2009年10月7日水曜日

偽善者にならない男

笑福亭鶴瓶という存在はつくづく不思議だ。
テレビで局部を露出したり、大便したり、失禁したり、ほんらいなら危険極まりない芸人として認識されてしかるべきはずである。
ところが「家族で乾杯」での、一般人の反応を見るまでもなく、非常に近しい、しかも関西弁でいうところの「ええ人」で通っている。
鶴瓶は番組の出演者やファンを連れだって旅行を行うのが好きで、大昔の「花の女子大生」や「ぬかるみの世界」からずっと、現在放送中の「ヤングタウン日曜日」でも、まだ、やっている。
ファンとふれ合おうという姿勢だ、という意見に異を唱える気はさらさらないが、一歩間違えば、偽善的ととらえられてもおかしくない。
これまた大昔の「突然ガバチョ!」では、番組の最後に「スタジオに遊びに来てくれた人」(はっきりいえばただの番組観覧者)ひとりひとりに握手していた。それにとどまらず、送迎バスまで見送るという徹底ぶりだった。
これを「偽善的行為」とみなすのはたやすい。もし、こういうことがやりたいとしても、何も番組の一部にすることはないんじゃないかという意見にも頷ける。
ところがだ、ここまでストレートにやられると、偽善という感じがしないのだ。
一時期さかんに「日本一感じのいいタレントを目指す」と吹聴していたが、これがギャグになるのは、観客が鶴瓶のハチャメチャぶりを知っているからだ。
しかも明石家さんまやナインティナインから「本当は悪い人」といわれることすら、そういわれることを許容することによって
表面はいい人→裏では悪い人→でも本当のホントは、やっぱりいい人
という公式がなりたってしまう。

こんな両極を持った人は他にいない。たとえばビートたけしが局部を露出したりしても(本当はそういうことはしない人なのだが)、番組観覧者と握手していったりする姿は想像できないだろう。
萩本欽一なら、番組観覧者と握手したりする画(例:24時間テレビ)は想像できるが、パンツを脱ぎ捨てる姿は想像できない。
両方がそこそこ様になりそうな芸人は、カンニング竹山ならちょっとできそうな気もするが、スケールが違いすぎる。
これがまさしく鶴瓶の特異性である。たけしやタモリ、さんまといった人より、昔とやってることは変わらない。
あいかわらずエロさをむき出しにしているのも変わらない。それは下ネタをいうとかという話ではなく、共演の女性にたしての接し方はセクハラそのものである。
にもかかわらず、そういう姿を目の当たりにしても、やっぱり「ええ人」であることはブレない。
極端な話、犯罪さえおかさなければ、鶴瓶の「ええ人」は保証されているといってもいいのだ。