2009年5月15日金曜日

田中絹代

やはり戦前と戦後とでは価値観が大きく違ったのだろうかと考えると夜も眠れない。

昔の邦画が好き、ということはここで何度か書いた。当然名作もいっぱい観たが、ヒドい出来の作品もかなり観ている。
中には公開当時は大ヒットしたらしいが、今の目で観ると何が面白いのかさっぱりわからないものもある。
スター映画なんてそんなもんだ、といわれればそれまで。昔はひとりのスターを光らせるためだけの映画がずいぶんつくられている。面白い面白くないではなく、どれだけそのスターが魅力を発揮できているか、その一点で観客動員が左右されたらしい。
ま、こういう事情もものの本で読んだことがあるのでわからないでもない。しかし中にはどうみてもスター映画じゃない、でもヒットした、そして今観ると面白くないってのがあるんですな。

そもそもスター映画といわれても、ホントにスターだったの?と疑いたくなる俳優もいる。
一番わからないのは田中絹代だ。
田中絹代といえば伝説の女優だが、自分の審美眼で計るとどう考えても美人の範疇には入らない。
後年はともかく、何本も観たわけじゃないことを断っておくが、いわゆる全盛期の演技もそう驚くようなもんじゃない。存在感も希薄とまでいかないが、強烈というほどでもない。
そして何より、どうにも、華が感じられないのだ。
顔立ちは、簡単にいえば薄い顔、とでもいうのか。しかし田中裕子あたりともちょっと違う。田中裕子も薄いがある種独特の顔立ちであり(どこにでもいそうにみえて、そっくりな人があまりいない)、少なくとも田中絹代に比べるとアクを感じる。

これが「わき役として一時代を彩った」といわれるならまだ理解できる。が、田中絹代は大スターだったのだ。
たとえば、少し時代はあとだが、やはり戦前からのスターである原節子は、どの映画もみても「ディスイズ原節子」であり、すべてのパーツの大きい顔立ちは今の目でみても十分美人の範疇に入るし、大スターだったといわれても納得いく。
しかし、どうにも田中絹代だけは納得できない。もし往事を知る関係者から直接話を聞いても、この疑問が氷解することはないだろうと思う。
それはもう根本的な問題だからだ。仮に現場ですごい華があったとしても、あまりにも平々凡々とした顔立ちから、どうしてもスターのニオイを感じ取ることができないのである。

やはりこれは戦後、いや、関東大震災以降、日本人の美的感覚が変わったのかもしれない。そういうことにでもしておかないとやってられないのである。
今回ばかりは「知らない」ではなく「わからない」としておこう。