2012年3月23日金曜日

昭和30年代を舞台にしたあの作品とあの作品

だいたいアタシは3D映画なんてもんに懐疑的です。
大昔にやたら棒を振り回す体のインチキ極まる3D映画を観に行ったことがありますが、コケオドシという表現がピッタリで、しかもスクリーンが観づらい。ここ数年アバターあたりからですか、やたら3D映画が流行りましたが、絶対に観に行くもんかと思っておりました。
それが今回「ALWAYS三丁目の夕日'64」を3Dで観たのは、やはり大昔に観た時とは技術も違うだろ、一度観てから批判なりなんなりしなきゃな、と思ったからなんです。それに内容的にもやたら「飛び出す」表現もないだろうから目も楽だろうなと。

とにかく泣けました。それも始まって10分もしないうちに。泣けて泣けて。
当然ストーリーで泣けたわけではなく目が痛くて涙が止まらなくなったんですね。いやあ、これは結構拷問でした。途中からさすがに慣れてきたものの、観終わった後の目の疲れは半端ではなく、やはりこれは無理だわ。
もちろんアタシの視力が右と左で極端に違うというハンデもあるのですが、それにしてもこんなおっとりした内容の映画でこんだけ目が疲れるんだから、それこそアバターみたいなのは絶対に無理だわ。

さてそんなことはどうでもいいのです。
思えば「三丁目の夕日」シリーズはすべて劇場で観ました。こんなことは珍しい。そしてそれはこの映画にハマったからではなくとある事情で第一作を観なきゃいけなくなって、後は惰性というか、つまらない意地というか。
はっきりいってこのシリーズには褒める部分もあるけど基本的には批判的なのです。

これは根本的な不満なのかもしれないけど、音楽をね、まったく効果的に使ってないのですよ。サントラも主題歌も悪いってわけじゃないんです。ただ、音楽と記憶ってガッチリ結びついてるじゃないですか。なのに「いかにも昭和33年を彷彿させる」という音楽がほとんどない。悲しいほどない。いや、何曲かは挿入歌として入ってるんだけど、使い方が悪いんで、ほとんど印象に残らない。せっかくね、テレビがやってくるってエピソードが入ってるんですよ。だったら当時のいい方でいえばコマソンね。三木鶏朗の曲とかをもっと効果的に使えばいいのに。そうしてこそはじめて、「当時じゃ作れない、昭和30年代を舞台にした映画」になったんじゃないかと思うのです。(2006年1月13日更新「『ALWAYS 三丁目の夕日』のこと」より)


これは第一作を観た後に書いたものですが、今回の「'64」でも一緒で細かいCGはともかく何も改善されていないといっていい。
まあでもわかるのですよ。これだけ固定ファンがつくシリーズも近年珍しく、となると固定ファンが安心できる内容にしなきゅならない。当然どんどん保守的になっていくってのはね。

原作は第一作でちょろっと使われただけで、それ以降はオリジナルといっていい。ただ第一作の時点で巧かったのは、お馴染みの癒しの昭和30年代の象徴として鈴木家を、激動の昭和30年代の象徴として茶川家を対比で描いたことで、原作でわき役に過ぎない茶川を年齢設定を替えて主役に持ってきたのは間違いなく映画スタッフの功績です。
さっきも書いたように、固定ファンの期待を裏切らないためか、これは「'64」でも踏襲されています。だけどこれは逆転させてもよかったと思うんですよね。せっかく第二作で茶川が結婚したんだから、今度は鈴木家を激動に放り込んでもよかった。

さて「三丁目の夕日」シリーズで鈴木オートの主を務めた堤真一ですが、今年のはじめにNHKで放送された「とんび」でも主役を演じていました。これは昭和30年代がドラマの導入部なのですが、まあ妙に合うというか。
だいたい堤真一がトレンディドラマの残り香のようなドラマに出ていた頃(やまとなでしことか)一応二枚目として出ていましたが、いったいどこが二枚目なんだよと。ただのゴリラじゃねーかと。でも昭和30年代って設定だとゴリラぶりが栄えるんですよ。それにこの人、素はバリバリの関西人なので、真面目な演技でも妙に可笑しいんですよ。それが「三丁目の夕日」シリーズでも「とんび」でも上手く出ています。

さて「とんび」ですが、内容は「'64」よりずっとよかった。内容はベタなんだけど、細かい描写の巧さもあってジンワリいい作品に仕上がっていました。
堤真一演じるのは鈴木オートに近しい昭和の頑固親父なんだけど、実に人間味があってね。鈴木オートはキャラとしての頑固親父だけど、「とんび」のは血の通った人間なんですね。人間として弱い部分がいっぱいあって、それでも必死で頑張ってる一小市民になってた。

「三丁目の夕日」シリーズに話を戻しますが、このシリーズの最大の弱点は「人間味のなさ」なんです。所詮全員キャラでしかない。必死でこの時代を生き抜いた人たちの群像なんだって感じがないんです。
原作が漫画だという言い訳は通用しない。せっかく登場人物の過去を語るエピソードもあるのに、それが人間的な深みになっていない。ただのエピソードで終わっている。

もったいないですよ。お金もいっぱいかけてただ昭和30年代をCGで再現しただけってのは。もっともっといい作品にできただけにね。