダメといえばダメなのだ。
ダメというのはあきらめる、ということではない。即刻ダメと烙印を押された考えなり価値観を全否定しなければならないのだ。そうでないとたちまちつるし上げられてしまう。

つまりは隣組制度=個人の価値観の自由を剥奪されることに他ならない。価値観の自由を剥奪されてしまっては、もし仮に安全が保証されても、受け入れることなどできるか?少なくとも自分は絶対にできない。
以上ですキャップ!

2009年8月15日土曜日

サイバー隣組

このブログがいつ炎上するかと思うと夜も眠れない。まあこんな過疎ブログでそんな心配は皆無なのだが。

某吉本芸人のブログが炎上したそうだ。実際に読んだわけではないのでよくわからないが、どうも某Pについて触れたエントリで、覚醒剤肯定とも取れる発言をしたのが元のようだ。
覚醒剤是非についてはともかく、とにかく芸能人のブログというのはやたらと炎上する。これはブログシステムの問題もあると思う。
ここもそうだが、ブログの更新はメールで簡単に行える。ほとんど友達にメールを送るのと何ら変わりない感覚で更新できてしまう。
この、あまりにも気軽さが「うっかり」を産みやすい。公の場でこういう「うっかり」をしてしまう芸能人は少ない。それは仕事という意識があるからだ。
しかし実はブログ、というかインターネットで名前を出して発言するというのも、実は「公の場」なのである。つまりなかば仕事なわけだ。それがあまりの気軽さ故に「公の場」というのを忘れてしまうのではないだろうか。

もうひとつ考えられるのは、ブログを「何でもいいたいことがいえる場」とはき違えている人がいるんじゃないかということだ。
自分もここでいいたいことをいっているが、何でもいっていいとは思っていない。いくらハンドルネームしか晒してないとはいえ、やっぱりいっちゃいけないこともある。それが名前を出している人、そして有名人ならなおさらだ。
某巨大掲示板の有名なコピペで「いいたいこともいえない、こんな世の中じゃ」ってのがある。中には本気で使ってる人もいるが、風刺としてよくできている。
はっきりいってしまうと、有名人に限らず「いいたいことがいえる」場所なんて存在しない。どうしてもいいたければ自分の部屋で独り言でもいうしかない。

太平洋戦争中(内容的に「大東亜戦争」と書いた方がふさわしいが)、隣組というシステムがあった。同名の曲もつくられ、これは替え歌として「ドリフ大爆笑」のテーマソングにもなっていたからご存じの方も多いと思う。
表向きは「隣近所の助け合い、報告を強化しましょう」というものだが、実際は相互監視のためのもので、国が個人の思想を監視するのは無理がある。そこで町単位で相互監視させ、嫌戦思想他諸々を持つ者をつるし上げようというわけだ。
隣組という集団ができれば自然とボス的存在もでてくる。これがまともな人なら問題ないのだが、何しろ時代が時代だ。「正義」という名の下に、かなり理不尽ないじめや村八分もおこなわれていたのが実態らしい。

今のインターネットの世界はまるでこれのサイバー版である。
近所付き合いが希薄になったといわれる現在だが、その分インターネットの世界ではおそろしいほど「隣組」的な思想が濃厚になってしまった。
相互に監視しあい、正義の名の下に、はみ出したものを徹底的につるし上げる。

何だか前々回と内容がかぶってしまったが、このままではインターネットが思想抑制の場になってしまうのではないか。
有名人の「うっかり」程度ならまだいいが、別にうっかりしていたわけではない、まあふつうのことを書いてるだけなのに、サイバー隣組に目をつけられてしまったがために、ブログを閉鎖させられ、社会的な責任まで取らされる。
昔はインターネットは自由な場所だと思われていた。しかしこれからはそうでもなくなるだろう。むしろその正反対になる危険性すらはらんでいるんじゃないかと思うのだ。
以上ですキャップ!

2009・夏の納涼特別編 4



某大手事務所。名前を書けば誰でも知ってるところだ。

音楽に限らず、売れるための要素として、芸能プロダクションが果たす役割は大きい。

もちろん、事務所の規模が大きければ大きいほどいい、とはいわないが、ふつうならステップアップのチャンスととらえていいはずだ。

しかしだ、Y先輩、というか、彼のグループ全員の総意だと思うが、まったくメジャー指向はなく、わかる人がわかればいい、というスタンスで活動していたように思う。

だからなのか、少なくとも喜んでいるようには見えなかった。

彼のグループは特にリーダーという役割は決められてなかったようだが、あきらかにY先輩主導というか、その線で動いていることは明白であった。

きっと自分にこの話を持ち出す前、グループ内で話し合いは行われたはずだが、最終的にY先輩の決断に委ねられたのではないか。

冷静に考えると、そういうことは推測できるのだが、その時はあまりに突然のことで言葉に詰まってしまった。

沈黙の時間はつらい。いつまでも考えてばかりいるわけにもいかない。しかし、自分ごときがこんな重大な話に言葉をつっこんでいいものだろうか。

いろんな顛末があって、だいぶ経ってから自分もレコード会社の人と話す機会を得たり、芸能界の「それとない事情」を知ることもあった。

しかしこの時点では、大学をでて、就職もせず、かといって実現不可能な夢を見るばかりで、そこに向かって何かをやるわけでもない、布をちぎってウエスをつくるだけの男だ。

こんな男がアドバイスめいたことなどできるわけがなく

「でも(その事務所に入ったら)ウエスはつくらなくてよくなりますね」

とつまらない冗談をいうしかなかった。

「○○(有名芸能人の名前)も先輩いうことになるしな」

とY先輩も冗談でかえしてきた。

その芸能事務所に所属するタレントの名前を何人かあげ、もし○○に会ったら何と挨拶するか、どういう敬称で呼べばいいのか、ひとしきり冗談をいいあった。

結局その時は冗談に終始し、具体的な話になる前に別れた。

それにしても・・・Y先輩はこの話をするために、わざわざプールに誘ったのか、それにしても何故市民プールだったのか、疑問が頭を駆けめぐった。

秋になる前だろうか、Y先輩は某大手芸能事務所に所属することが決まった。

自分は喜んでいいのかわからなかった。いったいどういう経緯で決断したのだろう。

しかしどうしても、Y先輩にそのことを聞くことはできなかった。

チャンスがなかったこともある。自分の冗談の通り、Y先輩はバイトにこなくなっていった。たまに電話で話すことはあったが、バイト先でマジメな話ばかりしてた頃とは打って変わって、お互い自虐的な冗談をいうばかりだった。

それから自分にとってのバイト・・・は、ひたすらつまならいものになった。

殿様もいなくなった。Y先輩もいなくなった。

彼らだけではない。ちょうど不況の色が濃くなりはじめた時期だけに、バイトの数も目に見えて減っていた。

そのうち自分もすっかりお呼びがかからなくなり、新しいバイト先を見つけることになる。

が、年があけると、そのバイトも辞めた。

このままじゃいけない、という切迫感が、思い切った行動を加速させた。

自分は関東への引っ越しを決意する。そして実行した。

関東へ行っても具体的に何かあるわけではない。殿様との出会いと別れ、Y先輩の決断が大きく関係していたのかどうかもわからない。しかし何か行動しなくてはならない。そういう思いこみが、他人の目から見たら「なかば無意味な、無茶苦茶な行動」に走らせた。

この引っ越しも、結果的にはさほど意味もないものに終わり、運命に導かれるように再び関西へ帰ることになるのだが、それはまた別の話だ。

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以上。やたら「月日が流れる」ので、少しわかりづらかったかも知れない。

ちなみに「別の話」を含めて、今後更新する予定はない。また気が向いた時にでも。




2009年8月14日金曜日

2009・夏の納涼特別編 3



春が近づいてきた。

殿様がバイトにこなくなって、また孤独との戦いがはじまっていた。

もうひとりの心の支えであるY先輩が一緒の時は、まだマシなのだが、マシというレベルであり、殿様の時と同じ「会話の弾み具合」は到底望めなかった。

Y先輩は大学の先輩であり、同じサークルの先輩でもあった。

しかし大学在学中はそれほど接点があったわけではない。

そんなに大規模なサークルではなかったので、もちろんそれなりに話す機会はあったのだが、ひとことでいえば、どうも合わない人だった。

遊びにいく時も、他の先輩や同期、後輩とはいろんなところにいったが、Y先輩とはかなり大人数ので遊んだ時に、たまたま一緒になるといった程度だった。

だからバイトで一緒になっても、たいして会話のネタがない。

一緒にいて苦痛というほどではないが、自分は何となくY先輩が怖かった。本当はやさしい人というのはわかっていたのだが、どうしても遠慮がちになり、向こうもそれを感じていたのか、こっちにたいして遠慮がちになっていた。

これでは会話が弾むわけがない。

春がすぎた頃、うららかな日があった。

日差しがやわらかく、ぼーっとしていると睡魔が襲ってきそうなぐらい、気持ちのいい天気だった。

その日は妙に仕事が少なく、昼を過ぎたころ、特別することがなくなった。

「しょうがないな。じゃあウエスでもつくってて」

困り果てた顔で社員のひとりが指示をくれた。

元々あまり仕事がないのはわかっていたのだろう。この日はバイトの人数も少なく、Y先輩と自分だけだった。

ふたりは、いらなくなった布をちぎりはじめた。

説明の必要もないと思うが、ウエスとは雑巾の簡易版、ティッシュペーパーの丈夫版みたいなもんで、汚れがあった場合、ウエスでふき取る。

だから本当に布をちぎったものでしかなく、こんなもんつくるとかいうたぐいのものではない。

それでもふたりは黙々とウエスをつくりはじめた。

ビリッ、ビリッ。ひたすら不要になった布類をちぎっていく。

何をしてるんだ、オレは、という気分にもなってくる。

するとY先輩が声をかけてきた。

「オレらもこんなことしてる場合ちゃうで」

まったくその通りである。ふたりとも20代半ば、こんなとこで布をちぎっている場合ではないのは明白だった。

Y先輩は音楽をやっていた。ちょうどその頃CDがでたばかりだったのだが、バイトにくる、ということは音楽だけでは食えなかったのだろう。

CDといってもインディーズなのだが、大手レコードメーカーのインディーズレーベルなので、自分からすればかなりたいしたものだった。少なくとも人に何も誇れることがない自分とは比べものにならない。だからこそ、Y先輩のつぶやきは印象に残った。

それから少しずつY先輩と話すようになった。

比較的マジメな内容がほとんどで、それこそ殿様との時と違い盛り上がりのようなものはないが、Y先輩としんみりトークも、それはそれで楽しいというか必要な時間となっていた。

Y先輩は気遣いの人だった。外見的には荒っぽい感じなのだが、自分に気を遣ってくれているのは痛いほどわかったし、こちらが聞いたことにはキチンと答えてくれた。

そういえばCDのライナーノーツの最後に、スペシャルサンクスとして自分の名前があった。

「ぼく、何にもしてませんよ」

本当に何もしてなかった。一切CDの制作にはタッチしていない。しかもCDができた時点では特別仲がいいわけでもなく、大学の先輩後輩で一緒のバイトというだけだ。

「まあええやん。記念になるやろ」

いつもは何でもキチンと答えてくれるY先輩も、この件についてはひと言だけだった。それがY先輩流の気遣いだった。

夏になった。

その日はバイトがなく、自分はクーラーのない暑い部屋の中でくたばっていた。

電話がなった。Y先輩からだ。

「プールでもいかへん?」

まったく意外な誘いだった。Y先輩とプールがどうしても結びつかない。

「水着持ってないんですよ」

断る口実ではなく、本当に持ってなかった。

「オレ2つあるから、貸したるから行こうや」

プールといっても市民プールで、何故そんなとこに行ったのか今もってわからない。

しかもY先輩とは「しんみりトーク」をする関係で、プールではしゃぐような関係じゃない。だいた野郎ふたりで市民プールに行くこと自体異常だ。

夏真っ盛りということもあって、市民プールはいっぱいだった。

結構長い滑り台のようなものもあって、さすがにその時はそれなりにはしゃいだが、泳ぐわけでもなく、ナンパするわけでもなく、だいたい市民プールでナンパなんかするやついるわけないけど。

プールから出て、お茶を飲みにいった。

いつものようにしんみりトークをはじめると

「実は某大手事務所からお誘いがあるんやけど、どう思う?」

あまりに突然の相談事に自分はたじろいだ。

続く




2009年8月13日木曜日

2009・夏の納涼特別編 2



真冬の寒空の中、デリヘルのポスティング、そして極貧生活の果て、ある材料だけで目一杯の工夫をし、料理の「のようなもの」をこしらえる。

本質的にはどちらも同じだった。

できるだけ惨めな気分にならないように・・・要はプライドとの戦いなのだ。

新しいバイト先に行くことによって、上記の悩みはとりあえずなくなった。

何せ「全額日払い」なので、初日から貧困からは抜け出せた。

仕事もディスプレイの会社なので・・・説明するまでもないが、ディスプレイとは飾り付けのことである。ショーウインドウの中であったり、でっかいモニュメントであったり、そういうのを制作したり設置したりする。

しかも顧客は大手デパートなので、大掛かりなものが多かったし、何より華やかだ。

プライドもフトコロも満たされ、自分は満足だった。

社員は皆いい人だった。大学の先輩とは意外と接点はなかったが、社員の年齢も若く、雰囲気も明るい。

他のバイト連中は自分とほぼ同じか、やや下。自分はこのころから、世間一般の若者とはやや外れた人間だったので、彼らとは話が合わない。が、この会社に就職した人とは別の、やはり大学の先輩(以下Y先輩)もバイトに来ていたのは心強かった。

そのY先輩の他にもうひとり、年上の人物がいた。

27、28歳というところだが、正確な年齢は今持ってわからない。とにかく妙に浮き世離れした雰囲気で、わりと整えられた口髭を生やしており、何となくタイムスリップした殿様の様にみえた。

殿様はスポーツ好きだった。自分が初出社した時、彼は、自分よりは年下とおぼしい、やはり古株のバイトと思われる男に、きのう見た陸上の試合について、熱く、といった感じでもなく、しかしやけに詳細に語っていた。

年下の古株の男は、それなりに笑顔で応対していたが、ありありと面倒くさいという色が浮かんでいた。

ややこしそうな人だな、というのが殿様への第一印象だった。

相手のことをまるで気にせず、自分がしゃべりたいことをしゃべる。しかも強引とも違う。もっとノンシャランというか、少し後の流行り言葉でいえば「自然体」なのだ。

どっちにしろ積極的に関わりたい人物ではないな、と直感し、殿様とは無意識に距離をとるようになった。

自分は社員から「特攻隊」と呼ばれていた。

何だか妙にカッコいいニックネームだが、理由はかなりなさけない。

例の極貧生活から抜け出したとはいえ、払うものを払ってしまうと残金は微々たるもんだ。しかも基本的に節約家ではないので、ある分だけ使ってしまう。

バイトのある朝に手元にあるのは、バイト先までの電車賃と、500円足らずの昼食代だけ。つまり当日のギャラがでないと家に帰ることもできない。

何ともみっともない特攻隊だが、そんな生活も少し前のプライドがズタズタになった日々を思うと天国に感じる。

Y先輩が一緒に入ってない時は暇というか孤独だった。同年代は話が合わないし、あとひとりは殿様だ。社員の人は愛想はいいが、仕事に忙殺されバイトにかまってる時間はない。

夏前だったから、おそらくバーゲン関係のディスプレイの制作をしていたのだろう。不意に殿様が話しかけてきた。

たしか野球の話だったと思う。あまりに不意に、あまりに自然だったので、つい「ふつう」の受け答えをしてしまった。

自分もスポーツ観戦は好きなので、殿様の話す意味はわかる。わかるどころか「お、いいところに目をつけてるな」といつしか感心してしまうほどだった。

あれだけ何かにつけ避けていた殿様と、気がつくといつも喋るようになっていた。

彼も自分ほどスポーツ観戦が好きなバイトがいなかったこともあって、より一層饒舌になっていた。

自分と殿様はあくまでバイト先で喋るだけの関係であった。

どこかに遊びにいったこともないし、外でお茶を飲んだこともない。

でもそれでいいのだと思っていた。殿様がいることでバイトに行くことが楽しみになっていたのは間違いないのだ。それだけで充分すぎる。

この後に及んでも私生活は一切知らないし、聞くこともない。ただスポーツの話題で盛り上がるだけ。まあでも、知らなくいいという心境だった。あんまり深入りしたいと思える人物でなかったのも事実だし、殿様は正体不明でいた方がいいという気もしていた。

冬になると、またバーゲンの季節である。社員の人は半分泊まり込み状態でやっている。こっちはバイトなのでお気楽なもんだが、残業が増えてきたし、バイトの数もいつの間にか倍ちかくに増えていた。

メインイベントともいえる仕事があった。

デパートの営業終了後、一階の吹き抜けのフロアに、10mはあろうかという馬鹿デカい木のモニュメントを設置するのだ。

とにかく重い。木そのものも重いのに、そこに山ほど飾り付けをしてあるのだから、よけいに重い。

ここまでデカいといくら人手があっても重く感じてしまう。が、さすが殿様は殿様だ。暢気そうに木に手を添えるだけ、どれだけ贔屓目に見ても持ってるとはいえない状態で、となりのバイトに何やらぺちゃくちゃ話しかけている。

怒ってもしかたがない。何しろ相手は殿様なのだ。

その日の帰る道すがら、コートのポケットに手を突っ込んだ自分は、ぼんやり殿様のことを考えていた。

きっとこの人は一生こんな感じなのだろう。彼に関わる大多数の人にとって、彼はよくわからない存在として生き続けるのだろう。

それは卑下とあこがれが奇妙な同居した感情が沸き上がった。

非常に寒い、星の綺麗な夜だった。

年があけたと同時に殿様の姿が見えなくなった。

他のバイトに聞くと「あの人は、そういう人ですよ」という。

そういう人、か。ま、殿様だもんな。

またそのうち姿を表すだろう。だって、殿様だから。

続く




2009年8月12日水曜日

2009・夏の納涼特別編 1



ひさびさにここに書いてみたりしてみる。

題して夏の納涼特別編。別に怪談話をするわけじゃないんだけど。

思えばここには、わりと衝撃的というか、自分の中でインパクトのあったことを書いてきた。

が、今回はあえて何もない、ただ自分の記憶を弄るだけの行為に走ろうと思う。

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金がなかった。とにかく見事なくらい金がなかった。

2年前に大学を中退し、就職するわけでもなく、かといって死ぬ気でバイトするわけでもなく、そんなんで金がある方がおかしいというものだ。

とはいえずっと遊び呆けていたわけではない。

直前までちょっとヤバ目のバイトをしていた。いわゆるデリヘルの送迎というやつだ。

女の子を客のマンションまで送りとどける。そして彼女たちの「お仕事」が終わるのを待つ。

ただ待ってるわけじゃない。ポスティング、つまりはビラを客のマンション周辺のポストに投函していく。

「お仕事」が終わるころ車に戻ると、女の子が戻ってくる。そしてまた次の現場へと向かう。これを繰り返すわけだ。

時給も悪くない。ま、こういう系のバイトなのだから当然っちゃ当然なのだが、ただ基本、運転しているだけなので肉体的に疲れるようなこともない。

冬だったので、ポスティングは寒くて閉口したが、寒いよりもっとイヤなのが、何かすごく惨めなことをしてる気がした時だった。

何しろ仕事内容が仕事内容なので、あまり人におおっぴらにいえない。大学を出たのに就職しない自分に親は怒っていたが、さすがにこのバイトのことはいえず、体裁を取り繕うのに苦労した。

ふつうこの手の話には艶っぽいことがつきものなのだが、はっきりいって何もなかった。

中には向こうから誘ってくる女の子もいたが、そういうのでさえスルーしていた。

別に彼女たちに偏見があったからではない。何となくそういうことをするとヤバいんじゃないかという空気が事務所に漂っていたからだ。

そこは事務所とは名ばかりのマンションの一室だった。

そこで女の子を拾っていくわけだが、当然事務所には男性もいる。その男性が、もろそっち系の人なのだ。そっち系というのは、つまりはカタギじゃない人という意味だ。

だから、まあ、もし仮に女の子とモメたりすると、どうなるかわからない、そういう恐怖心から自重したわけだ。

この話にはとんでもないオチがつく。

いつものように事務所に行くと、いや、事務所のあるマンションの前は、いつもと違って物々しい雰囲気に包まれていた。

パトカーが、ざっと3台は来ていただろうか。きっとかなりの数の警察関係の方もいたと思う。

推測なのは、結局事務所の中には入れなかったからだ。

そりゃそうだ。家宅捜索中に事務所に入れるわけがない。

いわゆる「手入れ」が入ったのだ。

当然その月のギャランティはもらえなかった。が、まあ巻き添えを食らうよりは全然マシなのだが。

こんなことがあって、ますますバイトをする気分が失せた。

安く見積もって20万円近い金が未払いなのだから金がないのは当然で、しかもやる気まで奪い取られてしまったのだからかなわない。

貧困は限界を極めた。

食料の棚を見ると、小麦粉と乾燥ネギしかなかった。

しょうがない。小麦粉を水で溶き、薄くフライパンで焼いた。その上から乾燥ネギを振りかける。

この奇天烈な食い物にソースを塗り、むさぼるように食べた。自分はそれをネギ焼きと称していた。

自分は神戸出身なので、ホンモノのネギ焼きもイヤというほど食べたことがある。無論こんな奇天烈なものをネギ焼きとはいわない。

それでも、もう、そうでも思わないとやってられないのである。

貧困で困るのは、空腹よりもプライドなのだ。

「自分は今、こんなもんしか食うもんがない」と思うと冗談じゃなく死にたくなってしまう。

だからどんな食い物でも、できる限りのアレンジを加えようとした。

金がないからこんなもんを食ってるんじゃない。オレの趣味は料理なのだ。今ある材料で最高の工夫を施し、そしてオレはそれを楽しんでやっているんだ。

それは自分なりの精一杯の見栄だった。もっとも「冷蔵庫の残り物でおいしいレシピ」というのは聞いたことはあるが、「食器棚にあるものでおいしいレシピ」というのは聞いたことがないが。

そんな時だった。突然バイトの口が舞い込んだ。大学の先輩が就職した会社がバイトを募集しているという。

何がうれしいといっても、全額日払いだという。しかも大学の先輩の就職先となれば、そこまでいい評判は聞いてなかったとはいえ、まさか「手入れが入る」ことはなかろう。

こうして自分は、とあるディスプレイの会社でバイトすることになった。

24歳の春であった。

続く




2009年8月11日火曜日

偽善の定義

日本人というのはつくづく難しい人種だと思うと夜も眠れない。

前回、少しでも非があると思われる人物を徹底的に糾弾して、ああ、いい気持ち、みたいになる人が多い、てなことを書いたが、実は逆もまた然りなのはどういうことだろう。
松本人志は著書の中で「寄付やボランティアをするなら、人知れずやりたい」と書いていたが、これは少しおかしい。
気持ちはわかるのだ。しかし「いいこと」をしても表立ってやりたくない、というのは、やはり少し変だ。
どうも日本人は(もしかしたら日本人だけじゃないかもしれないが)、偽善ということに敏感だ。
多額の寄付をした人、ボランティアに積極的な人をすぐに「人気取り」だの「偽善者ぶりやがって」とことあげにする。
はっきりいって有名人が寄付やボランティアをすることによってメリットはほとんどない。上記のように叩かれるのがオチだ。
だからこそ余計に思うのだ。何のメリットもない中、そういうことをしている人は本当に立派だと思う。

それよりも叩く側の心理だ。
出る杭は打たれるではないが、悪いと思われる人、良いことをしている人、見境なく、とりあえず出る杭は叩いておこうという発想なのだろうか。
実際偽善というものは難しい。
本当に良いことすら偽善といわれる世の中だ。偽善で世間を欺けるとは考えづらい。
もし可能だとすれば、もうこれは何もしないことだ。
何もしない、目立たない人は、もうそれだけで「いい人」と思われる。
とはいえ本当に何もしないわけにはいかないので、陰でこっそりやる。それが良いことであれ、悪いことであれ。
以前日本全体がブラックボックス化しているという話を書いたが、それもこれも目立つことイコール悪、という図式が無意識にあるからではないか。

表立ってる人を叩くのは簡単だ。しかしそれは崩壊の序章のように思える。
寄付やボランティアはますますやりづらくなるし、悪いことも「裏に回す」テクニックが巧妙になるだけだ。
良いことも悪いことも、ブラックボックス化していいことは何もないのだが、それに気づかず「ただ叩く」だけの人が、ひたすらあわれに思ってしまう。

以上ですキャップ!

2009年8月9日日曜日

某P逮捕について思った2、3のこと

久しぶりにリアルタイム更新してみようと思う。ちょっと楽しみで夜も眠れない。まだ昼過ぎだけど。

別に某Pのファンでもなんでもないので、逮捕云々はどうでもいいのだが、つい、という感じで、結構それ関連の報道を見てしまう。
きのう、はじめてニュースキャスターって番組を見た。
たけしが出てるので何となく気になっていたのだが、ここ数年、あまりテレビを見ない生活なので、わざわざチャンネルを合わせることもなかった。
しかし、やっぱりたけしはたけしだと思わされた。
某Pの弟も逮捕されたというニュースを読み上げる際、何度も「たけし容疑者」という言葉がでてきた。
もちろん「たけし容疑者」とは某Pの弟のことなのだが、フレームアウトしているたけしがどんな心境なのか気になってしかたがなかった。
再びたけしがフレームインすると、案の定やってくれた。
やんなっちゃうよなあと嘆いた後、フライデー事件のことを語り出した。
内容はきわめてマジメなものだ。事件の時、どれだけ家族に迷惑をかけたかを語っているのだが、もうそれがおかしくってしかたがなかった。
自分だけではない。他の出演者もみんな笑っていた。
たけしはさほど笑わせようという意志が強かったとは思えない。
しかし、たけしが例の調子でしゃべりだすと、もうそれだけでおかしいのだ。
これはもう、天性のものとしかいいようがない。

ま、誉めてばかりもいられない。たけしのおかげで妙におかしい番組になっていたが、間に挟まった某Pの所属事務所の会見は、いかに芸能レポーターという輩の程度が低いか、まざまざと見せつけてしまった。
芸能レポーター諸氏は社長が出てこないことを怒っているのだが、いったい何に腹をたてているのかさっぱり理解できない。
なんだ、チミたちは、社長が土下座でもすれば満足なのか。それを視聴者は望んでいると思っているのか。
その様子はまるで某巨大掲示板のようだった。
極端にいえば関係者なら誰でもいい。とりあえずとっつかまる奴をとっつかまえて、そいつを徹底的に糾弾する。まるで「これは社会正義なんだ」といわんばかりに。
社長がいい悪いをいってるんじゃない。でもそんなもんんは社会正義でもなんでもない。弱い者いじめであり、自己満足にすぎない。
ま、某巨大掲示板はまだ救いがある。それは匿名だからだ。
匿名だったら何でもいえるのかという問題もあるが、名前も顔も晒してあんなことをいえるのは、もう本気で、たとえテレビ的にはという注釈がつくにせよ、それが「正しいこと」だと信じているからではないか。

もうひとつ。
某Pの旦那、ありゃとんでもないですな。
たぶん社会的倫理の問題でマスメディアは深く追求しないと思うが、あれって嫁を巻き添えにしたってことでしょ、現場で嫁を呼ぶ必要もないのに呼んだってのは。
いわゆる「仲間(この場合嫁だが)を売った」わけだ。
こいつはや○ざですらないな。ただのチンピラだわ。

とまあこんなことを思ったわけっす。以上ですキャップ!(楽なように、ちょっとパターンを変える)

2009年8月3日月曜日

悪気じゃないんだ

悪気がない人を簡単に許していいもんだろうか。と書くと、つまりはそうは思ってないわけで、そんな単純な手に引っかからないよと思われそうで夜も眠れない。

珍しく自分のことを書くが、どうもこの私という人物は「命知らず」と見られているようだ。
ようだ、なんて言い回しなのは、自分では自覚がないからなのだが、少なくとも「怖いもの知らず」ではない。いうちゃなんだが、自分ほど怖がりの人もそういないんじゃないかと思う。
ま、幽霊とかは、何しろ見たことがないので、怖いもクソもないのだが、ヤ○ザとか新興○教とか、社会的制裁なんかはとても怖い。
しかも喧嘩が嫌いときている。暴力をともなう喧嘩など一生御免被りたいと常日頃思っている。
普段は腹に据えかねることがあっても、大抵我慢している。多少悶々とすることはあるが、間違っても当の相手にぶつけるなんてことはしない。
喧嘩が嫌いなのは、要はモメるのがイヤというか面倒なのだ。
だから何も感じないような顔をして、その場をやりすごしてしまう。
だけれども、それでも、限界というものがある。めったにないが、二年に一回、三年に一回くらいのペースでそれはやってくる。
いわゆる「キレる」ってやつですかね。
こうなるともう止められない。相手が誰であろうとカタをつけようとしてしまう。
それがどうも周りからみるに「命知らず」に見えるらしい。

そんな自分だが、そんな状態になっても腰砕けになってしまう事象がある。
いっこは「ほのぼの」だ。
仮に自分が借金の取り立て屋だったとしよう。その先で子供を囲んでなごやかな誕生日パーティーでもされようものなら、「借金はオレが立て替えてやるかな」とか思いかねない。
もういっこは、相手に悪気がない場合である。
悪気がないというのは実にタチが悪い。自覚しているなら、おそらく同じ失敗は繰り返さないだろうが(もちろんそれでも繰り返すのが人間だが)、悪気がない場合、同じことをされる危険が高い。
悪気がない以上、反省などしているわけがなく、こちらの怒りなどまるで理解ができない。
せいぜい「そんなに怒ってるなら謝るよ」くらいが関の山だろう。
ヒドい場合になると、逆ギレされるケースもままある。
悪気がないどころか、よかれと思ってやったのに、何だ!というわけである。
もうこうなると話し合いの余地すらない。

はっきりいってこういう人は先にあげたような方々より対処が難しい。
そういう相手にぶつかった時はどうするか?これはもう、そういう人と関わらないという選択を取らざるを得ないのである。
だからリアルの自分を知ってるみなさん。この私が怒り狂った時は「ほのぼの」を見せつけるか、徹底的に悪気はないことをアピールする、もしくは逆ギレすることをおすすめする。
もっとも後者を選んだ場合、私との関係はなくなるわけだが、それでもいいなら知らない。え、いいって?むしろそれが目的?あ、そう・・・・