2013年1月22日火曜日

ジョークの難しさ

最近つくづく思うのですが、ジョークの本質って、面白いか面白くないかじゃなくて、時と場所にマッチしてるかどうかじゃないかと思うわけです。
もちろん面白いに越したことはない。でもその判定をするのは自分ではないわけで、相手がどう感じるかがすべてです。いくら「な、面白いだろ?」と押し付けたところで、そしていくら相手が自分に合わせて愛想笑いをしたところで、本心まで、つまり本当に面白がってるかどうかまでコントロールすることはできません。
しかし時と場所はある程度コントロールできます。

どんな相手にでも、どんな場所でも、そしてどんな空気でも、笑わせられる鉄板ジョークなんて存在しない。
ごく親しい友達にはウケるけど、嫁や恋人にはさっぱりウケない。
会社の上司にはウケるけど、親や親戚には全然ウケない。
また
酒の席ではウケるけど、シラフではウケない。
深夜ならウケるけど、昼間にいってもまったくウケない。
他にも
言葉にするとウケるのに、文章にすると見事に面白くない。
ってのもあります。
はっきりいって「場」に合ってないんですね。そういう時はどんだけ面白いはずのネタでもウケるわけがないのです。
いや、笑いを誘発しないだけなら全然いいのです。しかし「場」を外したジョークは相手の怒りを買ってしまうことも多い。

そもそもの話になりますが、いったい人間というのは何故ジョークをいうのか。
人によって、場面によって違うのは当然ですが、大抵の場合は「場を和ませたい」ためじゃないでしょうか。(もっとはっきり「相手を大笑いさせたい」という意思がある場合は、ジョークの範疇を越えてギャグになる。親しい友人をウケさせたいとか、もちろんプロの芸人が発するのはジョークではなくギャグですね)
せっかく和ませようと発したジョークのせいで、逆に空気が悪くなる、なんてことは珍しくありません。
前に「毒舌による笑いが一番難しい」ってなことを書きましたが、素人は一切毒のないジョークを言え、とかいってんじゃないんですよ。でも「場」を間違えた上に毒や皮肉を含んでいる場合は、まず相手が怒ると考えて間違いない。
いやね、特に文面上で毒や皮肉を含んだジョークを書くのは危険極まりない。対話上ならまだ相手の表情などから、あ、これはジョークだな、と察することも可能ですし、その場で確認することもできます。しかし文面でやられると即時に返すことができないし、意図も読み取りづらい。

アタシは「場」を間違えたジョークこそ最低のジョークだと思ってる。いくら面白くなくても場を間違えてなければ、少なくとも不快な気持ちになることはないのです。
人間だから場を間違えることもある。でもそんな時は素直に失敗したなと思ってくれてもいいんじゃないかね。一番タチが悪いのは、ジョークだよ、わかれよ、とか思っちゃうヤツ。
いやいや、ジョークにとって場ってもんが一番大事だとわかってないテメエが一番ジョークってもんを理解してないんだよ、バーカ!とか思ってしまうわけで。