2008年6月17日火曜日

インテリ



先日福島に住む叔父のところへいってきた。

子供の頃から非常にかわいがってくれた人で、生まれてはじめて競馬場へ行ったのもこの叔父に連れていってもらったからだし、生まれてはじめてプロ野球の試合に行ったのも、そして生まれてはじめてバーなるものに行ったのも叔父に連れられてだった。

といってもどれも小学校低学年の頃だから定かな記憶はない。ただバーで出された、果汁シロップで作られたと思われる、甘ったるいジュースの味だけは鮮明におぼえている。

後に聞いた話だが、叔父はかなり意図的にこういう場所に自分を連れていったようだ。子供が絶対に行けないような場所に連れていく、そのことを叔父は楽しみにしていてくれていた。

子供にあまり関心のなかった自分の父親は子供をどこかに連れて行く、ということをしなかった。いわば叔父は父親の代わりに一種の情操教育として「世の中にはこういう場所があるのだ」ということを教えてくれた。

だからだろうか。酒をたしなまない自分だが、そういう「オトナの世界」に足を踏み入れることに物怖じすることはなかった。元来社交的ではない自分にとっては大きなプラスをあたえてくれた。今にしてみるとそう思える。

競馬場やバーなどと書くと、叔父の風貌をなんだかもの凄くがらっぱちのオヤジに想像されるかもしれないが、非常にスマートな人なのだ。

叔父の妹、つまり自分の母親にいわせると若いときは石坂浩二に似ていたそうだ。ま、もちろんたいして似てないのだが、たしかに雰囲気は通じるものがある。

石坂浩二と共通する雰囲気、身内のことを褒めちぎるのもアレだが、つまりインテリなのだこの人は。

インテリといっても高卒。勉強はできたらしいが、家庭の事情、いわゆる貧乏という壁に阻まれて進学できなかった。

とはいえ長男の長男たる、なんともいえないのんびりした、関西弁でいうところの「エエシのボンボン」(良家のお坊ちゃん)のムードがあり、よく知らない人ならとても貧乏で大学をあきらめたようには見えないだろう。

いわゆる趣味人であり、小説はミステリ専門、映画は洋画中心だがめぼしい邦画もチェックしている。特にヨーロッパ映画を好む。映画を観るセンスはこの人に教えられたことが多い。

この間会った時も「黒澤の『羅生門』、今観ると全然違ってみえる。観た方がいい」とかいう。こういうことをさらっといえる人はそうはいない。

ハリウッドは80年代以降は全部ダメ、というのは戦前生まれの人らしい意見だが、それでも話題作はもちろんそうでない作品もきちんと観た上でいっているのだから説得力がある。

記憶力も衰えておらず、あの映画にでていた女優はこの映画にもでていたとか、ビリー・ワイルダーの「熱砂の秘密」が観たいんだけどDVDがあんまり売ってない、といってリアルタイムでしか観たことがない「熱砂の秘密」の筋を語りはじめる。

今叔父はパソコンで自分なりの女優名鑑をつくるのに凝っている。もちろん趣味として。だが範囲が広い。少しだけ見せてもらったが、1920年代以前にしか活躍していない女優の名前があったりする。

「昔は映画は監督と男優でみていた。でも今は女優中心でみている」

自分も映画は好きだが到底この人にはかなわない。観た数はもちろんセンスも。そして何よりフィクションを分解できる力は足もとにも及ばない。

母親はよく「もしうちが金持ちなら兄はもっと趣味人として生きていけただろう」という。自分もそう思う。

叔父は高校を卒業するとすぐに実家を継いだ。そして時は流れたが叔父の持つ映画や小説の知識やセンスが仕事に結びつくことはついになかった。

もったいないな、とつくづく思う。とはいえ叔父も70手前だ。今更どうのということはありえない。

自分が、幼少の頃から父親代わりになってくれたこの叔父のセンスを少しでも受け継いでいれば、と思うことがある。そうなのか違うのか、それはわからない。でもそうであってほしい。それはけして「ええかっこ」したいからではなく、もしそうならうちの家系にも意味がある、そう思えるからだ。