2011年6月3日金曜日

MacとWindowsの狭間に揺れる

藪似です。何故だか今、うちには3台もパソコンがあります。
それに加えてiPhoneとPS3もありますし、WindowsMobile機が計4つ。これらは無線LANが使えますので、ネットができる端末は全部で9台もあることになります。
(いや、よく考えたらテレビでもブラウジングできたような。やったことないけど)
パソコン3台の内訳はというと、デスクトップのWindowsが1台、ノートのWindowsが一台で、あとひとつがMacBookです。つまりWindows環境もMac環境も両方あるということです。

さてさて、よく2ちゃんあたりでマカー(Mac使い)だのドザー(DOS/V=Windows使い)だのという言葉がありますが、じゃあお前はどっちなんだと聞かれても正直よくわかんないんです。いや、もしかしたらアタシは「Windows的な自分」と「Mac的な自分」の狭間で常に揺れ動いていたのだと最近気づきました。

アタシがマイコン(パソコンの古い呼び名)なるものを手にしたのは中学の時です。当時のパソコンは、まあいや実験のための道具のようなもので、実用性は皆無、将来的な実用のための実験を行うような機械でした。
パソコンを使うということはイコールプログラムを組むということであり、最初から内蔵されている初心者向きのBASICから始まり、最終的に当時マシン語と呼び習わされていたアセンブラまで、プログラミング言語の習得することはパソコンの「ほぼすべて」だったんです。(ほぼ、なのはわずかばかりあった市販のゲームを楽しむ、という行為もないではなかった由)
中学から高校までの間、アタシは学校の勉強なんかそっちのけで、プログラミング言語の習得に勤しみました。以前も書きましたが、何も実用にならないとはいえパソコンイコール時代の最先端でありましたから、新し物好きの血が騒いだ部分も大いにあります。
そして情報処理の試験でも受けようか、受けたらたぶん受かるな、という段階に入って問題が発生します。高校生の問題といえば進学とか就職に決まっているのですが、いろいろあってアタシは芸術系の大学に進学することになります。
もし進学に失敗したら、つまり受験に落ちたらということはあまり考えてなかったのですが、その時は情報処理の専門学校に行けばいい、なんとなくそう思っていました。
それだけパソコンに淫していたのだから情報処理系の進学を第一志望にしてもよさそうなのに、そうしなかったのは「何かを表現したい」という欲望がパソコンへの情熱を上回っていたからなんです。

プログラミング言語の習得とかゲームとかは、今の「Windows的な自分」に受け継がれています。今はもうプログラムを書いたりはしてませんが、遊びでスクリプトを書くのはWindowsで、もしくはWindowsMobileです。
そして「何かを表現したい」というのはMac的な自分、ということになるのでしょう。
今現在デザインの仕事をしていますが、よくよく考えてみると、「パソコンという機械を使って」「何かを表現する」という、妥協というか折衷案という感じがします。
もしパソコンのない時代にデザインとかやれといわれても嫌だったろうし(つかできない)、逆に表現力がまったく問われないパソコンの仕事は(これは何度か実際にやったことあるけど)しんどい、というか全然楽しくないんですよねぇ。

話を戻しますが、そういう意味では今のMacはアタシにとって最良の選択かもしれません。何しろMacもWindowsも両方使えるんだもん。再起動は必要ですが、MacとWindowsは繋がってるようで繋がってないので(あくまでアタシのオツムの中的には、ね)、再起動が必要なのは逆に都合がいいのです。