2011年12月16日金曜日

ウソの美学(抜粋再録)

恒例・yabuniramiJAPANリターンズをば。
今回は初めて「ヤキウノウワゴト」からの再録になります。「ヤキウノウワゴト」は野球関係のことを書き記しておりまして、当然リアルタイムに読んでもらわないと意味のないエントリがほとんどなのですが、今回再録するエントリはあまり野球と関係ないこと、というか実際は関係あるのですが、わりと普遍的な部分だけを抜粋して再録します。
それでは時計の針を2004年7月10日に戻します。




アタシは自分でかなりの正直者だと思います。正直者といってもウソなどついたことがないというたぐいの正直者ではありません。でも自分にとってかなり不愉快な出来事に遭遇した時、もろにそれが顔にでてしまうのです。
顔にでるぐらいならまだいいのですが、腹に据えかねる場合には行動にでてしまうこともあるわけで、当然損をすることもかなり多い。だからなのか『正直に生きることは素晴らしい』なんてまったく思わないわけです。できればもっと、何事にも平然と生きていられるようにと常々理想を掲げておるのです。

たしかにアタシはそういう意味での正直者ですが、ウソをつくことはけして苦手ではないのです。すごく矛盾のあるような話ですが。『ここ一番』というか、ここはウソをつき通さなくてはならない場合には、徹底的にウソで押し通します。そして絶対見破られない自信もあります。

もちろんプライベートでも≪ウソを通す≫という行為をやってしまうのですが、やはり仕事絡みではかなり顕著にその回数が増えてしまうのです。

組織に属している限り、ウソで押し切らなきゃいけない時はゴマンとある。
たとえば自分が中間管理職だったとします。部下が自分より上司にあたる人の悪口をいっていたら、間違っても部下といっしょになってその上司の悪口をいってはならない。むしろなるべく上司のフォローをしなければならない。たとえ自分もその上司が大嫌いだったとしても。

なぜならそれが組織だからです。組織の一員になるというのは、果てしのない我慢の連続です。その組織をぶっ潰してもいいとまで思っていない限り、組織としてマイナスになるようなことはできないのです。
まぁアタシだって『組織なんてどうなってもいい』と思ったことなど一度や二度ではありません。しかし組織をぶっ壊すということは、その組織に関わる大半の人が不幸になる。『あの人やこの人も不幸になるかもしれない』と考え出したら、到底行動には移せませんでした。結局そうやってウソをつきつつ、自分の怒りを静めるしかないのです。

もしそれでも我慢ならない時はどうするのか。それは自分がその組織から離れるしかないのです。悲しいけど、アタシにはそうするぐらいしかできません。

アタシにもっと行動力と人望があったら、クーデターをおこしていたかもしれません。しかしもしクーデター(に準ずる行為)を起こすなら、最低でもこの2つの条件が必要だと思うのです。

1)まったく隙のない理論武装

2)結束力

仮に実権を握っている人間の行動に、なんの理論がなかったとしても、そんなことは関係ありません。≪実権を握る≫ということは≪たいした理論がなくても事を進めることができる≫ということに他ならないからです。
実権を握っている人がつくった≪流れ≫を変えるには、その流れを根本から否定できる完璧な理論武装が必要になるのは当然です。相手は実権を握るような人ですから、こっちの理屈のほころびを実にうまくついてくるはずです。もしこちらの理論に隙間があれば、いとも簡単に負けを認めざるを得ない状況になるのは明白です。だから何をいわれても完璧に理屈でかえせないといけないのです。

また相手の弱点を徹底的につくことも大切です。どんな強大な相手でも絶対弱点はあるはずです。裁判にもちこめるような言動があればそれを利用するのも手ですし、そういう人に限って意外と人情派だったりすることも多いのです。

それでもダメな場合は実力行使にでるしかないのですが、そうなると結束力がモノをいいます。『チャップリンの独裁者』じゃないですけど、ひとりの反逆は落伍者だが、大挙の反逆は革命になるのです。そしてその者たちの結束が本当に一枚岩なら絶対に勝つことができると思いますが、結束力があるのかないのかうやむやなまま実力行使にでた場合は、ほぼ惨憺たる結果にしかならないでしょう。

いずれにせよ、まず相手の立場にたって物事を考えることができるかどうかは重要です。何度もいいますが、個人(複数にせよ)が組織の実権者と戦うということは、キレイゴトを並べ立てていかなきゃしょうがないのです。ホントは自分のためです。自分の立場がなくなったり、損をしたりするのがイヤだから、そこまで強引な行動にでる。しかしそれでは≪理論武装≫もできなければ≪結束力≫も生まれない。

ウソかどうかなんてどうでもいいのですよ。そのためにはなんだってしなきゃいけない。自分が悪者になる覚悟も必要だし、相手に取り入るのもまったくかまわない。とにかく実権を取ることが目標なんだから。




本当はこれの倍くらいの長さなんですけどね。何しろ抜粋だから。
ではカットした部分に何が書いてあったのか。
多少でもプロ野球に興味がおありの方なら憶えておられるでしょうが、2004年の夏といえば、オリックス・近鉄の合併に端を発したリーグ再編問題の真っ只中でした。
アタシが「ヤキウノウワゴト」をまともに更新していたのは2003年の秋から2005年の秋まででして、2004年に起こったこの出来事にたいして、全エントリの半分近くを費やして書いています。それくらいアタシも世間も燃え上がっていたのです。

抜粋した以外、つまり後半部分に書かれていたのは、プロ野球機構側(主にナベツネ氏)と選手会側(主に当時選手会会長だった古田敦也)との「煮えきらないやりとり」についてです。
今回抜粋という形で再録したのは、事の本質が高岡蒼甫のツイートから端を発した一連の問題とよく似ているんじゃないかと思ったからなんですね。

一連の問題(あえてこう書きます)での問題提議はネットから始まりました。そして、とりあえず、といった形でデモに繋がったのですが、ここにネットの可能性と限界点が見えた気がするのです。
可能性は置いておくとして、限界点はよくいわれる「ネット民なんて実際何の力もない」とかそんなことじゃないんです。
ひとつは「手の内をすべて明かしながら」の行動になるということ。
もうひとつは、これこそ再録した話に繋がるのですが「結束することの難しさ」です。
結局人間が「目的が同じ」という理由だけで結束するには限界があり、数人ならともかく数万人規模になるとまず無理です。
となると強いリーダーシップを持った人が必要になるのですが、ネットの特性上生まれにくい。

アタシはリーグ再編問題当時、これは時代劇と同じ構図だ、と論じました。一連の問題も一緒で、相手が「型通りの悪役」なのだから、こちら側(つまりネット民側)は白塗りのヒーローが必要なんです。
リーグ再編問題は古田敦也が白塗りヒーローに「化けた」ので一応の決着を見ました。
今回の一連の問題は、リーグ再編問題に比べてスケールが大きすぎるのですが、それでも、いや、だからこそ、より無敵の白塗りヒーローが必要だと思うのです。