2008年6月24日火曜日

ファッションリーダー



おしゃれなんてもんは資生堂にまかせておけばいいのだが、大人に近づくにつれそうもいかなくなってくる。

高校の頃までロクな私服を持っていなかった。これじゃデートにも行けやしない。ま、そんな男に彼女なんているわけもないのだが。

高校三年の時だったか、見るに見かねたクラスメイトが服を買いに行くのにつき合ってくれた。

とはいえどんなのがいいのか皆目わからない。正直どれも同じに見える。仕方がないのでセレクトは全部友人にやってもらった。

余談だがその年の暮れ、テレビを見ていたら、その時買ったのと同じ服装のプロ野球選手が映っていた。自分より一歳上で、田舎の高校からプロになりたてのあか抜けない選手だったので、うれしくもなんともなかった。ちなみに今その選手は阪神タイガースでコーチをしている。

しかしだ、自分にも一応こだわりというものがあった。

子供の頃から1960年代の映画を浴びるように観た。つまり基準はいつもそこにあった。ああいう服装ならしてみたい。それなりの物を選ぶ自信だってある。

が、いかにも時代が悪かった。1960年代風の服なんてどこにも売っていない。

バブル・・・正確にはバブル前夜のファッションなんて見れたもんじゃなかった。

おニャン子クラブは揃いのトレーナーを着てテレビに出ていた。同じブランドのトレーナーを何故か西川のりおも着ていた。

まったく自分の中にないセンスである。堪えられない。しかし流行っていたのだ間違いなく。

あきらめた。この時代が終わるのを待とう。女性に縁のない高校生はそう堅く心に誓うのであった。

大学に入ると誓いはあっさりと破られる。やっぱりモテた方がいいに決まってる。しょうがない。時代と自分のセンスの妥協点を探ることにした。

いや、時代なんかどうでもよかった。理由は入った大学にある。何しろこの大学、奇抜であればあるほど尊敬されるという特殊な校風だったからだ。

とはいえ狙った奇抜さほどサムいものはない。かといって残念ながらそこまでイカれているわけでもない。またしても道はふさがれた。

ある日大学の先輩の部屋に遊びにいくと「今日ランドセルを拾ったんだけどいらないか」という。ああ、そういえばカバンのひもが切れて困っていたんだ。ちょうどいい、これで大学に通えば。

狂ってるとしかいいようがない。一応20歳にもなろうかという大の男がランドセルを背負って大学に通うのだ。狂気の沙汰とはこのことだ。

それは今だからわかることで、当時は何とも思わなかった。完全に校風に飲まれていたということだろう。

何しろそんな大学だ。ランドセルを背負って歩く男はたちまち話題になった。キャンパスを歩き回っていると「一緒に写真撮らせてくださ~い」と声をかけられる。

挙げ句の果てにはランドセルを真似をする輩まで現れた。それも数名。

いやランドセルだけじゃない。自分の服装のすべてを真似してやがる。

あのな、おまえ等マジで狂ってるぞ。こんなもんがおしゃれなわけないじゃないか。

どういうことだ。高校時代まで友人に服を選んでもらっていた男は、3年も経たないうちにファッションリーダーになってしまった。

大学を出て狂想曲は終わった。当たり前だ。ファッションリーダーなわけないじゃないか。

十年ほど時が流れた。

場所は九州。ある集まりに参加した時のことである。どういうわけか出身大学の話になった。するとひとりの女性が自分の出身大学に関して異様な反応を示した。

「知ってますよ!すごく変わった人が多いみたいですね。10年ほど前は何でもランドセルで学校に通う人がいたとか・・・」

我慢した。それにもう30をすぎたオッサンには、実は・・・なんていう体力はどこにもなかった。




2008年6月17日火曜日

インテリ



先日福島に住む叔父のところへいってきた。

子供の頃から非常にかわいがってくれた人で、生まれてはじめて競馬場へ行ったのもこの叔父に連れていってもらったからだし、生まれてはじめてプロ野球の試合に行ったのも、そして生まれてはじめてバーなるものに行ったのも叔父に連れられてだった。

といってもどれも小学校低学年の頃だから定かな記憶はない。ただバーで出された、果汁シロップで作られたと思われる、甘ったるいジュースの味だけは鮮明におぼえている。

後に聞いた話だが、叔父はかなり意図的にこういう場所に自分を連れていったようだ。子供が絶対に行けないような場所に連れていく、そのことを叔父は楽しみにしていてくれていた。

子供にあまり関心のなかった自分の父親は子供をどこかに連れて行く、ということをしなかった。いわば叔父は父親の代わりに一種の情操教育として「世の中にはこういう場所があるのだ」ということを教えてくれた。

だからだろうか。酒をたしなまない自分だが、そういう「オトナの世界」に足を踏み入れることに物怖じすることはなかった。元来社交的ではない自分にとっては大きなプラスをあたえてくれた。今にしてみるとそう思える。

競馬場やバーなどと書くと、叔父の風貌をなんだかもの凄くがらっぱちのオヤジに想像されるかもしれないが、非常にスマートな人なのだ。

叔父の妹、つまり自分の母親にいわせると若いときは石坂浩二に似ていたそうだ。ま、もちろんたいして似てないのだが、たしかに雰囲気は通じるものがある。

石坂浩二と共通する雰囲気、身内のことを褒めちぎるのもアレだが、つまりインテリなのだこの人は。

インテリといっても高卒。勉強はできたらしいが、家庭の事情、いわゆる貧乏という壁に阻まれて進学できなかった。

とはいえ長男の長男たる、なんともいえないのんびりした、関西弁でいうところの「エエシのボンボン」(良家のお坊ちゃん)のムードがあり、よく知らない人ならとても貧乏で大学をあきらめたようには見えないだろう。

いわゆる趣味人であり、小説はミステリ専門、映画は洋画中心だがめぼしい邦画もチェックしている。特にヨーロッパ映画を好む。映画を観るセンスはこの人に教えられたことが多い。

この間会った時も「黒澤の『羅生門』、今観ると全然違ってみえる。観た方がいい」とかいう。こういうことをさらっといえる人はそうはいない。

ハリウッドは80年代以降は全部ダメ、というのは戦前生まれの人らしい意見だが、それでも話題作はもちろんそうでない作品もきちんと観た上でいっているのだから説得力がある。

記憶力も衰えておらず、あの映画にでていた女優はこの映画にもでていたとか、ビリー・ワイルダーの「熱砂の秘密」が観たいんだけどDVDがあんまり売ってない、といってリアルタイムでしか観たことがない「熱砂の秘密」の筋を語りはじめる。

今叔父はパソコンで自分なりの女優名鑑をつくるのに凝っている。もちろん趣味として。だが範囲が広い。少しだけ見せてもらったが、1920年代以前にしか活躍していない女優の名前があったりする。

「昔は映画は監督と男優でみていた。でも今は女優中心でみている」

自分も映画は好きだが到底この人にはかなわない。観た数はもちろんセンスも。そして何よりフィクションを分解できる力は足もとにも及ばない。

母親はよく「もしうちが金持ちなら兄はもっと趣味人として生きていけただろう」という。自分もそう思う。

叔父は高校を卒業するとすぐに実家を継いだ。そして時は流れたが叔父の持つ映画や小説の知識やセンスが仕事に結びつくことはついになかった。

もったいないな、とつくづく思う。とはいえ叔父も70手前だ。今更どうのということはありえない。

自分が、幼少の頃から父親代わりになってくれたこの叔父のセンスを少しでも受け継いでいれば、と思うことがある。そうなのか違うのか、それはわからない。でもそうであってほしい。それはけして「ええかっこ」したいからではなく、もしそうならうちの家系にも意味がある、そう思えるからだ。




2008年6月15日日曜日

ライター



ライターは100円ライターに限る。

自分はA型の癖に几帳面とはほど遠い性格で、100円ライターか使い捨てボールペンを最後まで使い切るのが夢という寂しい性格をしている。

早い話が使い切るまでに紛失してしまうのだ。ライターなんて今まで何十個なくしたかわからない。

こういう人間が高価なライターを持つのは非常に危険だ。というか意味がない。

それでも5000円以上するライターならそれなりに慎重に取り扱う。でもやっぱりなくす。だからとっても馬鹿らしい。

100円ライターはいい。なくしてもたった100円の話だ。

それに確実に着火してくれるのもいい。もちろんガスがなくなればハイそれまでョだが、どうせ使いきる前になくすのだからそんな心配はいらない。

ところがやっぱり人間、色気というものがあって、ついつい中途半端な、コンビニとかで売ってる1000円程度のライターに手を出してしまったりする。

はっきりいって1000円未満のガスライターほど使えないものはない。まずすぐにガスがなくなる。あっっという間に紛失する自分が使いきれるほどにしかガスが入っていない。

この手のライターはだいたいガスがチャージできるようになっているのだが、これがうまくチャージできた試しがない。

よしんば奇跡的にチャージができたとしても、チャージ以外のメンテナンスができないので、石がなくなれば終わりである。

かくしてただ使えないだけのガスライターが部屋の片隅にじゃらじゃら転がる羽目になるのだ。

でもガスライター全部がダメかというとそんなことはない。

前にプリンスの4000円弱のガスライターを使っていたことがあるが、さすがに少し値段がはるだけのことはあって、きちんとガスチャージができた。もちろん石を変えることもできる。

しかもこれは紛失しなかったこともあって、2年ぐらいはもった。4000円弱で2年ももてばたいしたものである。

それでもガスライターが使いづらいのには違いない。

プリンスのヤツもチャージできるのだが、結構不安定なのだ。チャージしたつもりなのに、逆にガスが抜けているなんてこともしょっちゅうであった。

その点オイルライターなら失敗のおそれがない。

なにしろどくどくオイルをつぎ込むだけでいいのだから。

じゃあジッポーがいいんじゃないのって話になるのだが、やっぱりなくす心配がある。残念ながら数千円のライターを紛失してヘラヘラできるほどのブルジョアではない。

そこで浮上するのがイムコのライターである。何しろ1000円未満で買えるのがうれしい。メンテナンスもジッポーのものが使えるというのもいい。

が、先日これもなくしてしまった。

イムコの難点は取り扱ってる店舗が少ないのだ。

正直1000円未満の商品をネットで取り寄せるのも抵抗がある。

かくして再びライター難民になってしまった。

やっぱ100円ライターだな、それが一番いい、そう思って100円均一ショップ、つまりはダイソーだ。そこで思わぬ掘り出し物を見つけた。

というか前から存在は確認していたのだが、食わず嫌いで試したことがなかった。

その商品とは、ずばり偽ジッポー、である。

これが思いの外調子いい。メンテナンスは完全にジッポーと共通、オイルライターだからチャージ失敗の心配もない。

しかも100円だからなくしても痛くないし、ダイソーにいけばいつでも手に入る。

難点は変な模様が入っていることだが、これは除光液で簡単に落とすことができる。

うん、これぞ究極の100円ライターではないか。

何ともケチくさい話だが、個人的にはものすごく切実だということを理解してほしい。