2012年5月19日土曜日

津山三十人殺しとファイト!を結ぶ線

今年の始めですが、昭和の猟奇事件のエントリを書いていくにあたり前フリを書いたのですが、その時のシメの言葉として使ったのが「こらえてつかぁさい」だったんですけどね。
これは近代日本で最大の猟奇事件である昭和13年に起こった「津山三十人殺し」に関連する言葉なんです。

実は「津山三十人殺しを読み解かない」ってエントリを書こうと思ったんですよ。つか実際書いた。んで完成した。
読み返して特につまらないわけじゃないんだけどボツにしました。というのは違う視点で練り込んだ方が面白くなりそうだったから。
まあせっかく書いたんだしボツにした文章をなるべく活かしながら再構成したいと思います。

この事件の重要なキーワードとして「夜這い」というものがあります。アタシはね、正直夜這いというものがよくわかってなかった。何となくピーピングトム、日本語でいえば出歯亀、もっとわかりやすくいえば覗き行為ね、それの発展系くらいに思っていたんです。覗きをはたらくうちにムラムラきて強姦する、みたいな。(余談ですが出歯亀って言葉も元はとある事件からきています)
でも実体は違った。夜這いとはある種の風習みたいなもので、当然代々語り継ぐというか受け継ぐようなもんじゃないんだけど、脈々と黙認されている、みたいな感じなんですね。
ちょっと調べるとわかるのですが、性関係の風習というのは結構あって、たとえば祝言(今でいう結婚式)の前に花婿の父が花嫁を「味見」する、とかね。

ボツになった文ではこの後<「娯楽が少ない地域・時代」において、セックスという「娯楽」がいかに重要なものなのか>という話になっていったのですが、そんな時ふとこのフレーズが浮かんだんです。

薄情もんが田舎の町にあと足で砂ばかけるって言われてさ
出てくならおまえの身内も住めんようにしちゃるって言われてさ
うっかり燃やしたことにしてやっぱり燃やせんかったこの切符
あんたに送るけん持っとってよ 滲んだ文字 東京ゆき


もうしつこいくらいネタにしている中島みゆきの「ファイト!」ですが、アタシは実際にこういう体験をしたわけではありません。しかしこの歌詞を連想できるというか「こういうことがあっても不思議ではない」地域に住んでいたことはあるのでニュアンスはよくわかる。
初めてこの歌を聴いた時の感想は「戦慄」という一言になってしまう。ああ、こんな閉鎖的な世界は絶対嫌だと。それだけ物語の主人公に感情移入していたということになります。
これは逆にいえば<薄情もんが田舎の町にあと足で砂ばかける>といった側の心情は一切考慮してないというか、完全に否定されるべき存在としか認識してないわけです。
ところが「津山三十人殺し」という事件、いや「田舎の性的風習」というフィルターを通すと、<薄情もんが田舎の町にあと足で砂ばかける>といった側の心理をそれなりに咀嚼できてしまうのです。

夜這いであったり、性的に乱れた村(現代的なモラルで見た場合、ですが)に関して不思議だったのは、子供の存在です。つまり「誰の子かはっきりしないのではないか」と。
ところがよくしたもので、ってのも変ですが、子供はその家の子というよりは村の子供なんですね。だから村のみんなで育てるという感覚があったらしいのです。
先の歌詞の<薄情もんが>の人は<出てくならおまえの身内も住めんようにしちゃる>っていうくらいだから身内ではないわけです。身内でもない人間が、何故そこまで強行に<田舎の町>から出て行くことに反対するのか、もしくはできるのか、これは非常に不思議だったのですが「身内ではないが、ある種の運命共同体」と考えれば疑問は氷解します。

「ファイト!」のこのパートの主人公は、異端児なんです。「若いんだから大都会・東京に憧れて当然」ともいえるのですが、「運命共同体としてそのような育てられ方をした」と考えるなら<田舎の町>を捨てようと思い詰めるのはやっぱり異端といっていい。

結局「こっちからみれば向こうが異常だけど、向こうから見ればこっちが異常」ということなんでしょうな。
これは日本国内の話ですが、世界に目を向ければ、もっともっと理解出来ない風習なり思想があるわけで、こんなところの出身じゃなくてよかった、だけじゃなく、とりあえず理解しようとする姿勢が大事なんじゃないかと。

何か妙にキレイにまとまったのでこれでおしまい!