2011年5月30日月曜日

踊る(一部の)大阪人

藪似です。sugame京浜(これの前にやってたブログ名)時代に何回か書いたのですが、関西人気質ネタです。

まずはアタシが繰り返し主張してることを要約します。
それは関西人が騒がしくて下品で柄が悪い、というイメージがごく近年マスコミによって作られた、ということです。

浪花の商人、なんて言葉があるくらい、昭和初期くらいまでは大阪が商業の中心地でした。もちろん「でんがなまんがな」だけで商売をしていたわけではありません。
昭和初期の大阪の百貨店のポスターなどを見るとデザイン性の高さに惚れ惚れします。同時代の東京の百貨店のポスターよりもはるかに優れていると感じる。商業の中心地なんだから広告面でもトップだったのは当たり前なのですが、こういう「モダンな大阪」「ハイカラな関西」という一面はマスコミに黙殺され続けています。

関西論というか関西人論の本はいろいろ出ていますが、これまたずいぶん昔に「ヤキウノウワゴト」というブログで書いたことのある「阪神タイガースの正体」(井上章一著)という本があり、タイトルが示す通り阪神タイガースという関西を代表するプロ野球チームにスポットを当てながら、関西人気質にも鋭く切り込んでいます。
本の中で甲子園球場の野次について、昭和30年代までは下品どころか「関西弁なので野次に迫力がない」と書かれた当時の雑誌記事を紹介しています。
いや、実際その頃までは
・早口で捲し立てる=江戸言葉(といっても下町の職人言葉だけど)
・おっとりあいまいに喋る=大阪言葉
のイメージが強かったはずです。
それはその当時の映画を見ればよくわかります。大抵大阪人は上記のステレオタイプとして描かれていますから。

大阪人=下品で捲し立てる、というイメージが定着したのは、アタシが考えるに3つ理由があります。
ひとつが「仁義なき戦い」の影響。もちろんこれは広島が舞台であり、まったく関西弁の世界ではないのですが、大々的に方言が飛び散った映画であり、関東の人が関西弁と聞き分けられなかったとしても無理がありません。
ただし「仁義なき戦い」の公開は1970年代前半。これは序章にすぎません。
ふたつめが1980年前後に吹き荒れた漫才ブーム。この漫才ブーム最中の人気者をじっくり見ていくと結構面白いのです。
ブームの象徴となった「早口で捲し立てる」漫才の代表格はB&B、それに続いたのはツービートと紳助竜介なのですが、爆発的な人気があったザ・ぼんちはどちらかというと旧来のゆったりテンポの漫才でした。
実は紳助竜介もそこまで速いわけでもなく、テンポというかスピードではB&Bがずば抜けていました。
B&Bといえば広島VS岡山ネタですが、もっぱら喋っていたのは広島出身の洋七です。
またしても広島です。つくづく広島は誤解を与えてくれます。
最後のいっこは、これはもう文句なしの大阪が舞台になった漫画(というかアニメ)「じゃりん子チエ」ですが、これは大阪といっても舞台が特殊すぎるのですが、まあその辺の事情も関東の人にはわかりづらいでしょう。
これにプラスして漫才ブーム終了後の明石家さんまの台頭、しかも1985年には阪神タイガースが21年ぶりのリーグ優勝という出来事が起こります。
実は「21年ぶり」というのがミソで、溜まりに溜まったフラストレーションが爆発しただけに過ぎないのですが、時期が悪かったというか、1980〜1985年に関西のイメージを一変させる出来事があまりにも連続して起こったんです。(おまけで「関西弁で脅迫状を書く」かい人21面相、なんてのもありましたが、これも時期が重なります)

歴史にifはありませんが、もしこの5年間がなければ、今でも関西人のイメージは「おっとりしている」のままだったかもしれません。
しかしこの5年間によって、まずマスコミの扱いが変わります。それまでは東京のアンチテーゼとしての大阪なり関西だったのが、どうしようもない人種の集まる場所、それが関西、みたいになってしまいました。もっとはっきりいえば発展途上国的な扱いです。
そして本当の問題はここからで、関西人とはそういうものなのだと真に受けた関西(と大阪に憧れて大阪に移住した地方出身者)の若い人が「作られた関西人像」を本気で演じはじめました。と同時に関東を含む他地方の若い人も、関西とはそういう場所だと信じはじめたのです。

アタシは、本当の大阪、そして関西はそんな場所じゃないんだ、関西人は下品じゃなくもっとおっとりした人種なんだ、などといいたいわけではありません。
おそらく今後大阪は、マスコミが描いた通りの場所になるでしょう。
マスコミに踊らされる、といいますが、こんなもん東電とか民主党の比じゃない。日本の歴史の中で一部の大阪人ほどマスコミに踊らされた人たちもいないでしょう。

数年前、オレオレ詐欺が流行った頃、たしか静岡ローカルで啓発CMが作られたことがありました。その内容というのがいかにも、な大阪のおばちゃんの井戸端会議的なものだったので軽く問題になったりしたんですね。(ドキュメントぽい雰囲気ですが、もちろん役者さんが「大阪のおばちゃん」を演じてます)
このCMについて「大阪人」という小さな雑誌の編集長が「普通の大阪人は静かに暮らしているんですがね」みたいなコメントを出していたのが印象的です。
そう、普通の大阪人はみな静かに暮らしているのです。が、一部のマスコミに踊らされた人が「これこそ大阪や」とデカい声で叫ぶんですからねぇ。

2011年5月28日土曜日

ロビンソンに浸る

藪似です。年をとったなぁと感じることはいくつもございまして。
アタシは1968年生まれなので、青春時代というと普通は1980年代半ばになるわけですが、以前書いたように、どうもこの時代が嫌いです。
思い出がないわけじゃないんですが、懐かし系の番組とかで当時流行っていた歌とか流れても特に感慨とかないんですよ。正直この時代の古き良き思い出なんて阪神タイガース日本一くらいでしてね。
じゃ当時の歌とかを聴くだけで「あの頃に戻れる」時代はというと1990年代の中盤から後半になってしまうのですよ。
iPodとかに入れてるプレイリストですが、もちろん敬愛してやまない植木等大先生なんかも入ってて、他には大昔の(日本でいえば戦前の)ジャズとか、古い邦画のサントラとか、そういうのに混じって、アタシにとっては思い出深い懐かしめのプレイリストもあったりしますが、ほとんど1990年代のものです。
アタシはこの時代ちょろっと音楽をやっていまして、でもやってた音楽のジャンルの曲じゃなくてね、歌謡曲。いや、あえてJ-POPといった方が気分がでますね。とにかく「いい曲だなあ」とかじゃなくて、聴いててただ単に懐かしい。あの頃の感覚が蘇るのです。

中でも結構気に入っているのがスピッツの「ロビンソン」で、アタシはリアルタイムでスピッツなんか全然好きじゃなかったんですよ。今も活動してるかどうか知りませんし、活動してたとしても別に興味はないんです。
でも「ロビンソン」を聴くと、当時あんまり熱心に聴いてなかった分、余計に懐かしい。なんかね、自分で積極的に聴いていたものより、なんとなく街中で流れていたり、誰かがカラオケで歌っていたり、そんな浅い接し方の曲の方が懐かしかったりするのですが、どうでしょか。
特に「ロビンソン」はあのクドいイントロ、そして淡々と綴られる光景描写(一部では心中の意があると噂ですが)、クセのまったくない歌唱、どれをとってもあの頃のJ-POP過ぎて泣けてくるほど懐かしい。

もしかしたらこういった楽曲がアタシら世代の演歌的存在になっていくのかな、と思います。自分が爺さんになった時にね。

2011年5月21日土曜日

痛々しい女芸人

藪似です。今回は久々に芸人ネタでも。

旧yabuniramiJAPANで女性芸人について書いたことがあります。ずいぶん古い話で、その頃メディアに大々的に出始めていた友近と青木さやかについてのエントリでした。
今回取り上げようと思ういとうあさこはもうその当時から「たまにテレビに出る」存在で、しかし一般的な人気があったとはいえませんでした。
なんとなくアタシは当時から彼女が気になっていて、その理由は見た目がタイプだから、ではもちろんなく、非常に痛々しかったからです。
実際に彼女がどのような心境で芸人としてやっていたか知る由も無いのですが、アタシが見る限り、なんかものすごく無理してる感じがしたんですね。
いとうあさこの芸風は当時も今も、開き直り芸とでもいうもので、被虐的なのですが、実はこの芸風は非常に難しい。なんというか、人によって極端に合う合わないがあるんですよ。んで合わない人がやると痛々しくて見てられない、リスクの大きい芸風なんですね。
いとうあさこはアタシが思うに明らかに合わない方に入っていました。

彼女は、今はただのおばちゃんですが、昔は不細工かといえばそこまでじゃないし、かといって可愛いにはどう考えても転ばない。じゃ普通なのか、といわれればそれも違う、なんとも微妙な顔立ちで、しかもその微妙さが魅力になってない。
だからこそ開き直り芸に走ったのでしょうが、これも自発的なものとは思えず、これまた推測ですが、誰かにもっと開き直ってやれといわれたのを生真面目に受け取って、ああいう芸風をやってるように見えたんです。

アタシも彼女のことはすっかり忘れていて、去年くらいからテレビを再び見るようになると、いとうあさこもここ数年注目されるようになってたみたいで、いくつかの番組で目にするようになったんですけど、まあバラエティはまだ見ていられるんですが、ネタ番組でネタをやってるのを見ると、やっぱり痛々しい。にも関わらず、受け入れられてるんですね。
芸としては若干こなれてきてるのですが年をとった分相殺されてますし、しかししいて理由をあげるなら、微妙な顔立ちからただのおばちゃん顔になった、これくらいしかブレイクした理由が見当たらない。
いや、仮にそういう理由だったとしても、まだまだ全然痛々しいと思うのですがね。

2011年5月18日水曜日

DraftPadも推すよ

藪似です。またしてもiPhoneアプリのことを。

以前紹介した「SiteViewer」は有料ですが、ニュースサイトやブログを巡回されている方には誰にでもオススメできるアプリなのですが、今回のは無料ですが、誰にでもオススメできるわけじゃない。というのも非常にクセの強いアプリだからです。
iPhoneを使いだして、意外といいテキストエディタがないのに気づきました。無料有料合わせて結構あるのですが、たとえばDropboxやEvernote、あとメールとの連携を考えた場合、どれも中途半端に感じたんですね。
しばらくはPlainTextというアプリを使っていたのですが、バージョンアップで広告が入るようになり、いや無料だったので広告は別にいいんですけど、書いている途中でカーソルが先頭に戻るという致命的な不具合がでてきました。
PlainTextがよかったのはDropboxと完全にシンクできるところで、iPhoneで書いたテキストをMacやWindowsで清書したりできることだったんですけど、こんな不具合があったらとてもじゃないけどメインでは使えません。
次に試したのがこれまた無料の下書きメモというアプリでして、書いたテキストをメールで簡単に飛ばせるのでブログの更新に使えると思ったんです。
が、これも、理由はさっぱりわかりませんが、何度か書いたテキストが消えるというこれまた致命的な欠点があり、メインから外さざるをえなくなりました。

そこで偶然発見したのが「DraftPad」というアプリです。これはいわゆるテキストエディタではなく、メモアプリに相当するものです。ですからテキストを書いて保存して、また新規にテキストを書く、という今までのやり方が通用しない。つまりファイルごとに管理できないのです。
ただし履歴という概念があり、テキストを復元することはできます。正直あまり慣れないというか使いやすい方式ではないのですが、元々がメモアプリなので、まあ致し方ない。最近はだいぶ慣れてきましたし。
それでも使いやすいとはいえないには違いなく、それでも猛烈にプッシュする理由は連携がハンパじゃないのです。

DraftPadはプラグインというか、URLスキームを複数登録しておいて、都度呼び出せる、これが唯一にして最大の魅力なんです。
たとえばブログを更新する時も、メールでブログを投稿し、同時にEvernoteにバックアップを送る、なんてこともできてしまいます。またサクッとツイートを投稿することなんかもできる。検索して結果をSafari以外のブラウザ(iCabMibileなど)で開くこともできるし、住所からマップを開くこともできる。
とにかく文字入力を起点にすることなら、やろうと思ったら本当にいろんなことができてしまうのです。

だけれども本当に自分仕様にしようと思うならURLスキームが何たるかくらいの知識は必要なので、ガラケーしか使ったことがない人にはやはり少し難しいかもしれません。
てなわけでいろんな面でオススメと簡単に言い切れないアプリですが、個人的にはすでになくてはならないアプリになりつつあります。

2011年5月15日日曜日

カメラの取説

藪似です。昔一時期カメラマンの真似事をしていたことがあります。
といってもかなり純粋なアルバイトとしてで、本気でカメラマンを志したことは一度もありません。
それどころかカメラが趣味だった頃すら一度もないんです。

普通なら「そんな自分が今はカメラにハマっていま〜す」となるところなんですけど、今も別にそんなに好きじゃない。にも関わらず、今、家にカメラが5台あるのですね。
うち買ったのは2台だけです。
ひとつはペンタックスのオートハーフ。これは知り合いの女性にカメラがほしいから調べてほしいといわれて、始めはその子にプレゼントするつもりで、見栄え重視で探していた時、あまりのかっこよさにプレゼントをやめて自分のものにしてしまった、そういうエピソード付きのやつです。
もう一台は「そこそこちゃんとした撮影が必要だった」時に買ったキヤノンデジタルKissX3。
んで後は全部親戚の叔父さんにもらったものです。

叔父は昔からカメラが趣味で、非常に詳しい。そしてアタシは先ほど述べた通り、カメラマンの真似事をしていたので好きじゃないくせにそれなりの知識だけはある。んでカメラの話をいろいろするうちに、いろいろ頂いた、というわけです。
頂き物はすべてデジタルではなくフィルムカメラです。が、何度もいうように、たいしてカメラが好きでないアタシが今の時代にフィルムを使うというのは相当億劫なんですよ。もちろん使い方とかはわかるんですが、フィルムである以上現像に出さなきゃいけないわけで、一枚確認したいだけでも金がかかるわけでして。結局ここんとこずーっとケータイというかスマフォのカメラを使ってるというわけです。
今メインで使ってるiPhoneのカメラはそこそこ綺麗に写るからね。蛍光灯下では青カビが出るとかいわれてるけど、そもそも室内ではあんまり撮らないし、そんなクオリティのいる写真が必要なこともないしね。

が、が、ですよ。せっかく頂き物のカメラが手元にあるわけでして、しかもこれがどれもそれなりに値が張るシロモノなんですよ。そういうのを死蔵させておくのはさすがにもったいない。
そんなわけで「趣味:写真」といえるくらい撮っていこうか思案中です。
問題はアタシの腰が非常に悪いこと。だからなるべく手ぶらに近い状態で出かけるようにしてるんだよね。そこにあの重たいカメラ、ボディは当然としてレンズも複数持ち歩かなきゃ趣味とはいえないしな。どうすんべかなぁ。

2011年5月10日火曜日

SiteViewerを推すよ

藪似です。今回はiPhoneアプリのことでも。

以前書いた通り、アタシはずっとWindowsMobile系を使ってきました。そして実際WindowsMobileからiPhoneに乗り換えるにあたってネックがいろいろありまして、ひとつはMortScriptを使ったスクリプト書き。この手のアプリはAppStoreでは許可されないし、iOSの出来がいいので、まあ使えなくても困らないのです。
が、もうひとつのアタシにとってのキラーアプリである「2++」は代替を見つけないとどうしようもない、それくらい利用頻度が高かったのです。

WindowsMobile用アプリ「2++」は簡単にいえば2ちゃんねる専用ブラウザなのですが、実態は専ブラではなく非常に応用の効く万能アプリです。
2ちゃんねるは当然ですが、RSSリーダとしての能力が高く、アタシはほぼこれでニュースサイトと各種ブログの巡回をしていました。しかもオフラインで読むのに適しており、朝出かける前に巡回しておいて電車でオフラインで読む、という使い方をずっとしていました。
ずっとってどれくらいかといえば、つらつら考えてみるに何と8年!いわばここ8年の生活習慣ですらあったわけです。
iPhoneに変えたからといって簡単に習慣を変えれるはずもなく、ずっと代替アプリを探していたのですが、これが見事にいいアプリがない。
さすがに2ちゃんねるに関しては専ブラ(BB2C)を使うとして、いいRSSリーダを探していたのですが、iPhoneアプリのRSSリーダってほぼGoogleリーダ経由なんですよ。これが非常に使いづらい。
GoogleリーダというのはRSSの更新結果をリアルタイムで反映してくれないので、どうしても情報が古くなる。しかもサイトの登録が非常に面倒くさい。実際にGoogleリーダ経由のRSSリーダをいろいろ試したのですが、どれも不満が残るものばかりでした。
アタシが求めていたのはGoogleリーダを経由しない、そして巡回しておいて後でオフラインで読める、この二点だったのですが、散々試した結果たどり着いたのが「SiteViewer」だったんです。
SiteViewerは無料ではなくプラグイン形式で機能を購入しなければならず、ちゃんと使おうとすれば500円以上かかりますし、はっきりいって評判も聞きません。(評判が悪いというより話題にすらあまり上らない)
でもこれはよくできてますよ。フィードの登録も簡単だし、うまく取得できない場合でもまるごとRSSを噛ませば大抵取得できます。
さてWindowsMobile用の2++との比較ですが、RSSリーダとして見た場合、上回っているところも多い。特に画像もキャッシュしてくれるので、テキストだけしかキャッシュしない2++よりも活用範囲が広がりました。画像も一緒に見ないと意味がないサイトも結構あるからね。

ひとつだけ注文をいうなら、リンクをSafariで開けるようにしてほしい。Safariで開くオプションはあるんだけど、見ているページをそのまま開くだけだから。できればOpen In(さらに欲をいばURLスキーム)に対応してくれたら最高なんだけどね。

2011年5月8日日曜日

ジジィはすっこんでろ

藪似です。この頃街中に繰り出すことが億劫になったといいますか、あんまり積極的に行こうとは思わなくなりました。

でもそうはいっても行かなきゃいけないこともあるんですけど、行ったら行ったでわりとすんなり溶け込めるというか、自分が今街中にいるということに違和感は感じないのですね。
つーか感じなさすぎだろと。もうアタシは不惑はとっくに超えた惑いまくりのオッサンなのに、たとえば渋谷とか若い人が多い街で違和感がない方がオカシイはずなのに、です。
何故だろう、と考えるまでもありませんでした。若い人の服装がここ10年ほどほとんど変わってないんですよね。
若い人のファッションの変化を感じ取れないのはお前がオッサンだからだろ、まあそういう意見もあるでしょう。しかしちょっと変わってなさすぎる気がするのですよ。

アタシが高校生の頃というと1980年代の半ばですが、その時代のファッションが大嫌いだったんですよ。特におニャン子クラブが着ていたセーラーズのトレーナーとか吐き気がするほど嫌いでした。
ではそんなアタシが当時ハマっていたのが「俺たちの旅」という中村雅俊主演ドラマの再放送で、本放送が1975年。当時からみて約10年ほど前の作品です。
アタシが高二だった1985年、そして「俺たちの旅」の頃の1975年。どっちがいいとかそんなことじゃなくて、おそらく今の時代の若い人が見てもはっきり違いがわかるはずですなんですよ。

そして現在、つまり2011年ですね。それと今から10年前の2001年、このふたつの象徴的な風俗光景の映像を見比べてわかるでしょうか。
いや、わかるといえばわかるのですよ。まだ当時はガングロとかいましたし。
でもそれが「なくなった」だけで、何か新しいムーブメントがあるかといえば、ない。小規模で流行ってるものは当然あるんだろうけど、田舎のじいさんでも知ってるような流行は絶対ないですよね。
よくいえば時代が落ち着いてきたといえるのかもしれない。でもただ停滞してるだけなんじゃないの?と思ってしまうのです。
別に服装に限った話じゃなく、ま、一応アタシはデザイン関係のことをやらせてもらってるわけですが、10年前と世間が求めるデザインのニーズがまったく変わっていない。
それだけじゃない。音楽もカバーか二番煎じみたいなのばっかりだしね。

なんちゅーか、自称良識派の大人が眉をひそめるようなのがね、ないんですよ。一応大人の年齢になったアタシからしても、あまりにも保守的であり、あまりにも物分りが良すぎる。
こないだイギリスにいって、あそこはすべてが枯れた文化ですからね。あれはあれでカッコいい。でも日本とアメリカはそれじゃダメでしょ。新しくてナンボ、過去を否定してナンボで成長してきた国なんだから、若い人には過去をもっと否定してもらわないとダメだと思うんですよ。

すっこんでろジジィ

そういってほしいんですよね。いや、にちゃんではお目にかかれますが、口でいうんじゃなくて流行としてみせてほしいのですが。

2011年5月7日土曜日

違いのわからない男

藪似です。みなさんのリラックスの仕方ってどんなのでしょうか。
アタシは何といってもコーヒーを飲むことです。いやはや本当にコーヒーというのは凄い飲み物です。
口に入れるモノの「良い」という基準は、まあ安全とか身体にいいとかは別次元として、普通は「旨いか否か」にあると思うのですが、コーヒーに関してはそれが当てはまらない気がするのはアタシだけでしょうか。

思えば子供の頃は、コーヒーのどこが旨いんだとずっと思ってました。大人になってからも本当は甘いのが苦手なはずなのにミルクと砂糖をどっさり入れて飲む、まあいやコーヒー本来の持つ味を殺そうと殺そうと飲んでいたわけです。
それが何時の間にか、コーヒーはストレートで飲まないと意味がないと思えてしまったのです。
もしかしたら今でも、コーヒーの味そのものはそんなに好きじゃないのかもしれない。たぶんコーヒーのどこが旨いの?と聞かれても上手く答えられないでしょう。
好きでもなければ旨いとも思えないコーヒーがアタシにとって必要不可欠なものなのは、とんでもないリラックス効果を得られるからでして。
タバコもそうなのです。しかしタバコとコーヒーならコーヒーの方がパワーがある気がする。まあ「良い」コーヒーに限りますけど。
良いコーヒーとは「リラクシー効果が高いコーヒー」と言い換えることもできるわけでして。
一般的に旨いといわれている豆は、やっぱりリラックス効果が高い気がするし。

あとシチュエーションも大きい。クタクタに疲れてる時、特に精神的なダメージの大きい後のコーヒーほど効果が高いものはない。これに関しては缶コーヒーでも全然いいのです。だってコーヒーを飲む時、味を求めてるわけじゃないからね。まさに生き返る、というヤツです。

とここまで書いて思ったんですけど、誰かがいった通りコーヒーは麻薬と一緒ですね。もちろん本物の麻薬を愛用、愛用とか書くと誤解されるな、一度も使用したことはないですが、かなり近いものがある気がします。麻薬に味を求めるヤツはいないでしょ?

アタシは喫煙者だからはっきり言い切れる。絶対タバコよりコーヒーの方が中毒になる可能性が高い。タバコは吸う場所がなければ、まあ諦められるのですよ。でもコーヒーは一旦飲みたい!となったら諦めがつかない。

海外にいって長時間のフライトの最中、タバコは我慢できてもコーヒーは無理ですもん。
フライト中だけじゃない。イギリスで英語がまったく喋れないアタシが、極簡単とはいえ初めて店員とやりとりが必要な店舗に入ったのもカフェでした。
それもこれも、もう絶対今すぐコーヒーが飲みたい、多少コミュニケーションが上手くいかなくてもボディーランゲージでも何でも使って絶対注文してやる!とね。
なんと恐ろしやコーヒーの魔力。と思いながら今日もコーヒーを飲んで書いておる次第です。