2009年5月12日火曜日

水曜どうでしょう

今年こそ↑の新作がつくられるんだろうかと思うと夜も眠れない。

別に大泉洋の結婚記念ってわけでもないんだけど。
「水曜どうでしょう」を知らない人に、この番組の魅力を説明するのは非常に難しい。
上っ面だけを聞いていると、確実に「電波少年」のパチモノにしか思えないだろう。が、実際は「電波少年」とは似て非なるものどころか、まったく似てすらいない。
たとえば「東京ウォーカー」編の、あのデタラメさは電波少年との違いを明確に表している。あんなの電波少年なら絶対にありえない。

この番組をジャンル分けする(必要ないのはわかっているが)なら、絶対旅番組に分類されると思う。よくいわれる、いわゆるドキュメントバラエティではない気がする。
とはいえ「ああ、こんなところに行ってみたいな」と思わせるたぐいの旅番組ではなく、もっとオフビートで、「旅の面白さって何なのか」を鋭く切り込んでいる。
個人的に考える旅の面白さとは「期間限定の共有体験」だと思っている。旅の途中で出会った人、出くわしたエピソード、それらは一緒に旅をする仲間との共有体験になる。
そういった旅の本質を見せることで、見ている側も、彼ら4人とともに旅をしている錯覚に陥る。面白い面白くないより(無論面白いのだが)、共有感覚を得ることができるのは非常に気持ちいい。

さて大泉洋である。
そもそも一切感動を排除してあるにもかかわらず「ベトナム」編でいつも泣けるのは、ゴール間際に藤村Dが大泉洋に「天才ぶりをありがとう」というようなことをぼそっとつぶやくところだ。
旅の仲間、ミスターこと鈴井貴之も、藤村Dも嬉野Dも、ずっとずっと、大泉洋の天才ぶりに助けられたと思っていたのだろう。
さっきも書いたように「どうでしょう」は旅番組であり、このフォーマットが固まった時点で(仮にD陣が全然しゃべらなくても彼らが制作に関わったら)、旅番組としては十分すぎるぐらい面白いのだが、それを「爆笑できる」ところまで引き上げたのは、間違いなく大泉洋の功績なのである。
とにかくバランスがとれている。やる気のなさも、そしてやる気も、さっき書いた共有体験の押しも、得意の物真似も、ホラ話も、全然しつこくない。すべて効果的にやっている。過不足なく、とはまさにこのことだ。
ここまでできるタレントは、ちょっと思いつかない。ひと言でいえば藤村Dのいった通り「天才」ということになるのだろう。
正直タレントを生み出す土壌が何もない北海道で、ここまでの天才が生まれたことは奇跡としかいいようがない。
もちろん、大泉洋がまだ素人同然でタレントとしての方向性をつかみあぐねた時期に番組を引っ張り、大泉洋が自我に目覚めてからは、まるで志村けんブレイク後の加藤茶のように一歩下がったところで番組を支えたミスター。
大泉洋の良さを全面的に活かすためにディレクターという立場にありながら積極的に絡みはじめた藤村D。
その藤村Dとは違い、あまり声は発しないもののカメラアングルで自己主張をした嬉野D。
誰が欠けても(出演者・スタッフの垣根を越えて旅の仲間として)番組は成り立たなかったと思う。

それでもやっぱり大泉洋は別格の気がする。演技力もあり、芸人ではなく、今では希少ともいえる本当のコメディアン(喜劇役者)として成り立っていける可能性があるのは、今、この人しかいないのではないかと思うし、他には知らない。