2011年9月7日水曜日

ウラとオモテ

ご無沙汰しております。藪似です。ちょっと個人的な事情がありまして更新をストップしておりましたが、何とか再開できることになりました。

さてさて、更新をストップしている間に世の中いろんなことが起こりました。まああんまり小難しいことを書いてもしょうがないのですが、島田紳助引退とか某キー局へのデモとかね。
なんか今年は本当に不思議な年でして、今までの常識が崩れる年というか、完全に時代の変わり目な気がしてならないのです。
あえてあんまり書かなかったのですが、3月に未曾有の地震があったりして、その問題も到底進展しているとはいえない。いや、何がいいたいのかというと、紳助引退も某キー局デモも某東電の件もすべて同じ土俵上の話がするのですよ。
つまり今までウラだったものが、恐ろしい勢いでオモテに出てきてるというかね。ウラとオモテの境界線が非常に曖昧になってきている。それを先導しているのはインターネットの力もありますが、それだけとは思えないのも事実でして。

紳助についてアタシは今まで書くことを躊躇していた部分があります。全然書いてなかったわけじゃなくて、小出しにね。たとえば横山やすしの時とかにちょろっと触れたり、松紳を取り上げたこともあります。しかし真正面から紳助を論じたことは一度もない。
もうここ数年、紳助の番組は一切見てませんでした。はっきりいってしまえば紳助の番組が始まるとチャンネルを変える、くらいのレベルでした。
とはいうものの、これでも大昔は比較的好んで紳助の番組を見てた時分もあります。たとえば「クラブ紳助」なんて毎週欠かさず見てましたしね。
紳助の番組に不快感をおぼえだしたのは「クイズ紳助くん」くらいからでしょうか。その前の「クイズ仕事人」はちゃんと見てたんだけど。一言でいえば「鼻につきはじめた」のです。
正直紳助が引退するからといって残念でも何でもない。暴力団との付き合いが、といわれても、ああそう、としかいいようがない。

芸能人と暴力団といえばまず浮かぶのは美空ひばりのケースでしょう。
事細かに説明するつもりはさらさらありませんが、美空ひばりの成り立ちというか神戸芸能社絡み、みたいなのは子供の頃から知っていました。親や親戚からすれば、それは「当たり前」レベルの話でした。
もちろんアタシが生まれ育ったのが神戸だということもあると思います。しかしそこまでブラックボックス化していたとは到底思えない。当時、よほど無邪気な人でなければ、そういう闇の部分くらい知っていたと考えるのが自然です。(鶴田浩二の襲撃事件なんかはニュースとして大きく取り上げられましたし)

美空ひばりのデビューは昭和20年代の話です。戦後の混乱期であり、ウラとオモテの境界線がまだはっきりとしてなかったのかもしれません。それよりも、たとえば731部隊であったり、今では自虐史観といわれる大日本帝国軍の闇の部分の方が(すべてGHQとセットですが)よほどタブーだったはずです。

はっきりいえば芸能界を指して「カタギではない」というくらいなので、芸能界もヤクザの世界もたいして変わらない、と同時につながっているに決まってる、くらいに考えられていたのではないでしょうか。

それが「コンプライアンス」なんて言葉が出てきて、芸能界もお行儀よくしなきゃならない、みたいな風潮になっていきます。それは一見正しいことのようですが、実際にはそんなことは難しい。テレビだってなんのかんのいいながらすでに半世紀以上の歴史があるわけです。当然のように繋がっていた、政治団体だとか宗教団体とか、その他もろもろ「ややこしい」付き合いがあったことは想像に難くなく、それをいきなり切ることなんてできるわけはありません。
となるとどうなるか。オモテの顔を作るしかない。オモテではコンプライアンスとかなんとかいいながら、ウラではより闇を深くしていく。
ところがこれも限界があるわけです。今回インターネットが牽引してどんどんウラがオモテに出てきました。信じられない勢いで、です。

アタシは某キー局の件にしろ紳助の件にしろ、はたまた某東電の件にしろ、どっちが悪いとかはいいません。ただ最初にも申し上げました通り、ウラとオモテの境界線があいまいになってきているのは間違いないでしょう。
そんな時代において一番マズい対応は、これまで通りウラとして隠し続ける、という態度です。ウラをウラのまま温存しておこうとすればするほど疑心暗鬼をおぼえる人が増えるだけの気がします。

いくらネットを規制しようが、実際そういう法案が出ているようですが、そんなことをしてもほとんど意味がない。世の中「からくり」があるのは誰だってわかっているのですからね。