2011年12月31日土曜日

やはり書かないわけにはいかない、あの出来事

今年の締めとして何を書こうかと思ったのですが、やはり東北地方を中心に甚大な被害のあった、あの地震に触れないわけにはいきません。
こないだテレビについて書いたエントリで軽く触れたのですが、今まで意識的にこの話題を避けてきました。はっきりいってこんないい加減なブログで軽々しく扱える問題じゃないという意識があったからです。

アタシは関東在住なので、節電や直後の物流の問題以外何の関係もなかったともいえます。しかし実際のところ関係あるのかないのかと聞かれれば、ある、わけでして。
福島には叔父夫婦が住んでいます。元々神戸の人で転居したのは15年ほど前です。かなり高齢になってからだったので、東北地方の寒さはかなり堪えたと思われます。
東北地方と書きましたが、福島といっても叔父夫婦の住んでいるのは北関東との境であり、まあ東北の入り口といって差し支えありません。それでもここ数年の間、何度か叔父宅を訪ねましたが、あまり経験のしたことのない寒さにはかなり驚きました。
叔父は「どうせ来るんだったら冬の方がいい。冬なら雪がある。でも夏は何にもない」と自嘲していましたが、神戸の、何不自由ない場所で育った叔父にとって、とんでもない田舎にきてしまった感があったのでしょう。

地震が起きたのは3月11日です。そして7月に入り元々身体の調子のすぐれなかった叔父が緊急入院し、8月に旅立ちました。
アタシはこの叔父を心底尊敬していたので本当にショックで、いや、こういう個人的すぎることは一切ブログには書くまいと思っていたのですが、それでも書いた方がいい、書かなきゃならない、と思ったのにはワケがあります。

叔父に関しては以前ブログでも書いたことがあります。何というか非常にノンシャランな人で、しかし趣味がいい。叔父が育った家は完全に貧乏の範疇に入るのに、初見の人なら関西弁でいうところの「エエシノボンボン」(良家のお坊ちゃん)に見えたはずです。
アタシはそんな叔父と映画の話をするのが大好きでした。あ、そういう見方があるのか、という驚きの連続で、けして書物の批評の受け売りではなく、自分なりの基準をしっかり持っていたんですね。
ですが子供の頃から叔父と映画の話をしていたわけではなく、本当に近年からなんです。でも叔父の映画の見方はアタシにとって非常にピンとくるものでした。それはもう、この人の感性を受け継いだんだ、としか思えなかった。

ここ一、二年、叔父の体調が良くなく長時間の会話が困難になっていました。ところが今年に入って若干持ち直しかけた矢先、あの地震が起きたのです。
文句をいいながら、慣れない寒さも、福島の人たちも、叔父は愛していました。神戸に勝る場所はない、と常々公言していた叔父も、福島の人たちの本質的な人の良さ、を見抜いていたのです。

叔父は亡くなりました。そして叔父が愛した福島も壊滅的な状況になってしまいました。でも何度もいいますが、福島といっても端の端で原発の影響も地震の被害もほとんどない地域なんです。
しかし世間はそうは思ってくれません。「福島」とひとくくりにされ、甚大な風評被害が出ました。福島というだけで敬遠される、そんな時代になってしまったのです。
風評被害による影響の話はいろいろ聞きました。正直凄惨としかいいようがない話もありました。叔父夫婦が経営する商店も「風評被害から逃れるため」人口が減ったので大幅な売り上げ減になったといいます。

今だからいいますが、アタシは東北地方が大嫌いでした。元来田舎嫌いなのですが、それに加えて今まで出会った東北人の人柄があまりいいとは思えなかったことも影響しています。
が、今年様々なことを経験しました。何度も何度も福島に足を運びました。その結果、福島の(といっても叔父夫婦の住む、とある街だけですが)印象が大幅に変わったのです。
とっつきはすこぶる悪い。だけれどもアタシが想像していたような底意地の悪さのようなものは微塵も感じませんでした。不器用だけど人を思いやる心を持った人たちばかりでした。

もう一度繰り返します。
叔父は亡くなりました。叔父が愛した福島も壊滅的な状況になってしまいました。
さらにいえば叔父が本当に心の底から大好きだった神戸の街も、あの阪神大震災で「別の街」になってしまいました。

アタシにとっても同じです。
今回のエントリはかなり感情を押し殺して書いています。
悔しいです。腹が立ちます。悲しいです。そんなマイナス方向の言葉しか出てきません。
人はいずれ亡くなります。街も時とともに生まれ変わります。震災、なんていうものが起きたため一瞬の出来事になってしまいましたが。
それでも新たな命が生まれ、壊滅状態だった街も新しく生まれ変わるのです。
これから、またスタートです。
来年はアタシも、アタシに関係している人も、してない人も、すべての人がいいスタートを切れるように願って2011年のブログを締めたいと思います。