2008年9月18日木曜日

ひとり旅



小学生の頃、藤子不二雄A氏の「フータくん」という漫画にハマりにハマった。

内容はというと、小学生ぐらいの少年ながら、家族を持たず学校へも行かず、今様にいうならバガヴォンドとでもいうのか、まさに足の向くまま気の向くまま、気楽な旅をしている、そんな少年を主人公にした漫画だった。

面白い、というよりも、あこがれた、といった方がいいかもしれない。大人になってからも何度も読み直したが、もちろん面白いことには違いないのだが、やっぱり主人公であるフータくんの姿は何度見てもいい。

だからか、未だに「ひとり旅」という言葉にあこがれているフシがある。ひとり旅なんてとんでもなく寂しいみたいだが、自分にとってはそうではない。誰に気兼ねすることもなく、足の向くまま気の向くまま、まさにフータくんのような旅ができるかと思うだけでゾクゾクしてくる。

そういや子供の頃「もしこのままひとり旅に出るなら」という体で、ヒマさえあればリュックの中を引っかき回していた記憶がある。好きな漫画、好きなカセットテープ、ゲーム&ウォッチ・ダブルスクリーンのドンキーコング、といった遊びの道具はもちろん、とっておきの、2099年までのカレンダーが表示できる、カシオの高機能電卓なんかも詰めてある。

さらにはもし怪我をしたらどうするのか、と考え、当時日本では入手が困難だったタイガーバームを根こそぎ他の容器に移して、それがバレて、こってり絞られた記憶もある。

あの頃、リュックこそ自分にとっての、フータくんの持っているズタバッグであり、ドラえもんでいうところの四次元ポケットであった。もっともこっちは自分でアンコを詰めるのだけれども。

じゃあ実際どこに「旅」に行くか、だが、たかが小学生だからお金もないし、やっぱりちょっと怖いし、せいぜい電車に乗り継いで、神戸から大阪難波ぐらいが関の山である。どうも難波より南は大人とでさえ行ったことがなかったからか、完全に未知の世界であった。

昭和54年、小学五年の時の話だ。ついにこの禁は破られる。

この年、近鉄が初めてリーグ優勝するチャンスを迎えていた。自分は別に近鉄ファンでも何でもなかったが、藤井寺球場で行われる試合で優勝が決まる、とわかるといてもたってもいられなくなった。

この日は土曜日で、いつもなら母親が昼食として焼きそばか何かをつくってくれるのだが、何故か母親は出かけており、学校から帰るとどっかで買ってきた、パックに入ったお好み焼きが置いてあった。

よし、このお好み焼きをお弁当にして藤井寺球場に行こう。幸いお小遣いはまだ残っている。何とかなるぞ、と意気込んで、自慢のリュックにお好み焼きを詰め込んだ。

足取りは軽かった。はじめてのひとり旅である。背中のリュックを実際に持ち出したのも初めてだ。中身はさんざん練り込んだものばかり。どんなことがおこっても大丈夫だ。時間を潰すことも、怪我をしても何とかなる。たとえこの旅が二十一世紀まで続いたとしても、高機能電卓さえあればいつでも何曜日か知ることができる。

気分は高揚しきっていた。電車の中でも、自分がニヤついているのがわかるぐらいであった。

電車を乗り継ぎ、未知の土地である天王寺に着いた。ところが近鉄あべの橋駅ではあちこちにこんな張り紙がしてあった。

「本日の藤井寺球場で行われる近鉄の試合は入場券がすべて売り切れました」

自分は入場券なんて持っていない。つまり今から球場に行っても入れない、ということに他ならない。

いきなり冷や水を掛けられてしまった。もう目的がなくなった。どうしよう・・・。

とはいえ、あんだけ浮かれまくった、初めてのひとり旅だ。このまま帰るわけにはいかない。なにしろ二十一世紀になっても旅を続けられる準備をしてきたのだ。たかだか二時間ちょいで帰ってたまるか!

とりあえず、本当にとりあえず、目の前にあった天王寺公園で、家から持ってきたお好み焼きを食べることにした。もう14時をまわっている。腹が減ってるなら、まず食えばいい。そして後のことは食後に考えよう。

この天王寺公園、今は様々な事情があると思われ有料になっているが、当時は無料で誰でも入れた。ただしかなり浮浪者も多かったと思うが、まぁそういう人は三宮で見慣れているので、そこまで抵抗はない。

ベンチに腰を下ろした。リュックを広げて弁当であるお好み焼きを取り出す。

しかしそれはお好み焼きといえるのだろうか。どう見ても黒いカタマリにしか見えない。

冷めたお好み焼きほどマズいものはない。だから出発前、電子レンジでお好み焼きをこれでもか、と親の敵のように熱した。もう燃えるんじゃないかと思えるほど熱した。

家を出てからすでに二時間は経っている。当たり前だがどれだけチンチンに熱くしようが、二時間も経てば冷めるに決まっている。

しかも熱しすぎたせいで、お好み焼きはおぞましい姿に変わり果てていた。

とはいえこの物体がお好み焼きであったことは間違いないし、腹も減ってる。食って食えないことはないだろうと口に入れてみた。

食って、食って、食って・・・・・食えない・・・・こんなもん食えるか!

堅い。とにかく堅い。しかもおそろしく臭い。とてもじゃないが人間の食う代物ではない。

何か知らんが一時の情熱に突き動かされて、天王寺なんてとこまでやってきてしまった。が、よくよく考えたら、すでに何の目的もない。もしあるとするなら、このお好み焼きを食うことだけだ!

吐きそうになった。でも我慢した。気持ち悪くなった。それでも我慢した。食いきった。というか口の中に押し込んだ。

・・・どんどんむなしくなってきた。何でこんなところで、死ぬほどマズいお好み焼きを食っているんだろう。さっきまでの、ひとり旅にたいする、燃えさかるような情熱はお好み焼きの如く冷め切っていた。

帰ろう。ひとり旅?なんだそれ?だいたい目的がないんだから帰るのは当たり前じゃないか。

極端に乗り物酔いしやすい自分のことだ。もしかしたら途中で全部嘔吐してしまうかもしれない。でも、もう、帰るしかないんだ。

家に着いた。着くなり便所に駆け込んだのはいうまでもない。

そしてこの日、ご自慢のリュックのチャックを開けたのは、お好み焼きを取り出した、たった一度だけであったことも書き添えておく。