2011年12月11日日曜日

2011年の「ダウンタウンのこと」

しかし前回は長かったね。長すぎた。5回分のエントリなんだから、まああれくらいにはなるのですが、1回分のエントリ自体も長い長い。昔はあれだけ書く体力があったんだと痛感します。

さて「2011年の」とかいいながら、いきなり2007年に書いた文章を引用します。

松本人志が映画を撮ったことに関しては、いろいろいうことがあるんですよ。(中略)「松本が商業映画を撮るのは、ほぼ不可能」と断言し(てしまい)ましたし(中略)『大日本人』にあるのは、いわばDVD的な笑いなんですよ。おそらく劇場よりもDVDで観た方が絶対面白いと思う。テレビ的じゃなくて、DVD的(ビデオ的、でもいいけど)。わかりますかね。(2007年7月5日更新「笑いの世界・第五回 『大日本人』は成功だったか」より)


ちょうど「大日本人」が公開された頃に書いたものです(文章がおかしいのは大目に見てください。「おそらく」か「絶対」かどっちやねん)。が、まさかあんな感じで監督・松本人志が誕生するとは思わなかった、てのが正直なところです。

松本といえば去年NHKでコント番組をやりましたし(その時の話はこちら)、月一、しかも5回こっきりとはいえレギュラー化され、先月にはNHKBSプレミアムにて「松本人志大文化祭」なる8時間にも及ぶ番宣(?)も放送されました。

まあ「松本人志大文化祭」は長時間の間にどれだけの映像を見せてくれるかと思っていたのですが、結局見所は枝雀を熱く語ったのと宮本茂との対談だけでした。
昔の映像は、内容より見せ方の問題なんですが、思ったよりぱっとしませんでした。

そして長い長い番宣を経て放送された「MHK」の一回目ですが、影絵と探偵のヤツは0点。つか今まで見た松本コントの中でも最低レベルの出来でした。
が、浜田雅功をゲストに迎えた「オンリー」は、「ごっつ」よりさらに前の二丁目時代を彷彿とさせる出来栄えで、久々に笑いました。
同時に、松本コントの弱点というか、今までやった「浜田不在のコント」に欠けてたものが浮き彫りになった気がしたんです。

松本コントというのは感情のヒダを針で突つくような、非常に繊細なものです。
コントは「短い芝居」であり、演者に演技力が必要とされるのは当然ですが、ましてやこの手のコントを成立させるためには、相当の演技力がいる。

はっきりいえば、松本の演技力では松本の発想力が表現できないのです。松本の場合、上手い下手云々の前に漫才芝居です。これはこれで構わないのですが、自身が持つ発想力を完全に活かそうと思ったら物足りない。
松本コントに浜田が必要なのは、「浜田のツッコミ」が必要なのではなく、「浜田の演技力」が必要なんです。

「MHK」でも後半の怒涛のギャグも面白かったんですが、それより全編通して浜田の顔がおかしくてしょうがなかった。顔とか書くと語弊があるな、表情、ですね。
浜田が松本コントの笑いどころがわかっているのは当たり前で、さらにプラスして「心のヒダを突っつかれた時の微妙な表情」ができるのが凄い。

「大文化祭」で「大日本人」が放送されたのですが、あの主人公を浜田がやれば、もっともっと深い世界になったんじゃないかと。
まあ松本自身、自分は裏方志向だからと大文化祭の中でもいっていましたが、ならばなおさら演技者・浜田雅功をもっと活かしてほしい。いや、もっとはっきりいうと、7年前と意見が違いますが、どうしても(ダウンタウンではなく)浜田主演、松本監督の映画を撮ってほしい、と切に願うのです。