2011年12月13日火曜日

GO!GO!掛布

また野球ネタです。

昭和51年、生まれて初めての野球観戦は、なぜか阪急=南海戦だったが、その次が阪神=中日戦だった。この試合、阪神は負けたのだが、唯一の希望は、田淵がホームランを打ったことだった。子供心にものすごく救われた感じがしたことをよく憶えている。
そして3回目のプロ野球観戦。この試合で私の野球好き、阪神好き、そして田淵好きが決定的なものになる。なぜなら、この試合で、田淵が広島・池谷投手から逆転サヨナラ3ランホームランを放ったからだ。
本当に打ってほしいところで打ってくれる、幼少時代の私にとって田淵とは、そんなミラクルヒーローだったのだ。「心の底からありがとう!タブチくん」(2003年10月29日更新)より


上記の引用では割愛してますが、「3回目のプロ野球観戦」は今ではほとんどなくなったダブルヘッダーでした。
第一試合と第二試合のインターバル、アタシはグッズ売り場に直行して田淵のサインボールを求めにいったのです。
が、あいにく田淵のサインボールは売り切れ。当たり前です。さっき第一試合でサヨナラホームランを打ったばかりなんだから。
さあ困った。大好きな田淵のサインボールはない。芋の子を洗うような大混雑のグッズ売り場で、第二候補など一切かんがえていなかったアタシは、自分でも信じられない言葉を発します。
「掛布のサインボールください!」
アタシが生まれて初めて買い求めたサインは(印刷ですが)、掛布のだったんです。

若い阪神ファンと話をしていて、一番ジェネレーションギャップを感じるのが掛布に関することです。
「アホみたいに借金かかえて、自己破産ってどういうことやねん」
「読売に寝返るような発言ばっかりしくさってからに。なんであんなんがミスタータイガースや」
「解説いうても『流れが』どーとかばっかりやん」
全部いってることは正しいんです。論理的に反論できることは何もない。



今までの野球選手で誰が一番好きだったかと問われれば、先ほどの引用の通り田淵、となるわけですが、一番凄いと思った選手はとなると、誰がなんといおうと掛布になる。これはノスタルジーではなく、かなりちゃんと書けます。
だから掛布批判に同意はできても、掛布嫌いにはなれないのです。

現役の選手で掛布にもっとも近いのは楽天の岩村明憲でしょうか。もちろん今の岩村ではなくヤクルト時代の岩村ですが。
しかし、はっきり言い切ってしまえば、悪いけど比較にならない。岩村も成績的にはさほど見劣りしないし、だいいち数字だけ見れば、アタシがいくら掛布が一番凄い選手と声高に叫んだところで、イチローや落合の足元にも及びません。

イチローなら好打者、落合なら強打者となるのでしょうが、掛布を例えるなら「猛打者」というのがピッタリくる。
ヒットは日本語でいえば単打ですから、どうしても軽くミートしたみたいなイメージがありますが、掛布のは違った。もちろんレフトへ合わせたようなヒットもあったんですが、引っ張ったヒットが凄かった。
まさに地を這う、というか、しかも打球がメチャクチャ速い。一塁手も二塁手も一歩も動けず、みたいな、そんなヒットばっかりでしたから。
ホームランは以前書きましたが、全部ライナー。それが広い甲子園球場の中段に突き刺さる。
とにかくね、打球の速さは落合はいうに及ばず、バース以上だったんですよ。あんな強烈な打球を「まぐれではなく」打つ日本人選手は後にも先にも掛布以外見たことがありません。

掛布の全盛期は、いろいろ異論もあるでしょうが、1981年からの二年間だったと思います。
本格的に台頭してきたのがアタシがサインボールを買い求めた1976年、レフトへ打球を上げてラッキーゾーンに落とす技を身につけたのが阪神が球団史上初の最下位になった1978年。
その翌年、48本塁打を打ってホームラン王になってるのですが、実はこの年、怪我して終盤は出てないんですよ。怪我する前までは王の55本を上回るペースだったのに。
1980年は怪我の影響もあって絶不調。そして翌1981年からが最盛期です。
1984年は二度目のホームラン王を獲り、21年ぶりの優勝と初の日本一に輝いた1985年も三割40本塁打を記録しているのですが、なんというか、ずっと掛布を見てきたものからすれば、「掛布はこんな程度の打者じゃない」と叫びたくなるような内容でした。
1983年のシーズン途中からフォームが崩れ、右足をトン、トンと二度つくおかしなフォームになってしましました。そしてそれ以降「地を這う猛烈なヒット」も「弾丸ライナーのホームラン」もほとんどなくなってしまいました。
逆にいえば、それでもタイトルを獲ったりしているのは凄いともいえるのですが。

ま、どれだけ全盛期の掛布が凄かったかという趣旨のエントリなので晩年については触れませんが、年々フォームが崩れていたので、怪我があろうがなかろうが、そう長くは現役を続けられなかっただろう、というのが私見です。

最後に、今回のエントリタイトルですが、こんな曲名の歌が発売されてたのですよ、実際。ここで当時の画像とともに聴けますが、アタシはレコードを持ってたというか、無理いって親に買ってもらったんだよなあ。
サインボール買って、レコード買って、後年目の前でサインしてもらって・・・
今いる、「あの」掛布も掛布には違いないんです。だからあれだけいろいろやらかしても、アタシはまだ心のどこかで、阪神に帰ってきてほしい、と願ってたりするんですね。