おしゃれなんてもんは資生堂にまかせておけばいいのだが、大人に近づくにつれそうもいかなくなってくる。
高校の頃までロクな私服を持っていなかった。これじゃデートにも行けやしない。ま、そんな男に彼女なんているわけもないのだが。
高校三年の時だったか、見るに見かねたクラスメイトが服を買いに行くのにつき合ってくれた。
とはいえどんなのがいいのか皆目わからない。正直どれも同じに見える。仕方がないのでセレクトは全部友人にやってもらった。
余談だがその年の暮れ、テレビを見ていたら、その時買ったのと同じ服装のプロ野球選手が映っていた。自分より一歳上で、田舎の高校からプロになりたてのあか抜けない選手だったので、うれしくもなんともなかった。ちなみに今その選手は阪神タイガースでコーチをしている。
しかしだ、自分にも一応こだわりというものがあった。
子供の頃から1960年代の映画を浴びるように観た。つまり基準はいつもそこにあった。ああいう服装ならしてみたい。それなりの物を選ぶ自信だってある。
が、いかにも時代が悪かった。1960年代風の服なんてどこにも売っていない。
バブル・・・正確にはバブル前夜のファッションなんて見れたもんじゃなかった。
おニャン子クラブは揃いのトレーナーを着てテレビに出ていた。同じブランドのトレーナーを何故か西川のりおも着ていた。
まったく自分の中にないセンスである。堪えられない。しかし流行っていたのだ間違いなく。
あきらめた。この時代が終わるのを待とう。女性に縁のない高校生はそう堅く心に誓うのであった。
大学に入ると誓いはあっさりと破られる。やっぱりモテた方がいいに決まってる。しょうがない。時代と自分のセンスの妥協点を探ることにした。
いや、時代なんかどうでもよかった。理由は入った大学にある。何しろこの大学、奇抜であればあるほど尊敬されるという特殊な校風だったからだ。
とはいえ狙った奇抜さほどサムいものはない。かといって残念ながらそこまでイカれているわけでもない。またしても道はふさがれた。
ある日大学の先輩の部屋に遊びにいくと「今日ランドセルを拾ったんだけどいらないか」という。ああ、そういえばカバンのひもが切れて困っていたんだ。ちょうどいい、これで大学に通えば。
狂ってるとしかいいようがない。一応20歳にもなろうかという大の男がランドセルを背負って大学に通うのだ。狂気の沙汰とはこのことだ。
それは今だからわかることで、当時は何とも思わなかった。完全に校風に飲まれていたということだろう。
何しろそんな大学だ。ランドセルを背負って歩く男はたちまち話題になった。キャンパスを歩き回っていると「一緒に写真撮らせてくださ~い」と声をかけられる。
挙げ句の果てにはランドセルを真似をする輩まで現れた。それも数名。
いやランドセルだけじゃない。自分の服装のすべてを真似してやがる。
あのな、おまえ等マジで狂ってるぞ。こんなもんがおしゃれなわけないじゃないか。
どういうことだ。高校時代まで友人に服を選んでもらっていた男は、3年も経たないうちにファッションリーダーになってしまった。
大学を出て狂想曲は終わった。当たり前だ。ファッションリーダーなわけないじゃないか。
十年ほど時が流れた。
場所は九州。ある集まりに参加した時のことである。どういうわけか出身大学の話になった。するとひとりの女性が自分の出身大学に関して異様な反応を示した。
「知ってますよ!すごく変わった人が多いみたいですね。10年ほど前は何でもランドセルで学校に通う人がいたとか・・・」
我慢した。それにもう30をすぎたオッサンには、実は・・・なんていう体力はどこにもなかった。