2008年9月19日金曜日

パチンコ



ギャンブルはしない。といっても真面目とか堅物とかとは一切関係がない。ただ単に興味がないだけだ。

但し競馬だけはちょっとおもしろいかな、と思っている。でも実際には馬券を買うわけでもテレビ中継を見るわけでもない。

そんな中、別格のギャンブルがある。もちろん悪い意味での別格である。正確にはギャンブルと呼べるかどうかわからないが、とにかくパチンコは好きでない。

すんごい正直にいえばパチンコをやる人自体、あまり好きでない。険悪になるに決まっているので口のは出さないけれど。

しかしだ、これだけ好きでないのに、どうもパチンコには縁がある。

数年前、とある会社にて、パチンコ店のチラシを約三年に渡ってデザインしていた。パチンコ業界というのは不景気に強いようで、次から次へと仕事が増えていった。

地域でいえば神戸・大阪と関東で、ここらへんに住んでいた方は自分の作った折り込みチラシを見ておられたのかもしれない。

とにかく毎日毎日おびただしい数のチラシを作っていた。そんなんだから自然とパチンコには詳しくなる。

「お、海物語の新機種がでるのか」

「このメーカー、ホント羽根物にこだわるよなぁ」

「あそこのメーカー、スロットはいいのにパチンコになるとダメだな」

そんなフレーズがポンポン出てくる。

東京は上野にある各メーカーのショールームとか毎週のように通っていたし、幕張でやったパチンコの見本市みたいなのもいった。

この見本市、やたらと派手なもので、自分をフューチャーした台が出ている芸能人なんかもいっぱい来ていた。

こんなんだからパチンコ店の店長なんかとも仲良くしゃべるし、ルールや規制についてだって、その辺の素人より知っている。

でも、それでも、自分はパチンコをやらなかった。

会社の人にも、それこそ毎日のように誘われた。上司からは「実地研修だと思え」とさえいわれた。それでも行かなかった。

たしかにパチンコという遊技自体、いいイメージがなかったのはたしかだが、それ以前に、自分の中で「パチンコはもう終わった」と思っていたことが大きい。

小学校低学年ぐらいまで、親戚に連れられてよくパチンコ屋にいっていた。

ただ見てるだけではつまらないので、少し玉を分けてもらい、自分でも打ってみる。

おもしろい。そして難しい。なかなかチューリップの中に入ってくれない。

そのうち親戚から小銭をもらい、自分で玉を買い、打つようになった。もちろん子供がパチンコに興じるのは、厳密にいえばアウトだが、時代的にも店的にもおおらかで、誰も気にとめなかった。

一度、恐ろしいほど馬鹿勝ちをしたことがあった。まぁせいぜい一万円ぐらいだが、子供にとって一万円は大金である。

子供の自分は何を思ったのか、全部ガムに換えた。十箱以上はあっただろうか。別にガムが好きでもなかったのに、何故そんなことをしたのか、まったく理解に苦しむが。

たしかそのガムは全部食べきれず(当たり前だ)、処分したと思う。

こんな子供時代をすごしておきながら、大人になってからはパチンコには興味が持てなかった。いや、大人になる前、小学校高学年ぐらいから興味がなくなっていた。

自分が子供の頃のパチンコといえば、レバーを指で弾くものだった。それが少しずつ、電動式の台が出回りだし、あっという間に電動式の方が主流になってしまった。ちょうど過渡期だったのだろう。

初めて電動式で遊んだ時の感覚は未だに忘れない。

「こんなんつまらない・・・・」

レバーを指で弾く、というのは、どれだけ同じ力加減のつもりでも、やっぱりズレが生じる。そこがおもしろかった。しかし電動式の場合、一度頃加減でレバーを固定すれば、まったく同じ弾道で玉が飛んでいく。

まだ規制もゆるく、みんな十円玉かなんかでレバーを固定して、あとはたばこを吸いながら台を眺めている。

何か電動式の台が出回ってからが、ゲームとしての面白さは半減してしまい、パチンコが正真正銘のギャンブルになった瞬間のような気がする。

だから自分にとって、パチンコはもう「終わったゲーム」でしかないのだ。そして今のパチンコ台がいくら進化して、でっかいディスプレイをつけて、派手なリーチ予告があったとしても、何だか退化しているような気がしてならないのである。