2009年5月11日月曜日

冨浦智嗣

という名前だけを聞いてどれくらいの人がわかるのだろうと思うと夜も眠れない。

本当は2009年上半期の朝ドラ「つばさ」について書こうと思ったんだけど、やめた。「つばさ」はその前の「だんだん」よりははるかにまともなドラマであり、要所を押さえたつくりになっている。
だが、いや、だからこそというべきか、書くことがないのである。まあギャグが致命的につまらないという欠点はあるにせよ、自分の中で、何だか「なんとなく見ている」程度の扱いになってしまった。
一見破天荒に見えるこのドラマは、よくよく見てみると「無難」の一言に尽きる。
しかしある意味、この無難さこそ本来の(自分が避けていた最大の要因でもある)朝ドラの持ち味なのかもしれない。
ただこの無難なドラマの中でひとりだけ異彩を放ってる人がいる。
それが冨浦智嗣だ。
彼をはじめて見たのは「わたしたちの教科書」でだが、「わたしたちの教科書」の内容とあいまって、とにかく独特の雰囲気を醸し出していた。
そもそも朝ドラでは典型的ともいえる両親と姉、弟という家族構成で、その弟役にこんなにアクの強い役者を使うのは理解不能というか、この弟が精神的に荒れる話があったが、叫んでうずくまるシーンなど、まったく朝ドラらしくないコワさがあった。
中性的なルックスで、声は少女と聞き分けができない。それだけでも異様なのに、演技も、何を考えているかわからないようなキャラクターであればあるほど光り、発狂するようなシーンは見ているものに戦慄を走らせる。

似たような個性を持っていた役者をひとり知っている。松田洋治だ。
「家族ゲーム」の、といえばピンとくる人も多いだろう。子役あがりで(自分がはじめて見たのは「仮面ライダーアマゾン」だった)、思春期の「狂い」を演じさせたら右に出る者はいなかった。
その後は映画「ドグラ・マグラ」に出たのをみたぐらいで、まあ今も舞台を中心に活躍しているみたいだが、基本的には思春期の象徴のような人である。
冨浦智嗣が松田洋治の後継者というか、まったく同じライン上に位置しているのは間違いない。いわば「昭和50年代的演技者」ともいえる。

彼が今後どういう作品に出演するのか、そして役者としてどのような歩みをたどるのか、大いに興味がある。
はたして「思春期の象徴」的なキャラクターから脱皮できるのか、もし脱皮できたらどんな役者になるのか、興味は尽きないし、予測もできないし、自分にはわからない。