2008年9月8日月曜日

アンバランス



どうにも困ったもので、人を笑わせることに最高の快楽をおぼえてしまう。

といっても突飛な行動、たとえば裸踊りとか奇妙な顔をするとかそういうのではなく、いかに気の利いたことを最適のタイミングでいうか、体験したことをあまり嘘は交えず(誇張はあるが)笑いを呼べるか、そういうたぐいの笑いである。

たとえば夜中に突然、ギャグ(というか一口話)を思いついて寝付けないことがある。出だしはこう、オチは・・・少し弱いな、こういう口調でいった方がより効果的だ・・・。専門用語を使うと「ネタを繰る」とでもいうのか、とにかくある程度まとまるまでやめることができない。

しかしこれだけ繰ったネタをとうとう発表できないまま忘れてしまうことも多い。

場違いなところ、場違いなタイミング、場違いな人にネタをしゃべった時ほど悲惨なことはない。下手すれば怒りを買ってしまうことすらある。

だからこそ慎重になるわけだが、時流が変わったり、自分や相手の物差しが変わったりして、話す機会を失ってしまうことも多々ある。そしてそれらのネタは忘却の彼方へ消えるわけである。

自分という人間を考えてみると、というか他人からの指摘を整理してみると、些細なことで気を悪くし、すると途端に物言いがキツくなってしまう。しかも人と思考回路がズレてる時が多く、何でまたこのタイミングで怒るの?と相手は理解に苦しむようで、まぁこういう人を世間では「やっかい」と呼ぶ。

しかも自分のスガタカタチは怖い部類に入ると思う。体型はなさけない、酷いオッサン体型なのだが、顔が怖い。しかも目つきが悪く、若干だが藪睨みの気もある。

そのくせ特定の人物にはやたらにしゃべるし、やたらと人を笑わせることは好きなのだから、変というか、「やっかい」だ。

笑わせるためなら長時間ネタを繰ることなど苦痛でもなんでもない。仮にウケなかったとしても繰った末の結果なのだから納得もできる。これもやっぱり「やっかい」だ。

ここまで読んで「なんて馬鹿な時間の使い方をしているのだ」と思うむきもあろう。それどころか「あんた何者だ。芸人でもあるまいし」と呆然とされる方もいると思う。

でもこれは自分にとって趣味なのだ。コレクターの蒐集が同じコレクター以外からはガラクタにみえる、そんなものに大枚つぎ込むのは馬鹿の極みに見えるのと一緒だ。趣味なのだからあきらめてもらうしか術がない。

ただしコレクターは、財布を共有する家族は別にして、周りにほとんど迷惑をかけないのにたいして、自分の趣味はひとりでは成立しない。ほとんど「寝床」の世界だ。

ま、実際にはそれほど迷惑をかけていない、と思う。むしろ親しくなればなるほど自制が働いて遠慮がちになる部分がある。

このアンバランスぶりはどうだろう。自分でもちょっと困ったものだと思ってしまう。もし自分の周りに「私」がいたら、きっと友達になりたくないと感じるに違いない。

そんな自分を見捨てるわけでもなく、淡々とつき合ってくれる友人たちには感謝、というか頭が下がる。

こんな人に少しでも何か返さなくては・・・そう考えてまたつまらない繰り言を考える。まさに趣味と実益を兼ねているではないか。

・・・とか考えているってことは、まだまだ懲りていないということではないか。まったく「やっかい」以外のなにものでもない。

何か最終回っぽい文章になったが、全然そんなことはない。たまたまだ。