2011年7月16日土曜日

ブルハとエレカシ

アタシが大学生の頃、ブルーハーツ旋風が吹き荒れていました。
学祭とかでダンパみたいなのがあるとシメの一曲は必ず「リンダリンダ」でした。そしてこれが異様に盛り上がる。ブルーハーツさえあればもう他に何もいらない、そういう空気すらありました。
旧yabuniramiJAPANの頃からあまりブルーハーツについて書きませんでした。ちょろちょろは書いてたんですがまとめて書いたことはない。書こうとは思ってたんだけどね。
しかしこれほどアタシに影響を与えたバンドは他にありません。ブルーハーツの曲で跳ね回り、ブルーハーツの曲に涙し、ブルーハーツの曲が弾きたいがばっかりにギターの練習をし、とアタシの大学生活はブルーハーツを中心に回っていた、といっても過言ではありません。

とにかく当時、アタシの中でブルーハーツに比類するバンドなどありませんでした。もちろん「あきらかにブルーハーツに影響を受けたな」と思えるバンドはありましたが比較にもなりませんでした。
そんな中で、結成自体はブルーハーツよりも早いエレファントカシマシというバンドがありました。というか今でもあるけど。結成が早いんだからブルーハーツの影響を受けたわけではないのでしょう。でも何となく唯一のブルーハーツのライバル的存在みたいな感じでした。
アタシはエレファントカシマシ、略してエレカシにほとんど興味はありませんでした。つかほとんどまともに聴いたこともなかった。だから知ってる?と聞かれたら「名前は聞いたことある」程度だったんです。
(名前を知ってたのは、アタシの大学生活の三大要素であるブルーハーツ、クレージーキャッツ、そしてVOW。そのVOWが載ってたのが宝島という雑誌だったのでね。当時の宝島は後年とは違い完全にバンド誌でしたから)

名前は知ってる程度だったエレカシが突然ブレイクしたのはドラマの主題歌になった「今宵の月のように」からです。当時のアタシは「あれ?こういうスタイルだったんだ。ちょっとイメージが違ってたな」とは思ったものの、やはりたいして関心を持てませんでした。
後で調べてみると、この頃のエレカシはレコード会社の戦略で大々的にメディアに乗っかる、いわゆる「売れ線」を目指していたようで、なんとなく違和感を覚えたのも無理もありません。

それから現在に至るまで、ブルーハーツ、略してブルハはアタシの中でずっと伝説的なバンドとして存在し、あいかわらずエレカシは「名前は知ってる」程度の存在でした。
ヴォーカルの宮本浩次といっても、アタシにとってはダウンタウン浜田が主演した「フレンズ」というドラマに出てた人、はたまたたまに音楽番組に出て挙動不審な仕草を撒き散らす人、といったイメージでした。
ところが最近「風に吹かれて」というエレカシの曲を聴いて完全に認識が変わりました。これは「売れ線」時代の楽曲であり、もしかしたらエレカシの本質とはかけ離れているのかもしれません。が、音域の広さを活かした宮本浩次の歌唱、そして実は「街」にスポットを当てた歌詞の世界はアタシの興味を惹きつけるには十分でした。

この文章はアタシがいかにブルハに傾倒していたか、という書き出しで始まり、ブルハとの対比によりエレカシについて書いてきました。しかし本当はブルハとエレカシは何の関係もない。音楽性も全然違うし。しいて共通点を挙げればブルハのヴォーカルである甲本ヒロトも宮本浩次も挙動不審なことくらいです。
でもエレカシについて書こうと思ったら、こう書くしかないのです。対比としての認識から、対比を抜けだしたまでを書かないと逆にエレカシに失礼な気がするんですよねぇ。