2008年9月16日火曜日

タオル



世の中には潔癖性とまでいかなくても、プチ潔癖性の人は結構いる。

そういうことからはほど遠い自分からすると、結構鬱陶しい。もちろん遠巻きに見ている分にはいいのだが、そういう人は他人にもプチ潔癖を強要したがるから困ってしまう。もちろんそうでない人もいるんだけど。

気持ちはわからんでもないが、こっちにもこっちの基準があるわけだし、できれば強要はやめてほしいし、否潔癖な人間としては身構えるというか、遠慮が多くなってしまう。

もし今後、親しい間柄になると予想される人にプチ潔癖の可能性があったとすれば、そういう時はこう質問してみればいい。

「バスタオルは毎日変えますか」

以前なんかのテレビ番組でもいってたけど、バスタオルというのは使い方が難しい。

他のタオルならまず一日も使えば洗濯するけど、バスタオルを一回使っただけで洗濯するのは、何となくもったいない気がしてしまう。

別に汚れているわけでも臭うわけでもない。きれいに洗った身体を拭くだけ。もちろんきれいではないけど、つい2、3日ぐらい使ってしまう。

もし当たり前みたいな顔で「ええ、毎日変えますよ」と答えたら、その人はまずプチ潔癖性だ。

まぁそれでも汚いよりキレイな方がいいわけで、極端に汚いのはやっぱりマズい。いや、実際には汚くなくても、それはマズいんじゃないの、オレにはできないよってことも多々ある。

大学時代、よくお世話になった先輩がいた。少々頭が固いところもあるが面倒見がよく、金欠の時にはメシをごちそうになったこともある。

ごちそうになるといっても、料理が趣味の先輩だから、手料理である。べらぼうに旨いわけでもないが、ちゃんとした味だし、量も多くて、その点でも助かった。

先輩の部屋はいつも整頓されていた。今は使っている人はほとんどいないだろうけど、当時はカセットテープの時代で、これが結構整理に困るのだが、先輩は実に細かいインデックスをつくり、キレイに順番に並べていた。

潔癖性とまではいかないが、キレイ好きな人、という印象だった。

それがとんでもない噂が出回り、先輩の信用が一気に落ちることになる。

とんでもない噂、それは「どうも身体を拭くタオルと、食器を拭くタオルを兼用しているらしい」という噂であった。

先輩に問いただすと、何の否定もしなかった。それどころか、それの何が悪い、全然不潔じゃないじゃないか、と居直った。

彼の主張はこうだ。

洗濯したタオルはまず食器を拭くのに使う。そしてその後、身体を拭くために、バスタオル代わりに使う。そしてそれを洗濯し、また食器拭きに使う。これで何が汚いというのだ、と。

たしかに洗濯したてのタオルならキレイかもしれない。でもそれを身体を拭くタオルと兼用するのは、どうにも心理的に抵抗がある。いくらキレイでもキレイとは言いづらい壁を感じてしまう。

何というか、トイレの水を飲め、に近いものを感じてしまう。もちろんタンクをピカピカにしている前提で、水が便器に触れる前なら、おそらく汚いことは一切ないはずだ。

それでもやっぱり無理だ。心理的な壁が邪魔をしてしまう。

それと同じで、いくら先輩がこのタオルはキレイだ、と主張したところで、その壁は簡単には壊れない。

それ以来、自分はその先輩の家でメシをごちそうになるのを一切やめた。自分だけじゃなくて、他の後輩も彼の家に行くのをためらうようになった。

これはある意味、不潔よりタチが悪いんじゃないかと思う。不潔はある程度矯正することはできるけど、深層心理はそう簡単には変わらないんだから。