2008年9月11日木曜日

記憶の蓋



人は自分が生まれた時代に興味を持つ、というが、どうも自分はその限りではないらしい。

自分の生まれた時代はといえば、グループサウンズ華やかなりし時代だが、グループサウンズは好きで結構調べたりもしたのだが、それ以外の時代背景にはさして興味が沸かない。

思えばおかしな子供時代で、たしか小学五年生の時だったと思うが、夏休みの自由研究にテレビの歴史年表をつくっていったことがあった。かなり丹念に調べ(むろん小学生にしては、だが)、担任の先生にも「こんなにちゃんとしたものだとは思わなかった」と褒めるとも貶すともつかぬ言葉を吐かれたのを今でも思い出す。

テレビの歴史を調べようと思ったのは、昭和30年代にたいする興味からであった。昭和30年代は昭和50年代からすでに一種の桃源郷めいた興味が人々からもたれており、レトロブームなんて言葉も使われたが、今でも「三丁目の夕日」なんかがあれだけの観客動員を誇っている。

これだけ長期間に渡って人々の興味を惹いてるわけだから、もうブームでも何でもないと思う。

それにしても、いくらレトロブームなんて言葉が横溢していたとしても、昭和30年代に強い関心がある小学生なんて、今考えると不気味だ。しかしこれが太古の昔、たとえば戦国時代とか、そういうのが好きな小学生なら普通なわけで、まぁ大昔か近過去かの違いだけともいえる。

そういうことにはやたら早熟だったせいか、興味の対象はいつしか昭和30年代から昭和20年代へ、そしてここ数年は昭和10年代に移ってしまった。

昭和10年代ともなると、いろいろ調べようと思っても資料が極端に少ない。自分が興味があるのは戦時記録などではなく、エンターテインメントや、ごく普通の暮らしに関してなので、意外とそういうのを克明に記録した書物が少ないのだ。

エンターテインメントに関しては瀬川昌久著「舶来音楽芸能史―ジャズで踊って」と色川武大著「唄えば天国 ジャズソング―命から二番目に大事な歌」の二冊にとどめを指す。前者は客観的かつ網羅的に、後者は徹底的に私的に、当時のエンターテインメントの王様であるジャズを中心にしたエンターテインメントが克明に書かれている。

では昭和10年代の庶民の生活、はというと、これは、というような決定的な著物に出会ったことがない。自分が知らないだけかもしれないが、あんまりないのではないか。

とにかくやたら悲惨さが強調されたものは数多くあるのだが。

こうなってくると、自分で証言を得るしかない。ところが以前ここで書いた叔父に話を聞こうと思っても、なかなか話したがらない。

終戦後のことなら、わりと何でも話してくれる。たとえば神戸の、阪急三宮駅の北口付近が闇市だったことなど。

でも戦中の話になると途端に口が重くなる。叔父は昭和14年生まれだから、それなりに記憶があるはずなのに。叔父に限らず実際こういう人は多い。他のことは多弁でも、戦時中のこととなると口を閉ざしてしまう。

しかしこれはものすごい傲慢なことというか、もちろん傲慢なのは自分で、もう想像を絶するようなことの連続だったのだろう。いわゆる記憶に蓋をしている、ということか。それは簡単には蓋はあくはずもない。

自分は戦争は知らない。当たり前だが。しかしやっぱり記憶に蓋をしている出来事がないとはいえない。とはいえ特別多いわけではないとは思うが。

知人でうつになった人がいる。まずカウンセラーがやったのは記憶の蓋をはがすことだったそうだ。それはとても辛いことだと自分にもいっていたが、それはそうだろう。しかし一度蓋をはがしてやらないと、次へ進めないのだそうだ。

もちろん一生健康で、記憶の蓋をこじ開けることなく、幸せに暮らしていけるなら、それに超したことはない。しかしうつに限らず、目の前の壁が高すぎて、かといって回避することもできず、どうしてもその先に進まなければいけない。

記憶の蓋をこじ開けなければ、どうしようもなくなった時、自分ならどうするのだろうと考える時がある。多くはないとはいえ、40年生きてきた分ぐらいはある。

いや、それが何だといわれればそれまでだけれども、別に昭和10年代のことに限らず、趣味をある程度極めようと思うと、その人の奥に潜む、記憶の蓋にまで思いを馳せなければならないのかもしれない。何だかため息がでてくる。