2012年6月1日金曜日

狭山事件を読み解かない

高校生の頃、アタシの夢はただひとつ「ひとり暮らしをする」ことでした。
何故そこまでひとり暮らしに憧れていたのか、今となってはつまびらかではありませんが、親元を離れて暮らすという行為に果てしなく自由な感じがしたんだと思います。
たいして行きたくなかった大学に行ったのも、もし大学に入ったらひとり暮らしをしてもいい、という許しを得たからで、大学まで通って通えない距離ではなかったのに狭いアパートを借りて念願のひとり暮らしを始めたんです。
それがまた中途半端な場所でして、本当なら大学のそばに住むものですけど、大学のあった場所がかなり田舎で、どうせなら街中に住みたいという願望から、自宅と大学の中間地点みたいなことろに部屋を借りたんですね。
しかしこれは失敗でした。
通学に妙に時間がかかるので、ほとんど大学に行かなくなり、念願だったマイルームで、ひたすらボケーッとしてました。さすがにマズいと思い翌年には大学のそばに引っ越したのですが、本当に何もしなかった、そして果てしなく孤独だったその一年も今となっては、それなりに思い入れがあります。
とにかく何もすることがないので、意味なく、本当にまったく何の意味もなく、近所を徘徊するようになりました。まもなく自転車を手に入れたので自然と移動距離も伸びたのですが、特に夏の暑い日など、近所にあった大きな公園を無意味に何周もしました。部屋が蒸し風呂状態だったんだもんで。

自転車で徘徊するようになってから、だいたい30分圏内の場所は定期的に行ってたのですが、中でもお気に入りの場所がありました。
そこの駅周辺は妙に好きな雰囲気で、といっても何をするわけでもないのですが、とにかく頻繁に通っていました。誰かと会うわけでもなく、何か用事があるわけでもなく、ただもう、この場所で時間が過ぎていけばそれでいい、そんな感じでした。ある意味精神が病んでいたんでしょう。
しかし引っかかるところもありました。駅の周辺は非常に雰囲気がいい。が、駅から少し離れたとある周辺は何やら異様な感じがして、正直怖さ、みたいなものを感じていたんです。
特に怖さを感じたのは、「狭山事件」、「Iさん(実際は実名)を救おう」みたいな横断幕みたいなのがやたらかかっていたからです。

いよいよ本題ですが、狭山事件は昭和38年に起きた殺人事件です。これは女子高生(とはいえ今でいう専門学校性)が何者かに絞殺・遺棄された事件でして、場所は埼玉県狭山市で起こったので、一般的に狭山事件と言い習わされています。
さっきから「田舎」とか「街中」とか「とある」とか、場所に関して妙にボカして書いてあるのは、狭山事件の容疑者とされたI氏(現在は仮出所中)が被差別関係の人だったからで、つまりはアタシがお気に入りだった駅から少し離れた場所は、被差別関係の人が多く住む地域だったんです。でなければ埼玉で起こった事件(それもその当時で事件発生から20年以上経過している)が関西の某地域で横断幕なんて出るわけがない。
そんなわけで場所を詳細に書けないのは当然というか何というか。

I氏が容疑者とされた根拠は甚だ薄弱で、こんなんでよく逮捕に踏み切れたな、と思うのですが、I氏が被差別関係の人だったために話がややこしくなってしまった側面があります。
が、事件を見ていくと、こと謎、という部分に関してはこれほど謎の多い事件も珍しい。
I氏逮捕には直前に起きた「吉展ちゃん誘拐事件」(この時点では未検挙)の犯人を取り逃がす失態を犯していたため、警察が「生きたまま犯人を捕らえる」ことに執着しすぎた結果だといわれていますが、警察の二重ミス&秘密の暴露(犯人しか知り得ない情報)のでっち上げの可能性を置いておいたとしても、じゃあほぼシロのI氏でなければ誰が犯人なんだ、といわれればよくわからない。
しかもこの事件の関係者が事件後謎の自殺を遂げた者が複数いることも謎が謎を呼ぶ結果になってしまっているんです。

狭山事件、というと都市伝説として「となりのトトロ」の裏設定というか、あの話は狭山事件をファンタジックに裏書きしたものなんじゃないかとまことしやかにいわれています。
細かくは書きませんが、たしかに符合するところが多く、というか「こじつけといえばこじつけ、しかし符合といえば符合」という絶妙な線をついています。
まあアタシは宮崎作品に興味がないのでどうでもいいのですが。

そんなことより
アタシが自転車で徘徊していたのが約25年前、そして狭山事件が起こったのが約50年前です。
記憶の中にある、淡く色褪せた映像と、実際のというか、事件当時の荒れたモノクロフィルムの映像。別物といえば別物なのですが、四半世紀前と半世紀前の映像が妙にシンクロして、「狭山事件」と聞くと、あの鬱屈した日々を思い出してしまうのです。