2012年9月6日木曜日

Facebookへのスタンス

いきなりですが、アタシには友達がいません。ええ、もちろんリアルにですよ。ひとりもいないわけじゃないのは当然ですが、無理に増やそうとしてないのも事実です。
それでさみしくないの?といわれそうですが、まあ特には、と答えるしかない。何で?って聞かれても、自分でもわからない。まあそういう人間なんでしょうな、としかいいようがないわけです。
こんなアタシでも数は少ないとはいえ心の底から信用できる友達や知り合いはいます。それで十分と思っているのかな。というかそういう人が何人かいれば十分じゃないかと思ってしまうわけです。

さあて、表題のテーマに入ります。Facebookについては以前も何度か書きましたが、アタシなりのスタンスを書きたいと思いましてね。
リアルの友人が少ないんだから、当然Facebook上での友達も少ない。でもこれだけはいえるのですが、今Facebook上で友達になってる人は、全員大好きな人ばかりなのですよ。もしアタシがノアの方舟を持ってたら絶対乗せたい人ばかりです。
そういう人たちだから近況を見るのは非常に楽しい。アタシが大好きな人は今日こんなことをしてたんだ、と知ることは何だかすごくほっこりする行為なのです。
では逆の言い方をしましょう。
ただの知り合い、顔見知り、仕事上の付き合いだけの人。まあいや嫌いではないけど別に好きでもない人。ノアの方舟を持ってても優先的に乗せたいと思わない人。
そういう人たちの近況を見て面白いのかって話です。少なくともアタシは全然面白くない。
たとえばFacebookを完全に仕事のためのツールとして割り切るならそれで構わない。でもそうはしたくないというか。最大公約数的なことしか書けなくなるし。
じゃあFacebookを通じて仲良くというか大好きになればいいかっていうと、これは話の順序が違うんじゃないかと。というかネットだけだと、こいつ面白いな、が関の山で、好きまではならないよ。アタシが古いだけかもしれないけど。

最初に無理に友達を増やそうとは思わないと書きましたが、好きな人がいっぱいできて、極端ですがその結果Facebookの友達が1000人になってもいいのです。たぶんそれはそれで楽しいはずです。見るのしんどそうだけど。
でもFacebookって本来そういう使い方するもんじゃないのとも思ってるんですよ。その辺がTwitterあたりとは全然違う。(いずれちゃんと書くつもりですが、Twitterって実は掲示板の進化系じゃないかと思っているのです)

はっきりいいましょう。Facebookの友達の数に全然興味がない。こんだけの人しか見てないんだからつまんねーな、とも思わない。むしろ自分が見て欲しい人に見てもらえれば、そして大好きな人の近況がわかればそれでいいんです。
このブログだってそうですよ。ほとんど誰も見てない。検索とかで流しで来た人が定期的に見てくれるようになるのは、それはそれで嬉しいけど、宣伝してまで多数の人に見てもらいたいなんてこれっぽっちも思わないのです。
おそらく大勢の人に見てもらって喜びを感じるという感覚が欠落しているのでしょうね。別に選挙じゃないんだからどんな考え方なのか全然わからない大勢の人に褒めてもらうより、信頼しているひとりふたりの人に褒められた方が嬉しい。
まあ過去のことも多少は関係あるんだろうけど。
かつてアタシが旧yabuniramiJAPANをやってた頃、某巨大掲示板にリンクまで張られたりして、やたらアクセス数がありました。メールフォームも設置してあったので、それこそかなりの数のメールをもらいましたし、今でも個人的な付き合いがある人も結構います。
でもブログを再開するにあたって、ああいうのはもういいや、と。でも書きたい欲求はあるので、とにかく目立たないようにしようと。
んで大好きな人たちにだけURLアドレスを教えておけばそれでいいと。見にきてくれればさらに良しと。カジノ・ド・サンノミヤ(←旧yabuniramiJAPANの頃はこんなつまんねーネタばっかり書いてたな)

アタシの使い方が変なのかもしれませんが、ネットで人脈を広げるという発想はとうになくなり、むしろ絞ってるといった方がいいかもしれない。絞って絞って、その結果本当に大好きな人が残った、みたいな感じでしょうか。
ネットは荒波ですよ。ベイスターズの外野手じゃないよ。荒れ狂う海ですよ。そんな中を大好きな人だけが乗ったノアの方舟で漂流した方がいいじゃないですか。
お、恐ろしく綺麗にまとまった。まだいいたいことあるけどチャンスなんでおわり