2007年5月28日月曜日

満腹<3>(続続・テストパターン)



ついに現像があがってきた。

全然知らなかったんだけど、モノクロプリントの方が1.5倍

ぐらい高いのか。

仕上がりは・・・まぁこんなもんかという感じ。

所詮素人だから、という逃げ口上はさておいて、

カメラの特性か、カラーの方が色合いが独特でおもしろい。

モノクロはコントラストがキツくて、よくいえば黒澤映画みたい

なんだけど、暗部が潰れて、ほとんど意図した写真が

撮れなかった。

腕をあげる、というか、もっとそういうことを意識して

撮ればいいんだろうが、現像代が高いしね。

なによりカラーが非常におもしろいから

こっちを優先させそうな気がする。

なるほど、CONTAX G1というレンジファインダーのカメラに

ハマる人の気持ちがちょっとだけわかった。

沖縄話の続き。

前々回書いたように、雨のため撮影は延期され

私とNは沖縄に延泊するはめになった。

しかも帰る日になって、台風が上陸してしまった。

当然飛行機は飛ばない。

私たちはさらに延泊を余儀なくされる。

翌朝、台風は通過し、青空が広がっていた。

「やっと帰れる・・・」

ほっとしたのも無理もない。

ホテルから一歩も出られない沖縄ほど退屈なものはないからだ。

空港に行くと、客がごった返している。

そりゃ2日分の乗客が乗るんだもの。当たり前だ。

とりあえず当日の航空券を持っている人が優先されるようで

納得いかないような、当然なような

とにかくキャンセル待ちを待つしかない。

さっそく数席のキャンセルがでた。

私たちは前日の朝の便で帰るはずだったので

優先順も早く、飛行機に乗れそうな空気だった。

しかし神様は残酷だ。

私たちの前で、空席が残りひとつになってしまったのだ。

しょうがない。腹をきめた。

Nに「これに乗っていけよ」というしかなかった。

一応私の方が年上であること

そしてなによりホテルの延泊代を借りているという

追い目があったからだ。

それに・・・・まぁ次の便もすぐにくるだろう。

ひとつでもキャンセルが出れば、私は乗れるのだ。

そう考えると、Nを見送る心も軽やかだった。

ところが、次の便がなかなかこない。

かれこれ2時間待っただろうか、やっと来たと思ったら

これはしたり、キャンセルがひとつもないという。

その次の便にはキャンセルが出たようだが

なんと4時間も後らしいのだ。

全身の力が抜けた。

重たいカメラバッグを持っていては、空港の周りを

歩きまわったり、という暇つぶしもできない。

ただただロビーでじっと座ってるしかないのだ。

そういえばさっきからずっと目の前に

年の頃なら20代後半の女性が座っている。

どうみても連れ合いはいなさそうだ。

私は思い切って声をかけてみた。

ナンパ?とんでもない。

この悲惨な状況下のもと、誰か、本当に誰でもいいから

悲しみを分かち合いたかったのだ。

やはり彼女はひとりで、しかも暇を持て余していたようで

話に乗ってきてくれた。

私の状況は説明しやすい。

なにしろ馬鹿でかいカメラバッグを持っているのだ。

何も「実はバイトで・・・」なんて話す必要はない。

「今から関東の家に帰るところで・・・」

彼女は自分の状況を少しずつ話しはじめてくれた。

彼氏が沖縄の人らしく、その人に会いにきていたこと。

本当は自分も沖縄に住みたいのだが、ほとんど仕事がないこと。

かといって結婚して専業主婦になれるほど、彼氏の稼ぎがないこと。

e.t.c・・・・。

沖縄に永住をしたくても、仕事がなくて断念する人が多い

というのは、ものの本で読んだことがある気がする。

しかし「簡単なパートでもいいんだけど・・・」という

彼女の言葉は、私の胸を打った。

実家のある関東(川崎といっていた)にいれば

ちゃんと食べていけるだけの仕事がある。

なのに、そこまでしてまで、彼氏と一緒にいたいのだ。

やがて次の便が来た。

羽田に向かう彼女とはそこで別れた。

名前も聞かずに、もちろん電話番号の交換もせずに。

あれから8年ほどたった。

無事に沖縄に移住できたのだろうか。

彼氏のもとに行くことができたのだろうか。

今でもふと、そんなことを考える時がある。




2007年5月22日火曜日

満腹<2>(続・テストパターン)



いい加減、このタイトルも何とかしなきゃいけないのだが

わざわざ考えるのも面倒くさい。※

こんな私だが、ついに今日、フィルムを現像に出してきた。

仕上がりは金曜日。もう何を撮ったか忘れてしまったので

逆に楽しみになってきた。

前回の沖縄話の続き。

知らない土地に行くと、まず気になるのが

そこでしか食べられない料理である。郷土料理というやつか。

しかし私のこの気持ちは、上陸して最初の食事で

かなり萎えてしまった。

もう何を食べたのかも忘れたが、とにかく量が多かった。

食堂のおばちゃんは親切な人で

「おなかがふくれてきたのなら、島とうがらしをかけるといいよ」

と、アドバイスしてくれた。

ちょっぴりかけてみた。

うん。たしかにピリッと辛くなって

わずかながら、食欲が復活してきた。

ここで最後までふんばるなり、残すなりすればよかったのに

もう少し島とうがらしをかけてみよう。

そうすればもっと食欲が増すはずだ。

馬鹿だった。

といっても辛くなりすぎたわけではない。

島とうがらしは唐辛子を泡盛につけ込んだものである。

私は下戸ではないが、けして強い方ではない。

つまり酒臭くなってしまったがために

まったく手がつけれなくなってしまった。

「沖縄の現地料理は危険だ」

自分の無知とさじ加減の悪さを棚に置いて、何をいってるのだ。

これが昼食の話。夕食はもっとすごいことになった。

「店の前にタクシーが停まっている食堂はおいしい」

どっかで聞いた仮説だが、私は結構これを信用している。

実際、まったく見知らぬ土地で、タクシーの停車台数だけを

頼りに入った店は、大抵<当たり>だったからだ。

この日も、タクシーを目印に

「ふつうの」食堂を探していた。

現地料理に懲りた私(と同行したカメラマン)は

とにかくふつうの定食とかが食べたかったのだ。

店に入ろうとした。親子連れが出てきた。

昔の酔っぱらいが持っていそうな折り詰めをぶらさげている。

「そうか、持ち帰りたくなるぐらいおいしいんだ」

私の自信は確信に変わった。

その時点で21時すぎ。お昼を食べてから何も食べていない。

腹ペコの私は、ソーキソバとBセットなるものを注文した。

同行の男(Nとしておく)は

「あまり腹が減ってない」とソーキ<汁>と

同じくBセットを注文。

「現地料理はこりごり」といっておきながら

いきなりソーキソバを頼むのは支離滅裂だが

旅とはそういうものだ。

ソーキソバが来た。

うまそうだ。

食った。

うまかった。本当にうまかった。

ところがである。途中である異変に気づいた。

かれこれ10分近く麺をすすっているのに

ソーキを食らいついているのに

一向に減る様子がない。

「しまった。自分もソーキ<汁>にすればよかった」

あまり腹が減ってないといったNは落ち着き払って、こういった。

「一緒ですよ。麺の代わりに豆腐が入ってるだけだから」

やばい。やばすぎる。食っても食っても終わらない。

もう島とうがらしの失敗はしないとしても

ほとんど手をつけてないかのように見える

ソーキソバを置き去りにして帰れるわけにはいかない。

その時だった。

「Bセット2つ、お待たせしました~!」

山盛りの、トンカツ、スパゲティ、野菜炒め、ご飯

その他もろものが、幅30cm、奥行き10cm、高さ3cmほどの

四角のお重に鎮座していた。

ふと辺りを見回した。

ひとりの外国人が、ほっぺたをパンパンにふくらませたまま

箸を両手に持ったまま、固まっている。

やがてその外国人は店員を呼んだ。

店を出た外国人の手には、折り詰めがぶらさがっていた。

「そういうことだったのか・・・」

折り詰めのからくりに気づいたのは、店に入ってから

30分ほど経過した時だった。

私とNが店員を呼んだのは、それからほどなくしてからである。




この件で、私はふたつのことを学んだ。

見知らぬ土地でも、飯を食うところぐらいは

下調べしよう、ということ。

もうひとつは、お腹をいっぱいになった外国人ほど

おもしろいものはないということだ。

まだ沖縄話は終わらない。




※最初は「続・テストパターン」のタイトルのエントリでした。




2007年5月16日水曜日

満腹<1>(テストパターン)



しつこくて申し訳ないが、まだフィルムは私の鞄で眠っている。

「面倒くさい」

そのひと言で、すべて片づけてしまう。

そういう性格なんだね。しょうがない。40年近く生きてきて

もう今更変えようがない。あきらめるしかない。

私が大学生の頃の話だ。

とあるディスプレイの会社でバイトしていた私は、会社の人から

<特攻隊>と呼ばれていた。

勇敢な響きだが、その実、ちっともカッコよくない。

そのバイト先は日払いで給料をくれた。

貧乏だった学生には何ともありがたい話だ。

しかも行ける日だけ行けばいい、というのも

都合がいいというか、ありがたかった。

私が<特攻隊>と呼ばれたのは

「行きの電車代しかない状態」でバイトに行っていたからで

日払いのバイト代をもらえなければ、家に帰ることもできない。

せめて帰りの電車代ぐらい、どっからか調達するのが

普通なのだろう。

いや、そもそもそんな状態になるまで何もしない、というのが

どうかしてる。

でもしないんだよ。面倒くさいから。

まずいよな、どうも。

どっから見ても、ロクな大人のすることじゃない。

ここで唐突に、前回の続きになる。

私がカメラマンとして出入りしていた、信じられない会社の話である。

この会社でバイトをして、何がよかったといえば

「前乗り」の仕事があったことだ。

前乗り、つまり撮影場所が遠方の場合

前日から近くのホテルに泊まることになるのだが

前乗りなら無条件で、宿泊費の名目で一万円もらえる。

これはうれしかった。

しかもホテルの領収書なんか必要ない。

仮に3000円のところに泊まれば

7000円はフトコロに入るという算段だ。

いい加減さ、ここに極まり、という感じだが

すべて本当の話だ。

ある日、沖縄に行くことになった。

さすがに沖縄はかなり遠い。

それに私が沖縄に行くのははじめてときている。

なのに前乗りでもらった金しか持っていかなかった。

沖縄は実に雨が多い。

案の定、撮影は延期になり、ホテルに延泊することになった。

だが手持ちの金はない。食費ぐらいはあるが

翌日分のホテルには足りないのだ。

仕方ないので、一緒にいったバイトに借りることになった。

しかも彼は私よりも年下だった。

情けないにもほどがある。

でもこういう人間なんだよ。

「何かアクシデントがあったら」

とか一切考えない。

きっと学習能力がないんだろうね。

さてこの沖縄の旅では、非常に貴重な体験をすることになるのだが

長くなってきたので、次回へ持ち越し。




2007年5月11日金曜日

テストは続くよ



どこまでも。

まだフィルムは現像に出していない。

はっきりいえば面倒なのだ。

一本目は当たり前にカラーフィルムを購入したが

二本目は色気が出て、モノクロフィルムを買ってしまった。

これがいけなかった。

カラーなら、まぁふつうの店で、一時間以内にプリントしてくれる。

でもモノクロは、どうやらそうではないらしい。

しかも徒歩圏内にプリントショップがないので

わざわざ電車に乗って、現像を出しに行って

わざわざ電車に乗って、取りに行かなきゃいけない。

これは面倒くさい。

なのでまだ写真はアップできない。




カメラに関してはまるっきりの素人だ。

趣味で写真を撮っていた、というわけでもない。

ただ、今から10年近く前に、仕事で撮っていたことがある。

しかも二度に渡って。

一度目は某超弱小出版社にいた頃の話だ。

<超弱小>なので、取材だからといって

いちいちカメラマンを雇う、なんてことはしない。

というか予算の都合上できるわけがない。

なので写真も自分で撮ることになる。

使っていたのは、ニコンの・・・・忘れた。

まったくカメラに興味がなかったので

おぼえようとすら思わなかった。

二度目はバイトでカメラマンの真似事をやっていたことがある。

しかもかなりのテクニックが要求されるバイトで

・スポーツ写真

・中判カメラを使った集合写真

さぞかし難しいことをやってるっぽいが、とんでもない。

簡単なレクチャーをやっただけで

すぐに現場に投入された。

できるわけがない。

でもバイト代をもらってるんだから、やるしかない。

んで、やった。

それでよかった。

自分が天才だからじゃない。

きわめていい加減な会社だったからだ。

そこには2年ほどいた。

おもしろかったからじゃない。

日給がよいわけじゃない。

なぜか友達とかできる雰囲気の会社でもない。

でも2年もいたのは

会社がいい加減だったからだ。

いい加減な会社はいい。

正社員だったり、出入りの業者なら

いい加減な会社なんて、まっぴらだが

バイトなら、いい加減ならいい加減ほどいい。

もちろんちゃんとバイト代はくれる、という前提だけど。

いい加減、いい加減、と書いたが

象徴的なエピソードがある。

そこの会社に出入りしてたカメラマンがとある事件を起こした。

私は見てなかったが、ニュースステーションのトップで

紹介されるぐらいの大きな事件だ。

しかも性に絡んだ犯罪だから、かなりタチが悪い。

そのカメラマンは、あちこちの事務所から

当然のように出入り禁止になった。

ところが私のバイト先だけは違った。

ニュースステーション出演記念かどうか

またその男がそこの会社で働きだした。

しかもその理由がすごい。

「人手が足りない」







こんなとんでもない会社だったが

まぁ、その後の人生に、それなりに役にたってたりもする。

その辺のことは、また今度。




2007年5月6日日曜日

日記を書いてみるテスト

これより2008年までの分と2009年の一部はmixi上で公開していたものです。
最初のうちは友人までの限定公開だったので、いかにもやる気のない内容になっています。ただそのぶんアタシの素の部分が出てるんじゃないかと。

内容的には自分史というか、過去の出来事から話のネタになりそうなものをピックアップしてしたためました。なのでyabuniramiJAPAN系とはかなり毛色は違います。

まあそういった事情を承知の上で読んでいただければ幸いです。


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mixiに登録してから2年近く経つ。

コミュニティの掲示板を読むぐらいにしか利用していなかったのだが

ちょっともったいないので、何か書いてみようかなと思う。

ただしおおっぴらにやるつもりはないので

公開は友人までにしておく。

そういや本家のブログもかなり長い間放置したままになっている。

さいきん、とうとうドメインが切れてしまった。

そのままでもよかったのだが

植木等さんの死去の直後で、異様にアクセス数が増えたこともあり

一応は復活させた。とはいえまだまだ復活とはいえない。

そんなんだから、こっちもどれぐらい書くかは不明。

そもそもmixiに限定して書くようなことがあるのかどうか。

とりあえずテストとして書くので、テストとして読んでほしい。

先日、福島の叔父のところにいってきた。

叔父は半年ほど前に直腸の手術を受けた。

私も立ち会ったのだが、用事があったため

手術が終わって、かろうじて面会ができる状態

会話も成立しないような状態なのに

私は病院を後にした。

それ以来の対面となった。

半年ぶりの叔父は元気そうだった。

もう酸素マスクはつけていなかった。当たり前だが。

とっくに退院し、散歩ができるぐらいにまで回復している。

ストーマをつけているため、長距離の移動は困難なものの

日常生活はなにひとつ不便なくおくれているようだ。

なぜか叔父と家系の話になった。

どうもうちの先祖は山口県の武士だったようだ。

叔父の祖父は武士らしく、本を読む時も

ほれ、あの、時代劇で武士の人が

本を読む時に、本を置いてるのがあるでしょ。

あれに本を乗っけて、正座をして読んでいたそうだ。

まぁそういう時代の人だから当たり前なんだけど

そもそもうちの家系が変わった、というか

趣味人が多かったようだ。

私の祖父、つまり叔父の父は

カメラが好きだった。

いつも大事そうに、ケースに数体のカメラを並べていた。

そんな元で育った叔父も、カメラが趣味のひとつになっていた。

叔父は自分のカメラのコレクションを見せてくれた。

その中から

「これ、使ってないから」

と一台のカメラをくれた。

CONTAX G1というヤツである。

なぜか90mmのレンズがついていた。

家に帰って、とりあえずパシャパシャ撮ってみた。

ものすごく新鮮だった。

レンジファインダーも初めてなら

90mmの単焦点のレンズもほとんど使ったことがない。

何だかわからないが、おもしろくて夢中でいろんな物を撮った。

でもまだ現像に出していない。

出そう出そうと思いつつ、まだ出していない。

楽しみなような、怖いような。

現像からあがってきたら、ここにアップしたりしようかな

とも思っている。

素人の写真をアップするのは恥ずかしいが

まぁいい。現像があがるまでに、いっぱい言い訳を考えておこう。