2011年9月13日火曜日

シカゴ!シカゴ!シカゴ!

藪似です。今回は舞台の話でも。

Twitterには書かなかったのですが、ロンドンに行った時に「シカゴ」というミュージカル(といっていいのかな?)を見てきました。
以前ブログにも書いたように、ロンドンではミュージカルが復権しておりミュージカル小屋(と書いた方が気分が出る)が至るところにあります。アタシはイギリスが初欧米であり、当然ブロードウェイなぞ行ったことはないのですが、せっかくだから何か一本見てやれと企んでおりました。
数多いミュージカルから一本選ぶなら、もうそれは「シカゴ」になってしまうわけです。

一部はご存じでしょうが、アタシは「CrazyBeats」なるクレージーキャッツのファンサイトもやっています(えらく長い間放置してありますが)。クレージーキャッツの大スターであった植木等が1983年の日本語版「シカゴ」に出演しています。共演は草笛光子。そして演出は日本バラエティの始祖ともいえる井原高忠。何ともすごいメンバーでの公演でした。
当時高校生のアタシが1983年版を見ているはずもなく、しかし遅れてきたファンとしてはこれほど見たかった舞台もありません。

・・・まあこのような心理的事情がありまして「シカゴ」なのです。

この「シカゴ」という舞台を説明するのは難しい。とりあえず中央に階段状のオーケストラボックスがででんと設置してあります。このオーケストラボックスの周りでといいますか、まるで演奏の邪魔にならないように役者が動きまわります。したがって舞台じかけのようなものはほぼありません。
ストーリーも、まああるのですが、感情移入が必要な体のものではなく、いや感情移入できそうな人物はひとりも登場しないんですよね。
小林信彦氏はこの舞台を「ミュージカル・ヴォードヴィル」と評してましたが、誤解を恐れずにいえば「歌とダンスがたっぷり詰まった、長いコント」みたいなものです。「歌とダンスがたっぷり詰まった、舞台じかけのない「8時だョ!全員集合」」といえなくもない。
長いコントだの全員集合だのが出てくるくらいですから、音楽とギャグがサンドイッチ状になっています。つまり「笑い」は非常に重要な要素なんですね。

ロンドンの回で書いたように、アタシはからっきし英語がダメです。ですから「せっかくだから」と繰り出した「シカゴ」を楽しめる自信はあんまりなかったんです。
もちろん細かい言葉のギャグは全然わかりませんでした。しかし・・・いやもう、なんていったらいいのか、幕が開いて演奏が始まった瞬間全身に鳥肌が立ったんです。もっといえば、もしかしたら自分はこれを観るために生まれてきたんじゃないかと思えるくらい。
アタシは商業演劇ってもん(北島三郎特別公演とかああいうの)はほとんど観たことがなく、小劇団のたぐいは学生時代にそれなりに観たのですが、長く芝居を観てなかったこともあって、とんでもない感動に包まれました。

帰国後さっそく「シカゴ」のロンドンキャスト版のサントラCDを購入し追体験に勤しんでおったのですが、そういえば映画版を観てなかったことに気がついた。
んで結構賞とか獲って評判のいい映画版を観たのですが、うーん、最初にこっちを観ておくべきだったね。アタシは舞台を先に見ちゃったんで、何か無理がありすぎるなぁと。
そもそも刑務所で歌い踊る、というのに無理がある。当たり前だけど舞台はワンセットなので「ここは刑務所です」といわれたら刑務所なんです。法廷といわれたら法廷になる。でも映画にしたらちゃんと刑務所なり法廷なりのセットの中でやらなきゃいけないわけで。そうなると無理な感じばっかり気になっちゃう。
それに・・・これは根本的な問題ですけど、さっき書いたように感情移入できる人物はいないわけですよ。これが舞台なら(いくら長いとはいえ)コントみたいなもんだから、と思えるので問題ない。でも映画だとそうはいかない。そもそもギャグと音楽を繋いで映画にするのは不可能なので、どうしてもシリアスなシーンが入ってしまう。
でもね、もともとの話が荒唐無稽なので、シリアスなシーンが浮いちゃうような、ね。

ま、映画版の話が長くなってしまいましたが、舞台を観ていっこ吹っ切れたことがありました。それは「植木等版のシカゴを観そびれたことへの後悔」です。もう、いったい何年、アタシが植木等を敬愛してると思ってるんですか。そんなアタシだからこそロンドンキャスト版を観て、植木等が演じたビリーがですね、当然目の前で演じているのは英国の役者ですよ。でも勝手に「植木等が歌っている」声と姿に脳内変換できましたからね、ええ。