2012年5月31日木曜日

封印されたyabuniramiJAPAN

えらく大仰なタイトルですが、何のことはない、ただの「ボツネタ」ネタです。
ブログ用に書いたものの結局ボツにしたって経験は誰にでもあるんではないかと思うのですが、これも本当はおかしな話で、別にお金を貰って書いてるわけじゃないんだし、「ブログのクオリティが」云々なんてまったく考えてるわけじゃないのに、それでもボツは溜まっていくもんなんです。

アタシの場合、ボツになったネタはほぼ次のふた通りに分類されます。
◯PC関連ネタ
実はこれもさらにふたつに分けられるのでして、ひとつは画像っつーかスクリーンショットが必要になる場合。はっきりいって非常にめんどくさい。放置された挙句ボツになるパターンがほとんどです。
もうひとつは旬を逃した場合。これが「書いたテキストはすぐにエントリする」人なら(ほとんどの人はそうでしょうが)何の問題もない。ところがアタシは書いたらしばらく「寝かし」てから更新するのがほとんどです。
特別更新順を考えてるわけじゃないのに、何となく後回しになった場合、他のネタと違ってPC関連ネタはツブシが効かないのです。

◯「ナンノコトカワカンナイ」ネタ
面白いかも、と書き始めたものの、自分の中でしか意味がないネタになってしまうことがたまにあります。
ちょっとでも普遍的な部分が付加できれば、まあいいかとエントリしてしまうこともあるのですが、もう完全に読んだ人の頭の中がクエスチョンマークしかでないネタはさすがにエントリしようと思いませんわね。

ではタイトルでも列挙していきます。

「Evernoteが使いこなせない!という方へ」(2011年7月頃執筆)
「iPhoneスタンド」(2011年度7月頃執筆)
「LifeTouchNOTEに苦戦する」(2011年11月頃執筆)
「PT2とDLNAに苦戦する」(2011年11月頃執筆)
「クラウドに苦戦する」(2011年12月頃執筆)
「自炊に苦戦する・その3」(2012年4月頃執筆)
このあたりが、いわゆる<PC関連ネタ>です。
上のふたつは画像貼るのめんどくせ系で、EvernoteのTipsは自分なりによく書けたと思ったのですが、めんどくささがさきに立って更新に至りませんでした。
残りは更新しない間に文中に書いた問題が解決してしまったパターンで、まあパソコンなんてもんは試行錯誤を繰り返すもんですからね。

「それではアタシが死んでしまうでしょう」(2011年12月頃執筆)
「老いる、ということ」(2011年12月頃執筆)
「目の疲れと手持ちぶさたとの攻防」(2012年3月頃執筆)
「韻を踏む踏まない」(2012年5月頃執筆)
この辺が「自分の中でしか意味がない」系ネタです。
それでも普通はリライトして何とか使おうとするのですが、この4つは妙に重いテーマになったので、リライトする気すら起こりませんでした。
そしてもうひとつ
「生き残った弁天様」(2012年1月頃執筆)
これは唯一の笠置シヅ子単独主演といってもいい映画について書いたものですが、映画そのものもマイナーなうえ(一度もメディア化されていない)、アタシの言いたいことも普遍性のカケラもない、という。変則ですがこれも「自分の中でしか意味がない」ネタといっていいでしょう。

あとひとつ。上記のどれにも属さないのですが
「嫌い、からの変遷」(2011年11月頃執筆)
ってのがあります。主題となった人はふたりで、三浦知良とロンブーの田村淳。何の共通点があるのかって話ですが、まあ自分の中ではあるんです。
あるんだけど、実際に書いてみるとどうしても上手く書けない。何度か書き直してみたんだけど、だから何?みたいな内容にしかならないのです。
んでもういいや、と。

何度もいうように仕事で書いてるわけじゃないんで、多少上手く書けなくてもいいんですよ。だいいち笑わせてやろうとか、感動させようとか、名文だと思われたいとか、このブログをきっかけに評論家とかコラムニストとしてのし上がってやろうとか、そんなことは一切考えてないわけで(当たり前だ、と思われるでしょうが、いるんですよ、本物の馬鹿が。誰が個人ブログ見て仕事頼もうなんて思うんだっつー話で)、多少の誤字とか、おかしな言い回しとか気づいてもそのままにしたりしてるし。
でも何が言いたいのかさっぱりわからない、みたいなのはさすがに避けたいわけでして。数少ないとはいえ読み手の人に申し訳ないですよ。

またボツが溜まった頃に第二弾をやります。

2012年5月30日水曜日

秋元康の絶妙感

前回の続き、ではないのですが多少書き残したことが気になったので。
とんねるずのコミックソングをあれだけ絶賛したのに、あの人の名前がないのは変ですよね。
あの人とはもちろん秋元康です。

たとえば到達点とまでいった「ガニ」の凄さはほとんど編曲にあります。
初期の見岳章、中期から後期にかけて後藤次利の貢献度は半端じゃない。それくらいとんねるずの楽曲において作編曲はキモだったとおもうのですよ。
それでも一番にくるのは秋元康です。

いつ聴いても凄いなと思うのが「雨の西麻布」でして、「♪ふたりのにしあざーぶー」というコーラスから入るわけですが、本歌に入って最初の歌詞が「そして」なんですね。
これは凄いことなんですよ。「そして」って言葉はリリックとして非常に使いづらいんです。とにかく音がブチブチに切れてしまう。また一回使っただけでやたら説明的な歌詞になってしまう、いろんな意味で危険なフレーズなんですね。
それをね、ド頭にいきなり持ってきて、さらにもう一度すぐに突っ込む。大胆にもほどがあります。
「雨の西麻布」はムード歌謡のパロディですが、たしかに「そして」を使うとムード歌謡ぽくはなる。でも実際は危険なフレーズなのでさほど使われていない。

こういう計算が秋元康の真骨頂だと思うんですよね。
それこそ美空ひばりの「川の流れのように」やAKB48の「ヘビーローテーション」もなんだけど、秋元康の詞って「あざといくらいあざとくない」んです。わかりにくいか。つまり「ものすごくあざとく、あざとさを消してる」といえばいいのか。ダメだ、上手くいえないわ。
「雨の西麻布」の西麻布って地名なんかホントにその代表で、Wikipediaなんかを見ると最初は「雨の亀戸」だったそうですが、亀戸じゃあざとい。かといって「雨の六本木」じゃあざとくないかわりに芸がない。そこへいくと西麻布ってのはまことに絶妙の線でして、わかる人がわかればいい、しかし身内しかわからないほどでもない、ギリギリのラインをついているんです。

秋元康の才能は作詞、それもコミックであればあるほど抑制の効いた絶妙な感じがでる。そういう人をブレーンに引き入れたとんねるずはやはり凄いと思うのです。
この辺はダウンタウンとは正反対で、松本人志は全部自分でやりたがるでしょ。それはそれでいいし、それこそ「エキセントリック少年ボウイ」はギャグの羅列を歌にした初めての成功例だと思うんです。
でもどこか堅苦しさもあって、とんねるずのように有能な作詞家をブレーンにつけた方が、コミックソングを「演じる」(歌う、ではなく)にあたって、より自由度が増す気がするんですね。

考えてみれば植木等だって青島幸男の世界観があればこそあれだけ暴れ回ることができたんです。
ただ青島幸男の詩の世界は必ずしも植木等が暴れることに特化してたわけじゃない。どちらかというと植木等がどうとかじゃなく、青島幸男の主義主張の方が前面に出ています。
秋元康はそうじゃない。この人は奇妙なほど主義主張を込めない。その代わり、どういう世界観を提示したら歌い手(演じ手)が能力を最大限に発揮できるか、完璧に計算されていると思うのです。
そんな対比で考えると、青島幸男はアーティスト、秋元康は職人といえるのかもしれません。
(余談だけど秋元康の師匠は青島幸男門下だったから、孫弟子といえなくもない)

さて久しぶりに妙に熱く語ってしまいましたが、そういや今までとんねるずについて言及するは避けてたんですよ、アタシは。チャンスがなかったともいえるけど。
でもこれだけ溢れ出すってことは、ダウンタウンと同等の思い入れがあるんですな。結局わかったのはそこだったり。

2012年5月29日火曜日

コミックソングの到達点

コミックソングって何なんだろうなと思います。
「ロック」とか「ジャズ」のようにサウンドの特色で分けられてるわけじゃないし、ノベルティソングとの厳密な違いを正確にいえる人など誰もいないでしょう。
しかも広義にいえば、もしくは狭義にいえばみたいな境界線を決めることもできない。
コメディアンや芸人のレコード=コミックソングではないし。
でもそれじゃ話が続かないから、コメディアンor芸人が歌い、なおかつコミカルな要素がある曲をコミックソングと仮に定義付けします。

ところが新たにコミックソングを作ろうとしても、現状ぺんぺん草も生えないんですよ。それくらい刈り取られてるから。青島幸男作詞、萩原哲晶作曲編曲、植木等並びクレージーキャッツ歌唱の楽曲群にね。
それはホントに痛感するのですよ。アタシがクレージーキャッツの大ファンというのを抜きにしても、恐ろしいほど様々な手を使って、コミックソングの手立てを塗り潰している。数年遅れた後輩のドリフの時点で「有りものの楽曲をコミカルに味付けする」方向に逃げざるを得なかった。

コメディNo.1の「アホの坂田」(キダ・タロー作曲、ていっていいのか微妙だけど)や間寛平の「ひらけ!チューリップ」、そしてクレージーソングの重要なブレーンである宮川泰が手掛けた笑福亭仁鶴の「大発見やァ!」など、関西方面から名曲と呼んで差し支えないクオリティの楽曲が出たりしましたが、「ひらけ!チューリップ」や笑福亭鶴光の「うぐいすだにミュージックホール」の作者であり、ある種の天才といっていい山本まさゆきですらアニメの主題歌という枠でしかコミックソングを発表し続けることはできませんでした。

そんな中、唯一コミックソングをいう曖昧なジャンルに敢然と立ち向かったのがとんねるず、です。
とんねるずの何が凄いといっても、コミックソングの枠内で複数のヒットを出したことです。
コメワンにしろ間寛平にしろ鶴光にしろ第二弾は不発で、ことレコードセールスだけで語るなら完全な一発屋です。
しかしとんねるずは違った。
「一気!」から「雨の西麻布」、「歌謡曲」、「嵐のマッチョマン」、さらに「ガラガラヘビがやってくる」など、とにかく手を変え品を変え、時代とマッチングした楽曲を次々にリリースしました。

中には「とんねるずのやつはパロディばかりだからコミックソングとはいえない」という方もおられるでしょうが、クレージーキャッツだってジャズ小唄のパロディ「スーダラ節」、フランク永井から「ハイそれまでョ」、エノケン他が歌った「洒落男」から「無責任一代男」、軍歌、特に「麦と兵隊」から「これが男の生きる道」、童謡から「どうしてこんなにもてるんだろう」など、見渡せばパロディばかりなのです。

さてとんねるずですが、前に書いたように前期の中では「歌謡曲」が好きなのですが、現時点では最末期といえる「ガニ」は本当に凄い。「ハイそれまでョ」式に転調を活かした楽曲なのですが、二重三重の捻りがあって、まさしく「恐れ入りました」って感じです。2012年時点では「コミックソングの到達点」といえるでしょう。

石橋と木梨がヴォーカリストとしてまったくタイプが違うのもいい。特に木梨のヴォーカルはある意味植木等を凌いでる部分すらある。

その後「野猿」とか「矢島美容室」とかやってますが、やっぱり「とんねるず」名義でやってほしいなあ。ヴォーカルの対比を最大限に活かすには、やっぱふたりだけでやった方がいいと思うんだよな。

2012年5月26日土曜日

2014年まであと1年ちょい、2023年まであと10年ちょい

ふと気になって調べたのですが、やっぱりそうだったというか、子供の頃の記憶も馬鹿にできないというか。

藤子・F・不二雄の作品で「21エモン」ってのがあります。文句なしの名作であるにも関わらず、そして映画化、さらにはテレビでアニメ化されて、でもあんまり人気がでなかったF作品にはよくあるパターンなんですが、まあ人気がイマイチだったのもわからんではないというか。はっきりいえばとっつきづらいんですよ。
F作品は「日常の中に非日常を持ち込む」ことを常套にしていますが(これはA作品にもいえることですが)、これは正反対で、非日常の中で日常を描くことに注力しています。
21世紀を舞台に、未来社会の中で現在(当然作品が描かれた当時の)と何ら変わらぬ日常を描いているのですが、やはり「ドラえもん」なんかと比べると頭の切り替えが必要なことには違いなく、わっと人気がでるのは難しいのはわかるんです。

さてざっくり21世紀と書きましたが、「21エモン」はだいたい50〜60年後の未来社会という風に設定されています。連載されたのが1968年ですから、計算すると、ほぼ今現在、ということになる。
んで調べたら、どうも初期の設定では2023年って設定だったみたいですね。今から約10年後の話です。そしてついでにいえば「第一回宇宙オリンピック」が東京で開かれたのは、なんと再来年、2014年なのです。
いや、まったく、宇宙オリンピックなんて開かれる気配はゼロなわけでして、イシハラさんが必死にオリンピック誘致とか叫んでたのは、実は宇宙オリンピックのことだったのかしらね。
まあ宇宙オリンピックが開かれるくらいだから、その二年前の2012年。つまり今です。当然街中に宇宙人が溢れかえってないとおかしい。ところが宇宙人どころか民間人の宇宙旅行も夢のまた夢なわけでして。

アタシは何もそんなツッコミがしたいわけじゃない。でも非常に残念というかね。だっていつまでたってもパイプの中を人間がびゅーと通るみたいなシステムができそうもないんだもん。
そういや「21エモン」でもやたらとピチッとした服を着てますが、ああいう服も流行らないね。まあ現実に考えたら嫌だわ。体型丸わかりだもん。
どうもね、昔考えられてた未来と現実が乖離しすぎな気がしてしょうがないわけです。
宇宙に関することもそうだし、宇宙に限らず移動手段も相変わらず飛行機とか鉄道とか車でしょ。ぜーんぜん、なーんも変わってない。その代わりインターネットなんてもんが発達して、情報のやり取りは180度変わってしまった。でもそういう部分はあんまり予見されてなかったりするわけで。
なんか嫌だなと。地球の中くらいどこでも一瞬、一瞬とまでいかなくてもすぐに行ける世界になってほしかったですよ。いくら情報は一瞬でも身体ごと飛びたいですよ。

根本的にアタシは宇宙にはあんまり興味がないのです。でもね、去年から何度か海外に行って、外国人ってもんがより身近に感じるようになってきて。だからもし宇宙人も身近な存在だったらもっと面白かったかもとは思うわけです。
アタシは今英語を勉強していますが、もし「21エモン」の世界だったら必死で「共宙語」を勉強してたのかなと思うと何かおかしい。宇宙人と会話が弾んで、じゃ飲みに行こうか、とか。
そもそも宇宙人がアルコールを飲むのか、つか酔った状態になるかぜんぜん見当もつきませんが。

2012年5月25日金曜日

WindowsMobileのレクイエム

アタシを10年に渡って虜にしてきたWindowsMobileが終焉した。
Windows Mobile 6.x Marketplace のサービス停止について
Marketplaceが終了しただけじゃない。ハード自体もこの世から消滅しようとしている。
嘘だと思うなら秋葉原に行けばいい。新品が売ってないのは当然としても、中古を探すことさえ難しい。見つかったとしてもほとんど5000円以下という投げ売り価格で、店頭ならぬ店の奥の方の、ひたすら目立たない場所に置かれている。
後継といえるWindowsPhoneは普及の目処が立たず、タブレットに関してはMicrosoftはARM版Windows8を推していくはずで、スマフォという限られた範囲で戦わなければならないWindowsPhoneに勝算があるとは思えない。

そういえば昨年イギリスに行った際、まだ日本未発売だったWindowsPhoneに店頭で触れ、軽く感想を書いたことがありました。「よくできてるけどそれだけ」という当時の感想は日本国内でWindowsPhoneが始まった今でも変わりません。
とにかく「不安定になるまでイジれる」WindowsMobileから、「2ちゃんねるブラウザアプリすら規約で出せない」WindowsPhoneへの変貌は、まったくアタシの興味の範疇から外れることに相成りました。

WindowsMobileを一言でいうなら「建て増しOSの悪しき例」になってしまいます。WindowsCE1.0をベースにしたパームトップPCから始まって、PocketPC、PocketPC2002、PocketPC2003SE、そしてWindowsMobile(もちろん5.0〜6.5も含めて)まで、よくいえば時代に合わせて高機能化したといえるのですが、実態はコンセプトも何もなく、どんどん建て増ししていっただけなので、すべての面で無理が出ていました。
全体的にもっさりなのも困ったところで、通常はOSが重くなってもハードの高性能化で相殺されるのですが、当時は何故か(いや、理由はわかってるけど割愛)ARM系CPUの進化が非常に遅く、建て増しからくる動作の鈍化にハードが耐えきれなくなっていました。

それを支えたのは「不安定になるまでイジれる」WindowsMobileの特性で、非常に使いづらく重いWindowsMobileをユーザーが改善していったのです。
OSの不具合を根本から解決するような非常に優れたアプリケーションがいくつも公開され、しかもそれらはほぼフリーウェアでした。まあいや無償奉仕です。
アタシはね、これらのアプリケーションを開発しているプログラマーを、Microsoftは高額のギャランティで雇うべきだと思ってました。その方がユーザーもMicrosoftも双方が嬉しいことになると思ったからです。
ところがOSのバージョンが上がるにつれ、それらの優秀なプログラマーでさえ匙を投げる不具合を増やしていっただけだったのです。

アタシはふとしたきっかけからiPhoneを購入し、当時使っていたWindowsMobileとクロスフェードみたいな感じだったのですが、それでも未だにWindowsMobileに対して思い入れはあります。もう全然使っていませんがね。
もう二度とWindowsMobileなんか使いたくないと思う反面、もう一度使ってみたいと思うアプリケーションはあります。
その代表が「2++」と「MortScript」のふたつです。
2++は旧yabuniramiJAPANでも取り上げましたし、こっそりやってたモバイルブログでも数回に分けて使い方を書きました。
簡単にいうと2ちゃんねるブラウザなのですが、もっと範囲が広く、RSSリーダから簡易メーラーと非常に幅広く使える万能リーダでした。
iPhoneにして困ったのは2ちゃんねるブラウザにしろRSSリーダにしろ決定版といえるものがなく、もちろん部分的に超えてるところはあるのですが、トータルでみれば2++に到底及ばないのです。
MortScriptに関しては、今でもWindowsでガンガン使っています。つかスクリプトはこれしか使えないし。まあモバイルでシコシコとスクリプトを書くのが楽しかったので、またやりたい気持ちはあるんだけど。

いろいろと不満、いや不満しかなかったけど、それでも楽しい思い出もいっぱいあるWindowsMobile。ま、最後なんだから素直にありがとう、といっておきます。

2012年5月24日木曜日

合いの手の妙

ほれ、あの、餅つきってあるでしょ。まあ誰でも一度はテレビで見たことくらいはあると思うんだけど、最初すんげえ怖くてね。あの餅をひっくり返すというか水をつけるというか、あの役の人がキネで手を潰されそうで。生で見たりしたら本当に怖いんですよ。一瞬のうちに白い餅が真っ赤に染まりそうで。
でもそんな事故はほとんど聞いたことがない。バッチリ息を合わせて餅がつきあがる。これは呼吸があってないとできないことで、ある意味ものすごく音楽的です。

音楽的じゃなくて音楽そのもので餅つき的なのは「合いの手」というやつです。民謡なんかによくあるでしょ「アーハイハイ!」みたいなの。あれもちゃんと呼吸があってないとできないし、実際非常に難しいと思うのです。
合いの手の名手といえばザ・ドリフターズにトドメを刺すでしょう。
レコードになった曲でもいいのですが、より一発録りに近い「ドリフ映画だョ!全員集合」を聴けば、いかに凄いかわかると思います。
いかりや長介自ら「ドリフはミュージシャンとしても四流」と語ってますが、歌唱の方は下手ではないけど上手くもない。コミック的な歌い方をしているのを差し引いても、それこそ植木等なんかに比べると劣るわけです。
しかし合いの手の上手さはクレージーキャッツ以上で、とにかく全員が上手い。

これはレコードテイクになりますが「ミヨちゃん」なんか震えがくるくらい上手い。加藤茶のヴォーカルにいかりや長介が絡むのですが、セリフの挟み方の間合いも合いの手も、音楽的かつ笑える間なんです。

私たちの笑いは、ネタを稽古で練り上げて、タイミングよく放つところにある。私たちはバンドマン上がりらしく、「あと一拍、早く」「もう二拍、待って」とか、音楽用語を使ってタイミングを計りながら稽古した。今では一般の方も使う、「ボケ」「ツッコミ」「ツカミ」というような専門用語すら当時の私たちは知らなかった。ちょっとでも間が狂ったら、ギャグがギャグにならなくなる。それを恐れた。(いかりや長介著「だめだこりゃ」より)


といかりや長介は語っていますが、もっと厳密な、ゼロコンマゼロゼロゼロ1秒みたいな、絶妙のタイミングなんです。これがそれこそほんの一瞬でもズレたら音楽的でなくなるし、何より面白くなくなる。
「ミヨちゃん」で特に凄いのが、スリーコーラス目で突然いかりや長介が歌いはじめるのですが、もうね、浮かぶのですよ。加藤茶が歌おうとした瞬間にいかりや長介がマイクを取り上げて歌いはじめる様子が。これもほんのちょっと前のめりというか食い気味でいかりや長介が歌いだしているんです。

後年加藤茶はラップを歌ったりしてましたが、もう天性のリズム感で、いや加藤茶に限らず全員が天性のリズム感があったとしか思えない。でないと「合いの手で笑わせる」なんていうとんでもない芸当ができるわけがないのです。
アタシはずっと「今の芸人と昔の芸人の比較なんてできない。どっちが上かなんかいえない」といってきましたが、ドリフより歌が上手い芸人は数あれど、こんな絶妙な合いの手ができる芸人やコメディアン、そして本職の歌い手もいないと断言できます。もしかしたらザ・ドリフターズというチームの本質は合いの手にあるのかもしれない、とすら思うわけで。

2012年5月23日水曜日

上岡方式

まだアタシが20代の頃だったと思います。まあ年齢的にもいろいろと悩み多き頃だったのですが、とある友人がこんな言葉をくれました。
「その時はどれだけ苦しくても、後でオモロイ話のネタになると思えば、意外とどんなことでも耐えられるもんや」
この言葉を吐いた彼とは現在交友はありませんが、辛酸を舐めた過去を持ち、誰よりも人の心がわかる彼の言葉はアタシの人生の大きな支えになりました。
現在アタシはこれを「上岡方式」と呼んでいます。
時期的にはほぼ同じくらいだったと思います。たしか「鶴瓶上岡パペポTV」の中で、上岡龍太郎が面白いことをいいはじめたのです。
「タバコを辞めた時期があって、身体に悪いからとかちゃうで。ほら、辞めた人がいうにはしばらく禁断症状が出るいうやん。あれが味わいたかったんや」
だいたいこんなニュアンスだったと思います。
(余談ですが、同じ喫煙者であるアタシは、そうか、いっちょう試してみようと感化されたのですが、あいにく禁断症状が出ないまま三年(!)の月日が経ってしまいました。もともと健康のための禁煙じゃなかったので「禁断症状がでない禁煙なんてつまらん」とまた喫煙を再開したのでした)

最初の話と上岡龍太郎の話は似ているようで微妙に違うのですが、それでも「苦闘を一種の娯楽に変えてしまう」という部分は共通している。
誰が言い出したかしりませんが、若い頃の苦労は買ってでもしろとかね。誰が苦労を買ったりするかバカって話ですが、別に買ったりしなくてもいくらでもオマケでくっついてきますからね。
いや、若い頃の云々よりもっとタチが悪いのは「その苦労が将来きっと自分を助けるはずだ」とか、こんなセリフが平気で吐ける人間は少し頭がおかしいんじゃないかと思ってしまいます。
辛酸を舐めたからこそ、苦労なんかまっぴらだと思うはずで、正直アタシもいろいろありましたが、あの時の苦労が役に立ったなんて思ったことは一度もない。むしろ尻込みする原因になったり、トラウマになってる部分も多い。

人間はね、楽をしたいものなのですよ。楽ができなければせめて楽しみながらいろんなことをやりたいものなんです。これは苦労とかそんな大仰な話じゃないんだ、今しかできないオモロイゲームにチャレンジしているだけなんだ、と思った方がよほどいい。
映画でもなんでもフィクションなんて全部そうでしょ。功成し遂げた後の物語なんて面白くもなんともない。それより駆け上がっていく過程が面白いわけで。恋愛モノなんかでいえば、男女が結ばれるまでを描くものだしね。
でもそういう時は本人は辛いんですよ。仕事でも恋愛でも成就するまでは本当に辛い。毎日毎日ドキドキの繰り返しです。
ところが不思議なもので、遠い過去となってみると、一番苦しかった時代が一番懐かしく思い出される。遠い過去とか、自分のことであってもある種のフィクションみたいなもんだからね。

どうせ将来そう思えるのなら、最初から楽しみながらこなす方がいい。その方がどれだけヤキモキしたかずっと憶えているはずだし、後で「オモロイ話」にしやすいと思うのです。

2012年5月22日火曜日

ナムコ!ナムコ!ナムコ!

アタシは一応デザイナーなんて仕事をしておるわけですが、デザインの勉強をしたことなぞただの一度もないわけで、まあそりゃ独学ではやりましたが、学校みたいなところで習ったことは皆無なわけです。
プロとしてやるにあたって参考にしたりした好ましいデザイナーも出てきたのですが、もっと潜在的な部分で、つまり無意識のうちに吸収したデザインって何だろうと考えた時に行き着くのはナムコなわけです。
そう、あのゲームメーカーのナムコです。今はバンダイナムコか。そんなことはどうでもいい。アタシが書きたいのは1980年代のナムコのことなんだからナムコでいいのです。

1980年代初頭、ゲームセンターというのは光輝く場所でした。時代の最先端であったコンピューターグラフィックというのを最も身近に感じさせてくれる場所だったんだから。
アーケードゲームの最初にして最大のヒットといえばスペースインベーダーに決まっているのですが、これはこれでサイバーで味があるのですが、美しいとはちょっと違った。しかしインベーダーブーム後にナムコが発表した「パックマン」であったり「ギャラクシアン」の美しいこと!当時はまだまだ基盤の性能も低く、ナムコだけが突出して高い性能のマシンというわけではなかったのですが、造形と色使いの上手さからくる美しさはグンを抜いてました。
当時アタシが最もハマったゲームは「ムーンクレスタ」(ドッキングがあるやつね)だったんですけど、正直これは美しいゲームではなかった。ところが「ギャラガ」なんて、なんであんなに綺麗なんだろ、と感嘆するしかなくて、下手だったので自分ではあんまりプレイしてなかったんだけど、友達のプレイを見るのは大好きでね。グラフィックもそうなんだけど、動きも華麗なんですよ。どこをどう切り取ってもデザインチックで。
下手なのはしょうがないんだから、やっぱナムコのゲームをやらないとダメでしょとなってね。もちろんゲームとしても非常に面白かったし。

今の目で見ても「マッピー」とか「ディグダグ」とかデザインとして完全に完成されてる。ゲーム性はともかく後の「ミスタードリラー」と「ディグダグ」を比べたらデザイン面では圧倒的に「ディグダグ」が勝ってるんですよ。
そして何といっても「ゼビウス」です。何であんなに美しいんだろう。今の方が数百倍もグラフィックの性能は上なのに、「ゼビウス」の美しさには到底及ばない。低い解像度で、限られた色数で、何であんな優雅で綺麗なスクリーンが作れるんだろう。
アタシがタイトーやセガのゲームにハマれない原因のひとつとしてグラフィックがあるんですよ。全然デザインチックじゃない。ナムコがダントツで、続いて任天堂、だいぶ落ちてコナミ、ずっと落ちて他メーカーって感じです。あくまでデザイン面での話ですが。
ナムコは昔の方が良かった、てな話は散々聞きますが、ゲーム性ももちろんある。でもなによりデザイン面で大きく落ちた気がするんです。性能が良くなりすぎて収拾がつかなくなったのかもしれないけど、あのセンスで今のグラフィック性能で作ればとんでもないものができる気がするんですよね。
もちろん限られた性能だからこそあのセンスが発揮されたのかもしれませんが。

今でもちょっと意識しているというか、特にシンプルかつカラフルなデザインを要求された時に頭に浮かぶのは当時のナムコゲームなんです。少しでもあの域に近づきたいってのがあって。でもやっぱり難しいわ。それくらいレベルが高いんだもん。

2012年5月21日月曜日

Appleで今後起こりそうなこと

を何の根拠もなく書いてみる。

◆OS関連
・OSXとiOSが統合されてAppleOSに。ただし旧OSXはProモードとして残る
・Proモード及びBootCampはx86CPUが搭載された機種のみで動作可
・Proモード及びBootCampは旧iOSのアプリ扱いで動作。Proアプリ及びBootCampアプリを起動した時のみx86が作動。システム終了=旧iOSアプリ終了扱いになる

◆ハードウェア関連
・タッチパネルはモバイル機は標準、デスクトップ機はトラックパッド(もしくは外付けマウス)で対応(OSとしては全機種でタッチパネルをサポート)
・モバイル機は全機種で4G内蔵(iPodを除く)
・光学ドライブは全機種で廃止

◆ラインナップ
・デスクトップ機はMac Pro、Mac miniの2機種に。iMacは廃止されMac miniが搭載可能なディスプレイが発売
・モバイル機はiPhone、iPad、iPad mini、MacPad、MacBook、iPod
・iPodはnanoが単なるiPodに、iPod shuffleは廃止。iPod touchも廃止されiPad miniに統合
・MacBook Airが廃止され新たなカテゴリとしてキーボードを排除しiPadライクでProモードが動作可能なMacPadが登場
・MacBook Proは単なるMacBookに名称変更。光学ドライブが廃止され現行のMacBook Airに近くなる
・AppleTVはApple製品用外付けディスプレイ無線コネクタの色合いが強くなる

ま、ほとんどただの妄想レベルですが、いくつかは計画が噂されるものが入っています。
たとえば光学ドライブ廃止は近々本当に実現しそうな勢いです。さすがにMac ProはBTOで選択できるようにするんだろうけど。

OSXとiOSの統合はAppleの悲願かもしれません。iOSはOSXをベースに作られたとはいえほぼ新たに作ったに等しく設計が新しい。セキュアなのはクローズドにしてあるからだけですが、HiDPIという解像度非依存の技術に完全対応しているなどOSXを凌ぐ部分すらあります。(HiDPIは現行OSXでも一応対応しているが互換性の問題からか標準でオフになっている)
今後も両者の歩み寄りがあるのは確実ですが、ファイルベースのOSXとファイルの存在を意識させない作りのiOSは真逆の性質を持っているともいえるわけで、ここさえ上手い落とし所が見えれば今すぐにでも統合の方向性を示すはずです。

ラインナップは、ま、Appleがやりそうだなと思うことを書いただけなんで全然自信ないですが、OS統合の暁には絶対MacPadとかやりそうなんだよな。つか光学ドライブ廃止ならProとAirの差が微細になりすぎだからね。

2012年5月20日日曜日

2012年のカウチポテト族

アタシが大学生の頃、つまり1980年代後半ですね、カウチポテト族、なんて言葉が流行りました。
ガランとしたフローリングかリノリウム張りの部屋にソファとテレビモニターだけが鎮座しており、テレビは床に直置き。大抵はソニーのプロフィールシリーズでした。
そんな部屋でポテトチップスを頬張りながらレンタルビデオを見る、なんてことを趣味にしてる人を指してカウチポテト族といってたわけですが、こんな人実際にいたか知らない。
だって雑誌で紹介されてる部屋って恐ろしいほど生活感がないんだもん。まあ自炊(飯作る本当の自炊)はしないとしても、本もなければCDもレコードもビデオテープもない。ビデオはレンタルだから、といわれても手持ちのビデオやレコードがまったくないってのは不自然極まりないわけです。

さて時代は2012年。今なら本当に何もない部屋でカウチポテト族は可能になったのです。
先日2.5インチのHDDを購入しました。2.5のは持ってたことはあるんだけど、昔のやつなんで容量が小さく死蔵状態でしたが今回のは1TBですからね。去年録画用に2TBを買いましたがこれは3.5だったので、もちろん便利にはなったのですが「すげえ感」みたいなもんはありませんでした。
が、容量は半分とはいえサイズも半分以下の、スマホを一回り大きくしたくらいのサイズにここまでいろいろ入ってるんだ、と思うと何か感動してしまいます。
映画はもちろん撮り貯めたテレビ番組、音楽、そして最近始めた自炊本まで、趣味のほぼすべてがこの小さい箱の中に入ってるってのはねぇ。

これならカウチポテト族は実現できるでしょう。極端にいえば2.5インチのHDDとメディアプレーヤー、LEDプロジェクターとフロントスピーカー、あと自炊本を読むためのタブレットでもあれば部屋を占拠するものがまったくなくなる。

実は一番の問題はポテトチップスかもしれない。何か最近のポテトチップスって妙に味が薄いというか、はっきりいえば味がないんだよね。減塩志向かなんか知らないけど、所詮はジャンクフードなんだからさ、上品にしたり健康に気を遣って味がなくなったりしたら意味ないと思うんだけどな。

2012年5月19日土曜日

津山三十人殺しとファイト!を結ぶ線

今年の始めですが、昭和の猟奇事件のエントリを書いていくにあたり前フリを書いたのですが、その時のシメの言葉として使ったのが「こらえてつかぁさい」だったんですけどね。
これは近代日本で最大の猟奇事件である昭和13年に起こった「津山三十人殺し」に関連する言葉なんです。

実は「津山三十人殺しを読み解かない」ってエントリを書こうと思ったんですよ。つか実際書いた。んで完成した。
読み返して特につまらないわけじゃないんだけどボツにしました。というのは違う視点で練り込んだ方が面白くなりそうだったから。
まあせっかく書いたんだしボツにした文章をなるべく活かしながら再構成したいと思います。

この事件の重要なキーワードとして「夜這い」というものがあります。アタシはね、正直夜這いというものがよくわかってなかった。何となくピーピングトム、日本語でいえば出歯亀、もっとわかりやすくいえば覗き行為ね、それの発展系くらいに思っていたんです。覗きをはたらくうちにムラムラきて強姦する、みたいな。(余談ですが出歯亀って言葉も元はとある事件からきています)
でも実体は違った。夜這いとはある種の風習みたいなもので、当然代々語り継ぐというか受け継ぐようなもんじゃないんだけど、脈々と黙認されている、みたいな感じなんですね。
ちょっと調べるとわかるのですが、性関係の風習というのは結構あって、たとえば祝言(今でいう結婚式)の前に花婿の父が花嫁を「味見」する、とかね。

ボツになった文ではこの後<「娯楽が少ない地域・時代」において、セックスという「娯楽」がいかに重要なものなのか>という話になっていったのですが、そんな時ふとこのフレーズが浮かんだんです。

薄情もんが田舎の町にあと足で砂ばかけるって言われてさ
出てくならおまえの身内も住めんようにしちゃるって言われてさ
うっかり燃やしたことにしてやっぱり燃やせんかったこの切符
あんたに送るけん持っとってよ 滲んだ文字 東京ゆき


もうしつこいくらいネタにしている中島みゆきの「ファイト!」ですが、アタシは実際にこういう体験をしたわけではありません。しかしこの歌詞を連想できるというか「こういうことがあっても不思議ではない」地域に住んでいたことはあるのでニュアンスはよくわかる。
初めてこの歌を聴いた時の感想は「戦慄」という一言になってしまう。ああ、こんな閉鎖的な世界は絶対嫌だと。それだけ物語の主人公に感情移入していたということになります。
これは逆にいえば<薄情もんが田舎の町にあと足で砂ばかける>といった側の心情は一切考慮してないというか、完全に否定されるべき存在としか認識してないわけです。
ところが「津山三十人殺し」という事件、いや「田舎の性的風習」というフィルターを通すと、<薄情もんが田舎の町にあと足で砂ばかける>といった側の心理をそれなりに咀嚼できてしまうのです。

夜這いであったり、性的に乱れた村(現代的なモラルで見た場合、ですが)に関して不思議だったのは、子供の存在です。つまり「誰の子かはっきりしないのではないか」と。
ところがよくしたもので、ってのも変ですが、子供はその家の子というよりは村の子供なんですね。だから村のみんなで育てるという感覚があったらしいのです。
先の歌詞の<薄情もんが>の人は<出てくならおまえの身内も住めんようにしちゃる>っていうくらいだから身内ではないわけです。身内でもない人間が、何故そこまで強行に<田舎の町>から出て行くことに反対するのか、もしくはできるのか、これは非常に不思議だったのですが「身内ではないが、ある種の運命共同体」と考えれば疑問は氷解します。

「ファイト!」のこのパートの主人公は、異端児なんです。「若いんだから大都会・東京に憧れて当然」ともいえるのですが、「運命共同体としてそのような育てられ方をした」と考えるなら<田舎の町>を捨てようと思い詰めるのはやっぱり異端といっていい。

結局「こっちからみれば向こうが異常だけど、向こうから見ればこっちが異常」ということなんでしょうな。
これは日本国内の話ですが、世界に目を向ければ、もっともっと理解出来ない風習なり思想があるわけで、こんなところの出身じゃなくてよかった、だけじゃなく、とりあえず理解しようとする姿勢が大事なんじゃないかと。

何か妙にキレイにまとまったのでこれでおしまい!

2012年5月18日金曜日

推理の面白さ

以前旅行に行った時のことです。替えの靴下を二足持っていったのですが、旅行カバンをいくら探しても靴下が見つからない。いや、たしかに入れた。入れてないわけがない。何しろ旅行用にわざわざおニューの靴下をおろして真っ先にカバンに入れておいたんだから。
しかしこれもアタシの無精からくるものからきたともいえます。
その旅行は連泊だったのですが、初日の夜というか、翌日の朝というかにアタシは無精して、というかうっかり靴下を替えなかったのです。つまり前日に履いていた靴下を翌日も履いていったというわけです。不潔な話ですけど。
でもホテルについて翌日の朝まで旅行カバンを一切触らなかったかというとそんなことはないわけで、結構ひっくり返していろいろ取り出したりしたんです。この時点で、つまりホテルについた時点で靴下があったかどうかさだかではないんですが、おそらくあったんでしょう。んでカバンをひっかき回しているうちに靴下がどっかに飛んでいってしまった。たぶんベッドの下かなんかに。んでそんなことは気づかずホテルを後にしたのでしょう。
まあそうなったら終わりです。まずベッドメーキング係というか掃除の人に捨てられます。備え付けのミニテーブルの上に置いておいたりすると意外と残してくれるものですが、ベッドの下なんかだと確実に捨てられるわけで。
翌日以降にベッドの下をはじめ片っ端から捜索したのですが後の祭り。靴下はどこにもありませんでした。
しかたないので翌日から、ホテルに帰ってまず靴下を洗濯することから始める羽目になったのです。おしまい

もちろんこれはただの推理です。しかし家に帰っても靴下はなかった。となると忘れていったとは考えられない。やっぱり持っていくには持っていってた。んでどこかで「消えた」のです。
靴下を旅行カバンから取り出した可能性は自覚的ではなかったとはいえホテルについて旅行カバンを漁ってた時しかありえない。ベッドの下だったかどうかはともかく、アタシのおニューの靴下二足はホテルの掃除の人に処分されたのは確実でしょう。

今回はちょっとばかし番外編じゃないですけど、今年に入って何度か「昭和の猟奇事件」について書いてますが、アタシはこういった猟奇事件には昔から興味があったのですが、いわゆるミステリのたぐいはほとんど読んでこなかったといっていいでしょう。
何度か書いた昨年亡くなった叔父も、うちの母親もミステリが大好きです。小説はもちろんですが、母親は一昨年かなんかにケーブルテレビに加入して、ずっとミステリ専門チャンネルを見ています。
しかしアタシにはその「ケ」はなかった。簡単にいえば「推理しながら小説を読む」行為の面白さがよくわからなかったんです。

ところが最近読むようになりました。
といいたいとこですが、相変わらずほとんど読まない。前よりは多少読むようになりましたがそれでも読まないチームに分類される。でも「推理」の楽しさみたいなのは少しずつですがわかってきました。
昭和の猟奇事件の中でも特にアタシが関心が強いのが未解決事件ですけど、やっぱりね、推理してしまうのですよ。そういうサイトを読みあさってると「いや、でもアレはアレだから、アレなんじゃないの?」とか「当時の文化からして、また土地柄からしてこうなんじゃねーの?」とかね。ついつい推理ってやつをしてしまうのです。

そういや、とにかくあんまり詳しくないんで知りたいんですけど、「結局犯人が誰だかわからない未解決事件的な推理小説」ってないんですかね?もちろん状況なんかはそれなりに記してあって、みたいな。
まああるだろうね。でも具体的な作品名がわからないわけで。ああ、叔父が健在のうちに聞いておけばよかったな。

2012年5月17日木曜日

文章のクセと演技力

誰だって「文章のクセ」みたいなのがあると思います。このyabuniramiJAPANTiny2だってアタシの文章のクセがふんだんに出てると思うのですよ。
右のカテゴリから飛べますが、かつてmixiに文章を書いてたことがありました。そしてここの前哨戦といえば大仰ですが「sugame京浜」という名前で書いていたこともあります。
それらは自分では過去の、Tinyでも何でもないyabuniramiJAPANと文体を変えたつもりだったのですが、それでも改めて読み返すと、やっぱりアタシの文体のクセがでているのです。
別にバレないように文体を変えていたわけではないので構わないのですが、時にはなるべくバレないように書きたい時もあるわけでして。

某巨大掲示板にはたまにレスすることがあります。そこではなるべく文体のクセが出ないように、相当気をつかって書いています。
といっても自演しているわけじゃないんですよ。でも何となく「これは別人の意見として書いた方がいいな」てなことがよくあるんですね。
しかし本当に別人になりきれているのかは自信がない。何しろ文章のクセってのはそうそう簡単に直せるもんじゃないんでね。この辺は人間としてのクセと一緒でね。
それでもそれなりに対策はあります。たとえば徹底的に2ちゃんねる文体で書くことです。あ、2ちゃんねるっていっちゃった。まあ「じゃね?」とかね。要は2ちゃんねらになりきるわけです。

そういえば「yabuniramiJAPANぽい文章を書くには藪似という架空の人物になりきればいい」と書いたことがあります。つまりこの文章、というほどのもんじゃないですけど、書いているのは「藪似」という人なんです。けして自分自身じゃない。ほんのちょっとズラしてある。ズラすことによって饒舌になり、その方が読む側から考えても面白く書けると思っているんです。
もし完全に他人になりきれれば(架空の人物でも構わない)、きっと「文章のクセ」を完璧に消すことができると思うのです。そしてそっちのが面白いものが書けると思うし、文章の幅も広がる。一番わかりやすい例でいえばパロディですが、別にパロディでなくてもいいわけで。

となると文章を書くというのは、ある種の演技力なんです。架空だろうが実在だろうが、誰かになりきることができるか。
そして完全に演じることができた時、はじめてその人の本性というか、人間的な深みが重要になると思うのですがどうでしょう。

2012年5月14日月曜日

iPadを買ってみた

ということです。
の一言で済ませるのもアレなので少し詳しく書きます。

マイコン少年であったアタシは初代Macintoshを店頭で触って驚愕したものですが、購入しようという考えは一切ありませんでした。
まず高い。Macintoshが日本でも売り出されるようになった頃はちょうどアタシ自身がマイコン=パソコンに興味を失いかけていたのと時同じくするので、そんな高価なものを買おうという発想が浮かびませんでした。
それに活用の方法がなかった。そんなもん買って何に使うのかといわれても、何にもない。
それが某出版社に入り強制的にMacを覚えさせられるに至るわけですが、正直この頃は逆にWindowsをほとんど触ったことがなかったので、Macの何がいいか全然わからなかったのです。
その後MacとWindowsの両方を使い出し、ああやっぱりAppleの製品はよく考えられているわい、と感じていたのですが、WindowsにはWindowsのヨサがあり、どっちが上とかじゃなく単に用途が違うもんだなと。その考えは今も変わりませんけどね。
しかしアタシの趣向はどちらかというとWindows寄りでした。それが再びMacを使い出すことによって五分五分に戻ったって感じでしょうか。
iPhoneを買った時も、正直Androidでもいいかなと思っていたんです。それまでずっとWindowsMobileを使っていて、まあAndroidの方が若干ですがWindowsMobile的ですからね。ところが店頭で触り比べてみると歴然で、もうこれはiPhoneしかないぞと。
つまり「Apple製品だから」iPhoneを選んだというより、単純にAndroidとの比較でiPhoneにしたってのがホントのところです。

さてさて昨年末のことです。アタシはiPhoneより画面が大きくてパソコンより気軽に持ち運べる端末が欲しくなり、その時に初めてiPadが自分の中で浮上したのですが、この時は結局AndroidOSを搭載したLifeTouchNoteを購入しています。
LifeTouchNoteにした理由は、もう安かったから、という一言に尽きますが(逆にいえばiPadは高すぎた)、やっぱりAndroidなるものを一度試してみたかったという気持ちもありました。
が、結果的にいえばLifeTouchNote購入は失敗でした。購入前の懸念材料(キーボードのデキが悪いとか)は意外とたいしたことがなかったのですが、サスペンド状態でも電池がガンガン減るという仕様には閉口しました。これによってカバンに入れっぱなしにしておくことが不可能になり、ほとんど持ち運ぶことがなくなってしまったのです。
しかしこの期に及んでもまだiPadを本気で検討するまでには至りません。この頃の本命はMacBook Airでした。MacBook Airにすると何がいいかといっても、これ一台で仕事もこなせるってのは大きな魅力でした。まあアタシの仕事はMacじゃないとできないのでね。
ところがちょうどモデルチェンジ間際で、なのになかなか新型が発表されない。どうも下手したら秋くらいになるんじゃないかと。Mac自体はあるので待とうと思えば待てるというか、モデルチェンジ間際の機種を買うこともないな、と一気に購入意欲が萎んでいきました。
そんな折「自炊」というものを始めたんですね。てな話は前に書きましたが、やっぱり自炊した本をモバイル端末で読みたいという欲望にかられ始めます。
候補として電子ペーパーを用いた電子書籍閲覧専用端末をまず考えました。しかしこれがどうも決定版といえるほどの製品がない。次にいわゆる中華パッドといわれる中国製のAndroidタブレットを考えたのですが、非常に故障しやすいという噂もあってこれもダメ。
とかいってるうちに新型iPadが発売されて・・・という流れです。

ここで候補に上がっていた、もしくは実際に購入したLifeTouchNoteとの比較を簡単にしたいと思います。

☆電子ペーパー端末との比較
これは実際に購入して比べたわけではないのでアレですが、「決定版といえるほどの製品がない」というのも理由のひとつですが、その端末用に合わせてPDFを作らないと快適に閲覧できないというのがわかったのも見送った理由です。
すでに数十冊単位の自炊を終えていたので、これを再度変換をかけるのは非常に面倒ですし、端末を買い替えたらまた同じ作業をせねばならず、オリジナルも取っておかなきゃいけない、と管理もメンドくさい。その点iPadならそんな必要もないですし。
電子ペーパー端末の利点としてバッテリーの持ちがあるわけですが、まあこれもiPadくらいのバッテリーの持ちがあれば実用には困らないのがわかったので。

☆中華パッドとの比較
値段以外は何もiPadが劣っている部分がないってことです。
中華パッドはスペック以上にバッテリーが持たないってのも調べてましたし、解像度その他もそうですが、AndroidはPDFを快適に閲覧できるアプリが意外とないのです。

☆LifeTouchNoteとの比較
最初LifeTouchNoteでPDF閲覧ができないか考えたのですが、先ほど書いた通りいいPDF閲覧アプリがないし、キーボード付きのシェル形状で縦持ちがいかにも無理がある。
ではLifeTouchNote最大の利点ともいえる「キーボード付き」という部分ですが、これはiPadにBluetoothキーボードを接続してやることであっさり解決。変換はおバカですが(LifeTouchNoteはATOK搭載だから変換はそれなりに賢い)、まあもともと長文変換はやらないのであんまり関係ない。
何よりiPadの場合、サスペンドでバッテリーが減りまくるってことがないのは安心です。

☆MacBook Airとの比較
当然現行(2011年モデル)との比較になりますが、当たり前ですがイラレやフォトショ、インデが使えないiPadはアドバンテージなのですが、「仕事で使えない」という一点を除けば意外にもiPadの完勝です。
やっぱりRetinaの効果はデカい。純粋に閲覧用ならiPadは本当に最高です。
ただし思わぬ副作用もあって、家で使ってるMacBookの画面がボケボケに見えてしかたがない。iPadが綺麗すぎるだけですが、こうなるとどっちにしろ近い将来Macも買い替えたくなります。もちろんMacもRetina化するという前提で。

まあ仕事柄「iPadを買ったらMacを使わなくなった」なんてことはないのですが、実際本当にいい端末だと思います。とりあえず一台持っておいて損はないというか。
つか結局「Apple製品だから云々」は全然関係ないのですね。本当に自分に必要なものを選んだら、それにAppleのマークがついていた、と。その辺はさすがだと思いますが、でもこれからも「Apple製品だから」という理由で何かを買うことはないのかなとも思いますけどね。

2012年5月13日日曜日

必殺ロマンポルノ

どういうわけか「必殺」シリーズについて書きます。

必殺に関しては「藤田まことのこと(2005年1月17日更新)」のエントリでチラッと触れた程度なのですが、アタシが唯一本気になって見た時代劇であり、おそらく今後もここまで本気でハマる時代劇はないんじゃないかと思ってるくらいです。
たしか中2くらいだったかな。放送時間が結構遅かったので小学生の時は見られなくて、んで実際見たら、何ちゅうオモロイ時代劇や、と。

いやアタシは必殺にハマった記憶を熱く語ろうなんて気はござんせん。そういうのは面倒だからもうしない。
では何を書きたいかというと、必殺のポルノ要素について書きたいなと。
つまり中村主水と妻のりつの関係性についてです。

りつを演じたのは白木万理です。古い映画に興味がある方なら白木万理ならぬ白木マリがどういう存在だったかご存知かもしれません。
前に「やらしい女優」というエントリを書いたことがあります。北あけみや三原葉子の名前をあげて<下品な色気>という観点で書いたエントリです。
白木マリもこの範疇に入る女優で、肉感派、それも京マチ子あたりよりもずっとスケールの小さい、そんな感じの存在でした。
白木万理と改名して必殺でりつを演じる頃は「峠をこえた肉感派」で、非常に微妙な存在だったといえます。
さっき名前をあげた北あけみにしろ三原葉子にしろ、なぜかこの手の女優さんは意外と早く芸能界を引退しており、実際白木マリも一旦引退をしており、離婚してカムバックの折に改名して必殺に出演した、ということらしいです。

一方藤田まことはというと「てなもんや三度笠」をはじめとするてなもんやシリーズが終了し、いわば低迷期でした。ドサ回りをしていた、と藤田まこと本人が語っていますが、世間では中村主水を演じはじめた頃のイメージは「てなもんやの」とか「あんかけの時次郎の」、いやもっとはっきりいえば藤田まこと=馬、だったんです。それくらいしつこく馬面押しでしたから。
まあ一般には馬といえば巨根の代名詞でもあるわけで(馬並っていうでしょ)、実際藤田まことがどうかは知りませんがね。
とにかく藤田まことと白木万理の夫婦というのは「馬」と「元肉感派」の夫婦なのです。
この設定というか配置はどうにもエロい。それも今っぽいエロじゃなくて、日活ロマンポルノ的なエロさです。
その上中村主水は「夜はからっきし」(これ、ホントはそうでもないんだけど)という設定はいよいよロマンポルノ的です。
ま、本当にロマンポルノではないのでりつは若い男に走ったりはしませんが。

ホントのところはどうかわかりませんが、白木万理がレギュラーになったのがちょうどロマンポルノ全盛期ということを考えれば、意識した可能性がなくはないんじゃないかと。
とかいってますが「てなもんや」で藤田まこととコンビを組んだのは「白木」みのるだったので、だったら「白木」万理でいいんじゃね?なんて安直な理由だったかもしれませんがね。

2012年5月9日水曜日

老練アイドル

うちのね、まあめちゃくちゃ近くではないんですが横浜アリーナってのがあって。人混みの原因になるんで鬱陶しいといえば鬱陶しいのですが、誰であれコンサートのある日の非日常感は嫌いではないです。
「ハレ」と「ケ」なんていいますが、普段静かなオフィス街である新横浜周辺がね、アリーナでイベントがあると途端に雰囲気が変わるんですよ。それに加えて新横浜周辺には日産スタジアムと競馬の場外馬券場もありますからね。全部が重なった日とかもうカオスとしかいいようがない。
先ほど「誰であれ」と書きましたが、あれ?やけにオバチャンが多いなと思ったら氷川きよしのコンサートだったり、20代後半の女性が多い日は浜崎あゆみだったり。
当然10代の女性が多い日はジャニ系の日なんですが、そういう日は人の波が引かないんですよ。
理由は簡単で、ジャニの人たちのコンサートは一日ニ公演だからです。しかも期間も長くて、今年のゴールデンウイークも某平成飛が4日連続とかね。

昔の演劇やコンサートは一日ニ公演とかザラだったようですが、今時やってるのはジャニ系の人たちくらいでしょう。
いやこれは非常に重要なことだと思うのです。
いつも思うのですが、あの人たちって世間的には新人でも妙に落ち着いてるというか、浮ついてないというか、場慣れしてるんですよ。歌番組でも若手の、いわゆるミュージシャンにカテゴリされるような人の方がはるかに落ち着きがない。
でも10代前半からこれだけのことを毎日やってたら、ね。場数が半端じゃないんだから、テレビに出たくらいで動じないのも当然というか。

でもね、その分老成も早いと思うんですよね。
30代や40代に差し掛かったメンバーがいるグループとか、もう落ち着きすぎて老練、なんて言葉が似合う感じになってる。ある意味フレッシュさが命のアイドルとは一番かけ離れた存在というか。
たとえばモミアゲを金髪にしてる人とか、司会でね、トーンもテンションも凄え低いでしょ。まったくアイドルらしくない。けれどもそれがダメかといえば全然ダメじゃなくてむしろ素晴らしいテクニックなんです。
普通はあのレベルまでテンション落とせないですよ。それができるってのは、もう熟練としかいいようがないんです。

とか考えたら本当にジャニ系って不思議だわ。人気の在り方はアイドルなんだけど、芸風はアイドルとは真逆っていう。ま、だからこそハマれば長持ちするのかもしれませんがね。

2012年5月5日土曜日

では1970年代はどうだったのか

1980年代に起こった1960年代ブーム、みたいなことを前回書きましたが、1970年代も全然注目されてなかったわけじゃない。
それにしてもものすごく近い過去ですよね。たかだか10年ほど前を懐かしむってのは。

ヴィレッジバンガードみたいな店に行けば1980年代を懐古、みたいな書籍が結構出ていることに気づかされます。といっても、1980年代を切り取るとなると、ヤンキーでも阪神タイガース21年ぶりの優勝でもグリコ・森永事件でもなく、やっぱりファミコンになるのですな。つか他に切り口がないっていうね。

では1970年代にスポットを当てた本、これはさっきも書いた通り1980年代からありました。1960年代ほどではないにしろ、ファミコンしか懐古感が出ない1980年代と違い、網羅すべき出来事やブームはかなりあるのです。
ところがもし今この手の1970年代大百科が発売されたら確実にページを割かれるのに、1980年代に発売されたムック誌では黙殺されている存在があります。
それはドリフターズに関する記述です。
理由は簡単でムック誌が発売されていた1985年前後はまだドリフターズは現役バリバリでした。まだ「8時だョ!全員集合」が放送されていたか、もしくは終わったばかりであり、少なくとも懐古の対象ではなかったのです。

ドリフターズの全盛期は間違いなく1970年代です。荒井注が在籍していた前半、志村けんが加入した後半に分かれることは分かれるのですが、松竹で公開されていた映画も、チョットだけよも、どうもすんずれいしましたも、東村山音頭も、ディスコばあちゃんも、飛べ!孫悟空も、その挿入歌だったゴーウエストも、早口言葉も、「ドリフ大爆笑」のスタートも、全部1970年代という括りに入ってしまいます。

1970年代はドリフターズの時代だった、といっても過言ではない。浅間山荘も欽ちゃんもピンクレディーも三菱銀行北畠支店の事件も、ドリフターズの存在には霞んでしまう、それほどの存在だったはずで、これは1980年代のファミコンに相当するはずなんです。

1970年代のドリフターズ
1980年代のファミコン
そして1990年代は小室哲哉
軸があるんですよ、1970年代以降の時代は。
1960年代はというと、これがない。つか軸になり得る存在や出来事が多すぎてとてもひとつに絞れない。
逆なのは2000年代で、軸になるものが何もない。奇妙なくらいない。無理矢理いえばインターネットとかになるのでしょうが、インターネットが将来懐古の対象になるとはとても思えないわけで、iPhoneやユニクロや電車男に置き換えても一緒です。
とにかくすべてが小粒すぎるし懐古の対象にすらなり得ないものばかりです。

さて2010年代はどうなるのか、冗談抜きでね、今のところ「ぽぽぽぽーん」が最有力な気がする。めちゃくちゃ小粒だし、そもそもあんな震災が起こったからこそのあのCMの連打だったわけですが、それでも10年後に人々が「懐かしい」と思えるのはあれくらいしかない気がするんですよねぇ。