2008年9月12日金曜日



子供の頃から手先が不器用で、損ばかりしている。

といっても細かい作業が嫌いかといえばそんなことはなく、世代のご多分に漏れず、中学生の頃はガンプラ作りに熱中したし、さきほどには半分仕事、半分趣味みたいな感じでジオラマ「のようなもの」を作ったりもした。

なにぶん指先を細かくコントロールできないもんで、けしてテクニカルなものではないが、それなりに凝ったつくりで幸い好評を得ることができた。

下手の横好きというやつだ。そういや大学が芸術系だったため、他人の課題がおもしろそうに見えてしかたがなかった。どれも細かい作業を必要とするものばかり。

ついつい「手伝おうか」とかいってしまう。もうそりゃいろいろやった。編み物からコンピュータのプログラミングまで。(BASICをつかったごく簡単なものだが)

挙げ句、原稿用紙にして100枚超の卒業論文まで書き上げた。当人は教授に「よくできている」と誉められたらしいが、自分が誉めてもらったわけではないので別にうれしくはなかった。

それはさておき、自分のことになるとさっぱりで、課題もなかなかやらないし、とくに細かい作業を要する課題は最後まで放置したクチだった。

小学生には夏休みやら冬休みというものがあって、必ず自由工作という宿題がでる。これがイヤでイヤでたまらなかった。

夏休みの自由工作など、適当な虫かごを買ってきて、適当に魚やら海藻を色紙で切って、適当に糸でつるして、はい、水族館のできあがり。それですましている。

難儀なのはお題がある時で、たしか小学五年生の時だったか、冬休みの自由工作のお題が凧だった。凧と決められているわけだからいったいどこが「自由」工作なんだ。いい加減にしろ、とか文句ばかりいって、ますますやる気がしない。

いつものように三学期が始まる寸前まで放置していると、そのことをどこからか聞いた親戚が

「凧か。オレがつくってやる。いいのを作ってやるから任せろ」

といいだした。

まぁ大学時代の自分みたいなもんで、おそらく「凧つくりか、おもしろそうだ」と思ったに違いない。こちらとしても渡りに船で、親戚に丸投げした。

できあがった凧は、作ってもらってこんなことをいうのは申し訳ないが、かなり不格好なシロモノであった。てっきり和風の、ディスイズ凧(和風でディスイズはおかしいか)みたいなのができてくると思ったら、当時流行していたゲイラカイトの出来損ないのような仕上がりだったのだ。

何がみっともないといっても、羽根の部分が水色のゴミ袋を流用してあるところで、正直学校に持っていくのが恥ずかしかった。

とはいえ一から作り直す気などさらさらない自分は、ご勝手にも不満足な気持ちで、その凧を持って始業式に向かった。

始業式の翌日、宿題の凧を実際に飛ばしてみましょうということになった。

みんなの作った凧はそれなりによくできており、カラフルな、それこそゲイラカイトをそっくり模擬したものや、歌舞伎役者風の顔が描かれた和凧まで、立派なものばかりだった。ゴミ袋凧とは雲泥の差だ。

だが他人の凧がうらやましいと思ったのはここまで。見栄えのよい、クラスメイトの凧は全然飛ばない。バランスが悪くクルクル回ったり、そもそもどうやっても空中に浮かないものばかり。

一方我がゴミ袋凧はというと、いとも簡単に舞い上がった。みんなの視線が自分の凧に注がれた。

「●●(※アタシのこと)の凧、すげえな。馬鹿にしてたけど、ゲイラカイトより飛ぶじゃねぇか」

一瞬、凧を作ってくれた親戚のほくそ笑む顔が浮かんだ。さすが「凧なら任せろ!」といっただけのことはある。芸術的センスは皆無だが、飛ぶ凧を作るコツを心得た出来に感心した。

本当にこのゴミ袋凧、驚くほどよく飛ぶ。人生の中でこれほど高いところまで凧を飛ばしたことは後にも先にも一度もない。

だんだん有頂天になってきた。どうだ、すごいだろ!

しかし級友のひとことで、そんな気持ちは吹っ飛んだ。

「おい、●●の凧、コンクールに出すのは決まりだな」

たしか小学生を対象とした自作凧のコンクールがあり、おそらくこの宿題も、その予選を兼ねてのものだったのだろう。

急に汗がでてきた。コンクールはイヤだ。だって自分が作ったものじゃない。もしそんなことになったら恥ずかしくて、とてもじゃないがその場にいれない。

三学期が始まったばかりだから当然寒い。なのに小学五年生の自分は手汗をかいていた。周りが感嘆の声をあげればあげるほど、手に汗が滲んでいく。そして凧はさらに上へ上へとあがっていった。

そんな時だった。プツッと小さな音がした後、ゴミ袋凧は遙か彼方に消えていった。

そう、糸が切れたのだ。

クラスメイトを口々に慰めてくれた。が、いうまでもないが、自分の心持ちは安堵に包まれていた。よかった。これで恥ずかしい思いをしなくてすむ・・・・。

凧の糸が切れた。それは文字通り、心の中の、緊張の糸が切れた瞬間でもあった。