2008年9月29日月曜日

最後の晩餐



母親に聞くと、子供の時の自分はわりと父親になついていたらしい。

そうなのか、と不思議な気持ちになる。今はもちろん、子供の時でさえ父親にたいして好意的な感情を持ったことなどなかったはずなのに。

中学一年の時、両親は離婚した。離婚したといっても父親だけが出て行った状態だったし、名前も変わることがなく、何一つ生活の変化はなかった。

前年ぐらいから父親が帰ってこない日が多くなった。たまに帰ってきても深夜に近い時間であり、枕元から両親の激しい口論が耳に入ってきた。

だから離婚ときいて、正直ホッとしたのをおぼえている。もうあの、子供ながらに感じる醜い言い争いを聞かなくて済むと思ったからだ。だがそれだけではない。

両親の離婚イコール、ある種の恐怖心の消滅をも意味していた。だから心の底からホッとしたのだ。

あれは小学六年の時だった。珍しく早く父親が帰ってきた。そして久しぶりに近所の店にメシでも食いにいくか、と言い始めた。

すでに父親にたいしての悪意が芽生え始めていた時期なので、別段うれしくはなかった。

しかしはっきりおぼえている。自分は必要以上にはしゃいだ。はしゃがなくてはいけない、何かそういう空気が横溢していた。

父親、母親、自分、そして妹と弟。家族五人は近所の、何て事無い中華料理屋に入った。

普段皮肉な目付きの薄ら笑いしかしない父親も、何故かこの日は上機嫌で、たしかビールかなんかを注文し、好きなものを頼め、と見せたことのないような笑顔で子供三人に促した。

そんな父親とは対照的に、母親は妙に緊張した顔をしているし、妹と弟もどことなく堅い。それは思い違いかもしれないが、小学六年の自分にはただならぬ雰囲気に思えてしかたがなかった。

自分は注文した若鶏の唐揚げをぱくつきながら「♪若鶏、若鶏、カ・ケ・フ~」と、この時をさかのぼること数年前に関西地区でかすかにヒットした、阪神タイガースの掛布雅之選手の応援ソングの替え歌を口ずさんだ。(本当の歌詞は若鶏ではなく若虎)

まったくつまらない駄洒落である。しかし必死だったのだ。何とかこの張りつめた雰囲気を和ませよう、子供の浅知恵だが、そんなことでもしないといたたまれなかった。

父親も母親も薄く笑ってみせたが、空気は変わらない。

もうどうしていいかわからなくなっていった。

少し話が横道に逸れる。

子供の頃「ウィークエンダー」という番組があった。漫画家の加藤芳郎が司会で、桂ざこばが桂朝丸という名前で出ていたのをおぼえておられる方もいると思う。自分が見始める前には横山やすしや泉ピン子もレポーターとして出ていた。

番組が中盤にさしかかった時、毎回必ず再現VTRのコーナーがあった。再現VTRとは事件をドラマ仕立てで文字通り再現する。扱うのはエロネタから悲惨な事件まで様々だが、出てくるのが無名の役者ばかりというのも手伝って、やけにリアルで、子供が見るには刺激が強すぎる代物だった。

それでも毎週見ていたのは、大人の世界の覗きみたいという好奇心からであろう。

家族で中華料理屋に行った数週間前だと思う。「ウィークエンダー」の再現VTRで一家心中を取り扱った回があった。

つまらない駄洒落もむなしく響き、身動きが取れなくなった自分の頭に、この再現VTRがよぎっていった。

一家心中・・・・?

必死で想像を打ち消そうとした。しかしいくらあがいても「一家心中」という言葉が頭から消えない。

いや、大人になった今だから余計にわかる。あの不自然な空気、まったくもって一家心中直前の家族の様子そのものではないか!

まぁ本当にそうなっていたら今こうしてこんな文章も書いてないわけで、結局何事もなかったかのように家路についた。

その日から約半年後、両親は正式に離婚した。

もう一度、最初の母親の言葉を書く。あなたは父親になついていた、と。

そしてこうも書いた。両親の離婚はある種の恐怖心の消滅だと。

そういうことだったのだ。たぶん自分は父親になつくような行為をしていたのだろう。それはけして情愛からではない。はっきりいえば怖かったのだ。

殴られるとか叱られるとか、そういう怖さとは次元が違う。適度になついたり甘えたりしなければ、自分はこの世にいられない。そう考えて、いや考えたんじゃなくて、無意識の行動だったのだろう。

あの時父親が何を考えて家族を食事に連れ出したのか、そしてあの時の出来事が現在の自分にどういう影響をもたらしているか、どちらもよくわからない。

でもひとつだけわかることがある。自分はどんなことがあっても、最後の晩餐には若鶏の唐揚げは選ばないということだ。

それはいくら今の自分が唐揚げが好きだからといっても変わることはない。