2011年10月30日日曜日

魔法使いのいない世界

スティーブ・ジョブズが逝去しました。
最近ようやく落ち着いてきた感はありますが、直後は追悼ツイート(ありゃ、駄洒落になってしまった)が溢れてました。
アタシはジョブズがCEOの退任を発表した時にツイートしたのでもう改めて何か書かなくていいと思ってたのですが、やはりこの人には思い入れがある。
ジョブズの人生のハイライトは、初代iMacの発表の時だったんじゃないかと。いや、アタシが勝手に思ってるだけで、同意してくれる人は少ないだろうけど。

かつてアタシはマイコン少年でした、てな話は以前書いたので割愛しますが、それからしばらく完全にパソコンから離れていたんですね。
ところが某社に入社して、何だかわからないうちにDTPなるものを覚えさせられて、当時は、今もですが、DTPといえばMacだったわけで。
しかし当時、もうMacはダメだろ、みたいな空気が支配的でして。
もしかしたらWindowsでDTPをやらなきゃいけないかもしれない、と。
その空気を一変させたのがiMacだったんです。

アタシがいた会社は、G3機は一台もなく、一応「高性能機」で通っていたマシンでさえ、かろうじてレベルのPowerPC。どころか68KMacすら現役で頑張っていたわけです。
そんな中、G3を搭載し、当時としては安価だったiMacは画期的でした。むろんフロッピーすらないマシンを会社で導入する、なんて話は浮上しませんでしたが、もしかしたらMacが蘇るかもしれない、そう強く予感させるには十分でした。

ジョブズはその後も、いや、iMacは序章に過ぎなかったわけで、後々とんでもなくインパクトのある製品を次々に発表していくわけですが、空気を一変させたという意味においてiMac発表時のインパクトは最強だったと思うのですよ。

一度追い出されたAppleに復帰して、しかし返り咲いたAppleは売り上げでも将来性でも地に落ちていました。
実際iMacにはものすごい新技術が搭載されていたわけではない。むしろ古いインターフェイスをバッサリ切り捨てただけ。
ところがそんな目新しさのない中身を、画期的なデザインと、(あくまで当時とすれば)画期的な値段で、とんでもないものに仕立てあげた。
切り口を変えれば、画期的でなくても画期的に「見せる」ことはできる、これは元任天堂の横井軍平氏の「枯れた技術の水平思考」に通ずるものがあります。

ジョブズは「魔法」という言葉にものすごくこだわっていたんじゃないでしょうか。「まるで魔法のようだ」が最高の褒め言葉だったんじゃないかと。
むろん本当の魔法じゃない。今ある技術をもってして、いかに魔法のように見せるか、それに命をかけていた気がします。

おそらくWindowsユーザーは、そしてマイクロソフトや関連メーカーも、最も望んでいるのは高性能や安定性でしょう。
ジョブズに高性能や安定性の志向がないわけじゃない。でもそれだけじゃ気に食わない。
「魔法のような」高性能だったり、「魔法のような」安定性でないとダメなんですね。(この辺は成功したともいえるし失敗したともいえる)
テレビでiPadを使って手品をやる、なんて人を見たことがありますが、ある意味非常にジョブズの志向を具現化した芸ですよね。

ジョブズ亡き後のAppleがどうなるかの話題は尽きませんが、新たなカテゴリの商品を創る際、Appleの幹部に「それはまるで魔法に見えるのか」を基準にすれば大丈夫な気がします。

スティーブ・ジョブズ、あなたにひとつだけ肩書をつけるなら、技術者でもプロダクトデザイナーでもなく、最も相応しいのは「魔法使い」です。
ホンモノの魔法じゃない。でもホンモノの魔法と同じくらい人々に夢を与えたあなたには魔法使い以外の肩書はないと思うのです。

2011年10月29日土曜日

大洋がいっぱい巨人が二敗

Youtubeにね、1976年の大洋対阪神戦のラジオ中継がアップされてて。
いやー、これはすごい。1976年といえばちょうどアタシが野球という摩訶不思議なスポーツを見始めた頃でして、そういえば「1976年のプロ野球について徹底的に調べて書きたい」とかいってたんですよね。いまだに実現できていませんが。

さてさて
エントリタイトルはアラン・ドロン主演の映画タイトルのモジリです。こういうダジャレが昔流行ったんですな。
てなわけで、今回は野球の話でも阪神の話ではなく大洋→横浜ベイスターズについて書きます。
まあ何かとタイムリーだし。

先のYoutubeのラジオ中継の試合、4番を打ってるのは松原誠という選手で、2000本安打を打った大打者です。
他にも当時まだ若手で後に首位打者を獲得する長崎や、ライオン丸の愛称で親しまれたシピンなんかがスタメンで出てるのですが、これらの選手は晩年トレードに出されてるのですよ。
この後も、屋敷や高木豊、石井琢郎、波留、多村、佐伯といった中心選手がトレードに出されていますし、谷繁や相川といった捕手、さらに内川がFAで移籍し、今また村田の去就が注目されています。
現役の最後まで同球団に在籍したのは、古くは秋山登や平松、おそらく三浦大輔もそうなるのでしょうが、投手ばかりです。野手となると二年連続で首位打者を獲った鈴木尚典くらいしか思いつきません。

今年筒香が出てきたように、横浜は伝統的に野手は育つのですよ。だから野手の新陳代謝はしやすいとはいえる。
しかし、まあFAはともかく、いくら晩年とはいえ主力野手が片っ端からトレードされるのはどういうわけでしょう。

横浜ファンのブログや某巨大掲示板を見ると「チームのガン探し」に躍起です。たしかに練習態度その他でチームに悪影響を及ぼしている主力選手が絶対いないとはいいません。実際暗黒時代を形成するのはそういう選手です。
しかし「相川がいなくなったから投手力が上がる」とか考えるのは、いくらなんでも、で、相川が入ったヤクルトのチーム力は明らかに安定しましたし。

何でもかんでもフロントのせいにするのもね。まあやたらファミリームードだったといわれる大洋漁業所有時代もアレだし、全然やる気ないくせにやたら首を突っ込んでくるTBSもね。その辺はモバゲーになっても劇的に解消されないと思います。

何というか、ベイスターズの野球、てなもんがないんですよ、伝統的にね。
ずっと投手力が弱く、打線は打つけどやたら大味。それがハマればいいんだけど、ハマったのなんて過去に一年しかない。(1960年の優勝はちょっと違う)
それもこれも主力野手が晩年にトレードに出されるというのが効いてるんじゃないかと。

松原も高木豊も石井琢郎も、いわゆる「うるさ型」だったといいます。つまり少しでもチームをよくしようとしてフロントとやりやった。ところがそんなチーム愛がフロントから煙たがられて放出される。この繰り返しなんですよ。
そんなんだから「過去から学習した」選手はフロントに何もいわなくなるだけならまだしも、チーム全体に興味を示さなくなる。挙句FAでさっさと逃げ出してしまうんです。
何もベテランを重用しろってんじゃないんです。たとえベンチでも、たとえ二軍でも、本当にチーム全体を考えるベテランがいるといないでは大違いですよ。彼らの存在で厳しいムードが形成され、伝統が作られていくんだから。

アタシは横浜ファンは本当に気の毒だなあと思ってます。それは現在横浜在住だからなおさらです。
この先、若手選手の成長といった楽しみはあるでしょう。(この辺は逆に阪神ファンはあんまりない)
でもね、チーム力が劇的に改善される、という可能性は、たとえ親会社が代わろうとも皆無に等しい。ひたすら50年に一度あるかないかの大爆発を待つしかないわけで。これは辛いです。

ひとつだけいえるのは、今年指揮をとった尾花や、過去にも古葉や森といった実務派の人が監督をやりましたが、これは人選ミスです。こういうチームの監督は、権藤のようなイケイケドンドンの人の方が相応しい。
どうせ大味なんだから緻密にやろうとかしたら持ち味を殺すだけ。采配云々ではなく、とにかく楽しく全力でプレーさせる監督の方がいい。
となると野村とか絶対ダメ。候補を上げるならボビー・バレンタインとか。
そういう意味では、名前があがってる新庄なんかかなりいい線だと思うのですがね。

2011年10月25日火曜日

ギャグ漫画に最終回は必要か

いやね、もし「ギャグ漫画に最終回はいるのかいらないのか、今すぐ答えないと殺すぞ」と迫られたら、もう「いらない」と答えるしかないのですが、ちゃんと考えたら結構複雑な気がしてね。

最終回とは、つまり大団円的な内容が最後に必要かってことでして。以前「聖おにいさん」について触れたエントリで「ギャグ漫画の場合は無限に続けられる方がベストだと思う」てなことを書きました。
前言撤回するつもりはさらさらない。「聖おにいさん」のような純粋ギャグ漫画なら、間違いなくそうなのです、と思っておるのです。
「天才バカボン」もね、ギャグとしての最終回はあるけど、アニメの第一作のような大団円最終回は存在しない。大団円がないから、時系列関係なく、またいつでも続きを始めることができる。
もしギャグ漫画で大団円的最終回をやるなら、もう「ガキデカ」方式というか、ああいうメタフィクションしかないと思うのですね。

しかしですね
ギャグ漫画として始めたものの、途中で路線が変わった漫画はどうなんだ、となるわけでして。
具体的にいえば「うる星やつら」あたりです。
「うる星やつら」は、元々短期集中連載として描かれ、本格連載になってもしばらくはギャグ漫画志向で進められました。が、長く連載を続けるにしたがってラブコメの要素が強くなっていきます。
完全に想像だけど、作者として結構面倒くさいことだったんじゃないかなあ。
だって、何度もいいますが初期はギャグ漫画だったわけです。つまり話の展開や設定はすべてギャグのために存在したといっても過言ではないわけです。
ところがラブコメとなると話が違う。整合性てもんがある程度必要になる。自らの意思でめちゃくちゃに突散らかしたものをキチンと整理しなきゃいけない。これは面倒ですよ。

初期の設定では将来あたるとしのぶが結婚して「こける」という子供ができることになっていたのですが、もしラブコメになることを想定していたら、こんなネタは絶対やらなかったでしょう。ましてや「こける」なんてフザケタ名前にはしなかったはずです。
もうこれだけで、後先考えずギャグ優先で描いてたと言い切れます。
結局終盤になって「こける問題」←こんな言い方しないけど、も無理矢理収拾をつける話がでてきます。タイムパラドックスといえば聞こえはいいけどね。

ギャグ漫画で整合性をとる、というのはかくも難しいことなんです。「聖おにいさん」みたいに異様に整合性がとりやすい設定ならともかく、つか整合性を考えてたらギャグなんて作れないと思うのですよ。
バカボンのパパなんて何人もの人を殺してると思ってるんですか。あんなの整合性なんてとれるわけないでしょ。

とはいえ「うる星やつら」の場合、やっぱり大団円が必要だったとも思うわけで。面倒だっと思うけどね。

2011年10月22日土曜日

中島みゆきのこと(再録)

えと、今回はyabuniramiJAPANリターンズでお茶を濁します。
いろいろ過去ログを読み返してみて、思ったよりつまらなかったことは多々なんですが、逆は意外とないもんで。そんなもんだよチミ。
そんな中で例外中の例年とまではいきませんが、予想外に良く書けてたのが今回のやつです。つかこんなのを書いたことすら憶えてなかった。
ま、中島みゆきといえば「南極大陸」のテーマを歌ってるわけで微妙にタイムリーなんじゃないかと。

このエントリは元々三回に分けて書いてありました。異様に長いのはそのせいです。
また前フリも本ネタとリンクしているのでカットしていません。
それでは時計の針を2004年10月19日に巻き戻します。




アタシは去年(※現注:2003年)まで東京に住んでいたんだけど、関西人として想像していたのと違う部分がかなりありました。

たとえば東京って意外と緑が多いんですよ。といっても人工的な緑なんですが。つまり公園が、それもやけに大きい公園が多いんですよね。でもそれだけでもだいぶ違うというか。大阪とか大きめの公園って大阪城公園か長居公園ぐらいしか思いつかないし。
あとけっこう静か。そりゃ繁華街は半端じゃないですけど、一歩路地に入るとけっこう静かなんですよね。特に住宅地の静かさはそこらへんの田舎よりよほど静かです。
人間的にも人情的な人も多いし。
ただ街中はね。特に新宿とかのターミナル駅なんかを見ていると、人間が全員心のないマネキンみたいに見えますもん。ちょっとしたいざこざがあってもみんな気に留める様子もないし。

当時の会社の同僚がそんな光景をみて「なんか中島みゆきの歌みたいですね」といったのをよくおぼえています。中島みゆきの歌というのは『ファイト!』のことで、例の、ホームで子供を突き飛ばす、といった歌詞のくだりをさしてるんだけれど。

てなわけで中島みゆきの話を。

アタシは中島みゆきの濃いファンじゃないし、『夜会』はおろか、ふつうのコンサートもいったこともない。でも好きなんです。引かれることが多いんであんまり人にはいわないんだけど。

一般に中島みゆきといえば<失恋>というキーワードで語られることが多いと思うのですが、ライトな中島ファンからいわせてもらえれば、けっこう街を丁寧に描いているんですよ。正確にいえば街での生活ってことですね。

実際に東京に住んでみてね、ホントに中島みゆきの歌詞の世界の中にいるんだなぁって痛感したことが多々ありました。なんというか、全然知らない他人と街ですれ違う感覚がまさに中島みゆきの歌詞そのものなんです。うーん、わかりにくいですかね。ま、一度でも東京に住んだことがある方なら、なんとなくニュアンスがわかってもらえるじゃないかと思いますが。

でもこれ、東京に限った話じゃないんです。

アタシは東京に住む前、3年ほど福岡に住んでいたんだけど、まったく同じような感覚に陥ったことがあってね。
さきの『ファイト!』の中に、あきらかに北部九州での光景が描かれているんだけど、これがアタシが実際に福岡に住んでみて感じた福岡の人間像に非常に近いのです。もちろん歌詞の中にあるような街や家族を知ってるわけじゃないですが、ああこういうことが本当にあってもこの辺なら全然不思議じゃないなと。

『ファイト!』をはじめて聴いた時、なんかすごく懐かしい感覚に襲われたのを憶えています。アタシは昭和43年生まれなんだけど、あのかすかにおぼえている1970年代の香りね。それをすごく感じたのですよ。

当時の中学生はまだ深夜ラジオを聴きながら勉強をするという習慣が残っていて、アタシも勉強はしないまでもポケットラジオで『ヤングタウン』なんかを聴いていました。アタシが中学生の頃はすでに1980年代に入っていたわけだけど、それでもそういう<中学生が深夜ラジオ>というキーワード自体が1970年代なわけで『ファイト!』なんかはそういう感覚をものすごく捉えている。だからなつかしく感じたんです。

で、さらに後から調べてみると『ファイト!』て1980年代に入ってからつくられた曲なんですね。でも、そうとわかった今だからこそ、『ファイト!』は1970年代の象徴の集大成じゃないかと。
アタシの大好きな『俺たちの旅』とかね、ああいうネクラな時代の象徴。いわばバンカラ学生から、イジイジした<やさしさ>ぐらいしかセールスポイントのないネクラ学生が主役を奪い取った時代。

アタシは1960年代オタだけど、1970年代にもそれなりに味がある時代ですよ。で、どんな味だったかといえば、『ファイト!』の詩に集約されている気がするんです。あの世界こそアタシの思い浮かべる1970年代の空気なんです。

なんだか『ファイト!』の話ばかりになりましたが、アタシが中島みゆきの本当の魅力に気づいたのはさらに後、『聖者の行進』(1998 TBS)の主題歌『命の別名 』のアルバムバージョンを聴いた時なんです。
『命の別名』はドラマの主題歌になったので、そこそこ知名度のある曲だと思います。まぁいつものように、いつのまにかメインのラインかのごとくなってしまったセルフパロディっぽいやつだな、ぐらいの認識だったんですけど、ある事がきっかけで、これのアルバム・バージョンを聴いたんです。

そしたらね、もう全然違うんです。シングル・バージョンと。もうギャグのように大袈裟に歌ってる。なんじゃこりゃと。もう笑った笑った。ありえないよと。ここまで自分の曲を茶化すもんかよと。

それに気づいてからいろんな曲を聴くとこれがすごいんです。もうあちこちにギャグが隠れている。なんちゅう高等なコミックソングやと。

中島みゆきといえば深夜ラジオのパーソナリティ、というイメージの人もいまだに多いんじゃないでしょうか。それくらい強烈なキャラクターだったみたいで。まぁアタシは年代がズレているので直に聴いたことはないのですが、もう異常といってもいいぐらい躁状態で番組が進行していったそうです。

でも実際は≪暗い曲の代表≫みたいなのばっかり作ってて。まさに躁鬱ですよね。でもね、きっとこの人、そうやって他人にギャップをみせつけることを楽しみにしてたんじゃないだろうかと。

泣き節を歌い、躁状態でラジオのパーソナリティをし、ギャグとしか思えない莫迦みたいな歌唱をする。これは歌手というより一種の芸人ですよ。

ホントにね、曲によって歌い方完全に変えてるからね。まるでなんかの登場人物になりきって歌ってる。

莫迦な女。けなげな女。恨み節の強い女。自己主張の強い女。・・・・

これって昨今の芸人でいえば、まさに友近じゃないですか。なんか表現方法が歌かひとり芝居かの違いしかないようにすら感じる。なにより鑑賞していると、なんかわからん変な笑いが渦巻いているところなんか本当にそっくりですよ。

ということで、これから友近を≪芸人版・中島みゆき≫と呼びたいと思います。同時に中島みゆきを≪歌手版・友近≫とも呼びます。もうそう決めた。




実際はもうちょっと続きがあるのですが、あまりにもつまらないボケなのでカットしました。

このエントリを書いてから5年半後に「ひとり」という中島みゆきの楽曲について書いてます。
合わせてお読みいただけると、また違った味わいがあるんじゃないかと。多少内容が重複してますけどね。

2011年10月19日水曜日

notグレートパワー

阪神のBクラス、そして真弓明信監督の退任が決まりました。まあ結果がすべての世界なのでしょうがない。
しかしクレイグ・ブラゼル内野手とジェイソン・スタンリッジ投手の去就が未定というのは、どうにも納得できないというか。
監督が代わるわけですから、新監督の意向次第、というのは、まあわからんではないのですが、今年の内容を見るにクビにする理由はさしてない、と思うのですよ。

ブラゼルはここまで15本塁打。物足りない数字です。が、アタシはずっとヒッティングマーチで歌われるような「グレートパワー」タイプの選手ではないと思っていました。
たとえばヤクルトのバレンティンや全盛期のカブレラなんかは、まさしく「グレートパワー」ヒッターです。ブラゼルは体型的に勘違いされやすい。しかも選球眼が悪いので余計そう思われがちなのですが、パワーでスタンドまで持っていくタイプではなく、バットコントロールとミートが上手く、しっかりスイングできて、なおかつ角度がつけばホームラン、みたいな選手です。バレンティンやカブレラみたいに「当たり損ねがホームラン」はまずないのです。こういうタイプはボールの反発力に左右されやすい。
そしてあまり言われてないことですが、今年からセとパの審判組織が統合された影響でしょうか、去年よりあきらかにストライクゾーンが広くなっています。
ブラゼルといえば毎年三振数でトップを争っていたのですが、今年はベストテン(じゃないか、ワーストか)にも入ってない。つまりストライクゾーンが広くなったので例年より「当てる」打撃になり、しっかりスイングすることができなくなってしまいました。
たまにしっかりスイングできても低反発球の影響で打球が失速する、という悪いスパイラルに入ってしまいました。

それでもここ最近の打撃を見てると、新ストライクゾーンと低反発球への対応ができるようになってきて、ホームランの打ち方がわかってきた感じがするのです。
加えて今年は去年に比べて膝の状態が悪かった。膝の状態はモロに飛距離に影響するのですが、膝の状態をキープできれば、去年並とまではいかなくても30本塁打は期待できる選手です。
そして目立たないけど、セの外国人の中でもマートンに次ぐ打率なんですよねえ。

一方スタンリッジは、潜在能力は非常に高いのですが、どうもコンディション管理が下手な気がします。
二ヶ月連続で月間MVPを獲りながら9勝止まりという、いい時期はすこぶるいい。悪い時はとことんダメ。スタンリッジのいい部分と悪い部分が如実にわかります。
この辺はコーチの指導次第で改善できるのではないでしょうか。

ふたりとも来季の阪神には絶対必要な戦力です。特にブラゼルはここ数年で一番応援している選手だからね。
アタシがブラゼルを応援し、残留を熱望するのは理由があります。
それは彼の懸命さです。
一度マズイ走塁をして首脳陣からこっ酷く怒られたらしいですが、それ以降は膝が悪いにも関わらず懸命なプレーを続けています。
余談だけどマートンの方が守備・走塁ともに懸命さが感じられないのは悲しいです。

いや、マートンがいらないとか言ってんじゃないですよ。もちろんマートンも絶対必要な選手。でもブラゼルも絶対必要だと思うんだけどなあ。

2011年10月15日土曜日

傘がない

傘がない、といっても井上陽水の曲のことじゃない。本当に今、家に傘がないのです。
だからといって合羽を持ってるのかといえばさにあらず。雨具という雨具を持っていないのは困ったもんでして。

過去には持ってた。当たり前ですが。つかつい最近まで持ってたのですが、早い話が忘れてきたのです。どこに忘れたかはなんとなく憶えているのですが、気がついた時には雨が止んでた上、安物の傘だったので、まあいいかと。

いやね、傘っていったいいくらくらいのシロモノを買えばいいんでしょうか。この年になっても答えが見つからないのですわ、ええ。
正直マンを超える傘を買ったとして、そんないい傘なら絶対忘れたりしないよ、なんて自信は絶対にない。かといって100均の傘なら確実に、まあいいかモードになる自信がある。
それに、ほれ、こないだの台風の時の映像とか見てたら、ビニールの部分はとっくにどっかに飛んでいってて、必死で骨の部分だけ握りしめてるサラリーマンのね、ああいうのを見ると、やっぱり安物はダメだと。

そもそも傘を忘れる、というのは、雨が止んでる時ですよね。だったら折り畳みにすればいいんじゃね?
皆までいうな。わかっております。だからアタシも基本的には代々折り畳みを愛用しておったのです。
ところが折り畳みもやっぱりなくなるのです。どこでって?わかっているでしょオヤジさん。もちろん家の中でですよ。
おそらく家の中をひっかきまわしたら、2本や3本の折り畳みは出てくるでしょうよ。しかし出かける時はいつもギリギリなので、探してる余裕がない。つまり探すチャンスは永久に訪れないわけです。

さあ出かけるぞ。でも雨降ってるよな。いや大丈夫、これくらいの雨なら傘とかいらないよな。少々濡れたところでたかがしれてる。それよりもし傘があったとしても止んだ時邪魔になるだけだしな。あー、傘なんてなくてもよかったんだ。

と無茶苦茶な思い込みをして出かけるわけですよ。
てなわけで、雨も止んだし、だいぶ服も乾いてきたし、風邪ひきそうなんで家に帰ります。

2011年10月13日木曜日

関西人と納豆の話(再録)

えと、宣言通り「yabuniramiJAPANリターンズ」として、過去に書いたエントリの中からの再録をしたいと思います。
せっかくなんで、アタシがyabuniramiJAPANで書いた中で最もお気に入りのエントリから始めたいなと。但し前フリはカットしています。(この日の前フリは福岡での地震に関してでした)
なお現在の視点から補足がある場合は「※現注」として追記しています。
というわけで時計の針を2005年3月21日に戻します。




ふと気になったんですけど、「関西人=納豆嫌い」なんて、誰が言い始めたんでしょうかね。
というのも、アタシの周りの友人・知人、もちろん関西人に限ってなんですけど、みんな納豆が好きなんですよね。少なくとも「納豆?あんなん人間の食うもんちゃうで!」みたいな人はひとりもいません。
アタシのミニマムな交友関係ですべてを語るのは無理があるのですが、それでもやっぱり「本当に関西人は納豆が嫌いなのか」という疑念は拭い去れないんですね。

関西人が納豆が嫌いといわれる所以はいろいろ云われていますが、アタシが以前テレビでみたのは「その昔、納豆は足が早いので、関東から広まらなかった」ってのです。<納豆>が<足が早い>ってのはおかしいな。風味が損なわれるとかだったのかもしれません。
が、この仮説はちょっと無理がある。おもに<納豆嫌い>と語られるのは関西人だけです。そしてこれはテレビで関西の芸人が大挙に出る前からいわれています。
もし「関東から広ま」りにくかったとして、それなら関西以西や東北・北海道も<納豆嫌い>の地域として認識されているはずなんです。実際これらの地域で納豆がどれほど食べられていたのか定かではありませんし。

ただ確実にいえることがあります。

・関西の家庭の食卓に納豆がでてくることは稀
これはウチだけでなく、子供の頃からよそのウチにお呼ばれになった時も一度たりとも納豆がでてきたことはありません。

・関西ローカル番組の料理コーナーで納豆を具材で使われることはない
ないことはないかもしれませんが、アタシは見たことはありませんし、おそらく多用されている事実はないものと思われます。

ここでひとつ仮説を立ててみます。
<関西では、一定の年齢を境に、納豆の好き・嫌いが分かれる>

こう考えれば家庭の食卓に納豆がでてこなかったのも、テレビの料理コーナーで納豆が使われないのも、アタシの周りの、友人になりうる関西人(せいぜい40歳ぐらいまで)が納豆が好き、というのも納得できます。
しかしここであらたな疑問がでてくる。

・<一定の年齢>というのは、具体的に何歳程度なのか
・そしてその理由は?

そこでさらに仮説を立てます。
<関西人の納豆に対するスタンスを変えたのは、吉野家である>

吉野家とはもちろんあの吉野家です。しかし吉野家がなぜここにでてくるのか。
説明しましょう。

納豆とは非常にクセのある食物です。なにより「あのにおい」に嫌悪感を持つ人は多い。たしかににおいの強烈な食物は親近感がないというか、とっつきはすこぶる悪い。くさや然り、鮒寿司然り。しかしクセがある分、一度ハマったらやみつきになるという習性があります。
食卓に納豆がでてこないというのは、子供時分にまったく親しんでいない食物なわけで、それが変わるのはひとり暮らしをはじめたり、家での食事より外食が増えた時です。

では関西人の、納豆にたいするとっつきをつくったのは何なのか、というと、これは吉野家以外考えられないんです。

その昔、吉野家の朝定食は納豆定食と焼魚定食しかありませんでした。
(余談ですが、魚に詳しい友人は「焼魚定食やったらええけど、牛鮭定食はあかんやろ。あれ、鮭ちゃうし」といってたけど、ホントのところどうなんだろうね?)
それまで関西の、いわゆるふつうの定食屋で納豆がふつうに置いてある店は極少数でした。その変化をもたらしたのが吉野家で、これは<全国チェーン=メニューの統一>という部分からきているのですが、ここではじめて納豆に接した人はかなりいるんじゃないでしょうか。なによりアタシがそうでしたから。

もちろん吉野家にいったことのない人もかなりいるとは思います。現福岡在住・元関西人の友人は、未だかつて一度も吉野家にいったことがないといいます。
でもね、たとえばひとりの男性が吉野家の常連だったとして、
<その男性が納豆にハマる→カノジョにもすすめる→カノジョもハマる→別れる→女性、新しいカレシに納豆をすすめる→カレシハマる→別れる→戻る>
というスパイラルが生まれ、ねずみ算式に納豆好きが増えるのです。
まぁねずみ算式は大げさにしても、十分に<とっかかり>にはなっているんじゃないでしょうか。なにしろそれまで何のとっかかりもなかったのからすれば、すごい進歩(?)ですよね。

この仮説を<納豆に嫌悪感がない人が増えた>理由だというなら、先ほどの、納豆の好き・嫌いが分かれる<一定の年齢>の推定ができます。
吉野家が関西に進出したのがいつなのか定かではありませんが、本格的に店舗が増えたのは、アタシが高校生~大学生の頃だったと思います。つまり1980年代半ばのことです。
この辺りに大学生(に準ずる年齢)だった人がターンポイントになるんじゃないでしょうか。
つまり「関西人の納豆が好き・嫌いの、比率逆転の境目は40歳前後である」と。
(※現注:2011年現在、45歳前後)

どんなもんでしょね。でもここに書いたのは仮説ばっかりで、ちっとも論理的な根拠がないので、あんまり人に言いふらさないでくださいね。




納豆は今でも大好きですが、さいきんテレビで納豆嫌いを公言する人も減った気がします。
こないだ、全員関西出身が売りの関ジャニ∞が、ひとりを除いて納豆好きと言ってたのにはビックリしました。
まあそういう時代なんでしょうね。コンプライアンスとかの問題もあるだろうし。

2011年10月12日水曜日

yabuniramiJAPANの歴史、のようなもの

えー、今回はyabuniramiJAPANの歴史でも簡単に振り返りたいと思います。

まずは記念すべき第一回のエントリのさわりを。

えー、なにから書きゃいいのかわかりませんが、とにかくプロ野球に関するうわごとでも書いていこうかと。いろいろ暴言もござんしょうが、なにとぞお見知りおきのほどを。(後略)


時は2003年10月18日、エントリタイトルは「ほしの…」でした。
18年ぶりに優勝した阪神タイガースが日本シリーズを目前に控えた頃で、タイトルが「ほしの…」なのは、当時阪神の監督だった星野仙一の勇退が決まっていたからです。
そう、yabuniramiJAPANは後に「ヤキウノウワゴト」として分割されることになる、野球関係のテキストサイトとして始まったのです。
あえてテキストサイトと書いたのは、最初の頃はまだ、いわゆるブログサービスは使ってなかったのです。
ではどうしていたかというと、Windows用のソフトで日々日記というのがあって、こいつがHTML形式で書き出せたので、それをいちいちFTPでアップしていました。なんとも面倒なことをやっていたものです。

その後ブログに切り替え、さらにドメインを取得してブログ鯖を構築したり、どんどんやることが大掛かりになっていくわけですが、中身の方も分割・統合を繰り返して、本宅といえるyabuniramiJAPAN、野球関係に特化したヤキウノウワゴト、そして現在も存続するクレージーキャッツファンサイトのCrazyBeatsの3つを同時進行することとなります。

さて最も根本的な話を。
なぜアタシがテキストサイトを始めたか、この答えは2003年12月21日付のエントリにありました。

そもそもアタシがこんなサイトを立ち上げたのは『思う存分野球について語りたい』と思ったからです。
というのもアタシはあんまり人と野球の話とかしないのですよ。野球に興味のない人と野球の話をしないのは当たり前なんだけど、『野球好きなんです』とか『阪神ファンで』なんて人と話していても、なんていうか、どうも温度差を感じてしまうんですね。(「当世三奇人とともに」より)


こんな理由だったんですねぇ。すっかり忘れてたわ。まあ舌の根も乾かぬうちに野球以外のことを書き始めるわけですが。

では次、「yabuniramiJAPAN」というサイト名について。

このサイトは『ヤブニラミJAPAN』と申すのですが、これはもちろん『やぶにらみニッポン』(1963 東宝)からとったものです。(2003年11月12日付「『やぶにらみニッポン』のこと」より)


ま、この通りには違いないんですが、元々の発想は当時(今も?)最も人気があったポータルサイト「Yahoo!JAPAN」のモジリからでした。
「ヤ」で始まって「JAPAN」で締める単語として、「やぶにらみニッポン」という映画のタイトルに引っ掛けたにすぎません。
むしろ、以前から「やぶにらみ」という言葉は気に入っており、トンチンカンな、ややズレたモノの見方、てな意味は手前勝手なテキストサイトの名前としてピッタリだと思ったんですね。
さらにJAPANはともかくその前につく単語は日本語にしたかったってのもありました。

最後に「藪似」というハンドルネームについて。

やぶにらみ、の頭3文字であり、実際、一時期よく藪恵壹(開設当時阪神の投手、現阪神二軍投手コーチ)に似ている、といわれたので、です。
正直藪に似ている、といわれてもうれしくなかったのです。確かに藪は「男前」で通っていたのですが、深い阪神ファンからすると「いい投手だったんだけど、ある意味どうしようもなかった投手」でしょうからね。
だから藪似という名前は、俺って男前という意味合いは皆無であり、自虐の要素だけなのです。

さてさて
yabuniramiJAPANとヤキウノウワゴトを先日閉鎖し、現在ここでyabuniramiJAPANTiny2としてやっていますが、Tinyというのは過去のyabuniramiJAPANと比べれば小ぶりだということです。既存のブログサービスを活用してますし、テンプレートもあまり弄っていません。また細かいカテゴリ分けもしていません。
「2」なのは、まあ要するに「yabuniramiJAPANTiny」のログインアカウントを忘れてたので作り直したのです。

てなわけで、しょーもない凡ミスから始まった「yabuniramiJAPANTiny2」ですが、これからもゆるりそろりと更新してまいります。