2009年5月4日月曜日

深夜番組の黄金時代と東京への憧れ

今の時代、地方出身者が東京への憧れをもつとしたら、いったいどんなことろに憧れを抱くのか考えると夜も眠れない。

自分の場合は単純というか、東京でしかやってない映画が見たかった。関西でも名画座のようなものは存在する(した)のだが、やはり東京の方が数が多い。
以前にも書いたが、自分は古い邦画が好きなので、そういうのはやはり東京に分がある。とはいえもうだいぶ減ってしまったが。
もうひとつ、東京への憧れがあったのは深夜番組である。
小林信彦によると、テレビの黄金時代は1970年ごろまでとあるが、1960年代後半生まれの自分は当然知らない。
しかし1990年代までは、なんだかんだいいながらもテレビのクオリティはそれなりにあった。
つまり2000年代に入ってから絶望的にヒドくなったわけで、ある意味ノストラダムスの予言は(少なくともテレビというメディアについては)当たったのではないか。

1990年代まではもう少しテレビに活気があった。新しい息吹を生みだそうとする熱意が感じられた。そしてその象徴が深夜番組だったような気がする。
とくに1990年代のフジテレビの深夜番組はすごいとしかいいようがない。
「カノッサの屈辱」や「カルトQ」など、深夜番組という性質上からか、関西ではネットされなかった。(「カルトQ」はのちに全国ネットになるが)
自分はこれらの番組が見たくてしかたがなかった。たまに関東人と話すと「カノッサっておもしろいよね」といわれても
「それ、関西でやってへんねん」と答えるしかない。そのわびしさ、と同時に関東人の勝ち誇ったような笑み。
「ああ、やっぱり東京に行くしかない」と何度思わされたことか。
いや、それをいうなら1980年代の、毎日放送もすごかったし、少しパワーダウンしたものの、1990年代に入っても面白い番組は多かった。
毎日放送に限らない。ABCの深夜番組も今よりは良質だったし、関西テレビは「エンドレスナイト」があった。極めつけはよみうりテレビの「鶴瓶・上岡パペポTV」であるが、これはいずれじっくり触れたい。

そう、1990年代までは関西も関東も深夜番組は面白かったのだ。それなのに東京に憧れたってのは、いわゆる灯台もと暗しってやつでしょうか。いやはやなんとも。
いや、関西や関東だけじゃない。北海道ではあの「水曜どうでしょう」がはじまったのも1990年代だ。
(「水曜どうでしょう」についても後日記していこうと思う)
つまり今よりもずっと全国各地で深夜番組は面白かったわけだ。これはもう、1980年代〜1990年代は深夜番組の黄金時代といって差し支えないと思う。

ところが今はどうだ。地方の友人が「最近ローカルの深夜番組が絶望的に面白くない。できれば関東ローカルや関西ローカルの番組に差し替えてほしい」といったところで「いや、関西も関東もヒドいし変わらないと思う」としか答えられない。
こういうのを地盤沈下というのだろう。どこまで落ちるのか自分は知らない。