2011年12月15日木曜日

少しどころじゃない、めちゃめちゃ不思議

もう12月の半ばです。しかし一年が早い。何でこんなに早いのかというくらい早い。
ついこの間今年が始まったと思っていた。今年の二月に初の海外ひとり旅を経験しましたが、ほんの2、3ヶ月前に感じます。
「歳をとると時間の経つのが早くなる」といいますが、ホント、恐ろしいくらい月日の流れが早いのに呆然としてしまいます。しかしいくらなんでも早すぎる。

藤子・F・不二雄のSF短編に「光陰」という作品があります。藤子Fこと藤本弘を思わせる人物と藤子Aこと安孫子素雄を思わせる人物の掛け合いが楽しい、比較的ほのぼのした作品ですが、まあネタバレになりますが、ラストのコマは月が目に見えるほどの速さで動いているという。
この作品の通り、もしかしたら本当に時間の進み方が少しずつ速くなってるのかもね、と。子供が感じないのは今の時間の進み方が基準なんだから感じようがない、という理屈も一応通る。

アタシは藤子F作品が大好きなわりに、SFには本当に弱いんです。しかし最近タイムトラベルの理論みたいな文章を読んでなるほど、と思ったのは、時間移動が可能か不可能かはさておき、地球は少しずつ動いているのだから仮に時間だけ移動できたとしても宇宙に放り出される、と。

今のパソコンの性能は、それこそアタシが初めてマイコンに触れた時と比べると途方もないものですが、これは技術を煮詰めただけ、ともいえるわけで、物理的に不可能なことが可能になる発明がなされたわけじゃない。つまりタイムトラベルとなると越えなければならない壁として「時間移動」と「瞬間移動」の二種類の大発明が必要ってことですよね。今現在これらの種と思えるような発明もなさそうですし、やっぱり無理なのかなと。もしかしたら今現在種はある、人間の寿命が500歳くらいに延びるなんて方が先かもしれません。

何がいいたいのかわからなくなってきました。そもそもアタシは理系の人間ではないので、まともにこの手の話ができるわけないのに無理をしているわけでして。いや、それでもね、これまた何かの本で読みましたが、飛行機が何故空を飛ぶことができるか、完全にはわかっていないらしいのです。
つまり、とんでもない、それこそSF的な発明は理屈もないもないところから、理系でも何でもない人間から生まれるのかもしれません。
と書いたところで思いだしましたが、それも「あいつのタイムマシン」という藤子F作品があるわけで・・・。いやまったくかなわんよこりゃ。