2010年1月17日日曜日

震災から15年

今年で阪神・淡路大震災から15年になるという。神戸出身の自分には、というか、神戸出身でありながら地元愛が極めて希薄な自分にとって、あの震災はいったい何だったのだろうとあらためて考えさせられた。
自分、そして身内や友人を含めて、幸いにも被害者はなかった。だからよかったというのではない。
人的被害こそなかったが、経済的には大打撃があった。
まったく個人的なことだし、話がそれるので詳しくは書かないが、親戚の経営していた会社が震災によって潰れた。社屋だけではない。早い話が倒産したのである。
このことによって、耐えられないような出来事が次々と起こった。すでに二十歳を過ぎていた自分は何とか事象を消化できたが、もっと早い時期なら確実にトラウマになるほどのことの連続だった。
これも広義の被災者、とならないのだろうか。

25歳の時に初めて関東に住んだ。
関東に住んで驚いたことがある。
それは「うどんの出汁の色が違う」などという、ネットもない時代でも誰でも知っていたことではない。
とにかく地震の多さに驚いた。小規模な地震がオーバーにいえば三日に一回くらい訪れる。
小規模だが、地震ほど人々の不安を煽るものはないと痛感したのもこの頃だった。
「これが大地震の前触れだったら・・・」
悪い想像はいくらでも膨らむ。いや、想像の問題だけでなく、「地面が揺れる」こと自体、ものすごく恐怖心を喚起することを学んだ。

関西はほとんど地震のない土地柄だった。
自分は関東に住んでいた経験から、多少は冷静だったと思うが、地震慣れしていない、大震災の時の人々の、言葉に表しようもない恐怖感はものすごかったと思う。

太平洋戦争が終わったのは昭和20年8月15日だ、くらいのことは誰でも知っている。しかしそれは後の時代から見ているからわかることであって、当時の人はそんなこと誰もわからない。
「今日は20年6月15日?じゃああと二ヶ月で戦争は終わるな」
とかわからなかったのである。

大震災の時も同じだった。
戦慄としかいいようのない空気・・・、あれはまたいつ、どの程度の規模の余震はあるかわからない、震災に会った人全員が感じていないと、あの戦慄の空気にはならないのである。

自分はそれを肌で感じていた。しかし「その時点」では、人的被害もなく、後に経済的に大打撃を受けることなど知る由もない自分は、ある種の傍観者になるしかなかった。

子供の頃から、正確には幼稚園に上がる前から「ひとりで」徘徊していた三宮の街の破壊された姿を見た時、現実を受け止められなかった。
「ウソやん・・・・」
それだけひとりごちるのが精一杯だった。

悲しかった。しかし所詮は傍観者である。悲しみにふける余裕があったという見方もできる。
もっといえば醒めていた、とすらいえるのかもしれない。

「阪神・淡路大震災から15年 神戸新聞の7日間 ~命と向き合った被災記者たちの闘い~」を見た。
地元愛も希薄で、震災当時、醒めているんじゃないかとすら感じていた自分でさえ、見ていて辛くなってきた。
記憶がどんどんよみがえる。
意味もなく怒ってる人、警官ともみ合いする人、ただ呆然と立ち尽くす人、必死で今日の食料を買い求めようと長蛇の列をつくる人、毛布にくるまってガタガタをふるえる老婆・・・・
あの戦慄がよみがえった。戦慄の空気がよみがえったといった方がいいか。

だからこのドラマを冷静に分析することはできない。
フィクションと思われる部分が浮いていたな、と感じたが、無碍にフィクションをねじ込むことに心理的な抵抗があったからこそ、分離してしまったのだろうと思えてくる。

2010年1月13日水曜日

遅くとも新年

年が明けて一回も更新してないので、とりあえず。

何を書こうかと思ったが、せっかくなので今年の抱負でも。
しかし個人的な抱負を書いても仕方がないので、このブログの抱負を書く。
このブログの抱負、それは
今年も人知れず、ひっそりと更新し続ける
これだ、これに尽きる。

ちょうど一年前、このブログを始めた。
その前やってたブログはそこそこアクセスもあり、コメントもそれなりにきていたが、どうもそういうのがめんどくさくてしょうがないですね、自分は。
しかもスパムコメントやらスパムトラックバックやらで、それらの消去もひたすら面倒くさい。
別にブログなんて誰のために書いているわけでもなく、ただ書きたいから書いているだけで、誰一人読んでなくても全然問題ない。
だったらチラシの裏にでも書いておけよってことなのだが、チラシの裏であろうが、日記帳であろうが、そこそこの長文をペンで書く行為自体が面倒なのだ。
別に見られたら困ることを書いているわけじゃないし、公開しても問題ないからブログのシステムを使っているだけで、間違ってもコミュニケーションを求めてのブログじゃないんだから、誰も読んでくれなくても問題ないわけだ。
とはいえ数少ないリアルな友人は読んでくれてるようなので、まあ8割は自分のため、2割は友人のために書いてるようなもんです。
そんな狭い範囲だけ想定して書いてるので、変にアクセスとか増えられても困ってしまう。そういうのは前のブログでさんざん味わったからもういいんだ。

だから今年とはいわず、これからもできるだけ目立たぬように、ひっそりとやっていきます。
何かの間違いでこのブログを読んでくれてる人がいたら、まあ適当に読み飛ばしてください。
てなわけで今年もよろしく