2009年8月15日土曜日

2009・夏の納涼特別編 4



某大手事務所。名前を書けば誰でも知ってるところだ。

音楽に限らず、売れるための要素として、芸能プロダクションが果たす役割は大きい。

もちろん、事務所の規模が大きければ大きいほどいい、とはいわないが、ふつうならステップアップのチャンスととらえていいはずだ。

しかしだ、Y先輩、というか、彼のグループ全員の総意だと思うが、まったくメジャー指向はなく、わかる人がわかればいい、というスタンスで活動していたように思う。

だからなのか、少なくとも喜んでいるようには見えなかった。

彼のグループは特にリーダーという役割は決められてなかったようだが、あきらかにY先輩主導というか、その線で動いていることは明白であった。

きっと自分にこの話を持ち出す前、グループ内で話し合いは行われたはずだが、最終的にY先輩の決断に委ねられたのではないか。

冷静に考えると、そういうことは推測できるのだが、その時はあまりに突然のことで言葉に詰まってしまった。

沈黙の時間はつらい。いつまでも考えてばかりいるわけにもいかない。しかし、自分ごときがこんな重大な話に言葉をつっこんでいいものだろうか。

いろんな顛末があって、だいぶ経ってから自分もレコード会社の人と話す機会を得たり、芸能界の「それとない事情」を知ることもあった。

しかしこの時点では、大学をでて、就職もせず、かといって実現不可能な夢を見るばかりで、そこに向かって何かをやるわけでもない、布をちぎってウエスをつくるだけの男だ。

こんな男がアドバイスめいたことなどできるわけがなく

「でも(その事務所に入ったら)ウエスはつくらなくてよくなりますね」

とつまらない冗談をいうしかなかった。

「○○(有名芸能人の名前)も先輩いうことになるしな」

とY先輩も冗談でかえしてきた。

その芸能事務所に所属するタレントの名前を何人かあげ、もし○○に会ったら何と挨拶するか、どういう敬称で呼べばいいのか、ひとしきり冗談をいいあった。

結局その時は冗談に終始し、具体的な話になる前に別れた。

それにしても・・・Y先輩はこの話をするために、わざわざプールに誘ったのか、それにしても何故市民プールだったのか、疑問が頭を駆けめぐった。

秋になる前だろうか、Y先輩は某大手芸能事務所に所属することが決まった。

自分は喜んでいいのかわからなかった。いったいどういう経緯で決断したのだろう。

しかしどうしても、Y先輩にそのことを聞くことはできなかった。

チャンスがなかったこともある。自分の冗談の通り、Y先輩はバイトにこなくなっていった。たまに電話で話すことはあったが、バイト先でマジメな話ばかりしてた頃とは打って変わって、お互い自虐的な冗談をいうばかりだった。

それから自分にとってのバイト・・・は、ひたすらつまならいものになった。

殿様もいなくなった。Y先輩もいなくなった。

彼らだけではない。ちょうど不況の色が濃くなりはじめた時期だけに、バイトの数も目に見えて減っていた。

そのうち自分もすっかりお呼びがかからなくなり、新しいバイト先を見つけることになる。

が、年があけると、そのバイトも辞めた。

このままじゃいけない、という切迫感が、思い切った行動を加速させた。

自分は関東への引っ越しを決意する。そして実行した。

関東へ行っても具体的に何かあるわけではない。殿様との出会いと別れ、Y先輩の決断が大きく関係していたのかどうかもわからない。しかし何か行動しなくてはならない。そういう思いこみが、他人の目から見たら「なかば無意味な、無茶苦茶な行動」に走らせた。

この引っ越しも、結果的にはさほど意味もないものに終わり、運命に導かれるように再び関西へ帰ることになるのだが、それはまた別の話だ。

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以上。やたら「月日が流れる」ので、少しわかりづらかったかも知れない。

ちなみに「別の話」を含めて、今後更新する予定はない。また気が向いた時にでも。