2013年1月6日日曜日

荒野の仮面ライダー

まあアタシは年齢的なこともあって、仮面ライダーといえば「ストロンガー」までしか認めてないんだけどね。いや認めてないわけじゃないんだけど、興味がないのはしょうがないっていうか。
んでたまにですけど仮面ライダーの楽曲をね、「レッツゴーライダーキック」から「仮面ライダーストロンガーのうた」まで聴いたりして。んでいつも思うんだけど、やっぱストロンガーで一気にテンションが落ちる。こと楽曲的なことだけをいえば「アマゾン」までかな。まあ「アマゾン」もイントロと「うぉーうぉずぉらにきくぇーーー!」ってとこまでなんだけね、カッコいいのは。
「ストロンガー」はどうも安っぽいというか、ギャバンとかシャリバンとか、あっちのラインに近い。何か仮面ライダーっぽくないんですよね。

じゃあどんなのが仮面ライダーっぽいかといえば、もう名曲中の名曲「ロンリー仮面ライダー」にトドメを刺す、それくらいこれはカンペキに仮面ライダーの世界です。
が、この名曲を何度も聴いていると、自然とあの曲が頭に浮かんだんです。もちろん「さすらいの口笛」です。
「さすらいの口笛」は黒澤明の「用心棒」をイタダいた(後に許可取ったけど)「荒野の用心棒」のテーマミュージックです。あのむせび泣く口笛と、「We can fight!」という合いの手で有名ですね。
「荒野の用心棒」はマカロニウエスタン(早い話がアメリカ開拓時代を舞台にした「イタリア製の」西部劇)のブームの火付け役となったわけですが、これが1960年代後半のことです。
仮面ライダーの放送開始が1971年だから意識したとしても全然不思議じゃない。いや、もう少し前には「ローハイド」や「ララミー牧場」がテレビで盛んに放送され、まだ人々の記憶に残ってたころだから、マカロニウエスタンだけじゃなく本場の西部劇も意識していたはずです。
(でもあんまり深く掘り下げないでアクションで魅せるというやり方は、やっぱりマカロニウエスタンの影響が濃厚だと思う)

さてさて「ロンリー仮面ライダー」に戻りますが、何故2コーラス目で唐突にサイクロン(=ライダーのバイク名)が出てくるのかと思っていたんだけど、これも西部劇という解釈ならわかりやすい。
つまりバイク=馬、なんですな。
孤独な男の移動手段であると同時に、唯一の友である愛馬。サイクロン号(つまるところ仮面ライダーにとっての愛馬)という固有名詞を出すことによって、余計にライダーの孤独が際立つ、というね。

と考えるといろいろ疑問は氷解するのですが、それでもひとつわからないことがある。それはこの「ロンリー仮面ライダー」がエンディングに使われた頃は思いっきりダブルライダーの頃なんだよね。普通の人間であるおやっさんや滝はともかく、ちゃんと改造人間仲間がいるじゃん、全然ロンリーじゃないじゃん、と当時から思っていたアタシは普通だと思うんだけど。