真冬の寒空の中、デリヘルのポスティング、そして極貧生活の果て、ある材料だけで目一杯の工夫をし、料理の「のようなもの」をこしらえる。
本質的にはどちらも同じだった。
できるだけ惨めな気分にならないように・・・要はプライドとの戦いなのだ。
新しいバイト先に行くことによって、上記の悩みはとりあえずなくなった。
何せ「全額日払い」なので、初日から貧困からは抜け出せた。
仕事もディスプレイの会社なので・・・説明するまでもないが、ディスプレイとは飾り付けのことである。ショーウインドウの中であったり、でっかいモニュメントであったり、そういうのを制作したり設置したりする。
しかも顧客は大手デパートなので、大掛かりなものが多かったし、何より華やかだ。
プライドもフトコロも満たされ、自分は満足だった。
社員は皆いい人だった。大学の先輩とは意外と接点はなかったが、社員の年齢も若く、雰囲気も明るい。
他のバイト連中は自分とほぼ同じか、やや下。自分はこのころから、世間一般の若者とはやや外れた人間だったので、彼らとは話が合わない。が、この会社に就職した人とは別の、やはり大学の先輩(以下Y先輩)もバイトに来ていたのは心強かった。
そのY先輩の他にもうひとり、年上の人物がいた。
27、28歳というところだが、正確な年齢は今持ってわからない。とにかく妙に浮き世離れした雰囲気で、わりと整えられた口髭を生やしており、何となくタイムスリップした殿様の様にみえた。
殿様はスポーツ好きだった。自分が初出社した時、彼は、自分よりは年下とおぼしい、やはり古株のバイトと思われる男に、きのう見た陸上の試合について、熱く、といった感じでもなく、しかしやけに詳細に語っていた。
年下の古株の男は、それなりに笑顔で応対していたが、ありありと面倒くさいという色が浮かんでいた。
ややこしそうな人だな、というのが殿様への第一印象だった。
相手のことをまるで気にせず、自分がしゃべりたいことをしゃべる。しかも強引とも違う。もっとノンシャランというか、少し後の流行り言葉でいえば「自然体」なのだ。
どっちにしろ積極的に関わりたい人物ではないな、と直感し、殿様とは無意識に距離をとるようになった。
自分は社員から「特攻隊」と呼ばれていた。
何だか妙にカッコいいニックネームだが、理由はかなりなさけない。
例の極貧生活から抜け出したとはいえ、払うものを払ってしまうと残金は微々たるもんだ。しかも基本的に節約家ではないので、ある分だけ使ってしまう。
バイトのある朝に手元にあるのは、バイト先までの電車賃と、500円足らずの昼食代だけ。つまり当日のギャラがでないと家に帰ることもできない。
何ともみっともない特攻隊だが、そんな生活も少し前のプライドがズタズタになった日々を思うと天国に感じる。
Y先輩が一緒に入ってない時は暇というか孤独だった。同年代は話が合わないし、あとひとりは殿様だ。社員の人は愛想はいいが、仕事に忙殺されバイトにかまってる時間はない。
夏前だったから、おそらくバーゲン関係のディスプレイの制作をしていたのだろう。不意に殿様が話しかけてきた。
たしか野球の話だったと思う。あまりに不意に、あまりに自然だったので、つい「ふつう」の受け答えをしてしまった。
自分もスポーツ観戦は好きなので、殿様の話す意味はわかる。わかるどころか「お、いいところに目をつけてるな」といつしか感心してしまうほどだった。
あれだけ何かにつけ避けていた殿様と、気がつくといつも喋るようになっていた。
彼も自分ほどスポーツ観戦が好きなバイトがいなかったこともあって、より一層饒舌になっていた。
自分と殿様はあくまでバイト先で喋るだけの関係であった。
どこかに遊びにいったこともないし、外でお茶を飲んだこともない。
でもそれでいいのだと思っていた。殿様がいることでバイトに行くことが楽しみになっていたのは間違いないのだ。それだけで充分すぎる。
この後に及んでも私生活は一切知らないし、聞くこともない。ただスポーツの話題で盛り上がるだけ。まあでも、知らなくいいという心境だった。あんまり深入りしたいと思える人物でなかったのも事実だし、殿様は正体不明でいた方がいいという気もしていた。
冬になると、またバーゲンの季節である。社員の人は半分泊まり込み状態でやっている。こっちはバイトなのでお気楽なもんだが、残業が増えてきたし、バイトの数もいつの間にか倍ちかくに増えていた。
メインイベントともいえる仕事があった。
デパートの営業終了後、一階の吹き抜けのフロアに、10mはあろうかという馬鹿デカい木のモニュメントを設置するのだ。
とにかく重い。木そのものも重いのに、そこに山ほど飾り付けをしてあるのだから、よけいに重い。
ここまでデカいといくら人手があっても重く感じてしまう。が、さすが殿様は殿様だ。暢気そうに木に手を添えるだけ、どれだけ贔屓目に見ても持ってるとはいえない状態で、となりのバイトに何やらぺちゃくちゃ話しかけている。
怒ってもしかたがない。何しろ相手は殿様なのだ。
その日の帰る道すがら、コートのポケットに手を突っ込んだ自分は、ぼんやり殿様のことを考えていた。
きっとこの人は一生こんな感じなのだろう。彼に関わる大多数の人にとって、彼はよくわからない存在として生き続けるのだろう。
それは卑下とあこがれが奇妙な同居した感情が沸き上がった。
非常に寒い、星の綺麗な夜だった。
年があけたと同時に殿様の姿が見えなくなった。
他のバイトに聞くと「あの人は、そういう人ですよ」という。
そういう人、か。ま、殿様だもんな。
またそのうち姿を表すだろう。だって、殿様だから。
続く